『日本語はどういう言語か』や『認識と言語の理論』などの主要著書ではもちろん三浦は時枝の言語過程説を多くの箇所で取り上げそれらを評価し批判している。それらは簡単に目にすることができるが雑誌等に掲載された小論などで時枝に言及しているものは比較的目につきにくいと思われる。したがって、そういった部分を取り上げて示すことは三浦の時枝に対する評価や思いを知るのに役立つであろう。以下にいくつかを引用する。
以下二つは「三浦つとむ選集1 スターリン批判の時代」(勁草書房)第一部「私の独学について」からの抜き書き。
「民科の異端分子となる」 p.11~12
芸術理論では、社会主義リアリズム論が君臨していたが、私は抽象美術にもそれなりの合理性を認めるべきだと思っていた。哲学では、スターリンの弁証法的唯物論と史的唯物論の解説が、マルクス主義の最高の段階として拝跪(はいき)されていたが、私は戦前のミーチンのそれにくらべても退歩でしかないと思っていた。言語学では、タカクラ・テルの『ニッポン語』がもてはやされていたが、私はたまたま手に入った時枝誠記の『国語学原論』を読んで、日本の言語学もここまで進んでいたのかと感心して、それを評価する短文を公けにしていた。どこから見ても民科(民主主義科学者協会――引用者)では異端分子だったわけである。
五〇年にスターリンの言語論が出ると、『中央公論』はそれに対する時枝氏の批判的な論文を掲載した。批判は不十分ではあったが、言語学的な弱点をついていた。民科の学者たちはスターリンの言語論を信仰的に礼讃したが、時枝氏の仕事を公けに評価していた私には自分の意見を出す義務があった。口をつぐんでいれば意見を出す能力がないと見られ、事実上スターリンの見解を是認することになって、学者としては自殺行為である。スターリンを批判すれば、異端邪説として組織的に抑圧され袋だたきになるだろうが、自殺行為はまっぴらである。そこで覚悟をきめてスターリンの言語論と一緒に党史の方の理論的な誤りをも批判した。その結果、つぎの年の春になると、スターリンが誤っているなどというのはアメリカ帝国主義の手先でスパイであることを証明するものだという、代々木からの除名通知書がやって来た。あんまり馬鹿らしいので、記念のために大切に保存してある。
「独学者にありがたい『試行』の存在」 p.13~14
他人の学説を批判したために、陰謀と疑われたり、報復を受けたりする例は少なくない。国語学には明治以後も独学の伝統が生きていた。師の説の誤りを正すのは弟子の義務だと自分に対する批判を歓迎したり、自分の説を批判した労作を世に出すために骨を折ったりする学者がいた。山田孝雄(よしお)、橋本進吉、時枝誠記などはそういう学者であった。中でも時枝は、批判したのが私だっただけに、これが本当の学者なのだなと感動した。学者も人間だから、無謬ということはあり得ない。正しい批判は学問の仕事に対する協力である。けれども創造的な仕事をする中で足を踏みはずしたのと、怠け者で学者にあるまじきごく幼稚な誤りをしたのとは同じには扱えない。マルクス主義者と名のりながら、誤った教科書を口まねして学者づらをしている人間は、嘲笑されても怒る資格なんかないのである。
同じく「三浦つとむ選集1」第一部「時枝理論との出会い」全文。
p.24~25
四八年のことだと思う。教育界が新教育の問題で大きくゆれているので、私の仕事さきの金森というおやじさんが、小学校の教員を集めて「新教育研究会」というのを組織しました。私も『ものの見かた』というプリントの小冊子をつくって会員に読んでもらいました。その家の二階の押し入れには、当時なかなか手に入らなかった岩波の各種の出版物が山のように積んであったが、研究会の会員に頒(わ)けるために特別に手に入れたのだという。ある日、出来上がった仕事を持って金森氏のところへ行くと、留守だというので帰って来たら工賃をもらおうと二階で待っていましたが、押し入れの本の中に時枝誠記著『国語学原論』というのを見つけて、「言語過程説の成立とその展開』というサブタイトルに魅せられて読みはじめた。そこへおやじさんが帰って来て工賃の計算になったが、「その本欲しいなら持って行ってもいいよ」と言って本代を取らずに『原論』を私にくれました。ところが本の序文の終りには「先に刊行した国語学史は、本書の根拠ともなり、基礎ともなるものであって」と記してあるので、東大正門前の古本屋でその国語学史を買って二冊をかかえて帰りました。
私は『文学』を読まず、そこにのっていた時枝さんの論文を目にしたことがなかったので、これら二冊の本ではじめて時枝という名を知ったわけです。次の日時枝さんの理論を検討して、日本にこんな言語理論が出来ていたかとびっくり、これではこの先生のお弟子(もちろん出版物を通しての)になって、自分の研究も言語過程説で体系化しなければなるまいと決心した。数日後金森さんが「あの本おもしろかったか。」と訊いたので「とてもよい本で勉強になりました。」と答えると彼は「時枝先生とは時々いっしょに飲むけれども強くて私なんかかなわない。」といいました。「朝鮮の京城に長い間居られたので強くなったのでしょう。」と私。すると金森氏は、「橋本進吉さんが京城から時枝さんを呼びよせて自分の後任にしたとき、さすがに橋本さんだと評判になったものだ。」と教えてくれました。しかしながら、時枝理論にはまだいくつかの原理的な弱点がある。言うならばこれらの補足是正は、お弟子さんに与えられた宿題である。しかし東大のお弟子さんにそれをやってのける腕があるかどうかは疑問である。私にはやってのける自信がありすでに言語の矛盾を研究して成果をあげている。
自分は大学どころか中学も出ていないので、言語学者として就職することは不可能だが、研究を発表すれば理解する者も出てくるでしょう。それでけっこうだと思いました。
1948年(昭和23年)というのは私の生まれた年である。この年に三浦は時枝の本にはじめて出会っている。つまり1911年生まれの三浦は 37歳にして自らの言語学上の師を得たわけである。
上の「民科の異端分子となる」で三浦が触れているようにスターリンの言語論についての批判を時枝は発表している。これは「進歩的」言語学者たちからなされた攻撃に対する反論でもあったが、このとき三浦は時枝の言語過程説の側に立つことをはっきりと表明したために日本共産党から除名処分を受けた。このことも上の「民科の異端分子となる」に書かれている。以下はそれらの攻撃に対する三浦からの反批判と上記の三浦の学的立場を表明した論文である。「三浦つとむ選集1」第二部「時枝理論への民科の言語学者の攻撃」から(三枝博音「スターリン言語観の日本における一解釈」からの引用は割愛)。
p.29~36
時枝さんは、言語における「主体的立場」と「観察的立場」とを正しく区別すべしと強調された。ところがこの「主体的」ということばが、戦後問題になった「主体性論」にこじつけられ、民科の言語部会(私はほとんど出席しませんでした。)の人たちによって、観念論的な言語論だと攻撃された。時枝さんのスターリン批判はこの攻撃に拍車をかけることになった。
いわゆる「進歩的」言語学者の、時枝さんや私に対する「批判の一例」をあげておく。
「マルクス主義の言語学が、まだまるきりうち立てられていないてん、そのための努力さえ、ほとんどなされていないてんで、スターリン首相の批判わ、ソビエトの言語学界にたいしてよりわ、もっと鋭く、ニッポンの言語学界にあたる。だからこそ、トキエダ・モトキくんやミウラ・ツトムくんのように、はっきりスターリン首相に反対の立場お取る学者も現れている。……いま、ニッポンの言語学界にのさばっている、トキエダその他の反動言語学……。」(『季刊理論』にのった「言語問題の本質」と題するタカクラ・テルくんのいいぐさから。)
私に言わせればスターリンの言語論よりも時枝さんの言語過程説のほうが進歩的で、タカクラくんもふくめてこれを攻撃する人たちが反動的言語学者でした。
哲学者三枝博音氏も民科研ニュース第四号で時枝さんのスターリン批判を取上げ、言語道具説の立場からそこに示された言語観に反対した。
(この部分に三枝博音「スターリン言語観の日本における一解釈」の引用――上述の通り省略)
時枝さんの著書『国語学への道』の中の「批評の精神」という章に、こうした不当な攻撃への怒りが反映している。私は考えた。空想を描いた絵画でもあるいは写生でも、描き手がどういう立場に立っていたかを考えて、同じ立場に立つように努力しなければ、理解することも鑑賞することも出来ないわけである。描き手つまり表現主体の立場を無視した勝手な解釈は許されない。映画で言うならば、トラック・アップでもパンでも、キャメラが動くということは表現の主体が移動することであって、「主体性論」にこじつけることが不当であるばかりでなく、「主体的立場」を無視したのでは表現の理論は成立しないのである。
p.36~40
時枝理論への支持を私がはじめて公言したのは四九年十二月の真善美社の雑誌『綜合文化』の「時評」のページでした。以下その全文をかかげる。
時枝言語学の功績
理論は現実からとりだされるもので、理論を現実に押しつけてはならない。エンゲルスもいうように、これが「物ごとの唯一の唯物論的な見かた」なのである。方法論もやはり同様であって、その正否は現実ととっくんだ研究の結果によって証明されるものである。しかし、このことが唯物論者をもって自認する人たちに案外わかっていないようである。
日本の言語学はヨーロッパのそれにくらべてきわめて低い水準にあったので、言語学の輸入にあたってこれが国語学の指導原理としてあま下ったかたちとなった。現実の国語を研究してそこから日本語の理論をつくりあげていくのではなく、輸入された指導原理を国語に適用し国語を解釈していくことに国語学の役目があるかのように考えられてきた。この傾向に根本的な反省を加え、国語学の研究態度を問題にし、ヨーロッパ言語学の方法論を批判しつつ自己の方法論を提出し、積極的な国語学の建設を試みたことは、時枝誠記氏の画期的な功績である。時枝氏は『国語学原論』の冒頭で「言語研究の態度」を論ずる。
「言語学と国語学とのこの様な特殊な関係は、一方から見れば我が国語学界の水準を高める為には、喜ぶべきことであつたには違いないが、又同時に、言語学が過去に於て経て来た処(ところ)の真の自律的展開、換言すれば、対象を直観してこれと取組み、一切の理論と方法と問題とを対象に対する省察から生み出そうとする『学問する』態度を失はしめたことも否定できないことである。」
「明治以後の国語学者は、外部より与へられた理論と方法とを絶対的なもの、普遍妥当的なものと考え、自らの力によつて対象と取組む勇気を次第に失つてしまつた。外来の規範に対する余りに謙虚な態度によつて、却(かえ)つて国語の現実を直視し、これに忠実であることを忘れてしまつたのである。」
「言語学と国語学との関係は、前者が後者の拠(よ)つて立つべき指導原理ではなくして、特殊言語の研究の一結論として、国語学の細心な批評的対象ともなり、又他山の石ともなるのである。若(も)し此の様な心構へなくして、只(ただ)徒(いたずら)にこれに追随するならば、国語学は永久に高次的理論の確立えの希望を放棄しなければならない。この様に考えることは、徒に唯我独尊にして、他を排する底の偏狭な態度を執ることを意味することではなくして、真に国語学の行くべき道を考えることであり、同時に泰西(たいせい)言語学の立脚地である科学的精神を生かそうとするが為である。」
冷静な読者は、この短い言葉のうちに、学者としての正しい研究態度をよみとられたであろう。この筆者がいま言語学界に君臨しているソシュール学説を批判し、ソシュール学者小林英夫氏と論争をつづけているときいても、その論争が言語学の根本問題につながっていること、時枝氏の理論を排外的反動学説として簡単に一蹴してしまうやりかたの軽率なことを理解しうるであろう。
私のソシュール言語学分析はもう十年以上も前のことで、当時は時枝理論について全く知らなかった。昨年はじめて時枝理論を読んだが、そのソシュール=小林批判は基本的にまったく正しく、高度の認識論が欠けているためにその批判乃至(ないし)方法論がまだ徹底していないというのが私の感想であった。これについては雑誌『思想の科学』一九四八年五号の論文でふれておいたが、時枝氏がソシュールその他の観念論や形而上学に迷わされることなく日本語と取組んで、その弁証法的な性格を正しく体系立てた功績を私は高く買いたいと思う。
最近民主主義科学者協会編集の一九四八年版『科学年鑑』が出た。大変意義のある仕事であるし出来ばえも美事であるが、言語学のくだりを読んであいた口がふさがらなかった。唯物論言語学者と称する人によって、時枝理論とソシュール理論とがまったく反対の評価を与えられているのである。時枝氏の『国語学原論』が、戦時中推薦になったという理由で保守反動のレッテルをはられているとは以前からきいているが、自ら進歩的言語学者を以て任ずる人たちはこれを強く排斥してソシュール理論を支持しているらしい。小林英夫氏は反時枝派として買われ、『言語学通論』は批判もされていない。この書物たるや読んでビックリ、「造物主の神わざ」が出てきたり、「そもそも具体とわ、……われわれが意識するもの」であって子供は国語意識をもちたくともその力がないからその言語は国語ではないという、手ばなしの観念論がのべられたりしていて、田辺元や西田幾多郎が援用されるのもなるほど理由のないことではないワイと嘆息がでる、たいへんな本なのである。小林英夫氏は「わたしは、原理的にはずいぶんラディカルな男です」といい、封建思想や旧かなずかいを排撃しているに反して、時枝氏は新かなずかいに批判的態度をとっているが、言語政策上の意見と基本的な学説とは一応別個であるから、理論を慎重に検討・分析して正しい判断を下すのが学者としての責任ある態度ではないか。津田左右吉氏が現在の天皇制に対してまちがった見解をとっていても、それは津田氏の神代史研究の業績を抹殺すべしという主張を正当づけるものではない。進歩的言語学者諸君は、時枝・小林論争に対して「自らの力によって対象と取組む勇気」を出そうとしないのか、検討・分析の能力に欠けているのか、それとも両方なのか、それはわたしも知らないが、軽率な理論の排撃は百害あって一利なしである。
時枝氏が言語を「主体的な表現過程の一の形式」であるといい、その理論を「主体を離れた客体的存在とする言語実体観に対立」するものと規定したのに対して、これは観念論だ! とさわぐのは、これが客観主義の批判であることに気がつかず自分の客観主義を忘れて「主体」と「主観」をゴッチャにしているのである。こういう人間は「国家社会主義労働党(ナチ)という名まえに釣られて、その行動を自分で検討しようともせず歓迎するだろう。
ソシュール批判は、単に「社会学」的な面だけで行なわれてはならぬ。唯物論者と称しながら理論と深く取組もうとせず、文章の上に社会とか階級とかいう言葉があるかないかだけをさがしまわり、この「欠如」を指摘して事おわれりとするようでは、何等正しい批判ではなく、ブルジョア科学に真理の粒を発見し救い出して唯物論の宝庫におさめる仕事などできっこない。現在は、観念的唯物論者が無責任な論文を書きとばして唯物論の信用をおとす仕事をあちらでもこちらでもやっている。一見進歩的と見える観念論にひっかかって正しい反対論を排斥し、学問の進歩をひきもどす役割をもつとめている。武谷山田の論争にしても、時枝小林の論争にしても、いわゆる「進歩的」陣営の人々があやまった理論の支持者となり、あるいはこれからの問題と取組むことを怠けていて、科学者のあいだの民主民族戦線の結成を妨害し保守反動勢力のお手伝いをしている事実はなげかわしい。
奇妙な忠告
ところがある知人は私に忠告して、「時枝の理論が正しいかどうかは、彼が学園の民主化にどれだけ努力しているかを調べないとハッキリしないと思います。」と。党員らしいいいぐさです。そして中井正一を読めと言う。しかし、私としては時枝が正しいか否かは『原論』を読むだけで充分だったので、この忠告も腹の中でせせら笑っていました。
割愛した三枝博音の「スターリン言語観の日本における一解釈」における対時枝批判の一つは時枝の
言語が社会成員の個々を離れて、社会の共通用具として存在することは、極めて比喩的に、あるいは特別の条件を附して承認できることであつて、実際は、言語は社会成員の個々の主体的活動としてのみ成立することが出来るものである。
従つて、共通の物の考え方、風習を持つものの間にだけ同一の表現活動としての言語が成立する。同一社会内に異なつた物の考え方をし、風習を持つ階級が対立すれば、当然言語も対立せざるを得なくなるのである。言語はこのように社会成員の主体的活動の一に属するものであるから、当然その民族の文化と別のものではない。
という主張に向けられている。一つ目の段落で時枝が言っている「言語」は現実に個人によって表現された話し言葉あるいは書き言葉を指している。二つ目の段落では時枝は言語規範と表現された言語とを区別せずに表現活動全体を「言語」と呼んでおりそこには混乱が見られる。これは言語規範の存在を概念的に把握できなかった時枝の限界を示すものだが、個々の人間による言語表現活動の性格の分析としては正しい。ただし、時枝が批判の対象としたスターリンの言語論における言語とはソシュール派の「言語」つまり “langue”(言語規範および内言)であるから一つ目の段落の内容は表現された言語の性格を規定しているという意味では正しいがスターリンの「言語」を批判するという意味では多少のピント外れがあることも否めない。しかし二つ目の段落の「言語」は言語規範および内言そして表現された言語をすべて含むものであり、その対象として「言語」を含んでおり「言語」の社会性の性格は時枝が分析・指摘している通りのものである。スターリンは「言語」は道具でありあらゆる階級に平等に仕えるものだから下部構造だと言っているがこれは誤りである。マルクスの規定に従うなら言語規範は明らかに上部構造でありイデオロギーである。イデオロギーはたしかに社会的な性格をもった認識であるがそれは個々の人間の認識として存在し個々の人間の現実的実践・理論的実践を制約し規制するものとして働く。しかし現実の話し言葉・書き言葉すなわち言語は認識ではなくて言語規範に媒介された表現である。言語規範と言語とは厳に区別して扱う必要がある。
三枝は上の時枝の論に対して「主体的活動」を「主観」と曲解した上で言語(シュプラッヘ=話しことば)は労働と同じように共同性を帯びたものであり主観だけで規定できるものではないと時枝を批判している。そしてシュプラッヘを抽象化して考えることは危険であり、個々の人間がもとであるとか、”共通的なものの考え方”とか論じても言語のことは分からないと自信なさげに語っている。
結局、三枝は時枝の論じている内容を少しも理解できていない。社会の中で生きている個人の主体性はたとえ個人的な営為ではあっても社会性を帯びるのだというマルクスの指摘さえ知らないのだろう。
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