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三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(2) [PC版ページへ]
2006/12/08 08:32

 三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(1)〜(5)をまとめて読む。

 関連:時枝誠記と三浦つとむ(1)(2)

引き続き、三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」を紹介する。


「時枝誠記の言語過程説」(『言語学と記号学』勁草書房 p.186)

   本質の追求と方法論の反省

 学問の革命に共通してみられる二つの特徴を、われわれは時枝理論にも見出すことができる。一つは本質に対する徹底的な追求で、いま一つは方法論についての反省である。

 時枝は中学生のときすでに国語研究に一身を捧げる決意をかためていた。父親は生活の危険を説いて決意をひるがえさせようとしたが、むだであった。「私は国語に殉ずる一個の国士を以て自ら任じていたのである。」(『国語学への道』17頁) 一九二二年の春に東京帝国大学文学部国文科に入学、翌二三年に関東大震災と帝都復興という状況の中で、言語における本質的な問題の思索へとすすんだのであった。

「荒涼たる都市、物情騒然たる空気の中で、明日の学問の復興の為に、静に書物と対峙したことは悲壮でもあり、また大きな感激でもあつた。物皆蘇るといふ空気の中で、私もまた一切の末梢的な研究を捨てて、学問上の根本問題を思索する様に駆立てられた。それは国語研究の根本に横たはる『言語の本質は何か』の問題であった。」(『国語学史』はしがき 1〜2頁)

「私は言語は絵画、音楽、舞踏等と斉(ひと)しく、人間の表現活動の一つであるとした。然らば言語と云はれるものは、表現活動として如何なる特質を持つものであるかを考へて、始めて、言語の本質が、何であるかを明らかにすることが出来るであらうといふ予想を立てたのであつた。」「思ふに言語の本質は、音でもない、文字でもない、思想でもない。思想を音に表はし、文字に表はす、その手段こそ言語の本質といふべきではなからうか。言語学の対象は、実にその process を研究すべきものではなからうか。ここにおいて、言語学の対象は、音響学の対象とは明かに区別せられるであらう。言語学者が音声を取扱ふのは、音声そのものが対象の如く見えて実は然らず、音声を仲介として思想の表はさるる process である。」(『国語学への道』28〜9頁)

 学界の定説をひっくりかえすような革命的な理論を、学問の道に足をふみ入れたばかりの青年が思いついたといわれると、異常なことのように感じる読者もあるであろうが、別に異常なことではない。現在の私の若い友人にも、同じような例がいくつかある*し、私がソ連から輸入されたモンタアジュ論の批判的検討を契機として、時枝と似た結論に達したのも、一九三二年22歳のときと記憶している。要するに研究者の主体性いかんであって、せっかく革命的な考え方に到達しながら、自然成長性にまかしておいたために実らなかったという例も、定めし多数にのぼっていることであろう。徹底的に考えぬこうという主体性と努力がないならば、確信が生れない。発表したら周囲から嘲笑され反対されるだろうと、自分で押しつぶしてしまうのである。

「学問研究が、方法論的に一の技術に固定しようとする時、我々は再び立返って、対象に対する素朴な心の燃焼から出発することは大切なことである。私はイェスペルセン氏と共に『言語の本質は何か』の問を発することから始めようとしたのである。そして、その解答を各時代の先覚に求めようとしたのである。国語学を国語に対する自覚反省の体系と見るならば、私が今求めようとするところのものは、そのやうな自覚反省の展開史であり、即ちそれは国語学の歴史であり、いはゆる国語学史である。私は現代国語学の体系を、国語学史の展開の最先端に求めようとしたのである。ここに、私の国語学の方法論が存在するのである。国語学の方法論は、このように国語学史の伝統を辿ることのみにあるとは考へられないにしても、その重要な方法が、ここにあると私は信じたのである。」(『国語学への道』33〜4頁)

 常識的に考えると、日本語は特殊な言語であるから、その解明に当って指針となるものは言語の一般的な理論、すなわち言語学だということになる。けれども時枝は、すでにその言語学に対して批判的になっていた。輸入品であるヨーロッパの言語学は言語を表現の一種として位置づけてもいなければ、言語の本質を表現の process に求めようともしていなかったからである。さらに、この、輸入された言語学と国語学との間にこれまで結ばれて来た関係も、合理的な正しいものとは思われなかった。時枝にとっては、「対象を直視してこれと取組み、一切の理論と方法と問題を対象に対する省察から生み出さうとする」態度こそ、「『学問する』態度」なのであって、従来の言語学と国語学との関係は「極めて変則的な関係」(『国語学原論』6頁)としか考えられなかったからである。

「明治以後の新国語学は殆ど西洋言語学の理論の上に立って居るのであるが、この趨勢に就いては、又止むを得ない事情の存在して居つたことも認めねばならない。当時の日本の学界は、兎も角も西洋の学界の水準にまで漕ぎ付けることが最大の急務であつた為に、勢ひ科学的研究の根本精神を深く究めるよりも、先づ理論の輪郭を取り入れて、一応の学問的体裁を整へることに急であった。新国語学の体系は一応このようにして出来上つた。一例を文法研究にとるならば、明治初期の文法組織は、西洋文法の組織の中に、国語の事実を組み入れて行くといふ態度で進んで来た。かういふやり方の根本には、西洋の理論に対する盲目的な信頼と、その普遍性に対する過信とがあつたことを否定することが出来ない。(中略)翻つて西洋の学問の根本精神を考へて見るならば、印欧言語学の輝かしい成果にしても、それは個々の具体的現象を対象として、そこから導き出された理論に他ならないのであつて、決して天来の理論でもなければ、啓示でもないのである。泰西の科学の教へる根本精神は只対象と取組むことにあるのみである。この様に見て来るならば、泰西科学の理論を借用した明治以後の国語学よりも、旧国語学がより科学的精神に立脚して居ると云つても過言ではないのである。若しこの様な科学的精神に立脚せずして、徒に言語学の理論に追随するとしたならば、言語学は国語学にとつて他山の石となり得ないばかりか、寧ろ国語学の自立的発展に大きな障礙(しょうがい)とならないとも限らない。それは宛(あたか)も自ら労せずして人の恩恵によつて徒食する様なものである。国語学に対する言語学の立場を右の様に解釈することは、決して言語学が国語学にとつて無用であることを主張しようとするのではない。言語学は国語学にとつて一の大きな刺戟であり、未だ完成の域に達して居ない国語学にとつては、確に発展への助言であり、示唆であるに違ひない。しかし、それは何処までも助言であり示唆であつて、研究の主体は必ず我であり、我によって国語とその理論は発見され建設されていかなければならないのである。」(『国語学史』16〜7頁)

 明治以前の旧国語学は、たしかに輸入された言語学のように体系化されてはいないし、学問として独立してもいなかったが、このような形式上の弱点から内容まで軽視してはならない。学問として独立したことは、対象のありかたを無視して思弁的に空想的な関連を持ちこみやすくなったといった弱点を伴うのであり、かえって非科学的な体系化へふみはずしていく危険がある。旧国語学が国学あるいは歌道に随伴して発展し、古代文献の解釈や擬古的表現の創造とむすびついてこれらに依存して来たということは、実践的な要求に応えるために指針として役立つ学問にならねばならぬことを意味し、長所ともなっていたのであって、この側面を無視するのは大きな誤謬である。明治以前の国語研究の発展は、そのありかたに忠実に、歴史的=論理的な展開を追跡すべきものであって、現在の理論水準との落差を測定しながら嘲笑したり筆誅を加えたりすべきものではないのである。時枝は彼の国語学史観にもとづいて、新しい国語学史を再構成しなければならなかった。これは岩波講座『国語学史』(一九三二年)として公けにされ、さらに時枝理論の一構成部分として位置づけられて単行本『国語学史』(一九四〇年)となった。学問における革命が、学問の一構成部分としてそれに至るまでの歴史的=論理的なあとづけをふくむというのは、『資本論』における『剰余価値学説史』を見てもわかるように、合理的なのである。

言語学者にとってまた多くの国語学者にとって、まったく正常なありかたと認められている関係を、きわめて変則的な関係だというだけでなく、現在の言語学に対して本質的に異議をとなえ、科学以前のものと見られていた旧国語学を方法論的に評価するのであるから、言語学者およびその影響下にある国語学者が時枝理論をどう受けとったかは推察するに難くない。国語学が国語の特性を明かにする学問であることは認めても、「国語の諸現象より言語一般に通ずる普遍的理論を抽象して以て言語学の体系樹立に参画し、言語の本質観の確立に寄与しなければならない。」(『国語学原論』3頁)などと主張するのは、身の程を知らぬ傲慢不遜な態度だと受けとられたであろう。時あたかも偏狭な排外的精神が学問全体に暗い影を落していて、非科学的な「日本精神」の信仰が学者に強制されつつあったから、時枝理論も反動的な神がかり学説をもって科学に代えようとするものであるかのように受けとられたであろう。言語学者の側からは、日本語をいかに研究したところでそこから言語学の体系を確立することはできないのだ、理論的に見てそういう結論になるのだと反対する者もあらわれた、時枝もこれに同じく理論的な反駁を行なった**

* 「大体、革命的なことばを口にするいい若いものが、実際にやっていることといえば、『いひがいなき』『名のある人』たちのまねごととは、情けない話ではないか。自分の専門の分野で天下をひっくりかえそうという気概もないのに、前衛をきどるなどはおこがましいといいたくなる。もっと元気を出せよと学生にいうと、『わずか四年くらいの研究では、その道に入ったばかりで、ろくなことはできません』などと答える。はじめからできないものときめてかかるのが、そもそも大きなまちがいだ。歴史に名をのこすような人間は、若いうちにもうチャンとした仕事をしている。私の知人にも、在校中に遠大な研究計画を立て、学生服を身につけていながらその道の先輩を驚かす画期的な業績をあげた者が、何人もいる。大器晩成なんていうけれども、実はこれだってまだ若いうちに努力をつみかさねてしっかり基礎をつくりあげ、晩年に至って全体の完成をみたというケースである。学者に必要な創造的な直観なんてものは、綱わたりの曲芸と同じように、絶えざるきびしい訓練の結果一つの飛躍として身につく能力で、生れつきの天才が持っているというようなものではない。若いうちのなまけ者が、年をとってからいい仕事なんかできるわけがない。」(三浦つとむ「六月通信」――『日本読書新聞』一九六三年六月三日号)哲学者はハード・トレーニングをやらず、文献に埋没して受動的な解釈ばかりしているから、画期的な業績なんか出てこない。

** 時枝と論争してあくまでも自説をまげなかったのは小林英夫である。言語学は言語における普遍的ないし一般的なものを、国語学は特殊的ないし特異的なものをとりあげるという点では、両者の間にくいちがいはないのだが、時枝は普遍と特殊とを対立物の統一として弁証法的にとらえていたのに対し、小林は一般と特異とをカント的にとらえていた。そこから論理的に、国語学から言語学への展開ができる、否できないという相反した結論が導かれたのである。(三浦つとむ『認識と言語の理論』(一九六七年)368頁以下参照)

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