1あたり量の問題と並んで難しいのは割合の問題である。割合も小数・分数のかけ算・割り算と関連して小学5・6年生で学ぶ。5年生では小数と関連して歩合・百分率を、6年生では分数と関連して「~の何分のいくつ」という形の問題、および比(比の値)の問題を学ぶのであるが、子どもにとっては1あたり量に劣らず難しい。
しかし、3・4年生で学ぶ倍のかけ算・割り算を最初から復習しなおして、割合は倍を拡張した概念であるという形で導入すると比較的すんなりと入っていける。つまり、いきなり歩合や百分率に入らずに 整数倍→小数倍→歩合・百分率→分数倍 というふうに順を追って時間をかけて導入すればたいていの子どもはつまずかずに済む。
さて、倍のかけ算の一般形は、
(1にあたる量)×(倍)=(倍にあたる量)
であるが、少し表現を変えると、
(b) (1にあたる量)×(いくつ分)=(いくつ分にあたる量)
となる。また、倍は狭い意味では整数倍であるが、整数倍だけでなく小数倍や分数倍にまで倍の概念を拡張したものが割合であるから、割合のかけ算は
(b') (1にあたる量)×(いくら分)=(いくら分にあたる量)
となる。これを「割り算から見た量(1)――内包量と外延量」で扱った1あたり量のかけ算の一般形
(a) (1あたり量)×(いくら分)=(全体量)
と比べてみよう。これも少し表現を変えると、
(a') (1あたり量)×(いくら分)=(いくら分にあたる量)
の形になる。
(b')と(a')とを見比べるとそっくりである。つまり、1あたり量のかけ算と割合のかけ算とは構造が同じである。しかしこの二つは具体的な量の関係を名数・単位を含んだ式で表わすとまったく違うもののように見える。
たとえば、1あたり量のかけ算「1人あたり3個のみかんを4人の子どもに配るには、全部で12個のみかんが必要である」の式は
(a1) 3個/人 × 4人 = 12個
のように表わされるが、倍のかけ算「3m の4倍は12m になる(3m を1とすると、4にあたる長さは12m である)」の式は
(b1) 3m × 4= 12m
のようになる。タイル図で示すとどちらもつぎのようになる(構造は同じである)。
名数・単位を含んだ式 (a1),(b1) を見比べてもっとも大きな違いはいくら分の部分である。(b1)の式では名数・単位のない量(無名数)になっている。その理由は割合という量の特殊性にある。割合・比(ratio)ということばからも分かるように、割合(倍)はもともと同種の二つの量の大きさを比較するために用いられる量で、どちらかを基準にして、もう一方がそれの何倍(いくつ分・いくら分)に当たるかを表わす量であるから、割合(倍)は(比較される量)÷(基準にする量)という割り算をして得られる量である(これは、(b1) で用いたことばを使うと(いくつぶんに当たる量)÷(1にあたる量)になる)。
(a1),(b1) のかけ算で表わされる関係を(いくら分)を求める割り算で表わすとそれぞれつぎのようになる。
(a3) 12個 ÷ 3個/人 = 4人
(b3) 12m ÷ 3m= 4
つまり、(b3)から分かるように割合(倍)は
12m ÷ 3m= 12m/3m =4 m/m = 4
という計算の過程で同種の単位どうしが約分されて結果的に名数・単位のつかない特殊な量になるわけである。しかも重要なのは割合(倍)は二つの量の間で割り算をして得られる量であるから、割合は内包量であるということである。普通の1あたり量における(いくら分)が外延量であったことを考えるとこれは大きな違いである。つまり、1あたり量のかけ算と割合(倍)のかけ算とは共通の構造をもつが外延量・内包量という観点から見るとその構造には違いもあるということである。
また、(a1),(b1) を比べてわかるもう一つの違いは(1あたりの量)と(1にあたる量)の名数・単位部分である。(a1)の(1あたりの量)には「/」が含まれているが(b1)の(1にあたる量)には「/」がない。しかし、これは構造の違いというよりは表記法による違いとみるべきであろう。つまり割合(倍)の(いくら分)が単位のない量であるために、本質的には 3m/1 と表記されるべきところを単に 3m と表記しているだけのことだからである。つまり(b1)は本質的には、
(b1) 3m/1 × 4 = 12m
のように表記されるべきものなのである。この表記は「3m の4倍は12m である(3m を1とすると、4にあたる長さは12m である)」という関係を比で表わしたときの、
12m:3m = 4:1, または 12m/3m = 4/1 → 12m/4 = 3m/1
ともぴったり符合する。したがって、割合(倍)のかけ算における(1にあたる量)は内包量である。
以上をまとめると、普通の1あたりの量のかけ算が 内包量×外延量=外延量 という構造をしているのに対して、割合(倍)のかけ算は 内包量×内包量=外延量 (外見的には 外延量×内包量=外延量 とも解釈できる) という構造になっているのであり、これが倍(割合)のかけ算の特殊性である。この特殊性が割合(倍)の問題の難しさの主な原因となっている。
割合(倍)という内包量には外見上名数・単位がつかないという特殊性は、量というものを単純にたし算できるものかそうでないものかという観点から外延量と内包量とに分けただけでは不十分であるということを意味する。割合(倍)が外延量や一般の内包量と異なって外見上名数・単位をもたないということを現実の事象に即していうと、外延量や一般の内包量が現実の事物の絶対的な大きさそのものを表わす量であるのに対して割合(倍)は二つの同種の量の間の相対的な大きさの関係を表わす量であるということである。簡単にいえば、外延量や一般の内包量は絶対量であり、割合(倍)は相対量であるということなのである。
というわけで、瀬戸智子さんが「学力テスト結果から、具象と抽象について」で速度や割合のような内包量が単純にたし算できないことを書いておられるのは、速度や割合の内包量としての性質に即しての論であり、「分数」には「量分数」と「割合分数」があると書いておられるのは、絶対量と相対量という観点に即しての論であることがご理解いただけるのではないかと思う。私自身は「量分数」と「割合分数」に関しては、つぎのような理由から子どもたちにはもっと広い視野に立った指導をすべきであると考えている。
教育界では具体的な量(絶対量)を表わす分数を「量分数」、割合・倍(相対量)を表わす分数を「割合分数」として区別するのであるが、絶対量と相対量の両者に用いられる数は分数だけではない。「8m の 3/4(倍) は 6m である」という風に割合(倍)を表わすのに使われる分数は「割合分数」であり相対量である。しかし日常生活では「1リットルは1ミリリットルの 1000倍である」とか「2.4kg の 1.5倍は 3.6kg である」といったように整数や小数も割合(倍)を表わすために用いられる。つまり、そのようなことばは使わないにせよ「量整数」「割合整数」「量小数」「割合小数」という概念も存在するのである。したがって本当に大切なのは「量分数」「割合分数」という区別そのものではなく、量には絶対量と相対量との2種の区別が存在し、割合(倍)は同種の2つの量の比(ratio)を表現した相対的な量であるということである*。そのような広い視点から「量分数」「割合分数」の概念をあらためてとらえ返す必要があると私は思う。「2m の 3倍は 6m」は簡単に分かるのに、「2m の 1/4は 1/2m」ということが理解できない子どもがたくさんいるという現実からすれば、割合についての教え方を考え直す必要があるだろう**。
* 分数だけに「量分数」「割合分数」という区別が存在するのは分数がもともとヨーロッパ(起源はエジプト)から輸入されたものであり、分数というものが本来比(ratio)を表わすものとして作られ、絶対量を表わすために使われるようになったのは後のことであるという歴史的な経緯が関係しているのだろうと私は思っている。また、1より小さい数を 1/10, 1/100, … という風に10進数として表わす小数の考え方がインドから中国を経て日本に伝わったこと(整数も)、インドでは小数も整数と同様に絶対量を表わすものとして使われたという歴史も合わせて考えてみると私の推測は間違っていないと思われる。
このことは現在の学校教育において、小数は絶対量としての用法が先に導入されるのに対して、分数は相対量つまり「割合分数」としての用法が先に導入されるという一貫しない指導法にも現われている。私自身は分数も絶対量つまり「量分数」を先に教えるべきであると思う。水道方式では小数と同じように分数も絶対量としての用法(量分数)をしっかりとやったあとで相対量としての用法(割合分数)を教えるという筋の通った指導をしている。
** 整数倍・小数倍の場合は「□の 5倍」とか「□の 2.4倍」という言い方をするのに対して、分数の場合は「□の 2/3倍」とは言わずに単に「□の 2/3」というように「倍」をつけずに表現するということも分数(割合分数)を特別扱いしている理由かもしれない。分数だけがこのように特別扱いされるのは上記の分数の歴史に原因があるのであろう。しかし歴史は歴史として尊重すべきであるとしても、量の体系の中では整数も小数も分数も同等に扱われるべきである。「□の 2/3」の意味を理解するのは「□の 2/3倍」の意味を理解するよりも子どもたちにはずっと難しいのである。それは「□の 2/3」には「倍」がついていないために、この「2/3」が倍を表わす相対量であることに気づきにくいからである。また、分数のみが特殊なものであるという妙な刷り込みが残ってしまうのも問題であろう。2m をある長さの線分で図示しその線分を 3等分したものを見せたとき、その2つ分の長さが 4/3m であると正しく答えられる子どもはどれくらいいるだろうか。いや大人の中にも正しい答えを出せない人がたくさんいるはずである。
〔2007.11.02 追記〕
「温度はたし算・引き算できないか(1)(2)」でも書いたように、内包量は単純に足したり引いたりはできない量であるが、基準になるもの・元にするものが同一のものである場合はその増減は引き算で求めることができるし、増減分を足したり引いたりすることもできる。また相対量(割合)の場合についても、基準になるものが同一ならその増減は引き算で求められ、増減分を足したり引いたりするという操作も許される。また二つの相対量どうしの大きさを直接比較するときには相対量でありながら絶対量として扱うことも可能である。
たとえば昔から使われている「八掛け(はちがけ)」という表現はあるものの2割引を意味することばだが、この例では元の大きさを10割(=1)としてそこから2割(=0.2)を引くと8割になることから、元の大きさに 0.8 をかけることによって割引後の大きさが求められることを簡潔に表現したものである。また、濃度は溶液の質量に対する溶質の質量の含有率(相対量)であるから、4% の食塩水と 6% の食塩水を混ぜてできる食塩水の濃度は 10% にはならないし、それぞれの食塩水の質量が分からなければそれぞれに溶けている食塩の質量を比較することもできない。しかし濃度を絶対量として扱い、4 < 6 のように大小比較して 6% の食塩水の方が濃いという判断はできる。
要は、ものごとの判断には区別と連関とを常に正しく認識する必要があるということである。内包量や相対量を外延量や絶対量と同じように扱うことは間違いであるが、時と場合によっては外延量や絶対量と同等に扱わなければならないこともあることを忘れてはならない。ディーツゲンやエンゲルスが指摘しているように真理は相対的なものであって、それを適用する範囲(時と場合)を間違えると真理は誤謬に転じてしまう。誤謬もまた相対的なものであり、それを適用する範囲がごく限られたものである場合には真理となることもある。ことわざの中には相反するようなものが多く見られるのはそのためである。ことわざはその適用範囲を誤るとひどい目に会うのである。
〔2012年4月6日 追記〕かけ算の順序この記事ではかけ算の順序に関しては何も触れていませんが、ネット上を賑わしている小学校算数の文章題とかけ算の順序についての議論の中で当記事のタイル図が取り上げられて、それをもとに的外れな非難をしている方が見うけられました。文章題とそれに対する答案におけるかけ算の順序については <割り算から見た量(1)――内包量と外延量> に追記を書きましたのでそちらをご参照下さい
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