昨夕から続いていた小雨が午前中早々と上がり、暖かい陽ざしと南からの暖気のせいで今日は歳末とは思えない暖かな一日になった。惰性で暖房機をつけていたら妙に暑く感じて温度計を見ると室温が 19度になっていたのであわてて暖房を切ったほどの暖かさだった。
「ホワイトクリスマスはすでに死語である」という記事でかつさんは先日の暖かさを「インディアンサマー・クリスマス」と呼んでおられたが、そのことが頭の片隅にあったためか「小春日和」ということばが脳裏に浮かび、それに続いて「シクラメンのかほり」(小椋 佳・練習用音声のみ)という曲のタイトルが連想的に浮かび上がった。
しかし考えてみるとこの連想は変である。シクラメンという花はこの時期にふさわしいが、いくら暖かいといってもすでに初冬とはいえないこの時期に「小春日和」ということばはふさわしくない。したがって「インディアンサマー」→「小春日和」の連想は類語だからいいとしても、「小春日和」から「シクラメンのかほり」を連想してしまった私の頭の中の回路はどこかおかしい。しばらく考えているうちにその理由が分かった。なんのことはない、私の頭の中で「秋桜(コスモス)」(山口百恵)という曲の歌詞と「シクラメンのかほり」という曲のタイトルとが短絡してつながってしまったのである。
年をとるとこういう頭の中のショートはよく起こる。原因はたわいのない思い違いや思い込みである。今回の場合は曲名が両方とも花の名前であることと、ともに小椋 佳・さだまさしというシンガーソングライターの曲であるという共通性が短絡をもたらしたのであろう。
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ホワイトクリスマスはすでに死語である(かつさん)
大カテゴリー 〔雑感〕
ついでに、比喩と論理という、ややむずかしい言葉も思い浮かんだのですが、いつものことで、考えはそこまでしか進みませんでした。
シカゴさんは歳をとると変なショートが起こりやすいとおっしゃっているけれど、これは、そうなのかなと思いました。若いうちの方が起きやすいということはありませんか?
今回のは「小春日和」と「シクラメン」とがしっくりこないということですぐに気づいたわけですが、ふだんはそれとは自覚せずにいろいろな連想をしているのだろうと思います。
連想にもいろいろあって、ものを考えているときはかなり論理的なつまり論理構造までたどれるようなはっきりとしたもの(比喩など)が主になりますが、もの思いにふけっているときなどは単に似ているとか、一部だけ共通点があるとか、あまり論理的でない連想が多いような気もします。これは何かを思い出すときにもいえることで、後から考えるとなんでそんなことを思い出したんだろうということもけっこうありますね。
>シカゴさんは歳をとると変なショートが起こりやすいとおっしゃっているけれど、これは、そうなのかなと思いました。若いうちの方が起きやすいということはありませんか?
これは単純に、正確な記憶がよみがえらずに誤って違うものを取り違えてしまうという私自身の昨今の経験を書いたのですが、短絡というと悪い意味になってしまうけれど若いうちの方が柔軟な連想――ファジーな連想ができるというのは、ご指摘の通りかもしれません。年を取ると凝り固まった類推しかできなくなるような気もしますし。
で、人間のこういった連想というのは観念的自己分裂に媒介された想像力であって、後から考えるとそれなりの筋道をたどっていることが分かるにしてもそのときはそれに気づかない――つまり一種の直観のようなもの。そして連想とか思いつきといったものは元になったものと共通する部分や構造と同時に曖昧な部分や共通ではない部分・構造を含んでいるので、そのために逆に創造的なものが生まれる可能性をももっているのだと私は思っています。また、ときには勘違いで本当にショートしてしまうこともあるかもしれません。でもそんな中からも創造的なものがひょいっと出てくることもあるので短絡を馬鹿にするわけにもいかない。まあ、役に立たないものや失敗の方が多いですけど……。
話がずれてしまったかもしれません。
インディアンサマー・クリスマスなどという戯言をはいたバチがあたったのかもしれません。
>短絡を馬鹿にするわけにもいかない。
そうですね。ひょうたんから駒という言葉もあります。
ケクレがベンゼン環の構造を発見したのは、ウロボロスの夢を見たのがきっかけだったという話もあります。真偽は不明ですが。
ケクレの話ではないですが、子どもの頃読んだ本の中にはこの手の話がたくさんありましたね。土人(今や差別語)に襲われた夢を見てその土人が持っていた槍の先端に穴が開いていたことからミシン針を思い付いたとか……。ニュートンのリンゴもそうですがそれだけ取り出してみれば確かに瓢箪から駒のように思われるかもしれません。しかし偶然発明・発見されたというもの・ことの中にもそれまでのいきさつや経過まできちんと省察してみれば決して偶然などではなくそれなりの必然性と合理性をもっているものがほとんどではないかと、私は思っています。
ケクレにせよニュートンにせよミシン針を発明した人にせよ、それまでに得ていた数多くの経験があった上でさらにさまざまな可能性について考え・想像力をはたらかせていたからこそ偶然目にしたり夢に見たことがきっかけとなって新発見・新発明につながったのでしょう。また、それ以前に打ち捨てられた失敗や仮説もまたその土台になっていたはずです。だいたい夢に見るということからして四六時中そのことばかり考えていたということの証拠です。ところが、そのことばかりに集中しすぎると逆に思考が限定的・近視眼的になってしまってかえって見えるべきものが見えなくなってしまうということも確かであり、ふと気を抜いたときに目にしたものや無意識のうちに見た夢の中で初めて求めていたものが見えたというのもあるのではないでしょうか。一種の飛躍ですね。理詰めだけではこの飛躍は起こらない。そこで直観とかひらめきといった一見非合理的なものが威力を発揮する。しかしものの役に立つような直観をはたらかせるにはそれまでに積み重ねてきた経験の中で得た合理的なものの考え方や論理がやはり欠かせないと私は思います。
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