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プロフィール

Author:シカゴ・ブルース

1948年生れ。理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱きつづけています。

〔08/01/08追記〕シカゴ・ブルースというハンドルネームは長いので、以後コメント等では単に シカゴ という略称を使います。

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 米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望 (08年04月25日@『macska dot org』)
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 イラク人女性たちは米軍の占領にもイスラム主義者の暴力にも反対する(イファト・サスキンド) (Falluja, April 2004 - the book)
 5年、そして継続中(ダール・ジャマイル) (Falluja, April 2004 - the book)


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検索した記事のリスト(投稿日時順)

 2006.07.08 ちょっと反省/イデオロギー
 2006.10.31 とりとめのないこと
 2007.03.17 軌道修正
 2007.12.18 ブログ・リニューアル(5)――気分を変えて〔追記 08/04/04〕
 2007.12.29 小春日和?

カテゴリー: 雑感>徒然
ちょっと反省/イデオロギー

秀さんのブログの記事はいろいろな意味で私の脳髄に刺戟を与えてくれる。このところの「唯物論と観念論」がらみのものは秀さんの規定する唯物論が今ひとつはっきりしないのでなんとなく歯切れが悪い。秀さんは論理的に筋を通そうとするあまり、話題にしている観念論に対置する形で唯物論を取りあげるので徹底した唯物論批判にならないのであろう。秀さんの立脚点はやはり唯物論なのであって、そこから観念論を擁護する形をとるのでどうしても無理が生じるのではないだろうか。

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そんなわけで毎度毎度秀さんの記事におんぶする形でしか話題を展開できないのがわれながら情けないのであるが、別に悪気があってやっているわけではないのでお許しを願いたい。ただ、そのたびにトラックバックするのもご迷惑であろうから、トラックバックはしばらくひかえることにしようと思う。

『「ソシュール的な発想」ということで何を言いたかったのか』での秀さんの関心は「人間はいかにして世界全体を体系的に認識するか」であったような気がする。私の関心は「人間はいかにして対象を認識するか」であって、体系的な認識ということにはあまり興味がない。というのは初めから枠組みを決めてかかっても得るところは少ないだろうと思うからで、「世界に人為的に切れ目を入れて、まとまりをつける」という発想は創造主的であり、キリスト教的な「はじめにロゴスありき」のような発想に思えるからでもある。

論理とは何か」で秀さんが「唯物論的には扱えないけれど観念論的には考えることが出来る」ものとして挙げている倫理や人生観などはいわばイデオロギーであってここには宗教や法律や政治なども含まれる。これらは唯物論的に扱えないのではなくて、一種の公理系をなしているのでその内部ではそれらが依拠している原理を前提とした内部の論理でしか正否の判断ができないものである。それを外部の客観的な立場から内部の現象の正否を問うても内部でそのイデオロギーの前提を受け入れている者を説得することはできない。現実の事物から出発せずに頭の中で原理を立ててそれにしたがって理論を組み立てるのが観念論であるから、観念論がイデオロギーを扱うことは理にかなったことのように思えるが、かといって唯物論がイデオロギーを扱えないというわけのものではない。それに唯物論の中にもイデオロギー的な唯物論もあるから一概に唯物論だとか観念論だとかと一括りにするのは乱暴な切り口ではないだろうか。

人は現実生活の中では民主主義とか道徳とか処世訓などといったいくつものイデオロギーにしたがって生きており、その生き方そのものの正否を科学的な真理や誤謬の観点から測ることはできないのではないだろうか。

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とりとめのないこと

前稿で「ここ何日間かあることが気にかかっていた」と書いたがもちろん四六時中ずっとというわけではない。いつも通り考えるための時間ができたときにはという意味である。ここ数日は何を書こうと思ってもそのことが気にかかってことばについてはほかのことは後まわしになってしまったということであり、それに加えてここ一週間ほど『モンテ・クリスト伯』という大部の小説を読み返しているということもある。ブログの更新が滞っていることについてはいろいろと理由があるわけである。

続きを...▼読む▲隠す

かつて読んだ物語を読み返すということをするようになってもう何年になるだろうか。若い頃と違って少し前に読んだものさえすぐに内容を忘れてしまうから、前に読んだものでも新鮮な気持で楽しめるのである。新しいものを買う必要がないからある意味では有り難いことかも知れない。それに、以前読んだときに面白かったとかつまらなかったとかという記憶はもちろん残っているから、読み返すのは面白かったものに限られる。映画のビデオもそうである。外れがない分幸せでもある。

そうはいっても小説を読んだりビデオを見たりすることはけっこう時間を費やすものなので、物語モードや映画モードに入るとしばらくは他のことがおろそかになる。これはゲームモードについても言える。ゲームの場合は1か月から3か月はそれにはまりっきりになる。これは困ったことかも知れない。

さらに、物忘れというのは考え事に関しては非常に都合が悪い。自分で書いたことを忘れてしまうので、このブログの記事も何度も読み直さないと、気がつかずに同じことを書いているなどということも起こり得る。実際、やっているかも知れない。これも困ったことである。

話はがらりと変わる。

29日の日曜日にNHKのBS2で『吉田拓郎&かぐや姫 in つま恋 2006 総集編』という録画放送があった。コンサートは先月の23日に行われた。そのときはNHKのハイビジョンでライブ放送が行われたのだが、あいにく私のところではハイビジョンを受信できる環境がないので見ることができなかった。一月以上待たされた上にカットされた部分もあるようでちょっと残念ではあるが、まあ満足できる内容だった。

前回の『つま恋コンサート』からもう31年も経ったのかという感慨と、そのコンサートがきっかけで当時塾に来ていた子供から借りた録音テープやレコードが縁になって、結局拓郎やかぐや姫を聞くようになったということもあって、今回のコンサートを楽しみにしていた。拓郎やかぐや姫のファンは私よりも半世代から一世代下の人たちである(拓郎・かぐや姫は私より1〜3歳くらい年上だから、まあ同世代である)から、今回つま恋に再結集したファンの平均年齢が40代後半だという(息子や娘を連れてきた親もいたようである)のもうなずけるところ。

驚いたのは拓郎の声の張りが若い頃と変わっていなかったこと。そして、年取った歌手がかつての持ち歌を歌うときに、必ずといってよいほどやるのが声を溜めるということなのだが、正やん(伊勢正三)に多少その傾向がでていたものの他の3人、特に拓郎はかつての歌い方をそのまましていたこと。こうせつ(南こうせつ)も相変わらず(多少高音域が苦しそうであったし、声の張りに多少の衰えが感じられたが)の節回しのうまさをみせてくれたし、パンダさん(山田パンダ)もパンダ節の健在ぶりを見せていた。私は正やんの「置き手紙」とか「アビーロードの街」が好きであるが、往事の声質が衰えたようで残念。ただし、「22才の別れ」はさすがに聞かせてくれた。

というわけで、テレビに合わせて歌っている自分を見つけて久しぶりに楽しい一時を過ごした。

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