客体的表現と主体的表現(3)――言語の過程的構造(PC版ページへ)

2007年11月16日17:04  言語>文法

表現は意識の現実的な表出・外化である。その表出・外化の主体はそのとき現実と向き合っていた現実の主体、表現者その人である。この現実の主体は三浦つとむのいう現実の自己であり、自己の身体を含めた意識外部と身体的・精神的交通を保ちながら、意識においては現実の世界を認知し、たえず観念的自己分裂を繰り返してあらゆる対象を認識し、その認識を携えて現実の自己へと復帰している。意識している人間の活動はこのような精神的活動と外部に働きかける身体的活動との統一であり、その活動を統括しているのが現実の自己・現実の主体である。しかし現実の自己のままでは意識内の観念的な世界・想像の世界において再現前している心像(表象・概念)を対象認識として直接とらえることはできない。対象認識を直接とらえているのは、現実の自己・現実の主体から観念的に分離した観念的な自己つまり認識主体である。認識主体はそのときどきにおいてさまざまな立場に転換し観念的な世界における主体として対象認識をとらえている(観念的自己分裂については カテゴリー【観念的自己分裂】 を参照)

したがって、表現された言語においては単に客体的表現と主体的表現との区別をするだけでは問題は片づかない。言語表現においては客体的表現と主体的表現とがひとまとまりの統一体を形成しているから、客体的表現がいかなる主体がとらえた対象認識であるのか、主体的表現がいかなる主体の関係意識を表現したものなのかを考慮することなしには言語によって表現された表現者の認識構造や表現者のとらえた世界の構造をつかむことはできない。また、言語はひとまとまりの思想を文として表現するものであるから、一つの文の中にも客体的表現と主体的表現とが重層的に絡み合って複雑な過程的構造を形づくっている。三浦つとむはこのことを「平面的な表現の背後に立体的な認識や世界の構造がある(『日本語の文法』勁草書房)といっている。

「この花は昨日も見た」という場合、表現の主体はまず現実の世界をとりあげて、つぎに追想の世界に時間的に飛躍・移行し、また現実の世界に立ちもどってくる。このダイナミックな動きは、現実の世界の図式に追想の世界の図式を入子型に重ねることで、読みとらせることもできよう。これが「この花は昨日からずっと咲いている」ということになると、追想の世界には飛躍・移行しても、現実の世界に立ちもどるのは飛躍ではなくて時間の経過を継続的に圧縮してたどってくるのであるから、図式で前の文と区別することがはなはだ困難になる。(『日本語の文法』p.42)

時枝誠記は言語における客体的表現と主体的表現との統一を風呂敷型統一形式(日本語表現の基本構造)で図式化し、これを重層的に(入子型)に重ねて表わし、言語表現は詞(客体的表現)を辞(主体的表現)が風呂敷のように包む関係が重なり合った構造であると主張した。

言語主体の立場に於いて見るならば、辞は客体界に対する言語主体の統括機能の表現であり、統一の表現であるといふことが出来るのである。従つて包まれるものは、主体に対する客体的存在の表現には違いないが、包むものは、主体の包むことの表現であるといふ方が適切である。(『国語学原論』時枝誠記・岩波書店)

しかし三浦は上の引用でもちょっと触れているように「立体的な認識や世界の構造」のすべてを図式で表現しつくすことはできないという。その上で「言語に使う図式が複雑な背後の構造を忠実に示すことができなくても、そこからその図式自体を不完全なものだと非難するわけにはいかない」といい、客体的表現と主体的表現との統一として表わされた時枝の風呂敷型統一形式は他の図式にくらべればすぐれているという評価を与えている。そして三浦自身も簡単な文構造を示すときには時枝にならって入子型の図式を利用している。ただし、主体的表現が客体的表現を包むという時枝の主張を否とし、日本語においては対象と主体との現実の統一の反映が言語表現における客体的表現と主体的表現との重層的入子構造として生じるのだと主張している。

主体的表現はある対象を概念化してとらえた対象認知・対象認識(客体)に対する主体の関係意識であるからこれを一義的に表現主体の統括機能とする時枝の主張は誤りであるが、一つの文についてこれを見るならば観念的自己分裂を統御し統括しているのは現実の自己つまり表現主体であるから一つの文の構造を最終的に統括しているのは確かに表現主体である。しかしながら、個々の客体的表現に対する個々の主体の関係意識すなわち主体的表現をすべて表現主体の統括機能に還元してしまうのは明らかに行き過ぎであろう。ひとまとまりの認識構造においては主体の関係意識の中に統括する意識(ある特定の判断)が存在していることは認められるが(ただし表現主体の統括意識とは限らない)。

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