物自体(3)――『フォイエルバッハ論』から〔弁・抜〕(PC版ページへ)

2006年07月04日06:57  弁証法>抜き書き

 物自体(1)~(4)をまとめて読む。

エンゲルスの『フォイエルバッハ論』から、物自体批判に関する部分を抜萃・引用する。

エンゲルス『フォイエルバッハ論』(松村一人訳/岩波文庫)「二 観念論と唯物論」から

 しかし思考と存在との関係という問題は、なおもう一つの側面をもっている。それは、われわれをとりかこんでいる世界についてのわれわれの思想は、この世界そのものとどんな関係にあるのか、われわれの思考は現実の世界を認識することができるか、われわれはわれわれの表象と概念のうちで現実の世界について正しい映像をつくりだすことができるか、という問題である。この問題は、哲学上の言葉では、思考と存在との同一性の問題とよばれ、哲学者の圧倒的多数によって肯定されている。

たとえばヘーゲルにおいてはその肯定は自明の理である。というのは、ヘーゲルによれば、われわれが現実の世界のうちに認識するものは、この世界の思想的内容にほかならないからである。それは世界を絶対的理念の段階的な実現とするものであってこの絶対的理念は、永遠の昔から、世界から独立して、かつ世界より以前に、どこかに存在していたものである。ところで、思考が、はじめからすでに思考内容であるところの内容を認識しうるということは、わかりきったことである。にもかかわらずヘーゲルは、思考と存在との同一性についてのかれの証明から、さらに進んで次のような結論をひきだしている。すなわち、かれの哲学はかれの思考にとって正しいのであるから、唯一の正しい哲学でもあり、そして思考と存在との同一性は、人類がかれの哲学をすぐに理論から実践に移し、全世界をヘーゲル的諸原則にしたがって改造することによって証明されなければならない、というのである。これは一つの幻想であって、かれはほとんどすべての哲学者と同じく、こうした幻想を抱いているのである。

 しかし、そのほかになお一連の哲学者があって、かれらは世界が認識できるということ、あるいは少くともあますところなく認識できることに、異論をとなえている、このなかにはいるのは、近代ではヒュームとカントであって、この二人は哲学の発展のうえに非常に重大な役割を演じている。このような見解を反駁するための決定的なことは、観念論の立場から可能なかぎりでは、すでにヘーゲルによって語られている(注一)。フォイエルバッハがつけ加えた唯物論的なものは深いというよりもむしろ才気に富んだものである(注二)

このような見解にたいするもっとも有力な反駁は、その他のあらゆる哲学的妄想にたいすると同じく、実践、すなわち実験と産業である。もしわれわれがある自然的現象を自分自身でつくり、それをその諸条件から発生させ、そしてそれをわれわれの目的に役立たせることによって、この現象にかんするわれわれの認識の正しさを証明することができれば、カントの認識できない「物自体」はそれで終りである。動植物体内でつくられる科学的諸物質は、有機化学がつぎつぎとこれらをつくりはじめるまでは、このような「物自体」にとどまっていた。有機化学がそれらをつくりはじめると、この「物自体」は、われわれにたいする物となった。例えば、あかね草の色素アリザニンがそうで、われわれはそれを今ではもう畑のあかね草の根のうちに生じさせないで、コールタールからずっと安くかつ簡単に製造している。

コペルニクスの太陽系は、三〇〇年のあいだ仮説であった。それは九分九厘までたしかであったが、やはり一つの仮説であった。しかしルヴェリェ〔一八一一~一八七七、フランスの天文学者〕がコペルニクスの太陽系によってあたえられたデータから、一つの未知の遊星の存在の必然だけでなく、この遊星が天体のなかで占めなければならない位置をも算出したとき、そしてガレ〔一八一二~一九一〇、ドイツの天文学者、1846年に海王星を発見〕がこの遊星〔海王星〕をじっさいに発見したとき、コペルニクスの太陽系は証明されたのである。にもかかわらずドイツではカントの見解の復活が新カント学派によって企てられ、イギリスではヒュームのそれの復活が不可知論者たちによって企てられているが(イギリスではヒュームの見解が死に絶えたことがない)、それは、とっくに理論的にも実践的にも反駁されているのを考えてみると、科学的には退歩であり、実践的には、唯物論を内々では受け入れて世間のまえでは否定する、はにかみのやり方にすぎない(注三)

(注一)エンゲルスが直接念頭においているのは、ヘーゲルの論理学(とくに『大論理学』)のうちで、「物」(Ding)について述べ、そこでカントの「物自体」をも 批判しているところであろう。カントが物自体の諸性質は認識できず、われわれが物について知覚し認識するものは、たんに主観的な「現象」にすぎないと言うのにたいして、ヘーゲルは例えば次のように言っている。

「物は、他のもののうちにあれこれのことをひきおこし、そしてこの関係のうちで自己を独自の仕方で表出するという性質をもっている。物はこうした性質を、他のものがそうしたことに対応した性状をもっているという条件のもとでのみ示すが、しかし同時にこの性質は第一のものに特有のものであって、その自己同一の基礎である……」(グロックナー編『ヘーゲル全集』第四巻、六〇七~六〇八ページ。鈴木・武市訳『大論理学』中巻、二一九ページ)

ところで、物の諸性質は認識できるかもしれないが、「物自体」は認識できないではないかという不可知論者のもう一つの議論にたいするエンゲルスの答えは、 『空想から科学へ』へのイギリス版序文(岩波文庫版『空想より科学へ』八四-八五ページ)のうちで、エンゲルスによって次のように要約されている。

「しかし次に新カント派の不可知論者がやってきて言う。われわれは物の諸性質を正しく知覚するかもしれないが、しかしわれわれはどんな感覚過程または思考 過程によっても物そのものをとらえることはできない。この『物自体』はわれわれの認識のかなたにある、と。これにたいしてヘーゲルは、とっくの昔にこう答えている。もし諸君がある物のすべての性質を知るならば、諸君はまた物そのものをも知るのである。そうすると残るのは、この物がわれわれの外に存在するという事実だけである。そして諸君の感官が諸君にこの事実を知らせるとき、諸君はこの物の最後の残りものを、すなわちカントの物自体をとらえたのである、と。」

なおひとことつけ加えると、エンゲルスは『フォイエルバッハ論』では、特にヘーゲルのそことさしているのではないから、もっと広くヘーゲルの不可知論批判をも念頭にもっていたとも考えられる。レーニンは『哲学ノート』のなかで(岩波文庫版、第一分冊、一四〇ページ)、エンゲルスがおそらく念頭においたであろうところとして、ヘーゲルの『大論理学』の「概念論」のはじめの「概念一般について」というところにあるカントの認識論の批判(グロックナー版『ヘーゲル全集』第五巻、一四~二八ページ)をあげている。ここでヘーゲルが言っている主なことは、概念を空虚な形式と見ることにたいする批判である。

(注二)カントの認識できない物自体にたいするフォイエルバッハの批判の主なものは、『将来の哲学の根本問題』の第二二章にある(岩波文庫『将来の哲学の根本問題』八四~八五ページ)。そこでフォイエルバッハは次のようにカントを批判している。

 「カントは言う、『われわれが感官の対象を正当にもたんなる現象と見なすとき、われわれはこれによって同時に、次のことを認めるのである。すなわち、これらの現象の根底には物自体が、たとえわれわれがそれをあるがままに知るのでなく、ただその現象を、言いかえれば、われわれの感官がこの知られない或るものによって触発される仕方を知るにすぎないにしても、存在しているということを認めるのである。したがって悟性は、まさにそれが現象を想定することによって、物自体の存在をも認めるのであり、そしてそのかぎりにおいてわれわれは、現象の根底にあるこうした本質の表象は、したがってまたたんなる悟性的本質、たんに許容されるのみでなく、不可避的でもあると言うことができる。』

 したがってカントによれば、感官、経験の対象はたんなる現象にすぎず、真理ではない。それは悟性を満足させない。言いかえれば、それは悟性の本質に一致しない。したがって悟性は、その本質においては、感性によって制限されていないのである。もし制限されていたら、それは感性的事物を現象とは見ず、輝かしい真理と見るであろう。……にもかかわらずカントは、悟性的本質は悟性にとって現実的な対象ではないということである。カントの哲学は主観客観本質現存在思考存在との矛盾である。そこで本質は悟性に、現存在は感官に属するとされる。

 本質をもたない現存在たんなる現象であり――それが感性的事物である――現存在をもたない本質はたんなる思想である――それが悟性的本質、本体である。それは思考されはするが、現存在――少くとも――われわれにとっての現存在――客観性が欠けている。それは物自体、真の物であるが、ただそれはなんら現実的なものでなく、したがってまた悟性にとっての物、言いかえれば、悟性にとって認識され規定されうる物でもない。しかし、真理を現実から、現実を真理から切りはなすとは、なんという矛盾であろう!」

(注三)「はにかみや」の唯物論については、『空想から科学へ』のイギリス版序文(岩波文庫版『空想より科学へ』八二~八二ページ)を参照。

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