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2004年03月29日(月)| 意識>観念的自己分裂 
認識についての覚書(7)――観念的自己分裂

〔2004.03.29記/2008.01.24転載〕

〔注記〕 「ことば・認識についての覚書」からの転載です。転載にあたって多少の体裁変更を行ないました。知見としては古いものもありますが大筋は変わっていないと思います。

9. 観念的自己分裂

「他人の立場になって」「~したつもりになって」…というようないい方がある。実際に「他人の立場」になることはできないけれど頭の中で現実の自分とは異なる人間の立場に観念的な移行をすることはできる。このような観念的な移行は他の人間の立場への移行だけでなく、現実の位置と異なる場所への空間的な移行や、現在から過去へのあるいは未来への時間的な移行もある。

他人の気持ちを思いやることができない人に対して「想像力が足りない」という批判がなされることもあるようにこれらは想像とよばれる意識活動で、その性格によって空想(夢想・物思い)・回想・予想(予測)・仮想(仮定)・思考(思索・思案・沈思・黙考)・構想・妄想…などとよばれている。また夢を見ているときも自己は空間的・時間的に移行している。何かに夢中になって我を忘れていたり、ものを考えたり、本を読んだり、テレビドラマを見たり、ロールプレイング・ゲームをしたり…しているときも観念的な移行が起こっているのである。

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2004年03月30日(火)| 言語>言語本質論 
ことばについての覚書(1)――言語の性格

〔2004年3月30日 記/2013年1月28日 転載〕

〔注記〕 「ことば・認識についての覚書」からの転載です。2004年当時私がどんなことを考えていたかを知る参考としてお読み下さい。なお、転載にあたって用語の訂正等、多少手を加えたところがあります。

1. 言語の性格

何をもって言語とするかは人によって異なる。しかし何かある対象について考え、その性質やはたらき、構造を明らかにするためにはその対象をはっきりと定めておくことが必要である。したがって以下言語について考えるにあたり、私がその対象とする言語とは何であるかを私なりに定めておきたい。

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2006年07月23日(日)| 言語>言語本質論 
ことばとは何か(1)――言語学の対象と言語過程説

言語学とは一体何を対象とする学であるのか。いうまでもなく言語学が考察・研究の対象とするのは言語である。そして言語とは表現されたものとしての言葉である。つまり言葉とは話され、書かれ、手の形あるいは点の配置によって、人間が知覚できる形態で表現された言葉――話し言葉、書き言葉、手話、点字――である。

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2006年08月17日(木)| 言語>文法 
客体的表現と主体的表現(1)――三浦つとむの認識論・言語論

三浦つとむはその著書の中で「認識」という語を「対象認識」という狭義の概念としてだけでなく認知・認識およびそれらの主体の主体意識をも含む広い概念つまり広義の意識として用いている。したがって三浦の認識論は意識論そのものである。そして宮田和保がその著『意識と言語(桜井書店)で指摘しているように、言葉は人間の意識を表現したものであるから、「言語は人間の認識を映し出した鏡である」という三浦の言は「言語は人間の意識を映し出した鏡である」と言い換えるべきであるし、〈対象→認識→表現〉という三浦の言語過程説は〈対象→意識→表現〉あるいは〈対象→認識(意識)→表現〉とすべきであると私自身も思っている。

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2006年12月09日(土)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(3)

ことば=言語は現実に個々の人間が使っている話し言葉であり書き言葉であり、あるいは手話や点字等々であり、物理的・物質的形態で目の前に厳然と存在するものである。そしてこれら以外にことば=言語といえるものはない。それゆえ言語学の対象はこれらの話し言葉や書き言葉…を話したり書いたり…している生身の人間の肉体的・精神的な社会的活動すなわち人間対人間の時間的・空間的――過程的――な精神的・肉体的な交流活動(運動)であって、言語学はこの対象を動的(過程的)関係・構造的関連において研究し把握するという立場からなされなければならない。これが言語過程説という仮説を提出した時枝誠記の立脚点であり、それを受け継いだ三浦つとむの主張である。

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2006年12月12日(火)| 言語>言語本質論 
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(5)

「時枝誠記の言語過程説」最後の論文を紹介する。

この論文の中で三浦は、話し手(書き手)と聞き手(読み手)それぞれが観念的自己分裂による追体験を通して直接に互いに他のものになるという現象を「対立物の相互浸透」として説明している(対立物の相互浸透:対立する二者が不可離のものとして結びついており、一者が自らを他のものとして創造する、つまり対立する二者が相互に影響し合いながら互いに作り合うという関係)。また観念的自己分裂の過程は「否定の否定」であるともいっている。そこで取り上げられているのが『経済学批判序説』におけるマルクスのことばである。『経済学批判序説』は生産と消費についての詳細な研究であり、マルクスは「消費的生産」および「生産的消費」ということばを使って生産・消費がそれぞれ同時に互いに他のものであることを説明している。

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2007年11月13日(火)| 言語>文法 
客体的表現と主体的表現(2)――日本語の特殊性と普遍性

私はかつて「表現することは精神のうちにある認識活動を現実的に外化(対象化)することであり、表現の本質は自己の認識活動を表現物という形で現実的・物質的に対象化し、この対象化された表現物を介して自己の認識活動を他者に伝えることにある(「自己の二重化(5)――認識の外化・対象化」)と書いた。そして、「客体的表現と主体的表現(1)――三浦つとむの認識論・言語論」で書いたように「精神のうちにある認識活動」とは人間の意識である。

つまり、言語に限らず表現はいかなるものであれそれを表現した者の意識が意識外部へ表出(express)――外化・対象化・客体化・形象化――されたものである。

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2007年11月16日(金)| 言語>文法 
客体的表現と主体的表現(3)――言語の過程的構造

表現は意識の現実的な表出・外化である。その表出・外化の主体はそのとき現実と向き合っていた現実の主体、表現者その人である。この現実の主体は三浦つとむのいう現実の自己であり、自己の身体を含めた意識外部と身体的・精神的交通を保ちながら、意識においては現実の世界を認知し、たえず観念的自己分裂を繰り返してあらゆる対象を認識し、その認識を携えて現実の自己へと復帰している。意識している人間の活動はこのような精神的活動と外部に働きかける身体的活動との統一であり、その活動を統括しているのが現実の自己・現実の主体である。しかし現実の自己のままでは意識内の観念的な世界・想像の世界において再現前している心像(表象・概念)を対象認識として直接とらえることはできない。対象認識を直接とらえているのは、現実の自己・現実の主体から観念的に分離した観念的な自己つまり認識主体である。認識主体はそのときどきにおいてさまざまな立場に転換し観念的な世界における主体として対象認識をとらえている(観念的自己分裂については カテゴリー【観念的自己分裂】 を参照)

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2007年11月17日(土)| 言語>文法 
客体的表現と主体的表現(4)――「ある」という関係意識

「である」という表現の中に「ある」という語が含まれていることに関して、子どもの頃私は「である」における「ある」と存在を表わす「ある(有る)」との両者には異った性格があると同時に何か共通な性格があることを感じていた*。また、<判断・指定>の助動詞「だ」に相当する古語的な表現「なり」「たり」の中に存在の「あり(有り)」が隠れているのではないかとも思っていた**。

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2010年04月18日(日)| 言語>文法 
三浦つとむ『日本語の文法』 まえがき――文法とは何か

ソシュール的にいえば文法*は「言語(連合関係)」であるが、三浦つとむの規定からすればそれは言語規範を構成する一つの規範である。ただし、「」法と表現されてはいても、そこには語法や文章法、音韻等の諸規範も含まれている。そして文法のうちで基礎をなすものはやはり語法である。語についての考察なくして文について考えることはできない。「言語(内言語・連辞関係・シンタグム)」のうちに「言語単位」を発見することがソシュールの究極目標であり、ソシュールが当初「連合関係」(語彙規範)を「言語」と読んでいたことにもそれが現われている。

* 広い意味では語彙(語彙規範)を含むこともある。その場合には文法すなわち言語規範ということになる。しかし通常、文法という概念に語彙の一部が含まれることはあっても語彙をまるごと含むことはない。なお、ソシュールのいう「言語」は「連合関係」および「連辞関係」であり、それらは後にそれぞれ「パラディグム」「シンタグム」と再規定されることになる。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年10月生れ(74歳♂)。国語と理科が好き。ことばの持つ意味と自然界で起きるできごとの不思議さについて子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。長い間続けた自営(学習塾)の仕事を辞めた後は興味のあることに関して何でも好き勝手にあれこれ考える日々を過ごしています。千葉県西部在住。

2021年の2月下旬から海外通販(日系法人)を通じてイベルメクチンのジェネリック(イベルメクトール他)を購入し、定期的に服用しています。コロナワクチンは接種していません。

ツイッターは okrchicagob(メインアカウント)、または Chicagob Okr(サブアカウント)。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 第一部』 1章(1) 認識論と言語学との関係

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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