文字言語にはさまざまな字体が存在する。ローマ字の活字には多くの異った字体のものがつくられており、漢字の活字にも明朝・清朝・宋朝などがつくられている。同じ漢字を書くときにも、楷書・行書・草書・隷書などの異った字体が使われている。どの活字を使いどの書き方をしても、それは同一の文字として扱われるのである。この事実は、多種多様の文字のかたちそれ自体が文字言語としての表現ではなく、それらが同じ種類のものとして扱われるところに表現があることを考えさせ、字韻ともいうべきものの存在を想定させることになる。文字言語の場合には音声言語と異って、類的存在をきわめて多く創造することができるところに特徴があり、莫大な数の漢字が存在することにもなった。さらに必要とあれば、略字を採用することもできるし、音声のありかたに対応させるにしてもローマ字的な方法もとれれば仮名文字的な方法もとれるわけである(1)。
言語のありかたを歴史的にながめると、まず音声言語が成立しその後に文字言語が出現している。現に、音声言語で語り合っていながら、それを記録する文字をもたない種族も存在しているのである。音声言語が単なる身ぶりから移行したように、文字言語も単なる絵画から移行したものと考えられる。文字言語の最初が象形文字であって、数字が人間の指のかたちをしていた事実も、これを裏書きするものと見てよいであろう。そしてほかならぬ実践上の要求が、すなわち音声言語を文字にうつしかえて記録したり、文字言語を音声にうつしかえて読みあげたりする必要にせまられたことが、両者の連関・対応をおしすすめることとなって、いわゆる表音文字が工夫されたのである。
この文字言語それ自体の歴史を無視して、音声言語の歴史的な先行と表音文字のありかたとを現象的にむすびつけると、言語は音声言語こそその本来のありかたであって、文字は音声言語を写すところの従属物ないし代用品にすぎないという主張が生れてくる。言語道具説は文字従属説へ進んでいく。
一体、語は人の思想を表はす為の道具で、字はその道具を写すだけのものである。知識思想は無論大事であるし、又語は各国民に固有のものであり且つ国民の思想感情と極めて親密な関係のあるものだから、それは勝手にかへられないものであるが、字となると、其の語を写す為に人為的に作ったものに過ぎないから、どうでなければならないと云ふものではない。(田丸卓郎『ローマ字国字論』)
もともと、文字は、ことばとむすびついて以来、ことばをうつす道具として存在するものだから、ことばのはったつと平行してはったつしなければならないものだ。もしも、ことばだけが進んで、文字のはったつがそれに伴なわないと、ひじょうに不自然な事がおきる。(タカクラ・テル『ニッポン語』)
言語のある発展段階で文字が表現手段として加わるが、これは音声手段による本来の言語を前提するもので、数式や交通標識の類(たぐい)は言語の代用品、補助手段にすぎない。(粟田賢三・古在由重編・岩波小辞典『哲学』)
この種の見解はヨーロッパの言語学の定説となっているのだが、この定説からすれば表音文字こそが真の文字であり模写物としての役割を忠実に果すものであって、いわゆる表意文字は文字としての役割さえ満足に果していない未開野蛮時代の遺産だということにならざるをえない。そして、漢字が封建的な時代に支配階級によって用いられ大衆の間に通用しなかったという歴史的事実をこれとむすびつけ、このような「封建的」な存在は1日も早く撲滅することこそ革新的な人間の義務であると信じこんだ人びとが、出現することとなったのである。
(1) 表意文字を使っても、言語であるからには言語表現と非言語表現とが統一されている。表音文字は「音韻を写したもの」だといわれているけれども、それは音韻と字韻とが対応させられているというのが正しい。
文字言語が抽象的な事物を扱ったり主体的表現に用いたりする必要から、対象の感性的なありかたとのむすびつきを絶っていくことは、漢字においても明かである。漢字それ自体の表現構造の発展としては、象形(しょうけい)・指事(しじ)・会意(かいい)・形声(けいせい)の四種のありかたがあげられているが、会意および形声においては主体的表現が行われ、また形声は表音的性格が強く浸透している。さらに使用法の発展としては、転注(てんちゅう)および仮借(かしゃ)とよばれる内容上および形式上の転化移行があげられているのであって、言語表現のありかたとしても決して単純ではない。
言語表現の本質は、漢字の体系それ自体の中にやはりつらぬかれているのであって(2)、その観点から漢字を理解しようとせずに軽視するようでは、言語学者と名のる資格を欠いたものといわなければならない。
漢字はなぜ表音文字にまで発展しなかったかを、中国人の言語に対する無自覚から説明しても、あるいは「アジア的生産様式」の停滞性とむすびつけて解釈しても、それは解決にはなりえない。文字言語は音声言語との連関・対応において、相互に規定し合いながら(3)発展するのであるから、文字言語が表音文字にまで発展しなかった最大の原因は音声言語それ自体の表現構造に求められなければならないことになる。その意味で中国語が漢字を維持しつづけて来たことも、それなりの合理性を持っていたわけである。
中国語は孤立語とよばれる単音節語であるが、古代には多音節でありながらこれが漢字からの規定によって単音節化したものと思われる。単音節語にあっては、文法構造もきわめて単純である。これは現象的な大きな変化を必要としないという意味であって、この現象的な変化は漢字それ自体の表現構造にいわばしわよせされ、主体的表現が必要な場合にも語尾変化の形式をとらずに他の単音節語をプラスする形式をとる。
単音節であって子音が重複していなければ、子音だけを特別に表現するいわば「音素」文字を必要としない。単音節のために負わねばならぬマイナス面は、アクセントの相異(いわゆる四声(しせい))と漢字の多様性とによって埋められているというのが、中国語の特徴である。そしてこの論理構造の発展は、漢字および漢字音を輸入した日本においても、条件を異(こと)にしそれなりの特殊性を示しているとはいえ、くりかえされたものと見ることができる。
(2) それゆえ漢字を簡略化したり制限したりするときも、その表現構造についての理論的な理解にもとづいて系統的に検討されなければならないことになる。大衆の習慣に追随してそれをそのまま固定化するような、自然成長性の拝跪(はいき)はよくないのである。
(3) 石黒魯平は文字従属説をとって「文字はたしかに附けたりのものである」と主張しながらも、「文字は文字自らの生命を持ち、然(しか)もその元であるところの言語の力を左右する力があること」を事実上認めないわけにはいかなかった。
日本語は中国語と異って、膠着語(こうちゃくご)とよばれている。それは主体的表現が客体的表現につねに伴うという、時枝のいう「風呂敷型」の文法構造をとり、さらに活用のような内容と直接関係のない音声変化が語の接続に際してあらわれるからである。
そして、単音節の語が相当の数を占めるとはいえ、二音節以上の語もすくなくない。しかしながらその音節は、単一の母音であるか単母音と単子音との「同時的発音」であって、子音を重複することがない。それゆえ二音節以上の語であっても、それを単音節の重加されたものとして扱うことができる。それゆえ、漢字それ自体を表音的意図の下(もと)に使用し、これを音節文字に発展させうるだけの条件がすでに日本語の音声言語に存在していたのであって、漢字の字劃(じかく・字画)を大胆に省略したり変態化したりして成立した仮名(かな)が、多くは音節文字としての表音文字であって、「音素」文字としての表音文字がわずかでしかないのも、日本語の特殊性にもとづく合理性をそなえているわけである。
そして漢字と同じようにこの仮名は逆に音声言語を規定する結果になり、日本語の音韻のありかたを単純化したのであって、そこから生れる単音節ばかりか多音節の語においてさえ同音異義語がすくなくないという音声言語のマイナス面が、これまた表意文字としての漢字の多様性によって埋められることになった。まことに日本語の文字言語こそ、文字が言語の代用品ではなく自立した言語表現であることを、音声言語との相互規定において発展し音声言語の持つ表現構造上の弱点をカヴァーしうることを、証明しているのである。
漢字が輸入された当時にあっては、日本語を記録するのに漢字を表音的意図で使用していたのであるが、このような一音一字のあてはめでは表現が冗長になってしまう。さらに日本語に比較して漢字は高度に発展した段階の文字言語であるためにその表意性は日本語の語彙とはくらべものにならぬほど多岐にわたっており、かつ複雑微妙なありかたを表現できるのである。
これらの理由から、漢字の表意的意図での使用がすすむにしたがって、客体的表現は漢字による表意的表現を(活用による内容と直接関係のない形式の変化の部分を除く)、主体的表現は仮名による表音的表現をというかたちで、内容上の対立が表現形式のありかたの差異としてあらわれることとなった(4)。音声言語として客体的表現の語彙が成立しているにもかかわらず、これに対応するふさわしい漢字が存在しないときには、新しく漢字を創案して(いわゆる「和字」または「国字」)使うことも行われた。
合成語あるいは科学上の術語は、いずれも客体的表現であることから、漢字による語彙が生れたのであって、これを「学者のことばは、エド時代に、百姓のことばを使うのを恥のように思った武士が、中国の言葉を入れて、むりに作りあげたものだ。」(タカクラ・テル『ニッポン語』)と解釈するのは、一面的な真理を誇張するあやまりにおちいっているばかりでなく。日本語の性格についての無理解を示すものである。俗語がそのまま科学の術語として役立ちうるかのように思いこむ傾向は、俗流大衆路線論者の大衆追随の一つの形態として、くりかえし再生産されてくることも、附言しておきたい(5)。
文字言語が音声言語よりもおくれて出現したという事実は、音声言語に対する表現上の従属性を何ら意味するものではない。表現としてではなく、表現から切りはなされた「道具」として音声と文字とを比較するところに、この従属説がもっともらしく受けとれるのであって、音声表現と文字表現とを比較し、形式ではなく内容について比較するならば、従属説の不当なことか直ちに明かになる。
文字表現は人類文化の一定の発展段階に至ってはじめて可能になった言語表現として、音声表現の弱点を補っているのである。音声による創造は、直後に消滅するのに対して、文字による創造は、固定され維持されていく。この文字の持つ特徴は、複雑膨大な体系としての認識、体系的な思想や理論をその内的連関をたどりながら表現し、これを受けとる側もその連関を忠実に受けとめながらあやまりなく理解する必要があるという場合には、固定された表現を忠実につぎつぎと追っていくばかりでなく、時にはある部分に立ち止って沈思黙考するとか、時にはさきに戻ってくりかえしくりかえし検討するとかという受けとりかたが必要である。
学校での講義はそれ自体音声表現であっても、教師の読書がその基礎になっているとかあるいは教師自身のノートを読みあげるとかいうかたちをとっているのであるから、ここでは音声のほうが文字に従属しているといわなければならなくなる。文字従属説や文字代用品説は、いわゆる形式主義的偏向の一形態ということができよう。
表音主義者は文字言語従属説にもとづいて、日本の文字言語をいじりこわしつつある。文字従属説から生れた音声の偏重は、助詞を「は」「を」「へ」で表現することさえ否定しにかかり、現状を大衆の習慣に妥協した不徹底な改革としか見ていない。同音異義語を文字表現で区別するということは合理的であって、この前むきの解決は音声のほうを変えることであり、文字表現の区別を抹殺しようとするのは後退ないし反動を意味している。しかも、助詞は主体的表現であるから、これらの文字を客体的表現の単音節語として非常にしばしば使われている「わ」「お」「え」に解消させたくないという気もちは、単に習慣上の安定感がしからしめるというだけでなく、表現内容の対立からも規定された合理性がふくまれているのである。
送(おくり)仮名は、一つの矛盾であってまったく性格の相反した二種類の文字表現がむすびつけられ、仮名はその漢字の読みかたを示すために加えられただけである。それゆえ他の読みかたと区別さえつくならば、送仮名はできるだけ少いにこしたことはない。これが従来の方法であった。ところが表音主義者にとって、漢字を撲滅させるための一つの段階として考えられる方法は、漢字と音声の対応を固定させるやりかたである。「聞く」「聞える」という送りかたでは、統一を欠くものとして、「聞く」「聞こえる」にすべきだというのである。これは見たところ混乱を整理したもののようであるが、実は従来と異った原則を持ちこんで漢字の表音化をねらったものである。
動詞においては活用の部分を送るというのも、この部分が単なる形式の変化であって内容の変化を伴わないという、表現としての特徴とむすびついているのであるから、名詞の「取組」を「取り組み」と表現させようとするのは、表音主義者にとってわが意図を実現するチャンスでもあろうが、名詞と動詞との文字表現上の区別を抹殺する後退でしかないのである。日本語が漢字仮名まじりであることを認めてそれを維持しつつ改革を加えていくのか、それとも完全な表音化を目ざして抜本を加えていくのか、明確にせよという意見が出るのも当然であろう。
時枝は「表音文字の表意性」として、「表音文字と雖(いえど)も語を表す以上、その文字が語の意味と必然的な関係を持つてゐる様に考へられて来るのは当然である。」「表音文字が表意性に移り行くといふことは、言語としての機能が発揮されればされる程著しくなつて来るのである。」と指摘した。これも音声と文字とを比較せずに、音声表現と文字表現とを比較する者にとっては、納得できることであって、表意文字の言語表現に対する表音文字の言語表現の相異は、表音文字のそれぞれが音声にむすびついているというただそれだけにすぎないからである。表現としての本質や、一語の表現としての相互の区別はその具体的な感性的な側面で行わなければならない点は、何ら異るところがないからである。そしてこの相互の区別のありかたを明確にし特徴づける点を、時枝は「表意性に移り行く」とよんでいるわけであって、「表意性」というよりは文字表現としてのあるべきすがたというのが適当である。
(4) 主体的表現に用いられる「歟(か・や)」「哉(か・や・かな)」「奚(なんぞ)」「可(べし)」などの漢字も、次第に仮名に変っていった。また、客体的表現においても、「在(あ)る」「致す」「居(お・い)る」「為(な)す」などの抽象動詞は戦前にあっても次第に仮名化する傾向を示していた。
(5) 「科学上の新しい見かたは、いずれも、その科学の術語における革命をふくむものである。このことは化学を見ればもっともよくわかるのであって、化学では全用語がほぼ二十年ごとに根本的に変更されており、そしてそこでは、つぎつぎと様々に名称を変えられなかった有機化合物はおそらく一つも見出せないであろう。経済学は概して、商業的および産業的生活の諸用語をそのままに受けとり、それらを運用することで満足して来たのであって、そうすることにより経済学は、これらの用語によって表現された諸理念の狭い範囲内に局限されたということにはまったく気づかないで来たのである。」(エンゲルスの『資本論』英語版への序言)