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2006年11月28日(火)| 言語>言語本質論 |  
ソシュール「言語学」とは何か(7)

前稿に引用した『一般言語学講義』(小林英夫訳) の「音的資料へと組織された思想としての言語」の冒頭部については、それに相当する部分が「一般言語学第三回講義」の中にある(後述するように両者は必ずしも内容が一致しない)。また、冒頭部に続く「思想と向かい合っての言語独特の役割は,…」以下については、相当部分が「一般言語学第二回講義」中にある(この両者にも微妙な差異がある――前稿を参照)。

バイイ、セシュエによる『一般言語学講義』の内容がなぜ講義録と異っているのかという疑問は『ソシュール講義録注解』の「あとがき」を読むと氷解する。

…バイイとセシュエは三回にわたるソシュールの「一般言語学講義」の記録を詳細に〈読んだ〉最初の人たちである。読み終わったうえで彼らがとった編纂方針は、あらゆる方針のなかでもっとも大胆なものだった。すなわち、彼らは講義録の鮮明な読後感から出発して、講義全体をあらたな文章で書きおろしたのである。構成上の骨格は第三回講義を参考にしている。けれども、この書物が彼らの読後感から一息で書きおろされていることは、いまとなっては疑う余地がない。

『一般言語学講義』の内容にはバイイとセシュエ(この二人は聴講者ではない)による解釈が付加*されているのである。しかも三回にわたる講義がばらばらにされつぎはぎされている。つまり文脈にも変更が加えられているのである。『一般言語学講義』が一貫性を欠いたまとまりのない書物になっていて、その内容が講義録のものと異なっているのはそういう理由である。ソシュールの講義録が最初に紹介されたのはこの『一般言語学講義』であり、一般にはソシュールの講義をバイイとセシュエがまとめたものとして受けとめられた(小林英夫訳のものは「フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』となっている)。そういった経緯もあって、「ソシュール言語学」像の骨格はこの書物によって形成され、それがいわゆる「ソシュール言語学」として現在も流布している。

なお、『一般言語学講義』によって流布された「言語」の概念やいわゆる「ソシュール言語学」については「ソシュール言語學」祖述(1)が簡潔によくまとまっていて、参考になる(当然ながらそこには内言も「言語」の領域であるという視点はない)。いずれにせよ、ソシュールの「言語langueを理解するには小林英夫訳の『一般言語学講義』は役に立たない。

「第二回講義」の説明はむずかしく、私もまだ理解できずにいる。しかし、『一般言語学講義』のあの有名な部分(前稿で引用した冒頭部分)に相当する「第三回講義」の部分もまたそれに劣らず理解するのはむずかしい。『一般言語学第三回講義』(相原・秋津訳)からその当該部分の一つ前の段落以降当該部分より少し後の段落まで引用してみよう。

『一般言語学第三回講義』p.273~274

 価値(valeur・ヴァラー)の観念(イデ)に到着するため、孤立した語(モ)とは対立的に、私たちは語(モ)の体系からの出発を選びました。別の基盤からの出発も選べたでしょう。

 言語(ラング)から作られた抽象である私たちの諸々の観念(イデ)とは、心理学的には何なのでしょう〔か〕。諸観念(イデ)は、おそらく、存在しません。あるいは、無定形と呼ばれる形態でしか。〈哲学者や言語学者によれば〉、言語(ラング)(当然、内的言語(ラング))の介助なしには、おそらく、私たちは二つの観念(イデ)を〈明確に〉区別する方法を持た〈ない〉でしょう。

 その結果、私たちの諸観念(イデ)の、それ自体の純粋に概念的な(コンセプチュエル)な集塊、言語(ラング)から拘束されない集塊は、予め何も区別できない不完全なある種の星雲を思わせます。ですから、また、逆も、また真なりで、種々な観念(イデ)は、言語(ラング)に先行する何ものも示しません。次のような a)、b) もないのです。つまり、a) 確固として樹立された、対立する明確な諸観念(イデ)のすべて。b) これらの諸観念(イデ)に対する諸記号(シーニュ)。もちろん、音声記号(ラングィスティックシーニュ)よりも前に思考(パンセ)の中に何かはっきりしたものなどありません。それが原理です。このまったく混沌とした観念(イデ)の王国に直面すれば、他の面で、音の王国が、(観念(イデ)の外でそれ自体として) 極めて明確な観念(イデ)を、〈予め〉提出しているかどうか疑ってみるべきです。

 音の中には、予め限定された、極めて明確な単位(ユニテ)さえありません。

 言語なるものの(ラングィスティック)出来事が生じるのは、次のような両者の間です。

 言語なるものの(ラングィスティック)出来事

     

 この〈言語なるものの(ラングィスティック)〉出来事は、もちろんその語(モ)に付着する意味に伴って、〈初めて〉決定される価値(valeur・ヴァラー)を、いずれにせよ価値(valeur・ヴァラー)に他ならない価値(valeur・ヴァラー)を作り出すでしょう。出来事自体に付け加えるべきこともあります。今、そこに戻りましょう。言語なるものの(ラングィスティック)出来事が生じる二つの領域が無定形なだけでなく、価値(valeur・ヴァラー)を創造する〈(両者の間)〉の婚姻 mariage、〈両者の間の関係の選択〉も、完全に恣意的(アルビトレール)なのです。

 そうでなければ、価値(ヴァラー)は、ある絶対的な領分にあることになるでしょう。〈もしも恣意的(アルビトレール)でなければ、この価値(valeur・ヴァラー)の観念(イデ)は制限されるはずで、絶対的な要素があることになるでしょう〉

けれども、この契約は紛れもなく恣意的(アルビトレール)なので、価値(valeur・ヴァラー)は完全に相関的だと言えます。

今、シニフィアンとシニフィエの対比を示す図に戻れば、

この図が存在理由を持つのは確かですが、価値(valeur・ヴァラー)の二次的な産物でしかないのもわかります。シニフィエだけでは何ものでもありません。形をなしていない集塊の中に融解しているのです。シニフィアンも同じです。

しかし、シニフィアン〈と〉シニフィエが関係を結ぶのは、無数の聴覚記号(シーニュ)が、集塊の中で作られた多数の〈裂け目〉と結合して生まれる、一定の価値(valeur・ヴァラー)に従ってなのです。それ自体(アンソワ)で与えられる〈ためには〉、何が必要なのでしょう〈か〉。何よりもまず観念(イデ)が、〈予め〉確定されていなければなりませんが、観念(イデ)とはそういうものではありません。〈何よりもまず、シニフィエが予め確定されたもの(ショーズ)である必要がありますが、シニフィエもまた確定されたものではありません〉。

〈ですから〉、その関係は、対立の中で、〈(体系の中で)〉採り入れられた価値(valeur・ヴァラー)の一つの表現でしかないのです。〈それは、どんな言語(ラング)の秩序でも真実です〉。

ソシュールは、言語(ラング)の介助なしには思考は明確にわけることができないし、「音」にもまた明確な切れ目がないという。そして「シニフィアン〈と〉シニフィエが関係を結ぶのは」、「集塊の中で作られた多数の〈裂け目〉」に「無数の聴覚記号(シーニュ)」が「結合し」た結果として「生まれる、一定の価値(valeur・ヴァラー)に従ってなの」だという。それではこのような「言語なるものの(ラングィスティック)出来事」はいかなる力ないし契機によって起こり、「多数の〈裂け目〉」はどうやって生じるのか。

『一般言語学講義』が「第三回講義」のこの部分の後に「第二回講義」をつぎはぎした理由はそこであろう。「第二回講義」では「思考-音が言語学の究極的単位としての諸区分を含んでいるという、どこか神秘的なこの事実」という告白で、その契機を説明している。しかし、それは何の説明にもなっていない。一方では価値によって「シーニュ」が生まれるといい、他方では「シーニュ」相互の関係・対立によって価値が生まれるというのでは納得せよという方が無理である。この後は、「言語なるものの(ラングィスティック)出来事」の結果として生まれた諸単位――連辞――相互の関係によってそれぞれの単位の価値(valeur・ヴァラー)が定まる…というような説明へとつながっていく。つまり「言語」という閉じた領域・閉じた体系の中で、「シーニュ」という連合の形態をとった諸事項相互の関係・対立が思考のうちに裂け目を作り出すことによって諸言語単位(これらも「シーニュ」という形態をとる)が生まれ、諸言語単位相互の関係・対立(連辞)によって諸言語単位の価値が生まれる。そしてそれら諸言語単位の価値から体系における諸事項の意義が再び抽象されて、その結果諸事項相互の関係・対立が生まれ諸事項が体系として再構築される。このような「言語」における円環運動・自己産出運動がソシュールの「言語」なのである。ある意味ではソシュールの「言語」はソシュールの自己意識とその自己運動ともいえる。

先に書いたように思考のうちに内含されている「神秘的な」区分とは、私からみれば質・価値そのものである個別概念である。しかし、こういった自ら区分をもった個別概念が思考の中に存在していることをソシュールは認めない。それゆえ質・概念・単位・言語的実在がいかにして生まれるかを「言語」そのものの中に求めて連合・連辞関係の入り組んだジャングルの中にソシュールは突き進んでいく。そして「言語」固有の論理によって言語単位が生みだされる過程を論理的にみちびきだそうとするのである。

それは私にとっては迷路のようなものである。どのような契機かは分からないがとにかく連合から単位がそして連辞から価値が生み出されるのである。体系としての連合は最初から与えられている。連辞はそこから生じる。そして連辞から価値が生まれ、体系に変化がもたらされる。しかし、そもそも「無定形と呼ばれる形態でしか」存在しないという「諸観念(イデ)」はいったいどこからやってきたのか。「言語(ラング)から作られた抽象である私たちの諸々の観念(イデ)」と無定形な「諸観念(イデ)」とは同じものなのか。同じだとすれば、「私たちの諸観念(イデ)の、それ自体の純粋に概念的な(コンセプチュエル)な集塊、言語(ラング)から拘束されない集塊」(思考)における諸観念は言語(ラング)から抽象されて生じるのだろうか。そうだとすると内言の領域も制度的な言語(ラング)の領域に呑みこまれてしまうような気がする。しかし、思考一般はそんな閉鎖的なものでないことは確かである。思考は言語(ラング)の外部に対して開かれている。言語(ラング)の外部に対して開かれていない思考など何ものでもない、と私は思う。しかしソシュールにおいては内言の領域も「言語」という閉じた円環の内部にある。したがって、諸観念(イデ)(思考)もまた「言語」内部で自己生成するしかないのである。

〔2006.11.29追記〕

* 解釈が付加されているというよりもむしろ、バイイとセシュエの解釈によって講義録が取捨選択されその解釈のもとで大胆に再構成されているといった方がいいかもしれない。さらにいえば小林英夫訳の『一般言語学講義』(岩波書店)は訳語の選択に留まらない範囲で小林自身の解釈が加わっていると思われる。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(69歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことだけをこなす日々です。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 I』を読む 1(1)――認識論と言語学三浦つとむ『認識と言語の理論 I』

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