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2006年12月08日(金)| 言語>言語本質論 |  
三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(1)

ソシュール「言語学」についてはいずれ簡単なまとめのようなものを書こうと思っているが、形而上学的な論理にすっかりあてられてしまったので、頭をすっきりさせ暗闇から復帰するために、現実に根を張った学問研究を貫いた時枝誠記(ときえだもとき)に対して、その言語過程説を批判的に継承すると公言する三浦つとむがつづった論文集「時枝誠記の言語過程説」(『言語学と記号学』勁草書房所収)を紹介したい。この論文集の掉尾は時枝に対する追悼文ともなっている。なお引用にあたって傍点は傍点のように表記し、適宜ルビを振った。また、各論文の末尾にある注のうち引用元の書籍名を示すものは( )に入れて本文中に挿入した。

「時枝誠記の言語過程説」(『言語学と記号学』p.183)

   は じ め に

 科学の分野で創造的な仕事をしている人びとは、集めた資料に首をつっこんで解釈にあけくれていはしない。その発見した諸現象諸事実をふまえて、ゆたかな想像力にものをいわせ、そこから他の事実や構造や一般的な連関などの存在を予想していく。こうして仮説が立つと、それが真に正しいものであるか否かを実際にあたってたしかめていく。偉大な科学者はいずれもなみはずれた想像をくりひろげ、健康な懐疑精神において時には定説を根底からひっくりかえすような大胆な仮説をつくって、現実に問いかけるのである。科学史学者板倉聖宣(いたくらきよのぶ)はいう。

「偉大な科学者といわれる人々が今日からみればまったくばかげていると思われるような予想、仮説のもとに、いかにねばり強く自然に問いかけていったかがわかるでしょう。正しい自然観をもとにした広い視野のもとに先入見ともいわれるような強い信念をもって大胆に自然に問いかけていった人々が、もっとも偉大な科学者になったといってもよいのです。少なくとも、筆者はこれまでの科学史研究の結果、科学の歴史をそのような歴史として書かねばならないと考えています。」(板倉聖宣・上廻昭『仮説実験授業』27~8ページ)

 そして国語学者時枝誠記もつぎのように書いている。

「今日、我々の持つ何等かの言語本質観は、凡(すべ)て歴史的に規定されたものであつて、先ず我々は自己の歴史的に所有する処の言語本質観に対して、飽くまでも批判的であることが必要である。」「言語過程説は、我が旧き国語研究史に現れた言語観と、私の実証的研究に基く言語理論の反省の上に成立し、国語の科学的研究の基礎概念として仮説せられたものであつて、いはゞ言語の本質が何であるかの謎に対する私の解答である。」(『国語学原論』序。表記は原文のまま。時枝の著書は著者名を省略。以下同じ)

「学問の至極の妙味は、スペキュレーションにあると、僕は思ってゐる。事実を山ほど集めて、そこから素晴しい結論が出るだらうなんて期待するのは、学問の邪道さ。」「地球が円いと考へた最初の人間は、やつぱり大変な思惑師だよ。最初の見込みさへ確実なら、事実は必ずあとからついて来るものさ。思惑をやる人間が不精(ぶしょう)なのぢやなくて、資料の上に安心して寝そべつてゐる人間の方が余程のんきだし、不精だよ」(『国語学への道』144~5ページ)

 時枝の言語過程説は、まだ充分理論的に仕上げられていなかった。彼の認識論と論理学の弱さにわざわいされて、機能主義的なふみはずしを克服できず、言語規範の把握や認識構造の説明にも混乱が存在していた。『国語学原論』のソシュール理論批判が、その重要な欠陥をつきながら不徹底なものに終ったのも、その能力の限界を示すものである。けれどもこれらの弱点は、時枝理論が革命的な業績だということを否定するものではない。これまでも言語過程説にはいろいろな疑問や批判が投げかけられているし、的はずれのものも的に当っているものもある。部分的な弱点を指摘するのはけっこうであるが、そこから時枝理論を軽視したり抹殺したりするのは行きすぎである。弱点を訂正して前むきに発展させる方向へすすむのが、われわれのとるべき道である。

 ヨーロッパでは最近構造主義とよばれる一つの思想的潮流が抬頭(たいとう)し、日本でもその輸入商が生れてある程度の信者をつくり出したが、これは言語学が構造言語学とよばれるもので占められていることと無関係ではない。チョムスキー理論などにしても、この一系列であり、また構造主義者とよばれる人びとは構造言語学の概念や論理を他の個別科学に持ちこんで押しつけにかかっている。たとえばレヴィ=ストロースの「構造人類学」にあっては、婚姻の規則や親族関係の体系を一種の〈言語〉と解釈するのである。これを思想的潮流の発展として、大きな目で見るならば、一方で観念論者、他方で自称マルクス主義者ないしマルクス主義をかじった経験のある思想家が、期を同じくして構造という問題に関心を持ちはじめ、合流し浸透しあって潮流を形成しているのである。主観的観念論の系列、たとえばフッサールやカッシラーの流れをくむ者は、理論的な壁につき当った。現象や機能を論じるだけでは、実体は存在しないので機能の函数的構成があるのみだと思っているのでは、それらをささえる対象の構造へ入りこんで理論を前進させることができない。壁を破ろうとする者は構造に注目するようになる。また自称マルクス主義者は、教科書で抽象的な本質論だけを覚えても、それだけでは対象の立体的なありかたをとらえた体系的な理論は出てこないことに、気づいてくる。「病原菌を殺せば結核は治る」とは疑いのない偉大な真理だが、これだけ覚えても目の前につきつけられた患者をどう治療すべきかの具体的な指針にはなりえない。そこで対象の構造に関心を向けていく。これが、一方では「構造言語学」への関心となり、他方では『資本論』の構造分析への関心ともなる。

 さてこの構造主義の説くところはどうかといえば、お粗末の一語につきる。そもそも「構造言語学」それ自体が、チョムスキー理論を含めてお粗末なのであり、意味論もつくれない程度のものであるから、その概念や論理を他の個別科学に持ちこんで押しつけたところで、まともな理論の生れるわけがない。けれども自分の力で対象の構造を論理的にたぐることのできない学者は、どこからか構造の論理を借りてこなければならないから、そこで「構造言語学」によりかかったのである。日本で論じられているのを見ても、『資本論』からいまさらのように「過程」と「構造」をとり出してみせる哲学者はまだいいほうで、ヘーゲルの弁証法は「直線的」だとか、その欠陥がエンゲルスにレーニンにスターリンにつながっているから「宗教改革」が必要だ(北沢方邦「人間主義の終末?」――『現代の理論』1967年12月号)とかいわれると、開いた口がふさがらぬ思いである。ヘーゲル論理学の重層的立体的な全構造が弁証法とよばれたのだということは、三五年前のわれわれの常識であった。弁証法の三法則は矛盾の構造をとらえたもので、ヘーゲルの歴史的=論理的な見かたをマルクス主義は継承したのだと、われわれは理解していた。歴史的=論理的ということばを書き変えると、過程的構造的になる。だからこそ私にしても、時枝が「過程的構造にこそ言語研究の最も重要な問題が存するのである。」(『国語学原論』92ページ)といい切っているのを見て、マルクス主義の知識を持たぬ国語学者が自称マルクス主義者よりもマルクス主義的な把握をしていることに、注目しないわけにはいかなかったのである。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

75歳♂。国語と理科が好き。ことばの持つ意味と自然界で起きるできごとの不思議さについて子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。長い間続けた自営(学習塾)の仕事を辞めた後は興味のあることに関して何でも好き勝手にあれこれ考える日々を過ごしています。千葉県西部在住。

2021年の2月下旬から海外通販(日系法人)を通じてイベルメクチンのジェネリック(イベルメクトール他)を購入し、定期的に服用しています。コロナワクチンは接種していません。

ツイッターは okrchicagob(メインアカウント)、または Chicagob Okr(サブアカウント)。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 第一部』 1章(1) 認識論と言語学との関係

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ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
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  これが科学の花です
        朝永振一郎

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