『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ
スターリンの言語学論文を批判した後に、私は自分の言語理論を体系的にまとめる仕事をはじめました。これはいわば時枝さんの研究と私の研究とを合体したものですから、『言語過程説の展開』と題して、はじめの部分を自分でプリントの分冊にして何回か知人に配りましたが、世界のどの言語学者もまだ論じたことのないものだという自信があったので、やはりちゃんとした本で出版したいと思って、一冊分の原稿を書きあげました。しかしスターリン批判のときに代々木から原稿拒否の指令のまわっているような出版社へ持って行くわけにはいきません。すると謄写(とうしゃ)製版の仕事を以前によくもらっていた神田お茶の水のプリント屋の主人が、「御茶の水書房」という学術書の出版社を経営していたので、そこへ持って行きました。謄写製版の仕事では信用があったし、その上五五年に出した『弁証法はどういう科学か』は五六年春のベストセラーになっているので、門前払いにはならないだろうと思ったわけです。すると、原稿の中に時枝さんの批判があったので、それを見た出版社の側で、「こんな原稿が来ているがどうか。」と時枝さんにうかがいを立てました。時枝さんは「出版してあげてください。」と言われたということだが、結局「私のところでは出せない。」という結論になって原稿を返されました。早稲田で書店を経営している知人は、「大学の教科書や参考書で使われるものでないと、一定部数の売れ行きが保証されないから出版は不可能だろう。」と教えてくれた。事実私の『大衆組織の理論』を勁草書房で出すときにも、同じような理由で社内に反対があったと聞いている。私はサークルや青年団など大衆組織に関係して活動していたから、この時は出版社に迷惑をかけずにすむだろうという確信があったけれども、今度の『言語過程説の展開』はスターリン批判で哲学者や言語学者にいろいろ悪評を立てられて悪名が高いだけに、売れ行きのほうは自信がなく、仕方がないから、一般の人びとに興味のない諸学説のこまかい批判などを切りつめてしまって、学術書ではなく『日本語はどういう言語か』という題名の大衆的な本に書きなおし、言語学の基礎理論はその「第一部」におさめて、これを理解してはじめて日本語も理解できるという構成にしました。そして『弁証法はどういう科学か』を出してくれた講談社に、同じくミリオン・ブックスの一冊として出してくれるよう依頼した。
幸いにOKが得られたので、当時朝日新聞が連載していたサイレント漫画『クリちゃん』は、認識構造を画面にどう示すかという点から見ても非常に面白かったから、この漫画の筆者根本進氏にお願いしてその登場人物を使って言語の認識構造のさし絵を描いていただくことにしました。
出版社の担当者が時枝さんに推薦のことばを書いていただこうというので、ゲラ刷(ずり)を持っていっしょに時枝さんをお訪ねしました。そうしたら、つぎのようなことばを書いてくださったので、カバーの折返しに印刷しました。
「三浦さんは私の文法理論のよき理解者であると同時に、厳正な批判者でもあり、助言者でもある。文法学は文法体系のつじつまを合わせることだけでできるものではなく、もっと根本的なものの見方、考え方すなわち科学する態度から出発しなければならないことを、三浦さんは繰返し説いている。そのむずかしい哲学を、三歳の児童でも分りそうな図解でもって、懇切に興味深く説明する。私もさらに熟読して多くの収穫を得たいと思っている。」
プリントで出した『言語過程説の展開』を見ておられるので、「批判者」「助言者」などと言われたのであろうが、時枝さんの学者としての人格のよく出ている文章です。
五六年九月に発行されたこの本の表紙には、日本の春の野山を描いた加山又造氏の美しい絵が使われていて、私にも満足でした。この種の本には、カバーの裏に担当者の書いた筆者紹介文が印刷されているのが常である。いわく、
「子どものときには名探偵を志し、のちに、学問の分野で未解決の問題を解決したいとのぞんで、その武器として哲学を勉強したという。戦後、哲学の本を書いたので哲学者として知られているがあれは副産物だと、哲学者あつかいされるのをいやがっている。言語理論はその業績の一つ。スターリンの言語学論文を革新的な人たちがこぞって礼讃したのに、あんなものは言語学としても低いし、マルクス主義としてもまちがいだと公言して、以来村八分状態におかれた経歴の持ち主である。」
のちに講談社でミリオン・ブックスの刊行が廃止されるのといっしょにこの本も絶版になったが、七一年三月に季節社の中原氏が写真版で複製再刊して下さった。七八年六月には講談社学術文庫で改定新版が出た。はじめは旧版のまま入れたいという申出だったが、書き直したものを入れて欲しいと私から要求して約三カ月かけて書き直した。
『日本語はどういう言語か』が、実は学術書のかたちを変えたものであることを、吉本隆明氏は看破しました。氏は改定新版の解説を書いて下さいましたが、その中に昔読んだときの感想をつぎのように記してあります。
「この著書は、啓蒙的なスタイルをとった小冊子だったが、内容はきわめて高度で、画期的なものであった。その上、文学作品を解剖するのに、これほど優れた武器を提供してくれる著書は、眼に触れるかぎり、内外の言語学者の著書のうちに、なかったのである。……この著書を、うまく、文学の理論につかえるのは、たぶん、わたしだけだろうということも、すぐに直観された。」
学問の仕事をするものにとってもっとも嬉しいことは、「何とか賞」や「何とか章」をもらうことではなくて、自分の理論を正しく理解して役立ててくれる者が出てくることです。吉本氏が私の本を『言語にとって美とはなにか』に役立ててくださったことは、其の意味でたいへんうれしかった。さらに、外国語の研究に役立ててくれる方々も出現して、宮下信二氏(英語学)や鈴木寛氏(フランス語学)の研究発表も読ませていただきました。
時枝さんは『日本文法口語篇』(一九五〇年)の「はしがき」で次のように述べておられる。
「最初(学者たち――引用者)は、ヨーロッパ文法の理論に忠実に従ふことによつて、日本文法を完全に記述することが出来ると予想したのであるが、やがてそれが不可能であることが分つて見ると、原理は結局日本語そのものの中に求めなければならないこととなつたのである。これは誰にも頼ることの出来ない、また既成の学説や理論にすがることの出来ない、日本の学徒が、日本語と真正面から取組んで始めて出来ることなのである。しかし、ここで日本文法学が始めて正しい意味の科学として出発することになつたと云ふことが出来るのである。」
「今日の日本文法学は、その組織の末節にある異同を改めたり、言語学の最高水準に照して理論をより確実にしたりすることによつては、もはやどうにもならない、もつと基本的な問題にぶつかつてゐるのである。それは、言語そのものをどのように考へるかの問題である。」
私もこの意見にまったく賛成で、時枝さんの言語過程説も私なりにさらに発展させて、日本文法学の確立に役立たせようと努力して来たわけです。しかし考えて見ると言語の過程的構造の中心をなすところの人間の認識についての正しい理論は、言語学者も国語学者も持ち合せていないのです。哲学者の書いた「認識論」と名のる本もあるけれども、これは科学とは言えないもので使いものになりません。東大のお弟子さんの話では、時枝さんすら問題にぶつかると現象学の本をひっくりかえしてヒントをさがすということでした。
『日本語はどういう言語か』が相当の部数売れたので、これなら学術書を出しても何とかなるだろうと、『言語過程説の展開』の原稿を火葬にしてしまったのが惜しくなったが、もう一度今度は詳しい認識論のついたものを書こうと、『認識と言語の理論』の執筆にとりかかりました。六七年七月に第一部、八月に第二部が勁草から出版されました。さっそく時枝さんのところへお届けしましたが、この頃はガンの再発で弱っておられたということで、生前に目を通していただけたかどうか判りません。十月に逝去された後『国語研究室』(東大国語研究室刊)『国語学』は追悼号を出しました。私は岩波の『文学』(これは時枝さんが言語過程説の論文を最初に発表された雑誌です)の編集者から依頼されて、六八年二月号に『時枝誠記の言語過程説』を書きました。いわば私の弔辞です。研究論文のほうは吉本氏の『試行』に出していただいて、七二年一月に『認識と言語の理論』第三部にまとめました。
私が昔予想したように、言語過程説を継承し発展させる学者は私以外に出現しませんでした。これは言語の持つ矛盾を分析できないためだと思います。
絵画でも映画でもあるいは言語でも、その表現の場合に、そしてまたそれらを鑑賞や理解するという追体験の場合に、現実の自分から「もう一人の自分」が分裂するという観念的な自己分裂が行なわれることは、少年のときに経験的にわかっていたけれども、言語学や芸術学の本をいくら見ても、ソ連でミーチンたちがつくった哲学の教科書を見ても、このことについてはどこにも一言も述べてありませんでした。ところがただ一つ、ポオの『モルグ街の殺人事件』の中に、C. August Dupin が散歩中に不思議な分析的才能を発揮した事実を記したあとに、こう書いてある。I often dwalt meditatively upon the old philosophy of the Bi-Part Soul, and amused with the fancy of a Double Dupin――the creative and the resolvent. 分析活動を行ってその結果を脳中に描くということになると、これは観念的な自己分裂を行っての活動だから、Double Dupin と呼ばれるのも当然であろう。そこで私は、ポオが古代哲学とよんでいるものを自己分裂の理論だろうと予想して、さがしはじめました。恐らくアリストテレスだろうと見当をつけて、シュベグラーの『西洋哲学史』を見たら、思った通りでした。しかしこれでは、観念論的な解釈でもあるし、このままでは使いものになりません。それで私は自分自身で「人間の自己分裂」の理論をこしらえて、『日本語はどういう言語か』で、過去の回想や未来の予想など時の表現における主体の移行をこれで説明しました。『モルグ街』を読んだ者は世界に数多いだろうが、私のような理論作業へ進んだ者は居なかったのであろう。
『認識と言語の理論』は、「第一部」「第二部」が別冊で出版されましたが、合本で出てもいいように、索引も共通のものにしました。のちになってから、小部数でもよいから、合本して布装にしたものをこしらえてもらえないかと希望したこともありましたが、この希望は実現しませんでした。今度の選集版でようやく実現したわけで喜んでおります。