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 2006.06.30 二つの主観(3)――観念的自己分裂の位置づけ
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 2006.07.27 概念(1)――人間の認識は徹頭徹尾概念的である
 2006.07.28 概念(2)――概念の獲得
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 2006.08.01 対象意識(2)――自己意識の契機
 2006.08.05 対象意識(3)――対象意識と観念的自己分裂
 2006.08.10 対象意識(4)――他者意識・自己意識
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 2006.08.18 認識・意識が言語にとらわれるということの意味
 2006.08.28 概念(3)――個別概念(普遍概念・特殊概念)
 2006.09.07 概念(4)――概念というものの性格
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 2007.11.13 客体的表現と主体的表現(2)――日本語の特殊性と普遍性
 2007.11.16 客体的表現と主体的表現(3)――言語の過程的構造

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2004年03月05日(金)| 意識>神経系 
認識についての覚書(3)――知覚と知覚表象

〔2004.03.05記/2008.01.24転載〕

〔注記〕 「ことば・認識についての覚書」からの転載です。転載にあたって多少の体裁変更を行ないました。知見としては古いものもありますが大筋は変わっていないと思います。

4. 知覚と知覚表象

頭部および身体各部にある感覚の受容器(感覚器)が身体内部および外部の対象(事物・現象)と接触したり対象に働きかけたりして生じたさまざまな物理的・化学的な刺激は、脳神経あるいは脊髄神経を経て脳内のそれぞれの感覚中枢に電気シグナル(インパルス)の形で送られ分析される。反射神経のように中枢からただちに運動神経へと情報(インパルス)が送り返されるものを除き、中枢で分析された刺激情報はさらにそれぞれの感覚野に送られ詳細な分析がなされた後、それぞれの感覚種に対応する感覚が形成され、一次連合野に送られる。さらに数次の連合野にわたり感覚群に対する分析・統合がなされ、最終的に知覚表象を生じる。このようにして感覚群は意識的なものとなり知覚あるいは認知が成立する。

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2004年03月09日(火)| 意識>概念・表象 
認識についての覚書(4)――意識と認識/知覚表象と表象/表象と概念

〔2004.03.09記/2008.01.24転載〕

〔注記〕 「ことば・認識についての覚書」からの転載です。転載にあたって多少の体裁変更を行ないました。知見としては古いものもありますが大筋は変わっていないと思います。

5. 知覚表象と表象/表象と概念

脳の精神作用――意識

脳の生理的な機能である知覚・認知・認識・記憶・思考・判断・意志・欲求・感情・創造・人格などは相互に関連し合い影響し合って働いている。心理学ではこれらの生理的機能を知覚理性悟性知性感性といった各精神作用に分類し、哲学ではこのうち知覚 (perception) を除いたものを思惟(しい)――思考 (thinking) ――とよんでいる。なお、知覚は心的な像として現れるので知覚表象ともよばれる。また、一般にすべての精神作用およびその精神作用が行なわれる場のことを意識 (consciousness) とよぶ。

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2006年06月29日(木)| 意識>観念的自己分裂 
二つの主観(1)――主観・客観と観念的自己分裂

 二つの主観(1)――主観・客観と観念的自己分裂

 二つの主観(2)――二重霊魂説に関して

 二つの主観(3)――観念的自己分裂の位置づけ

 二つの主観(1)~(3)をまとめて読む。

 関連:自己の二重化(1)~(7)

 関連:対象意識(1)~(5)

観念的自己分裂について語るときに三浦つとむは鏡の例を引く。

ある人が鏡の前に立って鏡に映った自分の姿を見ている場合、この状況を客観的に見ると、鏡という存在は鏡を見る主体(現実の人間)に対してその主体の視覚の対象となる客体(鏡に映った人間の像)をつくりだす媒介をしていることがわかる。つまり、鏡は主体にとってその客体をつくりだす媒介の作用を果たすものであり、〈主客対面の構図〉をつくりだす媒介となるものだということである。

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2006年06月30日(金)| 意識>観念的自己分裂 
二つの主観(3)――観念的自己分裂の位置づけ

 二つの主観(1)――主観・客観と観念的自己分裂

 二つの主観(2)――二重霊魂説に関して

 二つの主観(3)――観念的自己分裂の位置づけ

 二つの主観(1)~(3)をまとめて読む。

 関連:自己の二重化(1)~(7)

 関連:対象意識(1)~(5)

〔2006.02.12記〕

認識論的にみた観念的自己分裂主観・客観と観念的自己分裂」で書いたように、観念的自己分裂という意識活動そのものは人間ならだれしも日常的にしかも絶えず頻繁に行なっているありふれた活動すなわち〈想像〉とか〈思考〉・〈移入〉などと呼ばれる意識活動である。その構造を認識論的観点から簡潔に表現すると、意識の内部および外部のさまざまな対象に触発・媒介されて現実の自己から分離・移行した観念的な自己が現実の世界の束縛から解き放たれ、(観念的な自己から見れば)現実の世界とは別の場所に位置づけられた観念的な世界の中でさまざまな客体と対面・関係しながら活動し、そこで獲得した創造的なものをもって現実の自己に復帰する、という形態で現象している意識活動である。この〈→移行→復帰〉の過程は意識の内部で絶えず継起的に行なわれている。

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2006年07月10日(月)| 言語>言語規範 
ソシュールの「言語」(2)

 ソシュールの「言語」(1)~(4)をまとめて読む。

〔注記〕 ソシュールの用語については ソシュール用語の再規定(1)~(4) を、ソシュール言語学の概要については ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8) をご覧下さい。

秀さんと私との間で理解が分かれた「言語が現われないうち」あるいは「言語の出現以前」という『一般言語学講義』にあるソシュールの表現について、その表現のある文とその前後の文章とをあらためて読んでみると私の理解もずれていたようだ。ソシュールのいう「言語」が langue を表しており、意識における langue「言語」の出現以前を意味していることはたしかだが、人類の歴史上において langue「言語」が生れる以前のことをいっているわけではないようだ。

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2006年07月27日(木)| 意識>概念・表象 
概念(1)――人間の認識は徹頭徹尾概念的である

 概念(1)~(5)をまとめて読む。

人間は対象を抽象的・一般的な形態で認識する。

人間の認知・認識は感覚→知覚→表象→(純粋)概念の順に抽象化・一般化の程度が上がっていく。しかし、感覚でさえすでに現実の対象から選択的に情報をとらえている。そこではある程度の情報が捨象され人間にとって必要とされる情報だけが抽象されている。

意識 | Trackback (0) | Comment (0) | URL | 携帯 | スマフォ | 記事番号:43
2006年07月28日(金)| 意識>概念・表象 
概念(2)――概念の獲得

 概念(1)~(5)をまとめて読む。

概念はまずある個物の知覚として私の意識の中に生じる。それは他の多くの個物との間にさまざまな関係を持った具体的な個物の知覚である。個物を取り巻くそれらさまざまな関係を反省するとき、私の意識はそれらの関係をその個物固有の性質・属性として抽出し表象する。そして知るのである。個物固有のそれらの性質・属性の中のあるものが、他の個物固有の性質・属性の中のあるものと共通していることを。数多くの個物と出会ううちに私の意識は、このような表象を通して個物の集合を類別し、分類する。こうして私の意識はものごとをいくつもの系列に序することになる。具体的な個物との接触を通して類別と分類によって諸個物が系列化されるこの過程がすなわち私が諸概念を獲得する過程であり、ものごとの諸関係を把握し理解する過程である。

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2006年07月31日(月)| 意識>観念的自己分裂 
対象意識(1)――類的存在としての人間の意識

何か書こうと思っているのですが今は考える時間も書く時間もありません。以前書いたまま放置してある稿がありましたのでちょっと中途半端ですがお目汚しに。

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2006年08月01日(火)| 意識>観念的自己分裂 
対象意識(2)――自己意識の契機

人間の意識は意識の外部および内部の世界を映し出す鏡である(三浦つとむは「認識は精神的な鏡である」といっている)。いわゆる認識とはこの「鏡」に映し出された「像」(客体)であり、その意味で「像」としての認識は対象認識ともよばれる。

しかし意識という鏡は単に受動的に対象を映し出すだけのものではない。意識にはこの対象認識(object)を客体として把握している意識主体(subject)が存在しており、その意識主体は現実の主体(現実的な自己)の分身つまり観念的な自己である。

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2006年08月05日(土)| 意識>観念的自己分裂 
対象意識(3)――対象意識と観念的自己分裂

人間が「意識する」というとき、意識の内部には意識する主体と意識される客体とが存在している。つまり「表象化・概念化されたものごとを対象・客体として意識している主体」と「主体によって意識される特定のものごとの表象・概念という形態の対象・客体」がかならず存在していて、意識している意識の内部では主体と客体とが常に対峙している。

意識 | Trackback (0) | Comment (0) | URL | 携帯 | スマフォ | 記事番号:48
2006年08月10日(木)| 意識>観念的自己分裂 
対象意識(4)――他者意識・自己意識

前稿「対象意識(3)――対象意識と観念的自己分裂」(2006.08.05)では人間の意識の一つのあり方である対象意識について取りあげた。ところで人間は初めから対象意識(観念的な世界)を意識のなかにもって生れてくるわけでもないし、人類もまた最初から対象意識をもった種として生れたわけでもない。マルクスはいう。

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2006年08月11日(金)| 意識>観念的自己分裂 
対象意識(5)――意識・認識の発展

対象意識(3)――対象意識と観念的自己分裂」(2006/08/05)において私は対象意識を「意識内部において表象・概念として客体化されたものごとを意識主体が認識しているその意識のあり方」であると考えていると述べた。これと同様に他者意識・自己意識についても私は次のように考えている。

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2006年08月17日(木)| 言語>文法 
客体的表現と主体的表現(1)――三浦つとむの認識論・言語論

三浦つとむはその著書の中で「認識」という語を「対象認識」という狭義の概念としてだけでなく認知・認識およびそれらの主体の主体意識をも含む広い概念つまり広義の意識として用いている。したがって三浦の認識論は意識論そのものである。そして宮田和保がその著『意識と言語(桜井書店)で指摘しているように、言葉は人間の意識を表現したものであるから、「言語は人間の認識を映し出した鏡である」という三浦の言は「言語は人間の意識を映し出した鏡である」と言い換えるべきであるし、〈対象→認識→表現〉という三浦の言語過程説は〈対象→意識→表現〉あるいは〈対象→認識(意識)→表現〉とすべきであると私自身も思っている。

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2006年08月18日(金)| 言語>言語本質論 
認識・意識が言語にとらわれるということの意味

〔注記〕意識認識との違いや共通点、あるいは認知と認識との相違点・共通点などについては「認識についての覚書(4)――意識と認識/知覚表象と表象/表象と概念」をご覧下さい。

前稿「客体的表現と主体的表現――三浦つとむの認識論・言語論」の内容に関しておっちゃん(敬称略)から次のようなコメント(改行位置を変更)を戴いた。

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2006年08月28日(月)| 意識>概念・表象 
概念(3)――個別概念(普遍概念・特殊概念)

 概念(1)~(5)をまとめて読む。

前稿「概念は「言語」に先立つ(3)」では個別概念という言葉と普遍概念という言葉とを何の説明もなしに用いた。これらと特殊概念という言葉とは構造的なつながりがある。特殊概念と普遍概念についてはかつて「認識についての覚書(5)――カテゴリー・概念の階層」の「特殊概念と普遍概念」で書いたことがある。しかしこの部分はかなり簡単なものであって個別概念については何も触れていない。私たちの認識において個々の事物は通常は普遍概念と特殊概念とが統一された概念としてすなわち個別概念として現われる。つまり、個々の事物をとらえた個別概念は、どの程度のレベルでその個別概念の側面をとらえているかにしたがって分類の階層が異なるのであって、ある側面は他のある側面を含むという意味で普遍的であり、またその側面は他のある側面から見ればそれに含まれるという意味で特殊的でもある。したがって個別概念はきわめて多面的な構造を持ったものなのである。

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2006年09月07日(木)| 意識>概念・表象 
概念(4)――概念というものの性格

 概念(1)~(5)をまとめて読む。

概念について、これまでに自分のWebページ(ホームページ)やこのブログに書いてきたことをまとめておく。おおよそつぎのようなものである(新たに詳述した部分もある)。概念という語の意義(語義・語概念)については前稿「概念は『言語』に先立つ(4)」を参照していただきたい。

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2006年09月19日(火)| 意識>概念・表象 
概念(5)――人間の思考・認識は個別概念を介して行われる

 概念(1)~(5)をまとめて読む。

概念は『言語』に先立つ(4)」(2006/09/06)において、私は「概念とは、ある対象を〈一定の種類に属するもの〉として把握した認識である。いいかえると、個々の対象から〈ある一定範囲の対象に共通するある一定範囲の属性〉を抽出して形成した心像が概念である。すなわち概念は基本的に対象の知覚表象や想起された表象から抽象されて形成されるものである」と書いた。そして「人間の認識は徹頭徹尾概念的である」(同題の稿 2006/07/27)とも書いた。このことは、人間の思考・認識は概念を介して――それも三浦つとむのいうように個別概念(個別的概念)を介して――行われるということを意味している。しかしこれは一九世紀中葉にすでにディーツゲンが述べていることの再認識にすぎない。

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2007年10月15日(月)| 弁証法>未分類 
存在と対象(2)――現象するものは存在する

あるものごとを取り上げて言及するとき、私たちはそのものごとがそこに存在することを疑わない。そして言及することのうちにそのものごとの存在を無自覚のまま前提している。眼前にあるものは私の感覚・知覚に対するものとして対象認知(知覚表象=個別概念という形態で)されている。また、たとえそのものごとが眼前に存在していなくても、それは意識している私に対するものとして対象認識(表象=個別概念という形態で)されている。つまり、対象として認知・認識されているものごとは私たちにとって存在している。したがって私たちにとって、ものごとが存在するとはそのものごとが私たちに対するもの(認知対象・認識対象)として現前・再現前していることである。しかし、ものごとが認知対象・認識対象として現前あるいは再現前しているとはどういうことであろうか。

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2007年11月13日(火)| 言語>文法 
客体的表現と主体的表現(2)――日本語の特殊性と普遍性

私はかつて「表現することは精神のうちにある認識活動を現実的に外化(対象化)することであり、表現の本質は自己の認識活動を表現物という形で現実的・物質的に対象化し、この対象化された表現物を介して自己の認識活動を他者に伝えることにある(「自己の二重化(5)――認識の外化・対象化」)と書いた。そして、「客体的表現と主体的表現(1)――三浦つとむの認識論・言語論」で書いたように「精神のうちにある認識活動」とは人間の意識である。

つまり、言語に限らず表現はいかなるものであれそれを表現した者の意識が意識外部へ表出(express)――外化・対象化・客体化・形象化――されたものである。

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2007年11月16日(金)| 言語>文法 
客体的表現と主体的表現(3)――言語の過程的構造

表現は意識の現実的な表出・外化である。その表出・外化の主体はそのとき現実と向き合っていた現実の主体、表現者その人である。この現実の主体は三浦つとむのいう現実の自己であり、自己の身体を含めた意識外部と身体的・精神的交通を保ちながら、意識においては現実の世界を認知し、たえず観念的自己分裂を繰り返してあらゆる対象を認識し、その認識を携えて現実の自己へと復帰している。意識している人間の活動はこのような精神的活動と外部に働きかける身体的活動との統一であり、その活動を統括しているのが現実の自己・現実の主体である。しかし現実の自己のままでは意識内の観念的な世界・想像の世界において再現前している心像(表象・概念)を対象認識として直接とらえることはできない。対象認識を直接とらえているのは、現実の自己・現実の主体から観念的に分離した観念的な自己つまり認識主体である。認識主体はそのときどきにおいてさまざまな立場に転換し観念的な世界における主体として対象認識をとらえている(観念的自己分裂については カテゴリー【観念的自己分裂】 を参照)

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(69歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことだけをこなす日々です。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 I』を読む 1(1)――認識論と言語学三浦つとむ『認識と言語の理論 I』

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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