一
いま多くの人々は、これまで自分が持っていた自然観ないし社会観について、根本的に考えなおすことをせまられている。現実がそうさせたのである。多種多様の公害が自分にもふりかかっていることを意識するにおよんで、人びとは、生物とその環境とのバランスが農業その他によって破壊されていることや、人間と自然との調和を無視した科学の応用や技術の発展が人間自身を破滅にみちびいていることを、問題にしないわけにはいかなくなった。これらを検討し是正する道を発見するのも、これまた科学の任務なのであって、これまで科学的な世界観や社会観を説いて来たマルクス主義者も、それらの問題に対して理論的に答える義務があることもちろんである。しかしながら、問題の核心はほかならぬ調和の維持という点にあるのだから、これらの問題はマルクス主義者に対して、おまえは調和ということを論理的にどう考えているか、世界観や社会観にどう位置づけているかと問いかけていることにもなる。
自然観ないし社会観を提供することは、古くから哲学者の仕事になっていた。それゆえ哲学者たちが調和ということをどうとりあげていたか、まずそれから考えてみよう。古代ギリシアの哲学者たちは、自然を説明する原理を発見しようと努力していたが、すでにこの中で調和が論じられている。よく知られているように、ピュタゴラスは宇宙の本質を〈数〉だと考え、そこに調和の存在を論じた。ヘーゲルは『哲学史』の講義の中で、アリストテレスのことばを引用しながらピュタゴラスを語り、彼が「宇宙の組織はその諸規定において、数とその比例に関する一つの調和的な体系(ein harmonische System)である。」ととらえていたことを、宇宙が合理性であることの明言だと評価している。そしてピュタゴラス学派のフィロラオスは、「存在するものは、争うもの、対立するものから成り、したがってそれは当然そのうちに調和をもっている。調和とは混合しているものの統一であり、相争うものの関連だからである。」と述べたと伝えられている。このことばはきわめて素朴ではあるが、闘争と調和とを対立物でありながら結びついているものとしてとりあげ、しかも宇宙の合法則性であることを説いている点で、見のがしてはならないと思う。さらにヘラクレイトスは、存在するものの本質を絶えることのない流転だととらえて、「すべては流れる」と主張したことで有名である。彼が、「戦いは万物の父である。」という、闘争についての命題を説いたこともよく知られていて、わが国でも木下半治が戦時中に陸軍省戦争経済研究班から依頼された論文でこの命題を引用し、戦争を合理化した。けれどもヘラクレイトスは戦争だけをさしたのではなく、階級闘争その他をもふくんだ闘争一般をとりあげているのであり、また「一つのものは、弓やリラの調和のように、自分自身と分裂しながら自分と一致する。」という、調和についての命題と両立させて説いているのである。そこから、「調和するものと調和せぬものとを結合せよ。」という、両者を統一した主張も見られるのである。
ここで例にあげられた弓とリラ(楽器)は全体として統一された一つの道具であるが、その構造は弾力的な部分と弾力のない部分という対立した性質の部分に分裂している点で共通している。つまり対立物の統一という一つの現実的な矛盾である。そして弓にあっては弦が弾力のない部分で矢に弾力的な部分から力を伝える受動的な役割を受けもっているのに対し、リラにあっては弦が弾力的な部分で振動によって音を発する能動的な役割を受けもっていて、弾力のない部分はこの弦をささえているにすぎない。もし弦が長すぎるなら、弓は飛ばず音は出ず、弦が弱いなら切れてしまって使えなくなるから、それらの機能に応じて弾力的な部分と弾力のない部分とは長さや強さなどが調和していなければならない、といえる。これは調和する矛盾なのである。
キリスト教哲学がスコラ哲学として栄えた中世にあっては、神を最高の存在としてそこから自然および人間をみちびき出すという世界観にもとづき、すべての知識が信仰と一致することを哲学の根本前提としていた。ここでは、もはや闘争は宇宙の根本原理ではありえない。ドイツ啓蒙哲学の祖となった、ライプニッツのモナド論にしても、低級なモナドの結合した無機世界から高級なモナドの結合した人間にいたるまで、自然の基礎をなすものは精神的実体であるモナド(単子)であって、これは最高のモナドである神によって創造・消滅させられるものであり、それぞれのモナドは相互に対応しているが、このモナド論にしても現実の合法則性としてさまざまな調和が存在する事実をふまえて出されたのであって、純粋のナンセンスでないことももちろんである。
それではマルクス主義はどうであろうか。エンゲルスを持ちだすと、彼は晩年修正主義になってマルクスの理論を偽造歪曲したという人びとが納得しないであろうから、『資本論』を見ることにしよう。ここでは生産物が交換を通じて他の人間によって役立てられることから、「一つの使用価値あるいは財貨が一の価値を持つ」こと、「商品の交換関係あるいは交換価値において表示される共通者は商品の価値である」こと、を論じている。この商品における使用価値と価値との対立物の統一は、一つの矛盾であるが、それは商品交換の必要によって対象化された労働が二重の性格を持つことになったので、何も両者が闘争しているわけではない。「すべての商品は、その所有者にとっては非使用価値であり、その非所有者にとっては使用価値である。だから、それらは、全面的に持ち手を変更しなければならない。」(第三章第二節)この、ある商品が使用価値であると同時に非使用価値でもあるということは、これまた一つの矛盾であって、この矛盾が持ち手の変更という運動をもたらすわけである。ここでは、商品交換が双方ともに非使用価値を手ばなして使用価値を手に入れるという点で、どちらにとっても利益なのであり、利害の衝突は存在しないことを確認しておく必要があろう。この商品の持ち手を変更するに際しては、それらを諸価値として相互に関係させなければならないが、これは一般的な等価としての何らかの他の商品(貨幣)に対立させられることによって、価格として観念的に現象し、W―G―W の姿態変換が行われていく。つまり商品の諸矛盾は、いわゆる敵対的な矛盾のように止揚によって解決されるのではない。それらの諸価格において、それら自身の貨幣姿態としての金に自己を関係させるという運動形態をつくり出すのである。このような、運動形態をつくり出すというありかたこそ、概して「現実的な諸矛盾」(wirkliche Widersprüche)がもって自己を解決する方法である。
ところが、労働力商品はどうか? ここでも、労働者は自分の所有していない生活資料である諸商品を使用価値として求めるからこそ、自分にとって非使用価値であるところの労働力を商品として売りに出すのである。しかしながら、労働力を生産のために消費するとき、労働力の価値ないしそれと交換された価値以上の価値が生み出されるところに、労働力商品の特殊性が存在する。したがって、商品交換の法則に従って、価値どおりに行われる労働力商品の売買の結果は、他の商品交換のそれとは異なっている。「取得の法則ないし私有財産の法則は、それ独自の・内的な・不可避的な・弁証法(seine eigne, innere, unvermeideliche Dialektik)によって、その正反対物に転変する。」「所有はいまや、資本家の側では他人の不払労働またはその生産物を取得する権利として、労働者の側では彼自身の生産物を取得することの不可能性としてあらわれる。……資本制的取得様式は商品生産の本源的法則をひどく傷つけるように見えるとはいえ、それは決してこの法則の侵害から生ずるのではなくて、むしろ反対にこの法則の適用から生じるのである。」(第二二章第一節)こうして、非敵対的な商品交換の矛盾から、その正反対物である敵対的な闘争する矛盾がつくり出されるのであって、労働者階級の資本家階級への隷属と闘争は、自分の労働力の販売者である自由労働者の出現という事実から、純経済的に説明することができる。
もし労働力商品の特殊性をとらえることができないで、単純流通あるいは商品生産の本源的法則のありかたに目を奪われるなら、マルクスのここで指摘した独自の弁証法をとらえることができずに、商品交換はその当事者のどちらにも利益であるという把握を資本制社会に不当に拡大することになる。「すべての人間が事物の予定調和(einer prästabilierten Harmonie der Dinge)の結果として、あるいは全能な摂理のおかげによって、彼らの相互の便益となり・共同の利益となり・全体の利益となることのみを行う」(第四章第三節)かのような、錯覚におちいることになる。俗流自由貿易論者や俗流経済学者は、資本制社会全体をこのような調和のありかたとして論じることとなった。『資本論』の論理について語るマルクス主義者はすくなくないが、彼らはレーニンの表現を借りれば「猫が熱い粥のまわりをぐるぐるまわるように」そのまわりをぐるぐるまわっていて、マルクスのここで指摘している独自な弁証法の展開を、正当に受けとめた者がいるかどうかは疑わしい。「調和するものと調和せぬものとを結合せよ」というヘラクレイトスの主張が、個別科学である経済学においてこのようなかたちで実現していることを、理解したかどうか疑わしい。矛盾が対立した性格のものに転変することを無視して、資本制生産が敵対的な矛盾の上に成立していることのみをとりあげるならば、一見したところ革命的でありマルクスに忠実であるかのように思われても、それは俗流経済学のいわば裏がえしであって、相互に利益な取得の法則が他人の不払労働を獲得する敵対的な性格のものに変化する事実を、論理的にたぐった説明ではない。
エンゲルスは『反デューリング論』の総論において、ヘラクレイトスをとりあげ、「素朴だが実質的に正しい世界観」であると評価した。そこでは、すべてが運動し、変化し、生成し、消滅するという、世界全体のありかたをとりあげているにすぎないけれども、ヘラクレイトスの復権は客観的に見て大きな意義をもっていた。神学的なあるいは俗流経済学的な、度はずれな調和論がひろく行われている現状において、「たたかいは万物の父である。」というよく知られている闘争についての命題を反省させ、闘争する矛盾の果している役割を世界観的な規模で考える契機ともなるからである。さらに具体的にいうならば、ヘラクレイトスの闘争についての命題は、「これまでの一切の歴史は原始状態を除いて階級闘争の歴史であった。」という唯物史観の主張と無関係ではなく、歴史を「無意味な暴力行為(sinnloser Gewalttätigkeiten)のむちゃくちゃな混乱」だと見る観念論的な歴史観に対して、闘争の合法則性を主張することにもなるのである。エンゲルスのヘラクレイトスの評価は、当然にその闘争と調和との統一についての主張の承認を意味しているし、デューリングの哲学を批判する場合にもさまざまな調和する矛盾をとりあげて、それらを正しく矛盾として論じている。
それではレーニンはどうであったかといえば、彼の革命家としての長所がここでは短所となってあらわれたようである。積極的に闘争の問題ととりくんで来たことが、調和の問題を正しく扱うことを疎外したようである。レーニンももちろん『資本論』を読み『反デューリング論』を読んだ。しかも一九一五年の哲学ノートには、「調和するものと調和せぬものとの結合」というヘラクレイトスのことばが、ヘーゲルの『哲学史』から抜き書きされている。だがそれにもかかわらず、その後に記された『弁証法の問題によせて』を見ると、「対立物の闘争は、発展、運動が絶対的であるように、絶対的である。」と規定していて、調和については一言も触れていない。そして哲学ノートにつけたマルクス・レーニン主義研究所の序文では、「レーニンは唯物弁証法を仕上げるにあたって矛盾の問題に主要な注意を払っている。まさに『哲学ノート』の中で、彼は対立物の統一と闘争との学説が弁証法の本質、核心であり、対立物の闘争が発展の根源であると解明している。」と書かれている。このレーニンの規定の神聖化は、哲学の教科書のヘラクレイトスについての記述にも反映して、万物が闘争によって生れたと説いているとはいうが、調和について説いていることには一言も触れていない。
予定調和説がいわば調和を絶対化しているのに対して、官許マルクス主義は右のように闘争を絶対化するのであるから、何のことはない予定調和説の裏がえしである。最近に至っては、マルクスに忠実に、商品における使用価値と価値との対立物の統一を矛盾とよび、商品交換の発展を矛盾の発展と受けとることさえ、マルクス主義ではなくヘーゲル主義だ、そのどこにも敵対的な闘争は存在しないではないかと反対する、自称マルクス主義者すら出現した。商品の価格と価値の大きさとの間には量的な不一致が存在しうるだけでなく、労働が対象化されていない・価値を有していない・事物、たとえば良心や未開の土地なども想像的な価格を受けとることができるから、ここには質的矛盾(qualitativen Wilderspruch)が存在しうるとマルクスは述べている。また貨幣の形成についても、「この一商品においては、商品が商品として内包するところの矛盾、すなわち特殊的な使用価値であると同時に一般的な等価物であり、したがってすべての人にとっての使用価値・一般的な使用価値であるという矛盾が解決されている(Wilderspruch gelöst)。」(『経済学批判』)と書かれている。したがってマルクス自身マルクス主義からふみはずしてヘーゲル的変更におちいっていると、見田石介は批判しなければなるまい。こうした闘争を絶対化した矛盾論で、人間と自然との調和という問題を扱わねばならぬところに、官許マルクス主義の信奉者は追いやられているのである。
二
人間は自然の産物であるから、その意味で自然の一部であるけれども、他の自然から切りはなされて存在しているわけではない。人間は一個の生物として、自然と特殊な関係を結びながら生活を営んでいる。人間は多くの異なった構造を持つ細胞によって成立している多細胞生物であって、それらの細胞が生命を持っている。個体として生きているということは、とりもなおさずそれらの細胞の生命によって媒介された実存形態であって、諸細胞からはなれたどこかに生命が存在しているのではない。諸細胞はいづれもその環境から他の適当な物質を自己のうちに同化して栄養とし、同時に自己の古い部分を分解し排泄するという、不断の自己更新をいとなんでいる。個体としての栄養物の摂取や排泄が、それぞれ独立したものとして行われていても、それは現象形態であってそれ自体がそのまま生命の論理ではない。細胞の不断の自己更新は、「各瞬間にそれ自身でありながら同時に別のものである」ことを意味しており、これはほかならぬ一個の矛盾であるとエンゲルスは指摘する。
「われわれがさきに見たように、生命とは、なによりもまず、ある生物がおのおのの瞬間に同一物でありながらまた別のものである、という点にこそある。だから、生命もまた、事物や過程そのもののなかに存在し、たえず自己を定立しかつ解決してゆく矛盾である。そして、この矛盾がやむやいなや、生命もやみ、死が到来する。」
人間が自然との関係において生活を営んでいることや、そこには自然からある物質をとりいれる一面と自然にある物質をおくりだす一面とがあることを、誰でも経験的に知っている。栄養物をとりいれなければ生きていけないし、また排泄物をおくりださなければ生きていけないことを、誰でも経験的に知っている。けれどもこれらを細胞レベルでとりあげて、生命が一つの矛盾であることや、この矛盾が自己を定立しかつ解決していくために、自然との間に特殊な運動形態をつくりだしているのだという、論理的な把握をしている者は稀なのである。死にたくなければ、この矛盾を実践的に維持しなければならないし、自然との間に栄養と排泄という対立した両面を正しく調和させた諸関係を創造していかなければならない。しかしながら、レーニンの命題を神聖化し官許マルクス主義を信じているマルクス主義者には、調和する矛盾が存在するという考え方がはじめから欠落している。生命について矛盾を考える場合についてもやはり闘争する矛盾として扱わねばならぬのだという、論理的強制を受けている。それで、現実の具体的な細胞のありかたから論理を抽象するのではなく、生命の矛盾も闘争であるはずだという前提の下に、どこに闘争が存在するかと探しにかかるのである。その一つの例として、スターリンの弁証法が熱狂的に礼拝されていた一九四七年に、ルフェーブルが公けにした『カール・マルクス』で「マルクス主義の方法」なるものがどう説明されていたか、見よう。彼は「矛盾の状態は、苦痛や困難や問題を必ず伴う。」といい、もっとも一般的な場合として、「生と死」をとりあげるのである。
「生と死とは対立し合い、たえざる闘争の状態にある。たえず、いたるところで、生は死と闘争する。そして死は、生ける存在を破壊する。死によって無きものにされる生ける存在をぬきにして、死を考えることはできない。このことは明らかである。しかし、生が死なしには存在しえないということについては、必ずしもそうではない。しかしながら、生きるということは、生まれ、成長し、発育することである、というのは明らかなことではないだろうか。ところで、生ける存在は変化し、変形することがなければ、したがって、かつての存在を脱皮することがなければ、成長することはできない。大人になるためには、少年時代を離れ、そして失われなければならない。停滞するいっさいのものは、退化し退歩するのである。ところが、生まれついたのち、成熟――生の頂点――に達したのちには、衰退がやってくる。生命の歩みとは年をとることなのであるから、それは必然的に死に近づいていく。したがって、いっさいの生ける存在は、死とたたかう。なぜなら、それは、自己のうちに死をともなっているからだ。いっさいの生ける存在は、このようにして生き――変化し、なんらかの新しいものを生み出すか、自分自身の中から新しいものをひき出すかするのである。」(吉田静一訳)
われわれが生と死について原理的に語るときは、生が失われることそれ自体を死とよぶのであって、生の外部に死とよばれる実体が生とならんで(プロレタリアートと別にブルジョアジーが存在するように)存在しているのではないのだということを、まず確認しておかなければならない。「死が生ける存在を破壊する」というように、死が前提になる事実もあるが、それは多細胞生物において特殊な重要な細胞(たとえば脳細胞)が死んだとき、この死を契機として個体の死がもたらされるというような、立体的な媒介関係においてであって、この場合においても脳細胞という「生ける存在」の自己破壊が死であることを無視したのでは説明にならない。「生まれ、成長し、発育する」のは、生物だけでなく、無生物(たとえば火山や氷山)にあっても同様であるから、「生きるということ」の特殊性をふまえた上でその成長と発育をとりあげるのでなければ説明にはならない。細胞のありかたとしての生命、その自己更新における特殊な矛盾を、ルフェーブルは何らとりあげようとしないで、「変化」「変形」「成熟」などの抽象的なことばをならべているだけである。薬剤が「死とたたかう」ために役立ち、毒物が「生ける存在を破壊する」ことは明らかであるが、これらの機能はルフェーブルの生死論と何ら論理的につながってこないのである。
「たとえば、私は海と陸地とを、あるいはさらに谷と川とを別々に切り離して考えることはできる。しかしそのときには私は、一方は他方を媒介にしてのみ存在するということを忘れているのだ。私は、とくに川が谷を切りひらいたのだということを忘れていることになろう。そのときには、私は恍惚とし感嘆するであろう。《神はなんと偉大で立派であることか。この世界はなんと調和していることか。神は、川が堂々とその流れをひろげられるように、谷を用意したまうのだ》と、事物の現実的諸関係を忘れ去って、私は、そのかわりに思弁的な説明をすることになろう。」
ルフェーブルをして、生命それ自体がすでに一個の矛盾であり、栄養と排泄との調和によって維持されていくという、「事物の現実的諸関係を忘れ去」るようにしむけ、生と死とを抽象的な対立と「闘争」とで「思弁的な説明をする」ようにしむけたのは、矛盾は対立物の「闘争」であって調和ではないのだという官許マルクス主義の論理的強制であった。こんな思弁的な生命論は、マルクス主義とは縁もゆかりもない。川が消滅しても谷は残るが、栄養をとらずに排泄をしていれば死によって排泄もまた消滅してしまう。
外界すなわち自然あるいは他の人間は、生命の維持にとって役立つとは限らない。水は飲料として不可欠であるが、時に洪水ともなる。魚や獣にも人間に栄養を供給するものだけでなく、危害を加えるものがあり、微生物にも有益なものと有害なものとが存在する。他の人間にも労働によって生活手段を生産してくれる者もあれば、深夜に短刀をにぎって襲撃してくる者もある。自然あるいは他の人間が、生命を脅かすならば、これに対して抵抗することになる。つまり、外的条件が生命にとって敵対的な存在となり、敵対的な矛盾が成立するならば、闘争によって矛盾を克服しなければならない。この場合、闘争することはほかならぬ生命とよばれる調和する矛盾を維持するためであって、ここに二つの対立した性格の矛盾の結びつきを見なければならないのである。薬剤を武器として害虫や病原菌と闘うのも、公害の源になっている企業に大衆動員をかけたり告発を行ったりするいわゆる市民運動も、ゲリラ隊を組織して侵略軍に不意打ちを食わせるのも、条件こそ異なっているが矛盾としての論理構造は基本的に共通している。
たとえ革命運動に挺身している革命家であっても、現実的な具体的な運動のありかたについて論じる場合には、意識すると否とに関係なく二つの対立した性格の矛盾の結びつきをとりあげることになる。哲学的に闘争する矛盾だけを強調したレーニンも、それから一五年前に職業革命家の組織について論じたときには、調和する矛盾の目的的な創造を具体的に説いていたのである。それにもかかわらず、レーニンを礼拝する哲学者たちは、それを矛盾論として読みとるだけの能力を持ち合せていない。『何をなすべきか』は、反対者たちに五つの命題をっきつけている。
「私はこう主張する。(1)確固とした継承性をもった指導者の組織がないならば、どんな革命運動も恒久的とはなりえない。(2)自然成長的に闘争にひきいれられて、運動の基底を構成し、運動に参加してくる大衆が広汎になればなるほど、このような組織の必要はいよいよ緊急となり、またその組織はいよいよ鞏固(きょうこ)でなければならない(なぜなら、そのときにはあらゆる種類のデマゴーグどもが大衆の未発達な層をまどわすことがいよいよ容易となるからである)。(3)そのような組織は、職業的に革命的活動にしたがう人びとから主としてなり立たなければならない。(4)専制国家では、ただ職業的に革命的活動にしたがい、政治警察との闘争の技術の職業的訓練をうけた人びとだけを参加させるようにして、このような組織の成員の構成を狭くすればするほど、そのような組織を『とらえつくす』ことはいよいよ困難になり、また、(5)労働者階級の出身であると、その他の社会階級の出身であるとを問わず、運動に参加し、その中で積極的に活動できる人びとの範囲がいよいよ広くなるであろう。
私は、わが経済学者、テロリスト、『経済主義的テロリスト』たちに、これらの命題を反駁してみるようにすすめる。」
官許マルクス主義の信者は、この文章のいったいどこに矛盾が説かれているのかと、妙な顔をするかも知れないから、まず矛盾についてのマルクス主義の理解のしかたから説明しておこう。エンゲルスは『反デューリング論』のための準備労作の中で、対立の統一を矛盾だといい、「たとえば、ある事物があくまで同一のものでありながら、しかも同時に不断に変化していること、それ自身に『持続』(Beharrung)と『変化』(Veränderung)との対立を持っていることは、一つの矛盾(ein Wilderspruch)である」と書いている。これはさきの生命論とつき合して見ればすぐわかるように、生命が一つの矛盾だということを指摘したものであるが、生命は個体において存在するだけでなく、組織の生命というとらえかたもまた可能であって、レーニンの組織論は組織の生命を論じているという意味において具体的な矛盾論だということができるのである。
組織はそれを構成する人びととともに、善かれ悪しかれつねに「変化」している。はげしい弾圧の下にある革命家の組織は、メンバーの逮捕とか死とか脱落転向とかいった、のぞましくない「変化」を蒙っている。レーニンが第一の命題でとりあげている「継承性」とは、この「変化」に「持続」を両立させることにほかならない。マイナスの「変化」をプラスの「変化」で補い、失ったものを補充することが「持続」であり、これによって組織が継承されている。そして第二の命題では、「変化」を前むきの「鞏固」なものにするために、大衆運動と革命家の組織との・指導される側と指導する側との・対応と調和との必要なことを指摘している。大衆運動の自然成長的な発展が、以前よりもはるかに複雑な新しい理論的・政治的・組織的課題を革命家につきつけているからには、革命家はそれらの課題を目的意識的に遂行できるような組織に自己を高めなければならないのである。この調和する矛盾を実現し同時に解決するための運動形態に、第三から第五の命題が関係している。いわゆる大衆路線を実践して、運動に参加し積極的に活動できる人びとの中から、ますます多くの職業的な革命家を育てることが要求されるのである。レーニンはこの第四と第五の命題について、以後詳細に論じていく。ここでは闘争するための組織がそれ自体調和する矛盾であり、矛盾を実現し同時に解決するための運動形態すなわち生命を維持するための活動が、大衆運動の提起する課題を解決し革命家を育成する実力者によって遂行されねばならぬことを、簡潔に記しているにすぎない。「職業的」とか「政治警察との闘争」とかいうことばから、これらの命題を特殊ロシア的なものだと思いこみ、ここにふくまれている普遍的な論理を見のがしてはならないのである。
ところで、大衆運動と革命家の組織との間の対応と調和が、つねに維持されるとは限らない。イデオロギー的な対立や、方針上の諸偏向が原因となって、敵対的な矛盾が成立する可能性が存在し、ここから両者が活動においてあるいは組織において分離することも起りうる。大衆運動の側で革命家の組織の活動方針を批判しそれを認めることを拒否し、あるいは大衆運動の中に組織的に結びついている革命家を追放したりする。現にわれわれの周囲でも、自称前衛と大衆運動との敵対的な対立がいろいろなかたちで存在し、闘争が起っている。そしてこの場合に、両者の正しい関係は調和する矛盾を定立することだと理解するのではなく、矛盾はそもそも「闘争」するものでこれを消滅させることが必要なのだと受けとる者にとっては、矛盾の一つの側面である革命家の組織それ自体を否定することが合理的だ(大衆運動それ自体を否定するわけにはいかないから)という結論になったとしても、それほど驚くには当らない。現に、この矛盾の消滅としての前衛否定論が、政党の支配の排除とか運動における民主主義の確立とか、美しいことばで飾られ合理化されているのである。レーニンの時代にも、「中程度の労働者」「大衆的労働者」ということばが流行して、「一〇人の利口」な革命家よりも「一〇〇人の馬鹿」な大衆を持ちあげ、運動から継承性・鞏固性・恒久性を追放する方向へ動いた人間がすくなくなかったことは、明らかである。
調和する矛盾の定立には、前衛が看板だけでなく現実の前衛になることが、大衆運動の提起する諸課題を正しく解決してその指導能力を否応なく承認させ信頼をかちとることが、不可欠である。無能な革命家はこのようにして敵対的な対立を消滅させる能力を持たないから、自分に敵対的な人びとを大衆運動から追放して無批判的に追従する人びとだけを残したり、あるいは無批判的に追従する人びとだけを大衆運動から脱退・分裂させたりして、敵対的な対立を消滅させようとする。たしかにこれらの方法をとれば、そこでの敵対的な矛盾はなくなるけれども、この方法では革命家としての権威を確立し広く大衆の信頼をかちとることはできないし、大衆の側から有能な活動家がつぎつぎと革命家の組織に推挙されるという運動形態を確保することもできない。大衆運動と革命家の組織との間に、調和する矛盾を実現し同時に解決しながらともに発展していくという、のぞましいありかたは実現しない。
官許マルクス主義の教科書は敵対的な矛盾の存在を強調して、これを無視するならば階級闘争の合法則性を否定することになり、階級協調・階級調和の理論に転落してしまうとさけんでいる。それはたしかにそのとおりだ。敵対的な矛盾の存在を否定するならば、階級闘争の先頭に立ってたたかう革命家の組織が必要だという考えかたそれ自体、根本的に正しくないことになり、前衛否定論にならざるをえない。ところがいま見たように、非敵対的で調和する矛盾を否定した場合にも、前衛の組織と後続部隊の組織との間の対応と調和をいかにして定立し維持していくかの問題が論理的に脱落して、結果として同じく前衛否定論へとみちびかれる。「両極端は一致する」という弁証法的なとらえかたの正しさは、矛盾論においてもこのように証明されるわけである。
革命家の組織の確立と強化による階級闘争の推進は、抽象的にとらえかえすと、「調和するものと調和せぬものとの結合」を実践的につくり出しおしすすめることにほかならない。いま一つ、もっともよく知られている前衛の活動のありかたを考えてみよう。「合法活動と非合法活動のたくみな結合」(die geschikt Kombinierung von illegaler und legaler Arbeit)ということは、レーニンが『左翼小児病』においてヨーロッパの同志たちに充分考慮するよう求めているところである。これも抽象的にとらえかえすと、合法とは法律と調和すること、非合法とは法律と調和せぬことであるから、やはり「調和するものと調和せぬものとの結合」を実践的につくり出しおしすすめることにほかならない。この調和する矛盾の定立によって、挑発者マリノフスキーも「一方の手では、数十人のすぐれたボリシェヴィズムの闘士を牢獄と死においやりながらも、もう一方の手では、合法的新聞によって数万の新しいボリシェヴィキの教育を助けねばならなかった」のであり、その裏切りによる害悪以上の貢献をしなければならなかった。
哲学者として文献からヘラクレイトスの主張を読んで暗記していたところで、そこから思弁的に経済学や前衛組織論が出てくるわけではないが、現実ととりくんでそこから理論をつくりあげようと努力している人間は、その創造的な仕事の中で「後代のあらゆる形而上学的な競争相手に対するこの哲学の優越性」(『反デューリング論』旧序文)をも確認できるのである。官許マルクス主義者は、いまもってそのことを自覚していない。
三
「調和するものと調和せぬものとの結合」にも、さまざまなしかたが存在している。対象の論理を忠実にたぐって、そこに客観的に成立している有機的な結合を正しく抽象して来る場合もあれば、客観的には何ら結合が成立していないにもかかわらず、二つの発想を思弁的に頭の中で結びつけて、木に竹をついだような空想的な結合をつくり出す場合もある。公明党のイデオロギーと創価学会のイデオロギーとの関係も、このような結合の一つの例といえよう。
創価学会は日蓮宗の一派である日蓮正宗の教えを中心として、日蓮ののこしたいろいろな文書や思想を絶対化するとともに、牧口常三郎の哲学的見解を加え、それらを現代むきに解釈し具体化している。この新興宗教にあっては、他の諸宗教は神道をはじめすべて邪教であるといい、それらの〈邪教〉撲滅によって人を救い世を正そうとする。〈折伏〉とよばれるイデオロギー闘争を積極的に行って、これこそが信者としての義務でありこれによってはじめて大きな〈ご利益〉を受けるという。ところが創価学会がこしらえた政党である公明党にあっては、「中道政治」が主張され、政治が「信頼と調和」の上に立つべきであると説いている。学会の会員であり公明党の党員でもある人間は、まずこの意味で闘争と調和とを両立させ結合せざるをえないことになる。
創価学会が政治に進出するに際しても、その根拠づけは当然に日蓮の書いたものに依っていた。「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて……」ということばをとりあげて、日蓮はこの「王仏冥合論」で王法すなわち政治の道と仏法すなわち人間の幸福への道との一致を説いているのであり、政治が仏法の神髄と一致してはじめて全世界が平和楽土になるものといわねばならぬ、と解釈した。そして戸田城聖は、創価学会の政治に進出する目的を「国立戒壇の建立」だと説明した。新興宗教の信者となる人びとは、正直ゆえに損をするといった性格の者が多く、病気や貧しさや身内の争いごとなどで苦しんで、この苦しみから救われたいと願った結果信仰に入るのであるから、そこには大なり小なり現状打破のための意欲と行動が存在する。創価学会の信者も同様であって、他の教団の信者にくらべてヨリ戦闘的である。日蓮のことばを絶対視する以上、「王仏冥合論」に反対するはずもないが、遠い未来の建設的な理想について思想的に思いをめぐらすよりも、現実の苦しみを打開するための日常の〈折伏〉闘争のほうがヨリ大きな関心事である。政治的な「国立戒壇の建立」よりも、地方議員が日常生活に現実的な利益をもたらしてくれることのほうがヨリ大きな関心事である。地方議員にしても、議員の地位についたからには、日蓮の戦闘的な行動をそのまま真似るわけにはいかない。それでは有識者からアナクロニズムと笑われよう。政治家として新鮮でまじめで既成政党のボス連中より好感がもてると投票してくれた、会員外の有権者を〈邪教〉のとりこになっていると攻撃するわけにはいかないし、憲法の規定に反した神社仏閣廃止案を議会に出すわけにもいかない。やはり他の議員と同じように、大衆の現実的な生活に利益をもたらすための活動を必要とする。しかも戦闘的な現状打破的な教団によってささえられる政治家であるからには、その「革新的」な性格にふさわしい政治的イデオロギーを持たなければならない。そこで創価学会として「色心不二の哲学による第三文明の建設」という発想を提出し、これは社会主義ないし共産主義以上に革新的なものと強調しはじめた。池田大作も「人間革命」を主張して、政治革命・経済革命・人間革命を統一した「第三文明」は「新社会主義」だと述べた。しかしながらそれらはことばにとどまっていて体系的な理論にはなっていない。このようにして、公明政治連盟から公明党へと発展した創価学会の政治活動も、「理論の欠陥は、革命的流派からその存在の権利を取りあげるものであり、この流派に、おそかれ早かれ不可避的に政治的に破産すべき運命を負わせるものである。」(レーニン『革命的冒険主義』)という政治組織の論理によって、絶えず脅かされることとなったのである。
政党が政党としてのプログラムや活動方針を持つことが必要である。右は自民党から左は共産党までの既成政党に対して、新しい政党としての存在理由を広汎な大衆に納得させるための、独自なプログラムや活動方針を持たねばならぬというのが、公明党を規定しているところの客観的な条件である。衆議院に進出するのに「国立戒壇の建立」をかかげていたのでは、日蓮正宗を国教化してかつての国家神道の地位につけ、憲法の保障する信仰の自由を否定することになりはしないかという一般の危惧をよびおこすと見て、このスローガンをひっこめたというような、消極的な対応のしかたでは不充分であって、具体的な政治理論や経済理論を持ってそこから具体的な活動方針なり政策なりをひき出してこなければならない。ということになれば、当然それらをつらぬくところの社会観なり世界観なりが存在するわけであって、それらについてもまたそれなりに語られなければならない。経済理論は現実から抽象するものであって、思弁的にこねあげるわけにはいかないし、政治理論にしても経済理論と無関係にこねあげて結合したのでは、現実的な政党としての活動には役立たないから、やはりそれなりに科学的なものに仕上げなければならないことになる。ここで問題になるのは、それらの理論やそれらをつらぬく社会観なり世界観なりと、日蓮の文書や思想との関係である。たとえ組織的に「政教分離」が行われたとしても、創価学会のイデオロギーに明らかに敵対的なイデオロギーを公明党がかかげることはできない。本質的に相いれないイデオロギーであったとしても、日蓮の生れ変りである池田大作の思想として解釈的に日蓮に結びつけてかかげなければならない。「王仏冥合論」を具体化して、他の社会科学者の学説とは異った独自の政治理論や経済理論を建設することができないとすれば、〈邪教〉の徒や無神論者の提出している理論をあれこれとつぎ合せて、それに池田大作その他の抽象的な片言隻句を添えたようなものを持ちだす以外に方法はない。
「王仏冥合論」というのは王法と仏法、政治と宗教との、調和の理論である。キリスト教哲学であれ日蓮の思想であれ、宗教的イデオロギーは結局のところ調和を宇宙の根本原理とするのであるが、これを「宇宙本来のリズム」として「信頼と調和」を語るにしても、社会党や共産党とは相いれないがしかも革新的な独自な政党という以上、やはり「中道政治」というかたちに政治イデオロギー化するよりほかはない。但し思弁的にどんなイデオロギーを創造したところで、現実がそれに忠実についてくるわけではない。現実には宗教的イデオロギーの教えに服従しなければならぬ義務はないからである。日蓮の思想の中には、宗教的イデオロギーとしての調和の理論と闘争の理論との結合が存在し、彼は宗教家として闘争を媒介することによって調和を実現する実践活動をおしすすめた。公明党が日蓮の調和の理論から、すなわち宗教的イデオロギーから出発して、それを政治イデオロギー化することになると、主観的に調和をあちらこちらへ押しつけるのであるから、日本人はそもそも調和を尊ぶ民族であるという民族観が一方で出てくるかと思うと、他方では自民党との「調和」を実践する政治活動が生れてくる。けれども政党としての確立を目ざして、現実から理論を抽象しその上に方針を立てることになれば、そこに思弁的な調和論にもとづく実践とは無縁の、科学的なイデオロギーによる闘争が生れることもあるわけで、これが外部の人びとには状況追随主義とか折衷主義とか印象づけられる。創価学会のイデオロギーからすれば、水俣病やイタイイタイ病もその人間が前世において犯した罪の報いであって仏罰だという解釈になり、学会の会員になって、〈折伏〉に努力すればその〈ご利益〉で治癒するという結論になるけれども、公明党としてはこれは重金属が体内に蓄積した結果起った疾患だと見る科学者の主張を認め、企業の責任を問い公害対策を要求する態度に出ないわけにはいかない。ここに、イデオロギーとして敵対的な対立が存在している。ただ公然の闘争にまで発展していないだけのことである。別のいいかたをするならば、公明党は政党であることによって唯物論という〈邪教〉を認める必要に迫られ、その点で創価学会のイデオロギーと敵対的に対立しているにもかかわらず、この〈邪教〉と闘争すべき義務を負っているはずの学会員が闘争しないで支持しているのは、〈邪教〉が学会のイデオロギーの断片と結合させられているために、全体として学会のイデオロギーであるかのように受けとっているからである。