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2004年04月08日(木)| 言語>意味 
ことばについての覚書(3)――概念の二重性と言語表現

〔2004年4月8日 記/2013年1月29日 転載〕

〔注記〕 「ことば・認識についての覚書」からの転載です。2004年当時私がどんなことを考えていたかを知る参考としてお読み下さい。なお、転載にあたってリンク先の変更や用語の訂正等、多少手を加えたところがあります。

3. 概念の二重性と言語表現

概念の二重性

認識についての覚書(5)――カテゴリー・概念の階層」や「認識についての覚書(6)――概念のまとめ」あるいは前稿ことばについての覚書(2)――言語規範とラングにおいて、概念は内包と外延の二つの側面からとらえられることを書いた。この二つの側面を性格的にいえば内包は一般的・抽象的であり、外延を構成する一つ一つの要素は個別的・具体的である。この二つの性格はそれぞれ普遍特殊と表現することもできる。

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2005年01月31日(月)| 意識>観念的自己分裂 
自己の二重化(5)――認識の外化・対象化

さて、「行動的にも、現実的にも自分自身を二重化する。従って、自分が作った世界のほかで自分自身をみる」(『経済学・哲学草稿』)というマルクスの言葉に対して三浦つとむは次のように書いています。

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2005年02月03日(木)| 意識>観念的自己分裂 
自己の二重化(6)――鏡としての表現

人間が鏡や他者を媒介にして自己認識を深めること、さまざまな計器や観測機器を利用して外部の自然(人間の肉体を含む物質世界)についての認識を深めること、そのさい精神的に自己を二重化し、現実の自己の立場以外の立場に移行して思考し再び現実の自己に復帰すること、そして、そうやって人間は認識の限界を越え自己や世界に対する認識を広げ深化させてきたということを前項まで(タグ【自己の二重化】)に書いてきました。それでは人間は人間の認識活動や精神活動それ自身についてはどうやってその認識を深め共有してきたのでしょうか。

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2006年07月12日(水)| 言語>意味 
言語表現における概念の二重性と二種類の概念

現実・非現実におけるある対象をある人間(認識主体)が認識し、意識の内部で客体化したその認識内容や思考内容(観念ないし個別概念)を認識主体が言語として表現する場合には、それらの個別概念は言語規範に媒介されて二重化しており、またそのとき意識内には思考内容の概念(個別概念)と言語規範の概念(語概念)との二種類の概念が――客体として――存在している。これはソシュールの「言語」(2)(2006.07.10)で紹介した三浦つとむの見解であるが、この二種類の概念を川島正平さんが「運用概念」「規範概念」と名づけて呼んでいることは知らなかった。川島さんの『言語過程説の研究』は読んだはずなのに恥ずかしい限りである。

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2006年09月08日(金)| 言語>意味 
個別概念が介在する<表現⇒受容>過程

ネットで検索していて偶然「言語論的世界観と近代科学」というページを見つけた。「シニフィエ」についての説明はおかしいが、ソシュール言語学がどんなものかについての説明が簡潔にまとめられている。

しかし、上記ページを読んでみても私には納得できない。ソシュールはなぜ「言語langue」によって思想を分節するなどといったのであろうか。

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2006年09月14日(木)| 言語>意味 
〈対象→認識(意識)→表現〉過程における認識の発展

自分が書いたことを確認するために以前の稿を読み返していた。「認識・意識が言語にとらわれるということの意味」(2006/08/18) の次のところ(下に引用した部分)を読みながら、以前「ことば掲示板」で秀さんとソシュールについてやりとりしたこと(ソシュール再評価)を思い出した。秀さんとは似たようなやりとりを何度もしているんだなあと思いながら、このやりとりで秀さんが取り上げた「作者の消滅」問題について深草周さんがご自身のサイトで書いていたことを思い出したのである。それで、下に引用した内容はこのとき深草さんがお書きになったことをごく大雑把にまとめたものに過ぎないことに気がついた。それは「鏡としての言葉」と題されたもので、私の書いたものよりずっと精緻である。1月の雑記/2005」の15日付けの最後にあるので是非お読み頂きたい。

〔注〕 深草周さんのサイトはすでに閉鎖されていますので残念ながら「鏡としての言葉」という記事は読むことができません。

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2006年09月29日(金)| 言語>意味 
意味・意義・価値(1)――ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」

 意味・意義・価値(1)~(3)をまとめて読む。

秀さんが「「意義」と「価値」--語の意味」(2006年09月29日)というエントリーでソシュールのいう語の「意義」と「価値」について書いている。

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2006年10月01日(日)| 言語>意味 
意味・意義・価値(2)――表現・受容過程と販売・購買過程とのアナロジー

 意味・意義・価値(1)~(3)をまとめて読む。

〔注記〕タイトルおよび以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。したがって「受容者」には「解釈者」「鑑賞者」の意味も含まれている。

前稿「貨幣の使用価値」でマルクスの引用をしているときに、川島正平さんの『言語過程説の研究』第四章の注で初めて目にした三浦つとむの論考のことを思い出した。それは『唯物弁証法の成立と歪曲』に収められた同題の論考である(同書は後に手に入れた)。その中で三浦つとむは、マルクスが『経済学批判』や『資本論』で描いた W―G―W すなわち商品の<販売⇒購買>過程がもつ論理構造を取り上げ、それとの論理的類似(アナロジー)という観点から E―A―E すなわち言語の<表現⇒受容>過程〈認識→表現→認識〉がもつ論理構造について述べている(差異についても触れている)。少し長くなるがその部分を以下に引用する。なお、論考を理解するためには「統一」概念と「同一性」概念との差異と連関も重要なので一つ前の段落から引用を始める。

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2006年12月15日(金)| 言語>言語本質論 
ソシュール「言語学」とは何か(8)――まとめ

いわゆる「ソシュール言語学」が一般に知られるようになったのは、F. Saussure “Cours de linguistic générale” (Ch. Bally(バイイ), Alb. Sechehaye(セシュエ) 編 1916) によるものだろう。日本における「ソシュール言語学」の流布は小林英夫の訳書に多くを負っていると思われる。なお、小林による “Cours de linguistic générale” の翻訳は三回にわたっている (『言語学原論』岡書院 1928年、『言語学原論 改訳新版』岩波書店 1940年、『一般言語学講義』岩波書店 1972年) 。

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2006年12月17日(日)| 言語>言語規範 
ソシュールの「言語」(4)――「言語単位」と「価値」

〔注記〕以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。したがって「受容者」には「解釈者」「鑑賞者」の意味も含まれている。また、カッコつきの「受容」は表現ではない内言を自身の意識の中で解釈ないし理解しようとすることを表わしている。

「言語 langue」から「言 parole」(話し言葉)も「書 écriture」(書き言葉)も切り離したソシュールの「言語」観察においては、言葉の厳密な意味における表現――意識の内容を意識の外部に表出すること――とその受容という視点はありえない。したがってソシュールは言語の表現過程も受容過程も一切考慮しないで済むわけである。ソシュールの思考はあくまでも表現を前提としない内言の範囲にとどまる。

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2006年12月23日(土)| 言語>意味 
ソシュール「言語学」とは何か(9)――〔補足〕言語と内言、言語の意味

 ソシュール「言語学」とは何か(1)~(9)をまとめて読む。

 関連:ソシュールの「言語」(1)~(4)をまとめて読む。

「連辞関係」から「価値」が生まれるというソシュールの主張がどういうものであるかがある程度はっきりしたので(ソシュールの「言語」――「言語単位」と「価値」)、以前書いたソシュール用語の再規定(4)――思考・内言(2006/10/23)という記事への補足として言語と内言との関係、そして言語の意味について簡単に書いておく。

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2007年01月28日(日)| 意識>概念・表象 
シニフィエについて

ソシュール用語の再規定(1)(2006/08/29) に対して takekiさんからいくつかコメントをいただいています。takekiさんはその中でシニフィエについて書いておられます。それにお応えするためにいろいろ考えたのですが、結局はシーニュをどのようなレベルでとらえているのかをはっきりさせないままではシニフィエについてきちんとしたお話はできないだろうと思っています。つまりシーニュというのはなのか内語なのか、それとも語規範なのかということであり、シニフィアン語音語音像語韻のうちのどのレベルで考えているかということです。なお、これらの用語については、このページ下部の「記事内の用語について」や「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」、「言語音・言語音像・音韻についての覚書」などを参照して下さい。

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2007年03月22日(木)| 言語>意味 
三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(1)

『ことば・その周辺』というブログタイトルに関連する記事としては、最近(といっても2ヵ月も前の記事であるが)書いたのが「シニフィエについて」であり、その前が「言語と内言――言語の意味 」であった。この時期の私の関心はソシュール「言語学」に関わる形で「言語の意味とは何か」ということに向いており、今もなおその志向は変っていない。さらにいえば、私が子どもの頃から言葉というものにずっと興味を抱きつづけてきたのは言葉のもつ「意味」の不思議さに惹かれていたからだといっても言い過ぎではない。その不思議さを腑に落ちる形で説明してくれた唯一のものが三浦つとむの言語過程説であったということが、私をしてかくも長く三浦つとむにこだわりつづけさせる第一の要因なのだと今にして思う。

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2007年03月27日(火)| 言語>意味 
三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)

さて、言語学の分野では表現された言語(自然言語)の意味とは何かということについての定説が存在しない。つまり、意味論が確立されていない。その中では最近よく耳にするようになった認知意味論は三浦の関係意味論に比較的近いといえるかもしれない。三浦の関係意味論はある意味でマルクスがその著作の端々で触れている言語についての断片を系統的にまとめたものとみることができる。つまりマルクスはすでに言語の意味について商品の使用価値や交換価値、意識の外化・対象化(疎外概念を含む)といった概念のもとで語っているのであり、関係意味論に欠くことのできない観念的自己分裂つまり、人間の対象意識の運動についても語っているのである。また、ふつうの人々も表現された言語の意味を直観的につかんでいるのであり、そうでなければ人類がかくも長く言語を用いた意思疎通を行ってきたことを説明できないし、人々がさまざまに工夫して自分の意志や意図を他者に伝え、他者の意識やその伝えたい内容を的確につかみ取ってきたことも説明できない。にもかかわらず、三浦のいうようにいざ言語の意味とは何かを問われると言葉につまってしまうのである。

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2007年03月28日(水)| 言語>意味 
三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(3)

〔注記〕以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。したがって「受容者」には「解釈者」「鑑賞者」の意味も含まれている。

三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)で引用したうちの後の方の二番目の段落で、ルフェーブルが「意味はあらゆる側面から他のものへわれわれを送りかえす。一方においては、過去へ、既得の知識へ、現在性へ、記憶へと、――他方においては、潜在性へ、可能性へ、意味を担った知覚場の多様性へと送りかえすのである」と書いている部分について三浦は「表現主体のつくり出した概念」あるいは「直接に表現されていない表現主体の独自の認識の部分」であるといっている。つまりルフェーブルが「意味」であると考えているものは実は表現者が言語のうちに表現した個別概念である、と三浦は指摘している。しかし、ルフェーブルはこれを表現者とは関りなく受容者が自ら作り出すものだと考えている。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(69歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことだけをこなす日々です。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 I』を読む 1(1)――認識論と言語学三浦つとむ『認識と言語の理論 I』

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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