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 2005.01.25 自己の二重化(3)――観念的自己分裂
 2005.01.25 自己の二重化(4)――認識の発展
 2005.01.31 自己の二重化(5)――認識の外化・対象化
 2005.02.03 自己の二重化(6)――鏡としての表現
 2006.06.29 二つの主観(2)――二重霊魂説に関して
 2006.06.30 存在と対象(1)――存在は対他的である
 2006.07.06 「言語」なしの思考(2)
 2006.07.08 先天主義〔弁・抜〕
 2006.07.31 対象意識(1)――類的存在としての人間の意識
 2006.08.10 対象意識(4)――他者意識・自己意識
 2006.08.17 客体的表現と主体的表現(1)――三浦つとむの認識論・言語論
 2006.08.19 自己の二重化(7)――他者を鏡とするということ
 2006.09.19 概念(5)――人間の思考・認識は個別概念を介して行われる
 2006.09.29 意味・意義・価値(1)――ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」
 2006.09.30 貨幣の使用価値
 2006.10.01 意味・意義・価値(2)――表現・受容過程と販売・購買過程とのアナロジー
 2006.12.08 三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(1)
 2006.12.10 三浦つとむ「漢字と振り仮名」
 2007.03.27 三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)
 2007.03.28 三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(3)

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2005年01月25日(火)| 意識・認識>観念的自己分裂 
自己の二重化(3)――観念的自己分裂

〔2004.06.21記〕

購入したばかりの『三浦つとむ選集』の第一巻『スターリン批判の時代』に鏡に関する興味深い論考がありましたので載せておきます。以下引用は「スターリンの言語学論文をめぐって」(p.59)から。なお下線は私がほどこしたものです。

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2005年01月25日(火)| 意識・認識>観念的自己分裂 
自己の二重化(4)――認識の発展

〔2005.01.21記/2005.01.30追記〕

三浦つとむはその著書の中で、鏡像を媒介とする観念的自己分裂についてとりあげ、鏡以外にも鏡と同じような働きをするものがあるということを指摘しています。鏡と同じような働きをするものには、虫めがねや望遠鏡、顕微鏡などのほか各種のメーターやオシロスコープ、テスターなどの計測器をはじめレントゲンやCTスキャナー、MRIなどの医療用機器などがあります。

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2005年01月31日(月)| 意識・認識>観念的自己分裂 
自己の二重化(5)――認識の外化・対象化

さて、「行動的にも、現実的にも自分自身を二重化する。従って、自分が作った世界のほかで自分自身をみる」(『経済学・哲学草稿』)というマルクスの言葉に対して三浦つとむは次のように書いています。

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2005年02月03日(木)| 意識・認識>観念的自己分裂 
自己の二重化(6)――鏡としての表現

人間が鏡や他者を媒介にして自己認識を深めること、さまざまな計器や観測機器を利用して外部の自然(人間の肉体を含む物質世界)についての認識を深めること、そのさい精神的に自己を二重化し、現実の自己の立場以外の立場に移行して思考し再び現実の自己に復帰すること、そして、そうやって人間は認識の限界を越え自己や世界に対する認識を広げ深化させてきたということを前項まで(タグ【自己の二重化】)に書いてきました。それでは人間は人間の認識活動や精神活動それ自身についてはどうやってその認識を深め共有してきたのでしょうか。

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2006年06月29日(木)| 意識・認識>観念的自己分裂 
二つの主観(2)――二重霊魂説に関して

 二つの主観(1)――主観・客観と観念的自己分裂

 二つの主観(2)――二重霊魂説に関して

 二つの主観(3)――観念的自己分裂の位置づけ

 二つの主観(1)~(3)をまとめて読む。

 関連:自己の二重化(1)~(7)

 関連:対象意識(1)~(5)

〔2006.02.07記〕

三浦つとむ選集3 言語過程説の展開』(勁草書房)の冒頭に載せられた「『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ」の中で三浦つとむは次のように書いている。――全文は「三浦つとむ『言語過程説の展開』 冒頭の文章」で読めます。

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2006年06月30日(金)| 弁証法>未分類 
存在と対象(1)――存在は対他的である

存在と対象非対象的な存在とは一つの非存在である(マルクス『経済学・哲学草稿』)。非対象的な存在とは非存在すなわち無である。あるものはその対象を俟(ま)ってはじめて存在となる。なぜなら対象の存在があるものの存在の証であり、存在とその対象とは互いに相手の存在を証し合うからである。

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2006年07月06日(木)| 言語>言語規範 
「言語」なしの思考(2)

 「言語」なしの思考(1)(2)をまとめて読む。

前稿 「言語」なしの思考(1) に対して秀さんからトラックバックをいただいた。その記事 「ソシュール的な発想」ということで何を言いたかったのか (2006/07/06)についての感想はいずれまたということにして、昨日来秀さんの 言語なしの思考は出来るか についてあれこれ考えたことを先に済ませておきたい。

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2006年07月08日(土)| 弁証法>抜き書き 
先天主義〔弁・抜〕

エンゲルス『反デューリング論』「第一篇 哲学 3 分類。先天主義」から

……思考のあらゆる分野で起こることであるが、現実の世界から抽象された諸法則が一定の発展段階に達すると、それは現実の世界から分離されて、なにか自立的なものとして、外からやってきた法則、世界がのっとらなければならない法則として、現実の世界に対置されるようになる。社会や国家では物事はこういうふうにおこなわれてきた。純粋数学も、まさしく同じ仕方で、あとから世界に適用されるのである。そのじつ、これは、ほなならぬこの世界からとってきたものであって、この世界のもろもろの組成形態の一部分をあらわすものにすぎず、――また、まさにそうであればこそ、そもそも適用できるのである。(大月書店/マルクス=エンゲルス全集)

思考のあらゆる領域でそうなのであるが、ある一定の発展段階に達すると、現実世界から抽象された法則が現実世界から引きはなされて、なにか独立なものとして、すなわち世界がそれにのっとるべき外来の法則として、現実世界に対立させられる。社会や国家に関してこうしたことが行われたように、それと少しも変わらず純粋数学もあとになってから世界に適用されるというかたちになる。ところが実はそれはほかならぬこの世界からとりだされたもので、単にもろもろの構成形式の一部分であるにすぎない、――またもっぱらそれだからこそ総じて適用などということもできるわけである。(粟田賢三訳・岩波文庫)

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2006年07月31日(月)| 意識・認識>観念的自己分裂 
対象意識(1)――類的存在としての人間の意識

何か書こうと思っているのですが今は考える時間も書く時間もありません。以前書いたまま放置してある稿がありましたのでちょっと中途半端ですがお目汚しに。

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2006年08月10日(木)| 意識・認識>観念的自己分裂 
対象意識(4)――他者意識・自己意識

前稿「対象意識(3)――対象意識と観念的自己分裂」(2006.08.05)では人間の意識の一つのあり方である対象意識について取りあげた。ところで人間は初めから対象意識(観念的な世界)を意識のなかにもって生れてくるわけでもないし、人類もまた最初から対象意識をもった種として生れたわけでもない。マルクスはいう。

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2006年08月17日(木)| 言語>文法 
客体的表現と主体的表現(1)――三浦つとむの認識論・言語論

三浦つとむはその著書の中で「認識」という語を「対象認識」という狭義の概念としてだけでなく認知・認識およびそれらの主体の主体意識をも含む広い概念つまり広義の意識として用いている。したがって三浦の認識論は意識論そのものである。そして宮田和保がその著『意識と言語(桜井書店)で指摘しているように、言葉は人間の意識を表現したものであるから、「言語は人間の認識を映し出した鏡である」という三浦の言は「言語は人間の意識を映し出した鏡である」と言い換えるべきであるし、〈対象→認識→表現〉という三浦の言語過程説は〈対象→意識→表現〉あるいは〈対象→認識(意識)→表現〉とすべきであると私自身も思っている。

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2006年08月19日(土)| 意識・認識>観念的自己分裂 
自己の二重化(7)――他者を鏡とするということ

「他人(ひと)の振り見てわが振り直せ」「他山の石」のようなことわざや故事、あるいは「人をもって亀鑑(かがみ)となす」といった表現の存在は人間が他者の姿や行動をわが身にあてはめて自己を反省する動物であることを示している。

マルクスはこのことを、ある商品A(リンネル)が他のある商品B(上着)に関連することによって自己の相対的価値を示すことを述べる部分の注で取りあげている。注の直前の段落と注とを以下に引用する。

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2006年09月19日(火)| 意識・認識>概念・表象 
概念(5)――人間の思考・認識は個別概念を介して行われる

 概念(1)~(5)をまとめて読む。

概念は『言語』に先立つ(4)」(2006/09/06)において、私は「概念とは、ある対象を〈一定の種類に属するもの〉として把握した認識である。いいかえると、個々の対象から〈ある一定範囲の対象に共通するある一定範囲の属性〉を抽出して形成した心像が概念である。すなわち概念は基本的に対象の知覚表象や想起された表象から抽象されて形成されるものである」と書いた。そして「人間の認識は徹頭徹尾概念的である」(同題の稿 2006/07/27)とも書いた。このことは、人間の思考・認識は概念を介して――それも三浦つとむのいうように個別概念(個別的概念)を介して――行われるということを意味している。しかしこれは一九世紀中葉にすでにディーツゲンが述べていることの再認識にすぎない。

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2006年09月29日(金)| 言語>意味 
意味・意義・価値(1)――ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」

 意味・意義・価値(1)~(3)をまとめて読む。

秀さんが「「意義」と「価値」--語の意味」(2006年09月29日)というエントリーでソシュールのいう語の「意義」と「価値」について書いている。

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2006年09月30日(土)| 言語>意味 
貨幣の使用価値

本筋ではないが、秀さんが 「意義」と「価値」--語の意味 (2006年09月29日) の中で「貨幣そのものに使用価値がな」いと書いておられたので、前稿<意味・意義・価値(1)――ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」>において私は注記の形で「貨幣はいつでもどこでも他の商品と交換できるという使用価値をもった商品である」と指摘した。その注記に関して秀さんからコメントを戴いた。コメントには後でお応えすることにして、まずは貨幣の使用価値について私の見解を少々詳しく述べる。

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2006年10月01日(日)| 言語>意味 
意味・意義・価値(2)――表現・受容過程と販売・購買過程とのアナロジー

 意味・意義・価値(1)~(3)をまとめて読む。

〔注記〕タイトルおよび以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。したがって「受容者」には「解釈者」「鑑賞者」の意味も含まれている。

前稿「貨幣の使用価値」でマルクスの引用をしているときに、川島正平さんの『言語過程説の研究』第四章の注で初めて目にした三浦つとむの論考のことを思い出した。それは『唯物弁証法の成立と歪曲』に収められた同題の論考である(同書は後に手に入れた)。その中で三浦つとむは、マルクスが『経済学批判』や『資本論』で描いた W―G―W すなわち商品の<販売⇒購買>過程がもつ論理構造を取り上げ、それとの論理的類似(アナロジー)という観点から E―A―E すなわち言語の<表現⇒受容>過程〈認識→表現→認識〉がもつ論理構造について述べている(差異についても触れている)。少し長くなるがその部分を以下に引用する。なお、論考を理解するためには「統一」概念と「同一性」概念との差異と連関も重要なので一つ前の段落から引用を始める。

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2006年12月08日(金)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(1)

ソシュール「言語学」についてはいずれ簡単なまとめのようなものを書こうと思っているが、形而上学的な論理にすっかりあてられてしまったので、頭をすっきりさせ暗闇から復帰するために、現実に根を張った学問研究を貫いた時枝誠記(ときえだもとき)に対して、その言語過程説を批判的に継承すると公言する三浦つとむがつづった論文集「時枝誠記の言語過程説」(『言語学と記号学』勁草書房所収)を紹介したい。この論文集の掉尾は時枝に対する追悼文ともなっている。なお引用にあたって傍点は傍点のように表記し、適宜ルビを振った。また、各論文の末尾にある注のうち引用元の書籍名を示すものは( )に入れて本文中に挿入した。

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2006年12月10日(日)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「漢字と振り仮名」

三浦つとむの論考は私たちにとってごく身近なものごとを取り上げるときにも、論理的で筋が通っている。そして経験を通して蓄積された普通の人々の直観を裏切らない論理の曇りのなさがその魅力の一つだと私は思う。しかし、その内容は深いのであって数年、数十年経って自分の経験がさらに積み重ねられた後になってあらためて読み返すと再び三度新たな発見をさせられるといった類いのものである。しかし、そのことは同時に、読む者はその人なりの理解しか与えられないという意味で、その弁証法的(論理的)思考のレベルが試されるということでもある。

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2007年03月27日(火)| 言語>意味 
三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)

さて、言語学の分野では表現された言語(自然言語)の意味とは何かということについての定説が存在しない。つまり、意味論が確立されていない。その中では最近よく耳にするようになった認知意味論は三浦の関係意味論に比較的近いといえるかもしれない。三浦の関係意味論はある意味でマルクスがその著作の端々で触れている言語についての断片を系統的にまとめたものとみることができる。つまりマルクスはすでに言語の意味について商品の使用価値や交換価値、意識の外化・対象化(疎外概念を含む)といった概念のもとで語っているのであり、関係意味論に欠くことのできない観念的自己分裂つまり、人間の対象意識の運動についても語っているのである。また、ふつうの人々も表現された言語の意味を直観的につかんでいるのであり、そうでなければ人類がかくも長く言語を用いた意思疎通を行ってきたことを説明できないし、人々がさまざまに工夫して自分の意志や意図を他者に伝え、他者の意識やその伝えたい内容を的確につかみ取ってきたことも説明できない。にもかかわらず、三浦のいうようにいざ言語の意味とは何かを問われると言葉につまってしまうのである。

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2007年03月28日(水)| 言語>意味 
三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(3)

〔注記〕以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。したがって「受容者」には「解釈者」「鑑賞者」の意味も含まれている。

三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)で引用したうちの後の方の二番目の段落で、ルフェーブルが「意味はあらゆる側面から他のものへわれわれを送りかえす。一方においては、過去へ、既得の知識へ、現在性へ、記憶へと、――他方においては、潜在性へ、可能性へ、意味を担った知覚場の多様性へと送りかえすのである」と書いている部分について三浦は「表現主体のつくり出した概念」あるいは「直接に表現されていない表現主体の独自の認識の部分」であるといっている。つまりルフェーブルが「意味」であると考えているものは実は表現者が言語のうちに表現した個別概念である、と三浦は指摘している。しかし、ルフェーブルはこれを表現者とは関りなく受容者が自ら作り出すものだと考えている。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(68歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことだけをこなす日々です。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 I』を読む 1(1)――認識論と言語学三浦つとむ『認識と言語の理論 I』

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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