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 2006.08.18 認識・意識が言語にとらわれるということの意味
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 2006.09.14 〈対象→認識(意識)→表現〉過程における認識の発展
 2006.09.29 意味・意義・価値(1)――ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」
 2006.11.22 ソシュール「言語学」とは何か(4)
 2006.12.09 三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(3)
 2006.12.10 三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(4)
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 2006.12.15 ソシュール「言語学」とは何か(8)――まとめ
 2006.12.17 ソシュールの「言語」(4)――「言語単位」と「価値」
 2006.12.23 ソシュール「言語学」とは何か(9)――〔補足〕言語と内言、言語の意味
 2007.01.28 シニフィエについて
 2007.03.27 三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)
 2007.03.28 三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(3)
 2008.02.28 三浦つとむ『言語過程説の展開』 冒頭の文章

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2004年03月29日(月)| 意識>観念的自己分裂 
認識についての覚書(7)――観念的自己分裂

〔2004.03.29記/2008.01.24転載〕

〔注記〕 「ことば・認識についての覚書」からの転載です。転載にあたって多少の体裁変更を行ないました。知見としては古いものもありますが大筋は変わっていないと思います。

9. 観念的自己分裂

「他人の立場になって」「~したつもりになって」…というようないい方がある。実際に「他人の立場」になることはできないけれど頭の中で現実の自分とは異なる人間の立場に観念的な移行をすることはできる。このような観念的な移行は他の人間の立場への移行だけでなく、現実の位置と異なる場所への空間的な移行や、現在から過去へのあるいは未来への時間的な移行もある。

他人の気持ちを思いやることができない人に対して「想像力が足りない」という批判がなされることもあるようにこれらは想像とよばれる意識活動で、その性格によって空想(夢想・物思い)・回想・予想(予測)・仮想(仮定)・思考(思索・思案・沈思・黙考)・構想・妄想…などとよばれている。また夢を見ているときも自己は空間的・時間的に移行している。何かに夢中になって我を忘れていたり、ものを考えたり、本を読んだり、テレビドラマを見たり、ロールプレイング・ゲームをしたり…しているときも観念的な移行が起こっているのである。

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2004年04月08日(木)| 言語>意味 
ことばについての覚書(3)――概念の二重性と言語表現

〔2004年4月8日 記/2013年1月29日 転載〕

〔注記〕 「ことば・認識についての覚書」からの転載です。2004年当時私がどんなことを考えていたかを知る参考としてお読み下さい。なお、転載にあたってリンク先の変更や用語の訂正等、多少手を加えたところがあります。

3. 概念の二重性と言語表現

概念の二重性

認識についての覚書(5)――カテゴリー・概念の階層」や「認識についての覚書(6)――概念のまとめ」あるいは前稿ことばについての覚書(2)――言語規範とラングにおいて、概念は内包と外延の二つの側面からとらえられることを書いた。この二つの側面を性格的にいえば内包は一般的・抽象的であり、外延を構成する一つ一つの要素は個別的・具体的である。この二つの性格はそれぞれ普遍特殊と表現することもできる。

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2005年02月03日(木)| 意識>観念的自己分裂 
自己の二重化(6)――鏡としての表現

人間が鏡や他者を媒介にして自己認識を深めること、さまざまな計器や観測機器を利用して外部の自然(人間の肉体を含む物質世界)についての認識を深めること、そのさい精神的に自己を二重化し、現実の自己の立場以外の立場に移行して思考し再び現実の自己に復帰すること、そして、そうやって人間は認識の限界を越え自己や世界に対する認識を広げ深化させてきたということを前項まで(タグ【自己の二重化】)に書いてきました。それでは人間は人間の認識活動や精神活動それ自身についてはどうやってその認識を深め共有してきたのでしょうか。

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2006年06月29日(木)| 意識>観念的自己分裂 
二つの主観(2)――二重霊魂説に関して

 二つの主観(1)――主観・客観と観念的自己分裂

 二つの主観(2)――二重霊魂説に関して

 二つの主観(3)――観念的自己分裂の位置づけ

 二つの主観(1)~(3)をまとめて読む。

 関連:自己の二重化(1)~(7)

 関連:対象意識(1)~(5)

〔2006.02.07記〕

三浦つとむ選集3 言語過程説の展開』(勁草書房)の冒頭に載せられた「『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ」の中で三浦つとむは次のように書いている。――全文は「三浦つとむ『言語過程説の展開』 冒頭の文章」で読めます。

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2006年08月18日(金)| 言語>言語本質論 
認識・意識が言語にとらわれるということの意味

〔注記〕意識認識との違いや共通点、あるいは認知と認識との相違点・共通点などについては「認識についての覚書(4)――意識と認識/知覚表象と表象/表象と概念」をご覧下さい。

前稿「客体的表現と主体的表現――三浦つとむの認識論・言語論」の内容に関しておっちゃん(敬称略)から次のようなコメント(改行位置を変更)を戴いた。

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2006年08月28日(月)| 意識>概念・表象 
概念は「言語」に先立つ(3)

 概念は「言語」に先立つ(1)~(5)をまとめて読む。

ちょっとばかり理屈っぽくなるが今日は数学「的」な説明をしてみたい。

「言語langue」(言語規範の一部)は個人の認識として存在している。そこで、ある個人の意識のうちに存在する「言語」を構成している「シーニュ」の集合を A とし、A の個々の要素を a1, a2, …のように表わす。同様に、「シーニュ」を形成する「シニフィアン」および「シニフィエ」の集合をそれぞれ B, C とし、B, C の個々の要素をそれぞれ b1, b2, …、および c1, c2, …のように表わす。

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2006年08月29日(火)| 言語>言語規範 
ソシュール用語の再規定(1)

 ソシュール用語の再規定(1)~(4)をまとめて読む。

ソシュールにおいては「言語langue」や「記号signe」(=「シーニュ」)、あるいは「シニフィアンsignifiant」・「シニフィエsignifie」という言葉はいずれも人間の意識の中に存在するものの名称である。しかし原語(フランス語)をそのまま日本語で表記すると、それらはいずれも現実に表現された現実的な「言語」・「記号」・「意味するもの」(能記=記号の音声)・「意味されるもの」(所記=記号の意味)となってしまう。ことに「言語」・「記号」という表記には別の問題がある。「言語」は言語規範の一つである語彙の規範であって、言語そのものとは異なる。これは不適切な表記といわざるをえない。また語(表現された言葉)は記号の一種ではあるが、語と記号とは違う。したがって「認識された語」を「記号」とするのはこれも不適切な表記である。要するにソシュールによって規定されたこれらの用語はいずれも名が体を表わしていないどころか「名が他の体を表わしている」のである。その上、「シニフィアン」・「シニフィエ」などはフランス語をそのまま用いることが広く行われていて、普通の日本人にはきわめて分かりにくい。

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2006年09月14日(木)| 言語>意味 
〈対象→認識(意識)→表現〉過程における認識の発展

自分が書いたことを確認するために以前の稿を読み返していた。「認識・意識が言語にとらわれるということの意味」(2006/08/18) の次のところ(下に引用した部分)を読みながら、以前「ことば掲示板」で秀さんとソシュールについてやりとりしたこと(ソシュール再評価)を思い出した。秀さんとは似たようなやりとりを何度もしているんだなあと思いながら、このやりとりで秀さんが取り上げた「作者の消滅」問題について深草周さんがご自身のサイトで書いていたことを思い出したのである。それで、下に引用した内容はこのとき深草さんがお書きになったことをごく大雑把にまとめたものに過ぎないことに気がついた。それは「鏡としての言葉」と題されたもので、私の書いたものよりずっと精緻である。1月の雑記/2005」の15日付けの最後にあるので是非お読み頂きたい。

〔注〕 深草周さんのサイトはすでに閉鎖されていますので残念ながら「鏡としての言葉」という記事は読むことができません。

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2006年09月29日(金)| 言語>意味 
意味・意義・価値(1)――ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」

 意味・意義・価値(1)~(3)をまとめて読む。

秀さんが「「意義」と「価値」--語の意味」(2006年09月29日)というエントリーでソシュールのいう語の「意義」と「価値」について書いている。

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2006年11月22日(水)| 言語>言語本質論 
ソシュール「言語学」とは何か(4)

前稿では「読む気はほとんど失せてしまっている」と書いた『ソシュール講義録』だが、気を取り直して前の方を読み返しつつ少しずつ読み進めている。

前稿に書いたように、ソシュールは「言語」(langue)を実践しつつ「言語」の性格を観察し分析している。ソシュールの目的は「言語」の内部に成立する単位の発見である。

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2006年12月09日(土)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(3)

ことば=言語は現実に個々の人間が使っている話し言葉であり書き言葉であり、あるいは手話や点字等々であり、物理的・物質的形態で目の前に厳然と存在するものである。そしてこれら以外にことば=言語といえるものはない。それゆえ言語学の対象はこれらの話し言葉や書き言葉…を話したり書いたり…している生身の人間の肉体的・精神的な社会的活動すなわち人間対人間の時間的・空間的――過程的――な精神的・肉体的な交流活動(運動)であって、言語学はこの対象を動的(過程的)関係・構造的関連において研究し把握するという立場からなされなければならない。これが言語過程説という仮説を提出した時枝誠記の立脚点であり、それを受け継いだ三浦つとむの主張である。

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2006年12月10日(日)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(4)

以下に引用する三浦つとむの論文では観念的自己分裂について言及されている。観念的自己分裂論は言語過程説にとって根本的な柱となる理論であるから詳しくは三浦つとむの著書に当っていただきたい(『日本語はどういう言語か(講談社学術文庫)が分かりやすい。より理論的な論考としては『認識と言語の理論 第一部(勁草書房)が詳しい)が、このブログ内にも断片的ながら観念的自己分裂について書いたものがある。また、簡潔にして要を得たものとして深草周さんがお書きになった「三浦つとむの主体的言語論」がある。これは発表「三浦つとむの主体的言語論」(2006年7月11日)に掲載されたレジュメであるが、このレジュメの前半部が三浦つとむの観念的自己分裂論の要約になっている。言語表現を受け取って理解する際の観念的追体験についてはタグ【観念的追体験】を参照して頂きたい。

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2006年12月12日(火)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(5)

「時枝誠記の言語過程説」最後の論文を紹介する。

この論文の中で三浦は、話し手(書き手)と聞き手(読み手)それぞれが観念的自己分裂による追体験を通して直接に互いに他のものになるという現象を「対立物の相互浸透」として説明している(対立物の相互浸透:対立する二者が不可離のものとして結びついており、一者が自らを他のものとして創造する、つまり対立する二者が相互に影響し合いながら互いに作り合うという関係)。また観念的自己分裂の過程は「否定の否定」であるともいっている。そこで取り上げられているのが『経済学批判序説』におけるマルクスのことばである。『経済学批判序説』は生産と消費についての詳細な研究であり、マルクスは「消費的生産」および「生産的消費」ということばを使って生産・消費がそれぞれ同時に互いに他のものであることを説明している。

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2006年12月15日(金)| 言語>言語本質論 
ソシュール「言語学」とは何か(8)――まとめ

いわゆる「ソシュール言語学」が一般に知られるようになったのは、F. Saussure “Cours de linguistic générale” (Ch. Bally(バイイ), Alb. Sechehaye(セシュエ) 編 1916) によるものだろう。日本における「ソシュール言語学」の流布は小林英夫の訳書に多くを負っていると思われる。なお、小林による “Cours de linguistic générale” の翻訳は三回にわたっている (『言語学原論』岡書院 1928年、『言語学原論 改訳新版』岩波書店 1940年、『一般言語学講義』岩波書店 1972年) 。

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2006年12月17日(日)| 言語>言語規範 
ソシュールの「言語」(4)――「言語単位」と「価値」

〔注記〕以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。したがって「受容者」には「解釈者」「鑑賞者」の意味も含まれている。また、カッコつきの「受容」は表現ではない内言を自身の意識の中で解釈ないし理解しようとすることを表わしている。

「言語 langue」から「言 parole」(話し言葉)も「書 écriture」(書き言葉)も切り離したソシュールの「言語」観察においては、言葉の厳密な意味における表現――意識の内容を意識の外部に表出すること――とその受容という視点はありえない。したがってソシュールは言語の表現過程も受容過程も一切考慮しないで済むわけである。ソシュールの思考はあくまでも表現を前提としない内言の範囲にとどまる。

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2006年12月23日(土)| 言語>意味 
ソシュール「言語学」とは何か(9)――〔補足〕言語と内言、言語の意味

 ソシュール「言語学」とは何か(1)~(9)をまとめて読む。

 関連:ソシュールの「言語」(1)~(4)をまとめて読む。

「連辞関係」から「価値」が生まれるというソシュールの主張がどういうものであるかがある程度はっきりしたので(ソシュールの「言語」――「言語単位」と「価値」)、以前書いたソシュール用語の再規定(4)――思考・内言(2006/10/23)という記事への補足として言語と内言との関係、そして言語の意味について簡単に書いておく。

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2007年01月28日(日)| 意識>概念・表象 
シニフィエについて

ソシュール用語の再規定(1)(2006/08/29) に対して takekiさんからいくつかコメントをいただいています。takekiさんはその中でシニフィエについて書いておられます。それにお応えするためにいろいろ考えたのですが、結局はシーニュをどのようなレベルでとらえているのかをはっきりさせないままではシニフィエについてきちんとしたお話はできないだろうと思っています。つまりシーニュというのはなのか内語なのか、それとも語規範なのかということであり、シニフィアン語音語音像語韻のうちのどのレベルで考えているかということです。なお、これらの用語については、このページ下部の「記事内の用語について」や「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」、「言語音・言語音像・音韻についての覚書」などを参照して下さい。

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2007年03月27日(火)| 言語>意味 
三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)

さて、言語学の分野では表現された言語(自然言語)の意味とは何かということについての定説が存在しない。つまり、意味論が確立されていない。その中では最近よく耳にするようになった認知意味論は三浦の関係意味論に比較的近いといえるかもしれない。三浦の関係意味論はある意味でマルクスがその著作の端々で触れている言語についての断片を系統的にまとめたものとみることができる。つまりマルクスはすでに言語の意味について商品の使用価値や交換価値、意識の外化・対象化(疎外概念を含む)といった概念のもとで語っているのであり、関係意味論に欠くことのできない観念的自己分裂つまり、人間の対象意識の運動についても語っているのである。また、ふつうの人々も表現された言語の意味を直観的につかんでいるのであり、そうでなければ人類がかくも長く言語を用いた意思疎通を行ってきたことを説明できないし、人々がさまざまに工夫して自分の意志や意図を他者に伝え、他者の意識やその伝えたい内容を的確につかみ取ってきたことも説明できない。にもかかわらず、三浦のいうようにいざ言語の意味とは何かを問われると言葉につまってしまうのである。

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2007年03月28日(水)| 言語>意味 
三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(3)

〔注記〕以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。したがって「受容者」には「解釈者」「鑑賞者」の意味も含まれている。

三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)で引用したうちの後の方の二番目の段落で、ルフェーブルが「意味はあらゆる側面から他のものへわれわれを送りかえす。一方においては、過去へ、既得の知識へ、現在性へ、記憶へと、――他方においては、潜在性へ、可能性へ、意味を担った知覚場の多様性へと送りかえすのである」と書いている部分について三浦は「表現主体のつくり出した概念」あるいは「直接に表現されていない表現主体の独自の認識の部分」であるといっている。つまりルフェーブルが「意味」であると考えているものは実は表現者が言語のうちに表現した個別概念である、と三浦は指摘している。しかし、ルフェーブルはこれを表現者とは関りなく受容者が自ら作り出すものだと考えている。

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2008年02月28日(木)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ『言語過程説の展開』 冒頭の文章

前稿「三浦つとむ『認識と言語の理論』 まえがき」で触れているように『認識と言語の理論』は第一部~第三部の3分冊からなっている。このうち前二つが本来の『認識と言語の理論』の本体であり、三浦は早くからこの2分冊を一冊のまとまった書として刊行したいと思っていた。しかしその願いはなかなか叶うことはなかった。そして 1983年8月に第一部と第二部との合本が「三浦つとむ選集3 言語過程説の展開」という形で出版されたことによってその願いはようやく実現した(三浦としては不本意であったかもしれない)。この合本『言語過程説の展開』の冒頭部分には『日本語はどういう言語か』という本がいかにして世に出たか、学術書としての『認識と言語の理論』をなぜ書いたのか、といった経緯についてつづった文章が載せられている。三浦の言語過程説の成立過程とそれを世に出すための苦心とがうかがわれる貴重な文章なので是非ご紹介したい。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(69歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことだけをこなす日々です。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 I』を読む 1(1)――認識論と言語学三浦つとむ『認識と言語の理論 I』

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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