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 2006.10.01 意味・意義・価値(2)――表現・受容過程と販売・購買過程とのアナロジー
 2006.12.08 三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(1)
 2006.12.08 三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(2)
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 2007.03.27 三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)
 2007.03.28 三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(3)
 2007.10.17 存在と対象(3)――非存在という概念
 2008.02.27 三浦つとむ『認識と言語の理論』 まえがき
 2008.02.28 三浦つとむ『言語過程説の展開』 冒頭の文章
 2008.02.29 時枝誠記と三浦つとむ(1)――「三浦つとむ選集1」から

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2005年01月25日(火)| 意識・認識>観念的自己分裂 
自己の二重化(3)――観念的自己分裂

〔2004.06.21記〕

購入したばかりの『三浦つとむ選集』の第一巻『スターリン批判の時代』に鏡に関する興味深い論考がありましたので載せておきます。以下引用は「スターリンの言語学論文をめぐって」(p.59)から。なお下線は私がほどこしたものです。

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2006年06月29日(木)| 意識・認識>観念的自己分裂 
二つの主観(2)――二重霊魂説に関して

 二つの主観(1)――主観・客観と観念的自己分裂

 二つの主観(2)――二重霊魂説に関して

 二つの主観(3)――観念的自己分裂の位置づけ

 二つの主観(1)~(3)をまとめて読む。

 関連:自己の二重化(1)~(7)

 関連:対象意識(1)~(5)

〔2006.02.07記〕

三浦つとむ選集3 言語過程説の展開』(勁草書房)の冒頭に載せられた「『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ」の中で三浦つとむは次のように書いている。――全文は「三浦つとむ『言語過程説の展開』 冒頭の文章」で読めます。

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2006年07月10日(月)| 言語>言語規範 
ソシュールの「言語」(2)

 ソシュールの「言語」(1)~(4)をまとめて読む。

〔注記〕 ソシュールの用語については ソシュール用語の再規定(1)~(4) を、ソシュール言語学の概要については ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8) をご覧下さい。

秀さんと私との間で理解が分かれた「言語が現われないうち」あるいは「言語の出現以前」という『一般言語学講義』にあるソシュールの表現について、その表現のある文とその前後の文章とをあらためて読んでみると私の理解もずれていたようだ。ソシュールのいう「言語」が langue を表しており、意識における langue「言語」の出現以前を意味していることはたしかだが、人類の歴史上において langue「言語」が生れる以前のことをいっているわけではないようだ。

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2006年08月17日(木)| 言語>文法 
客体的表現と主体的表現(1)――三浦つとむの認識論・言語論

三浦つとむはその著書の中で「認識」という語を「対象認識」という狭義の概念としてだけでなく認知・認識およびそれらの主体の主体意識をも含む広い概念つまり広義の意識として用いている。したがって三浦の認識論は意識論そのものである。そして宮田和保がその著『意識と言語(桜井書店)で指摘しているように、言葉は人間の意識を表現したものであるから、「言語は人間の認識を映し出した鏡である」という三浦の言は「言語は人間の意識を映し出した鏡である」と言い換えるべきであるし、〈対象→認識→表現〉という三浦の言語過程説は〈対象→意識→表現〉あるいは〈対象→認識(意識)→表現〉とすべきであると私自身も思っている。

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2006年08月19日(土)| 意識・認識>観念的自己分裂 
自己の二重化(7)――他者を鏡とするということ

「他人(ひと)の振り見てわが振り直せ」「他山の石」のようなことわざや故事、あるいは「人をもって亀鑑(かがみ)となす」といった表現の存在は人間が他者の姿や行動をわが身にあてはめて自己を反省する動物であることを示している。

マルクスはこのことを、ある商品A(リンネル)が他のある商品B(上着)に関連することによって自己の相対的価値を示すことを述べる部分の注で取りあげている。注の直前の段落と注とを以下に引用する。

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2006年09月12日(火)| 科学・教育>数学 
マイナス×マイナスはなぜプラスになるのか(2)――正負の数のかけ算

さて正負の数の乗法であるが、かけ算をどう定義するかである。もっとも一般性のありそうなのは(速さ)×(時間)のような(1あたり)×(いくら分)――示強因子(内包量)×示量因子(外延量)――であろう。等速直線運動における速さや時間・距離は実数値で表わされるから、水道方式のように(1あたり)×(いくら分)を乗法の定義として用いるのがもっとも妥当だと思われる。

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2006年10月01日(日)| 言語>意味 
意味・意義・価値(2)――表現・受容過程と販売・購買過程とのアナロジー

 意味・意義・価値(1)~(3)をまとめて読む。

〔注記〕タイトルおよび以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。したがって「受容者」には「解釈者」「鑑賞者」の意味も含まれている。

前稿「貨幣の使用価値」でマルクスの引用をしているときに、川島正平さんの『言語過程説の研究』第四章の注で初めて目にした三浦つとむの論考のことを思い出した。それは『唯物弁証法の成立と歪曲』に収められた同題の論考である(同書は後に手に入れた)。その中で三浦つとむは、マルクスが『経済学批判』や『資本論』で描いた W―G―W すなわち商品の<販売⇒購買>過程がもつ論理構造を取り上げ、それとの論理的類似(アナロジー)という観点から E―A―E すなわち言語の<表現⇒受容>過程〈認識→表現→認識〉がもつ論理構造について述べている(差異についても触れている)。少し長くなるがその部分を以下に引用する。なお、論考を理解するためには「統一」概念と「同一性」概念との差異と連関も重要なので一つ前の段落から引用を始める。

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2006年12月08日(金)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(1)

ソシュール「言語学」についてはいずれ簡単なまとめのようなものを書こうと思っているが、形而上学的な論理にすっかりあてられてしまったので、頭をすっきりさせ暗闇から復帰するために、現実に根を張った学問研究を貫いた時枝誠記(ときえだもとき)に対して、その言語過程説を批判的に継承すると公言する三浦つとむがつづった論文集「時枝誠記の言語過程説」(『言語学と記号学』勁草書房所収)を紹介したい。この論文集の掉尾は時枝に対する追悼文ともなっている。なお引用にあたって傍点は傍点のように表記し、適宜ルビを振った。また、各論文の末尾にある注のうち引用元の書籍名を示すものは( )に入れて本文中に挿入した。

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2006年12月08日(金)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(2)

引き続き、三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」を紹介する。

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2006年12月09日(土)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(3)

ことば=言語は現実に個々の人間が使っている話し言葉であり書き言葉であり、あるいは手話や点字等々であり、物理的・物質的形態で目の前に厳然と存在するものである。そしてこれら以外にことば=言語といえるものはない。それゆえ言語学の対象はこれらの話し言葉や書き言葉…を話したり書いたり…している生身の人間の肉体的・精神的な社会的活動すなわち人間対人間の時間的・空間的――過程的――な精神的・肉体的な交流活動(運動)であって、言語学はこの対象を動的(過程的)関係・構造的関連において研究し把握するという立場からなされなければならない。これが言語過程説という仮説を提出した時枝誠記の立脚点であり、それを受け継いだ三浦つとむの主張である。

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2006年12月10日(日)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(4)

以下に引用する三浦つとむの論文では観念的自己分裂について言及されている。観念的自己分裂論は言語過程説にとって根本的な柱となる理論であるから詳しくは三浦つとむの著書に当っていただきたい(『日本語はどういう言語か(講談社学術文庫)が分かりやすい。より理論的な論考としては『認識と言語の理論 第一部(勁草書房)が詳しい)が、このブログ内にも断片的ながら観念的自己分裂について書いたものがある。また、簡潔にして要を得たものとして深草周さんがお書きになった「三浦つとむの主体的言語論」がある。これは発表「三浦つとむの主体的言語論」(2006年7月11日)に掲載されたレジュメであるが、このレジュメの前半部が三浦つとむの観念的自己分裂論の要約になっている。言語表現を受け取って理解する際の観念的追体験についてはタグ【観念的追体験】を参照して頂きたい。

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2006年12月10日(日)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「漢字と振り仮名」

三浦つとむの論考は私たちにとってごく身近なものごとを取り上げるときにも、論理的で筋が通っている。そして経験を通して蓄積された普通の人々の直観を裏切らない論理の曇りのなさがその魅力の一つだと私は思う。しかし、その内容は深いのであって数年、数十年経って自分の経験がさらに積み重ねられた後になってあらためて読み返すと再び三度新たな発見をさせられるといった類いのものである。しかし、そのことは同時に、読む者はその人なりの理解しか与えられないという意味で、その弁証法的(論理的)思考のレベルが試されるということでもある。

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2006年12月12日(火)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(5)

「時枝誠記の言語過程説」最後の論文を紹介する。

この論文の中で三浦は、話し手(書き手)と聞き手(読み手)それぞれが観念的自己分裂による追体験を通して直接に互いに他のものになるという現象を「対立物の相互浸透」として説明している(対立物の相互浸透:対立する二者が不可離のものとして結びついており、一者が自らを他のものとして創造する、つまり対立する二者が相互に影響し合いながら互いに作り合うという関係)。また観念的自己分裂の過程は「否定の否定」であるともいっている。そこで取り上げられているのが『経済学批判序説』におけるマルクスのことばである。『経済学批判序説』は生産と消費についての詳細な研究であり、マルクスは「消費的生産」および「生産的消費」ということばを使って生産・消費がそれぞれ同時に互いに他のものであることを説明している。

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2007年03月22日(木)| 言語>意味 
三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(1)

『ことば・その周辺』というブログタイトルに関連する記事としては、最近(といっても2ヵ月も前の記事であるが)書いたのが「シニフィエについて」であり、その前が「言語と内言――言語の意味 」であった。この時期の私の関心はソシュール「言語学」に関わる形で「言語の意味とは何か」ということに向いており、今もなおその志向は変っていない。さらにいえば、私が子どもの頃から言葉というものにずっと興味を抱きつづけてきたのは言葉のもつ「意味」の不思議さに惹かれていたからだといっても言い過ぎではない。その不思議さを腑に落ちる形で説明してくれた唯一のものが三浦つとむの言語過程説であったということが、私をしてかくも長く三浦つとむにこだわりつづけさせる第一の要因なのだと今にして思う。

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2007年03月27日(火)| 言語>意味 
三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)

さて、言語学の分野では表現された言語(自然言語)の意味とは何かということについての定説が存在しない。つまり、意味論が確立されていない。その中では最近よく耳にするようになった認知意味論は三浦の関係意味論に比較的近いといえるかもしれない。三浦の関係意味論はある意味でマルクスがその著作の端々で触れている言語についての断片を系統的にまとめたものとみることができる。つまりマルクスはすでに言語の意味について商品の使用価値や交換価値、意識の外化・対象化(疎外概念を含む)といった概念のもとで語っているのであり、関係意味論に欠くことのできない観念的自己分裂つまり、人間の対象意識の運動についても語っているのである。また、ふつうの人々も表現された言語の意味を直観的につかんでいるのであり、そうでなければ人類がかくも長く言語を用いた意思疎通を行ってきたことを説明できないし、人々がさまざまに工夫して自分の意志や意図を他者に伝え、他者の意識やその伝えたい内容を的確につかみ取ってきたことも説明できない。にもかかわらず、三浦のいうようにいざ言語の意味とは何かを問われると言葉につまってしまうのである。

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2007年03月28日(水)| 言語>意味 
三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(3)

〔注記〕以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。したがって「受容者」には「解釈者」「鑑賞者」の意味も含まれている。

三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)で引用したうちの後の方の二番目の段落で、ルフェーブルが「意味はあらゆる側面から他のものへわれわれを送りかえす。一方においては、過去へ、既得の知識へ、現在性へ、記憶へと、――他方においては、潜在性へ、可能性へ、意味を担った知覚場の多様性へと送りかえすのである」と書いている部分について三浦は「表現主体のつくり出した概念」あるいは「直接に表現されていない表現主体の独自の認識の部分」であるといっている。つまりルフェーブルが「意味」であると考えているものは実は表現者が言語のうちに表現した個別概念である、と三浦は指摘している。しかし、ルフェーブルはこれを表現者とは関りなく受容者が自ら作り出すものだと考えている。

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2007年10月17日(水)| 弁証法>未分類 
存在と対象(3)――非存在という概念

前稿(「存在と対象(2)――現象するものは存在する」)に引用したディーツゲンのことばを簡潔にまとめれば「事物は現象する。そして現象する範囲内においてのみ(事物は)存在する」「いかなる事物もそれ自体だけで(an und für sich)現れることはなく、常に他の感覚現象と結合して現れる」ということになろう。このことを私自身のことばで表現するとつぎのようになる。

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2008年02月27日(水)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ『認識と言語の理論』 まえがき

三浦つとむの本とはじめて出会ったのは 1970年代半ば頃であったと記憶している。池袋東口の古書店(名前は失念)で『日本語はどういう言語か』を手にしてパラパラと内容を読んですぐに購入した。この書の初版は 1956年(昭和31年)の9月に講談社「ミリオンブックス」シリーズの一冊として出版されたものだが、私が手に入れたのは 1971年(昭和45)年の3月に季節社から刊行された復刻版である(現在は新訂版が講談社学術文庫から、復刻版(三浦つとむ文庫2)が季節社から出ている)

引き込まれるようにして一気に読み終えた私はその古書店に三浦つとむの本が他にあったことを思い出して、急いで買いに走った。手に入れたのは『認識と言語の理論』(勁草書房)の第一部と第二部だった。

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2008年02月28日(木)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ『言語過程説の展開』 冒頭の文章

前稿「三浦つとむ『認識と言語の理論』 まえがき」で触れているように『認識と言語の理論』は第一部~第三部の3分冊からなっている。このうち前二つが本来の『認識と言語の理論』の本体であり、三浦は早くからこの2分冊を一冊のまとまった書として刊行したいと思っていた。しかしその願いはなかなか叶うことはなかった。そして 1983年8月に第一部と第二部との合本が「三浦つとむ選集3 言語過程説の展開」という形で出版されたことによってその願いはようやく実現した(三浦としては不本意であったかもしれない)。この合本『言語過程説の展開』の冒頭部分には『日本語はどういう言語か』という本がいかにして世に出たか、学術書としての『認識と言語の理論』をなぜ書いたのか、といった経緯についてつづった文章が載せられている。三浦の言語過程説の成立過程とそれを世に出すための苦心とがうかがわれる貴重な文章なので是非ご紹介したい。

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2008年02月29日(金)| 言語>言語本質論 
時枝誠記と三浦つとむ(1)――「三浦つとむ選集1」から

『日本語はどういう言語か』や『認識と言語の理論』などの主要著書ではもちろん三浦は時枝の言語過程説を多くの箇所で取り上げそれらを評価し批判している。それらは簡単に目にすることができるが雑誌等に掲載された小論などで時枝に言及しているものは比較的目につきにくいと思われる。したがって、そういった部分を取り上げて示すことは三浦の時枝に対する評価や思いを知るのに役立つであろう。以下にいくつかを引用する。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(68歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことだけをこなす日々です。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 I』を読む 1(1)――認識論と言語学三浦つとむ『認識と言語の理論 I』

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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