コメント一覧

こんばんは。
三浦つとむさんは存じていませんが、シカゴさんや、
あるいは、秀さんもよく引用なさっていましたね。
私も機会があれば読んでみたいと思います。
観念的自己分裂ですかぁ~~~
なかなかドキリとする表現ですね。
ところで、今日トラックバックをお送りしました。
シカゴさんやTAKESANさんに刺激され想像力について考えてみたのです。
いろいろ勉強になります(^.^)
いつもありがとうございます。
では、、、またね!

せとともこ URL
2008年02月21日 21:39  編集

観念的自己分裂
せとさん、こんにちは。

私が三浦つとむの著書に出会ったのは20代半ば、古書店で購入した『日本語はどういう言語か』(季節社)が最初でした。今から三十数年前のことです。子どもの頃からことばの不思議さにずっと心を惹かれていた私はそれまでに言語哲学や詩人の書いた意味論の本などを読んでいたのですが、今一つピンとこないというもどかしさを感じていました。ところが『日本語はどういう言語か』には私がそれまで疑問に思っていたことのほとんどに解答が与えられていました。この本は今では講談社学術文庫↓で手軽に手に入ります。
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1580434
三浦は言語のみならず表現というものを理解するためには認識論が欠かせないとして、この本では客体的表現と主体的表現という観点から表現を分析し始めていますが、観念的自己分裂はこれに直接関わってくる概念です。この本ではクリちゃんのさし絵を利用して観念的自己分裂を分かりやすく説明しています。

観念的自己分裂という概念はマルクスの言う自己の二重化(理論的な二重化)であり、哲学的には理性的な自我(主観・客観)といった術語で説明されるものです。心理学的には対象意識(対象認識)と呼ばれる精神の状態であり、日常では思考・推理・想像・構想・追憶・移行・……等々の名で呼ばれる心の働き全般を表しています。

言語表現の意味を理解するには表現者の立場に立ってその表現過程を観念的に追体験する必要がありますが、この観念的追体験も観念的自己分裂の一つの形態です。

要するに人間が何かを考えているとき、その何かとは脳裏に浮かぶさまざまな心像(イメージ)や概念でありその心像や概念を想い描いている主体が現実の主体とは別に意識の中に存在しています。このような心像や概念は対象認識あるいは客観と呼ばれるものであり、それらを想い描いている主体は認識主体・主観です。デカルトの「(われ)思うゆえに(われ)あり」における「(われ)」はこの認識主体・主観です。ラテン語では「(われ)」は言語化されていません。つまり「思うゆえにあり」で、「思う」の主体は認識主体つまり観念的に二重化した(私)なのです。デカルトは思考しているときの主体「(われ)」の存在は疑うことができないといっているわけです。このように現実の主体から分離して意識の中で認識対象を認識している主体(認識主体)を三浦は「観念的な自己」とよんで現実の主体(認知主体)である「現実の自己」とは明確に区別しています(哲学者たちはこの二つの主体をそれぞれ「理性的な自我(植物的理性)」「感覚的な自我(動物的理性)」などと呼びました)。

このあたりのことは
「二つの主観(1)~(3)」
http://okrchicagob.blog4.fc2.com/?tag=(二つの主観)
や「対象意識(1)~(5)」
http://okrchicagob.blog4.fc2.com/?tag=(対象意識)
をお読みいただけるとうれしいです。

なお「想像力が足りない」などと言われるときの「想像」は自覚的・客観的な観念的自己分裂であり、観念的な自己が自覚的に他者の立場に移行することをいっています。「想像をたくましくする」などというときの「想像」や妄想は主観が十分に客観化されないままに行われる観念的自己分裂でしょう。言語表現において誤解・誤読が生じるのは表現者の立場に立った観念的追体験が不適切・不十分であることが原因です。それゆえ言語表現をするときにはそれを受けとる側に立った表現の仕方を工夫することが表現者の側にも要求されます。つまり表現においてはそれを受けとる側に立った先行的な観念的追体験が表現者にも求められているわけです。せとさんなら、子どもの立場に立った表現というものの重要性は十分お分かりになるのではないでしょうか。分かりやすい表現をするためには表現者には「想像力」という自覚的観念的自己分裂の能力が必要なのですね。

料理をつくるときにはその出来上がったイメージを想い描きながら素材や調味料等を工夫するわけですがこれもまた観念的自己分裂の能力が試される実践です(思考実験もそうですね)。ものづくりに長けた人は例外なくみなこの能力に優れている人だと私は思います。

というわけで、何か創造的な仕事をするときには人間はだれでも観念的自己分裂をしているということですね(自覚的・非自覚的かの差はありますが)。

シカゴ URL
2008年02月22日 10:08  編集




アクセスランキング ブログパーツ