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2004年03月30日(火)| 言語>言語本質論 
ことばについての覚書(1)――言語の性格

〔2004年3月30日 記/2013年1月28日 転載〕

〔注記〕 「ことば・認識についての覚書」からの転載です。2004年当時私がどんなことを考えていたかを知る参考としてお読み下さい。なお、転載にあたって用語の訂正等、多少手を加えたところがあります。

1. 言語の性格

何をもって言語とするかは人によって異なる。しかし何かある対象について考え、その性質やはたらき、構造を明らかにするためにはその対象をはっきりと定めておくことが必要である。したがって以下言語について考えるにあたり、私がその対象とする言語とは何であるかを私なりに定めておきたい。

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2004年04月07日(水)| 言語>言語規範 
ことばについての覚書(2)――言語規範とラング

〔2004年4月7日 記〕

 ことばについての覚書(1)――言語の性格

 ことばについての覚書(2)――言語規範とラング

 ことばについての覚書(3)――概念の二重性と言語表現

 ことばについての覚書(1)~(3)をまとめて読む。

〔注記〕 「ことば・認識についての覚書」からの転載です。2004年当時私がどんなことを考えていたかを知る参考としてお読み下さい。なお、転載にあたって用語の訂正等、多少手を加えたところがあります。

2. 言語規範とラング

前稿の(2) で、言語においては概念は音声や文字が一次元的につながったで表され、そのつながり方は規範によって定められているということを書いた。ところで規範によって定められているとはどういうことか。

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2004年04月08日(木)| 言語>意味 
ことばについての覚書(3)――概念の二重性と言語表現

〔2004年4月8日 記/2013年1月29日 転載〕

〔注記〕 「ことば・認識についての覚書」からの転載です。2004年当時私がどんなことを考えていたかを知る参考としてお読み下さい。なお、転載にあたってリンク先の変更や用語の訂正等、多少手を加えたところがあります。

3. 概念の二重性と言語表現

概念の二重性

認識についての覚書(5)――カテゴリー・概念の階層」や「認識についての覚書(6)――概念のまとめ」あるいは前稿ことばについての覚書(2)――言語規範とラングにおいて、概念は内包と外延の二つの側面からとらえられることを書いた。この二つの側面を性格的にいえば内包は一般的・抽象的であり、外延を構成する一つ一つの要素は個別的・具体的である。この二つの性格はそれぞれ普遍特殊と表現することもできる。

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2006年07月05日(水)| 言語>言語規範 
「言語」なしの思考(1)

 「言語」なしの思考(1)(2)をまとめて読む。

言語なしの思考は出来るか」(2006年06月30日)で秀さんは「物質的存在が我々に反映という認識をもたらし、存在の属性として世界を理解すると言うよりも、言語によって世界を切り取って、世界の一部を考察の対象にして理解が進むという方が、何か現実の人間の活動を正しく語っているような気がしてしまう。ソシュール的な発想の方が正しいような気がしてしまう。」という感想を述べている。ここで秀さんがいっている「言語」とは個人の意識内においてすでに認識され明確に規定されている観念のことだろうと思われる。そうであるなら、このような観念を運用して「世界を切り取って、世界の一部を考察の対象にして理解が進む」というのは人間の認識過程を記述したものとしては当たり前のような気もする。

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2006年07月06日(木)| 言語>言語規範 
「言語」なしの思考(2)

 「言語」なしの思考(1)(2)をまとめて読む。

前稿 「言語」なしの思考(1) に対して秀さんからトラックバックをいただいた。その記事 「ソシュール的な発想」ということで何を言いたかったのか (2006/07/06)についての感想はいずれまたということにして、昨日来秀さんの 言語なしの思考は出来るか についてあれこれ考えたことを先に済ませておきたい。

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2006年07月07日(金)| 言語>言語規範 
幼児の頭の中は星雲のようなものか(修正版)

前稿に書いたように「言語なしの思考」(2006.07.06)に対して秀さんから「ソシュール的な発想」ということで何を言いたかったのか(2006年07月06日)というトラックバックをいただいている。

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2006年07月07日(金)| 言語>言語規範 
認識・思考における概念(観念)について

〔「幼児の頭の中は星雲のようなものか(修正版)」への付記〕

前稿において私は「私は、人間が思考において運用しているのはさまざまな観念や表象であって言語規範はそれらの観念にラベルを貼るための媒介をしていると考えている」と書いた。認識や思考における観念について私がどうとらえているかは「ことばについての覚書(3)――概念の二重性と言語表現」に概略が説明してあるので参照していただきたい。

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2006年07月09日(日)| 言語>言語規範 
ソシュールの「言語」(1)

 ソシュールの「言語」(1)~(4)をまとめて読む。

昨日トラックバックいただいた「ソシュールの言葉に対する解釈」(2006年07月08日)において秀さんは『一般言語学講義』から引用したソシュールの言葉に対する解釈が秀さんと私とでは異なるということを述べ、秀さんご自身が誤読しているかも知れないと書いている。私はソシュールが「言語」というとき、それは常に langue つまり三浦の規定した言語規範を指していると考えて私なりの読み方をしたのであるが、直後に引用されている内田氏の言葉と照らし合わせて読むと誤読しているのは秀さんではなくてむしろ私の方かも知れない。そう思って手持ちの『一般言語学講義』を調べてみた。以下は第II編第4章「言語価値」§1「音的資料へと組織された思想としての言語」冒頭からの引用である。追記 この部分は「第三回講義」の後に「第二回講義」をつぎはぎしたものであることが分かった〕

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2006年07月10日(月)| 言語>言語規範 
ソシュールの「言語」(2)

 ソシュールの「言語」(1)~(4)をまとめて読む。

〔注記〕 ソシュールの用語については ソシュール用語の再規定(1)~(4) を、ソシュール言語学の概要については ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8) をご覧下さい。

秀さんと私との間で理解が分かれた「言語が現われないうち」あるいは「言語の出現以前」という『一般言語学講義』にあるソシュールの表現について、その表現のある文とその前後の文章とをあらためて読んでみると私の理解もずれていたようだ。ソシュールのいう「言語」が langue を表しており、意識における langue「言語」の出現以前を意味していることはたしかだが、人類の歴史上において langue「言語」が生れる以前のことをいっているわけではないようだ。

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2006年07月12日(水)| 言語>意味 
言語表現における概念の二重性と二種類の概念

現実・非現実におけるある対象をある人間(認識主体)が認識し、意識の内部で客体化したその認識内容や思考内容(観念ないし個別概念)を認識主体が言語として表現する場合には、それらの個別概念は言語規範に媒介されて二重化しており、またそのとき意識内には思考内容の概念(個別概念)と言語規範の概念(語概念)との二種類の概念が――客体として――存在している。これはソシュールの「言語」(2)(2006.07.10)で紹介した三浦つとむの見解であるが、この二種類の概念を川島正平さんが「運用概念」「規範概念」と名づけて呼んでいることは知らなかった。川島さんの『言語過程説の研究』は読んだはずなのに恥ずかしい限りである。

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2006年07月13日(木)| 言語>言語規範 
誤読でした

『一般言語学講義』第II編第4章「言語価値」§1「音的資料へと組織された思想としての言語」についての私の解釈は基本的に誤読であったことを表明しておきます。詳しいことはいずれ書きます。

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2006年07月15日(土)| 言語>言語本質論 
「言語」・「ことば」の語義

いまさらながらであるが、「言語」・「ことば」とはなんであろうか。私の認識を述べる前に手もとにある辞書からその語義(意義)を調べてみよう(偏った選択であることは承知の上で)。なお、用例は省いた。

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2006年07月16日(日)| 言語>言語規範 
ソシュールの「言語」(3)

 ソシュールの「言語」(1)~(4)をまとめて読む。

小林英夫訳の『一般言語学講義』には冒頭の「訳者のはしがき」に続いて小林による「解説」が載っている。その中で小林は「ソシュール理論に不案内な初心者には、要点を説明しておくほうが有益であろう」として6つの要点を示している。それは次のように始まる。

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2006年07月23日(日)| 言語>雑文 
脱「言語」宣言

「言語」という言葉はソシュール以来非常にまぎらわしい術語になってしまった。「表現されたものが言語だ」といくら主張してみても、ソシュール的な意味の「言語(langue)」が氾濫している中(実際は両者および言語活動全体とが無頓着に混用されているというのが実情だろう)ではゴマメの歯ぎしりに近いし、私が表現されたものとしての言語のつもりで言語という言葉を使ってもソシュール的な意味の言語(langue)であると誤解されるおそれがある。そこで私はしばらくの間、音声や文字を使って実際に表現されたものを単に言葉・ことばあるいは言語と表記し、ソシュール的な意味の言語(langue)をカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」と表記する。

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タグ  雑文
2006年07月23日(日)| 言語>言語本質論 
ことばとは何か(1)――言語学の対象と言語過程説

言語学とは一体何を対象とする学であるのか。いうまでもなく言語学が考察・研究の対象とするのは言語である。そして言語とは表現されたものとしての言葉である。つまり言葉とは話され、書かれ、手の形あるいは点の配置によって、人間が知覚できる形態で表現された言葉――話し言葉、書き言葉、手話、点字――である。

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2006年07月25日(火)| 言語>言語規範 
誤読「言語の法典を利用するさいの結合」

ソシュールの「言語」(3) 」(2006/07/16)は小林英夫訳『一般言語学講義』の中の「言語」はすべて「記号の体系」である、と私が思い込んでいたことから始まる誤読の話であった。つまり「言語」と表記されているものの中には「思考言語」と解釈すべきものがあるのであって、すべてを「言語」「記号の体系」としてしまうとソシュールの真意を読み誤る、ということであった。

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2006年08月17日(木)| 言語>言語規範 
言語規範――規範と規範意識

規範とは、その表現が「かくあるべし(あるべからず)・かくすべし(すべからず)」〔こうあらねばならない(あってはならない)・こうしなければならない(してはならない)〕という当為(とうい:Sollen)として表わされる他者あるいは自己とのあいだに交(か)わされた約束・取り決め・契約などである。規範は取り決めをなした当事者の意識のうちに対象化(客体化)された規範認識・規範意識として存在するものであるが、それが規範であることをはっきりさせ、当事者間の合意事項であることを明確に認識させるために文書の形で表現されることもある。しかし規範の本質はそれが当事者の意識のうちに認識として存在するものでありながら、規範意識という意識のあり方を介して、自己の内なる他者の意志・命令(当為・Sollen・Shall)として当事者の意志(情意・Wollen・Will)や行為・行動を規制するものとして働くところにある。

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2006年08月17日(木)| 言語>文法 
客体的表現と主体的表現(1)――三浦つとむの認識論・言語論

三浦つとむはその著書の中で「認識」という語を「対象認識」という狭義の概念としてだけでなく認知・認識およびそれらの主体の主体意識をも含む広い概念つまり広義の意識として用いている。したがって三浦の認識論は意識論そのものである。そして宮田和保がその著『意識と言語(桜井書店)で指摘しているように、言葉は人間の意識を表現したものであるから、「言語は人間の認識を映し出した鏡である」という三浦の言は「言語は人間の意識を映し出した鏡である」と言い換えるべきであるし、〈対象→認識→表現〉という三浦の言語過程説は〈対象→意識→表現〉あるいは〈対象→認識(意識)→表現〉とすべきであると私自身も思っている。

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2006年08月18日(金)| 言語>言語本質論 
認識・意識が言語にとらわれるということの意味

〔注記〕意識認識との違いや共通点、あるいは認知と認識との相違点・共通点などについては「認識についての覚書(4)――意識と認識/知覚表象と表象/表象と概念」をご覧下さい。

前稿「客体的表現と主体的表現――三浦つとむの認識論・言語論」の内容に関しておっちゃん(敬称略)から次のようなコメント(改行位置を変更)を戴いた。

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2006年08月29日(火)| 言語>言語規範 
ソシュール用語の再規定(1)

 ソシュール用語の再規定(1)~(4)をまとめて読む。

ソシュールにおいては「言語langue」や「記号signe」(=「シーニュ」)、あるいは「シニフィアンsignifiant」・「シニフィエsignifie」という言葉はいずれも人間の意識の中に存在するものの名称である。しかし原語(フランス語)をそのまま日本語で表記すると、それらはいずれも現実に表現された現実的な「言語」・「記号」・「意味するもの」(能記=記号の音声)・「意味されるもの」(所記=記号の意味)となってしまう。ことに「言語」・「記号」という表記には別の問題がある。「言語」は言語規範の一つである語彙の規範であって、言語そのものとは異なる。これは不適切な表記といわざるをえない。また語(表現された言葉)は記号の一種ではあるが、語と記号とは違う。したがって「認識された語」を「記号」とするのはこれも不適切な表記である。要するにソシュールによって規定されたこれらの用語はいずれも名が体を表わしていないどころか「名が他の体を表わしている」のである。その上、「シニフィアン」・「シニフィエ」などはフランス語をそのまま用いることが広く行われていて、普通の日本人にはきわめて分かりにくい。

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#299 ことばについての覚書 言語の意味 個別概念・普遍概念・特殊概念 語音・語音像・語韻 音声・音像・音韻 語規範・語彙規範・言語規範 観念的自己分裂 観念的追体験
#20 「言語」なしの思考 個別概念・普遍概念・特殊概念 概念の先在 思考言語・内言・連辞関係 秀さん
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#41 ラング・langue・「言語」 ソシュール 個別概念・普遍概念・特殊概念 思考言語・内言・連辞関係
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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(69歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことだけをこなす日々です。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 I』を読む 1(1)――認識論と言語学三浦つとむ『認識と言語の理論 I』

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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