一
私は学問的な仕事をしているけれども学校の教師ではないから、仮説実験授業(註)を実践できる立場にはいない。戦前から「科学的な考えかた」を育てることに関心を持っていて、仮説実験授業の基礎となっている一般的な理論にはまったく賛成であったから、その展開をずっと注目してきたのだが、授業記録を読んでいると自分たちの理論を実証する場を持っている人びとがうらやましくもなってくる。
そんなわけで、私の書くものも、いわばこの新しい科学教育を横目で見ている人間の立場での発言でしかないのだが、横目で見るということにもやはりそれなりの長所があるはずである。深く考えることはけっこうだが、深すぎるとつぎのような批判を浴びることになる。
「彼(当時パリ警視庁の部長であったヴィドック――引用者)は物ごとをあまり近くに持ってくるために視覚を損じたのだ。一つや二つの点はたぶん非常にはっきり見えたかも知れないが、そのために必然的に物事を全体として見失ったのだ。こういうふうに、深遠すぎる(too profound)というようなことがあるものだ。真理はいつでも井戸の中にあるとは限らない。」(ポオ『モルグ街の殺人事件』)
だから、深くからあるいは浅くから、遠くからあるいは近くから、正面からあるいは横から、さまざまな立場に移行してダイナミックに見ることができないとまずいと思う。その意味で、私の横目で見る立場からの発言も、何かの参考にはなると思う。
仮説実験授業は新しい科学教育の方法を提出したのであるから、これに関係する人びとに「方法」についてのある程度の理解を求めることも、不当ではあるまい。分野のいかんを問わず、創造的な仕事にたずさわる人びとが、その仕事のしかたの合理化を意図するときに、方法についての反省が生れてくる。学者は研究方法や叙述方法を、芸術家は創作方法を、刑事や探偵は捜査方法を、医者は治療方法を、商人は経営方法や宣伝方法を、教育者は教育方法や授業方法を、考えるということになる。
「方法」は普遍的な有用性を持っていて、盲腸炎のときには手術で切りとれとか、子どもに〈ものとその重さ〉を教えるときにはこの授業書を使えばいいとかいう、かたちをとっている。しかし盲腸炎の患者の症状は千差万別だし、授業を受けた子どもの予想や教師の感想もそれぞれ異なっている。そしてこれらの差異については、医者や教師の経験ないし能力に期待し臨機応変の処置や指導が求められているのであって、どんな合理的な「方法」もそれを役立てる目的的な人間の努力を免除するものではなく、創意工夫を排除するものではない。
さらに、「方法」は固定的なものではなくて、「人を見て法を説け」とことわざにもあるように、対象すなわち客体的条件や「方法」を役立てる人間すなわち主体的条件のいかんに規定される。したがって、唯一無二のこれこそ絶対的な「方法」などというものはありえない。
医学の次元では薬を与えるとか手術で切りとるとか放射線を使うとかさまざまな『方法』を認めるが、具体的な患者の治療の次元では特定の「方法」をもっとも合理的なものとしてえらぶ。医学の次元ではさまざまな処方を論じるが、具体的な患者の治療の次元では特定の処方箋をもっとも合理的なものとして与える。どんな患者にも役立つ治療の「方法」とか、どんな病気でも治す万能の処方箋などというものは認めない。数学には初等数学から高等数学までさまざまあって、科学者は自分の研究では高等数学を大いに役立てているし、コンピュータなども使っているが、昼飯に食べた天丼の代金に千円札を出して釣銭を受けとるときは、千円から三百円引くといくらになるかと頭の中で暗算をしなければならない。小学生が勉強しているのと同じ「方法」を使わなければならない。教育も同じである。ある具体的な教育には特定の「方法」が必要であって、どんな場合にも役立つ万能の教育方法などというものは存在しない。だから「方法」が普遍的な有用性を持つといっても、それは条件が近似的なら同じ「方法」が役立つという、つねに条件づきの話であって、ある限界の中での相対的に普遍的な有用性にとどまるのである。どこへ持っていっても役立つし、これさえあれば何の努力もせずに万事うまくいくといった、絶対的で万能な「方法」はなまけ者の理想であるから、熱心に探求する哲学者もあるようだが、そんなものはありえない。
それゆえ、ある「方法」の有用性に感激するのはけっこうだが、その有用性を保障する条件ないし限界をつかんでおかぬと、それを無視してふみはずした場合にも自覚できぬことになろう。このふみはずしの例は無数にある。高等な「方法」があれば初等な「方法」はもう用がないと考えるのも、高等数学があれば初等数学はもう用がないと考えるのに似たふみはずしであることを知らねばならない。自然科学の「方法」がどんなに成功したところで、それはそのまま社会科学の「方法」にはならないのに、なるかのように錯覚しているのがあとに問題にする情報科学者たちである。教育の分野でも、ある新しい「方法」が卓越した成果をあげると、成功に酔った創始者の側から、他の分野へ持ちこんでもうまくいくはずだと不当な普遍化をもくろんで、熊の手助けをはじめたりするし、その「方法」の信者たちの中からも、万能のものにまつりあげようとするヒイキの引き倒しが出てきたりするのである。
現象に目を奪われた科学者が、対象の持つ条件の検討を怠ってふみはずしたもっとも代表的な例として、言語研究の「方法」をあげることができる。同じインク、同じペン、同じ紙を使って、絵画をスケッチすることも可能だし、文章を記すことも可能である。絵画にあとで筆を加えると表現の改変になるが、文字言語もあとで筆を加えて「木」を「本」にすると表現の改変になる。おまけに、象形文字のような絵画的な文字もある。そこで絵画研究の「方法」をそのまま言語へ持ちこんだり、あるいは最近のフランスに見られるように言語研究の「方法」をそのまま映画へ持ちこんだりする、学者があらわれた。「映画言語」「映像言語」などということばが、評論家のあいだに流行している。
冷静にしらべると、絵画や映画の複製は原作の感性的なかたちに忠実であるよう要求されているが、文字言語の複製は原作の感性的なかたちを無視して、ペンのなぐり書きを活字印刷に変えても、やはり忠実な複製として扱われていることに気がつく。学者たちはこの事実をつかんで、両者の本質的なちがいをたぐっていこうとはしなかったのである。また、音声言語で「バカ!」とさけぶのも、怒りに燃えた爆発的な発声もあれば、愛情をこめた優しい叱責の発声もあって、われわれはそれらを区別して扱っているし、それらの差異が心理的・生理的・物理的側面にまたがったものであることもたしかである。
言語活動がこうした「多様」で「混質的」な存在であることを理由に、ソシュールはこれを科学の対象とすることを拒否した。この「多様」とは、ほかならぬ自然科学の対象としての多様であって、言語がいづれもこのように「多様」だとするならば、それは言語学の対象として一様であるといわねばならない。それゆえ、時枝誠記がこれに対して「方法」的に反駁することになった。「科学は具体的な経験から逃避することによつては、その根本的な立脚地を失う」のであって、「個別的特殊的現象を整理して、そこに普遍と統一原理とを見出そうとするが科学の真の生命である」という。時枝のソシュール批判の個々の部分に弱点があったとしても、この「方法」的な批判の正当性を何ら減殺するものではない。
言語学者たちは、言語が絵画や映画などと同じように、文字や音声の感性的なかたちで表現されていると思いこんで、その点で「方法」的にふみはずしてしまった。感性的なかたちではなく、文字や音声の「種類」という、人工的な普遍性で超感性的に表現されているのだということを、見ぬけなかった。「種類」に属するかぎり、なぐり書きを活字で複製しようとネオンサインに複製しようと、忠実な複製と認めてよいし、「木」を「本」にしていけないのは、感性的なかたちの変化にとどまらず「種類」としての変化にまで行きすぎてしまっているからである。言語表現の人工的な普遍性を、植物の自然的な普遍性に結びつけたものが、いわゆる「花ことば」であって、自然の持つ「種類」がこうして表現に利用され言語の代用品として役立てられるのである。
言語の感性的なかたちは、どんな「種類」に属するか区別するために役立てられるだけでなく、それ自体言語とは異なった別の表現にも役立てられている。音声言語では、音声の「種類」で概念を表現すると同時に、音声の感性的なかたちを利用して感情や感動をも表現するという、いわば言語表現と非言語表現との立体的な複合体になることが多い。これは、表現における調和する矛盾の定立なのであるが、この両側面を区別できずいっしょくたにして、感性的なかたちで何もかも表現しているのだと思いこむ学者が、お手あげになる。
学者ならぬ大衆でさえ、「先んずれば人を制す」と「急いては事をしそんずる」という、正反対の二つの方法を条件に応じて使いわけているし、マルクス主義者と名のる人びとは「科学的方法」を持っていると自負しているのだから、ある特定の「方法」を絶対化することなどしないはずだと思うのは、過大評価である。何と名のろうと、実践から遊離している思弁的な学者は「方法」を絶対化してもあやまりが反省できないし、マルクス主義者の絶対化した「方法」が現に国際的権威として横行さえしているのである。それは弁証法の絶対化とリアリズムの絶対化であって、これ以外に思惟方法や創作方法を認めるのはマルクス主義に反するとされ、攻撃の対象にされてきたのである。
たしかに弁証法は思惟方法としてきわめて役に立つけれども、絶対的な「方法」ではない。対象を静止的固定的に扱う場合には、形而上学的思惟ないし形式論理的な扱いかたを「方法」として認めなければならない。生理学的に見れば、われわれの体内には細胞の死骸がつねにあらわれており、生は死をともなっているが、戸籍では生存とだけしか扱われていないし、それで足りるのである。ところがレーニンのヘーゲル研究は、ミイラ取りがミイラになるふみはずしにおちいって、弁証法も論理学も認識論も「同一のもの」で「この三つのことばは必要ではない」とノートに書きのこした。この見解がもし正しいなら、弁証法以外に形式論理学を認めるのは、レーニンの見解に反するものであやまりだということになる。レーニンのノートが聖書化された一九三〇年代には、ソ連でも日本でも哲学の教科書が「今日弁証法とならんで形式論理学を認めようとする試みは、反動に奉仕すること」だと主張して、弁証法を絶対化していた。しかし何と非難したところで、形式論理学の一定の限界内での「方法」としての有用性はなくなりはしない。ソ連の自然科学者も使って有用性を認めるようになり、結局五一年には形式論理学の名誉回復を行わねばならなくなった。とはいえレーニンのノートのことばは相も変らず信仰的に扱われ、形式論理学の承認と平和共存しているありさまである。そして三〇年代の主張は毛沢東に受けつがれ、「毛主席語録」でも形而上学を観念論とならべて、「でたらめをいってもかまわない」ものだと、否定的評価を与えている。
芸術の創作方法では、創作方法と世界観とが直結されて、リアリズムは唯物論的だがロマンチシズムは不可知論ないし観念論的な創作方法だと規定され、一九三四年に社会主義リアリズムこそソ連芸術の「基本的方法」だと絶対化されてあまくだることとなった。芸術家たちは、経験的におかしいと感じてはいても、理論的に整然としていて有無をいわせず反駁もできない。だからあるいは公然とあるいは隠然と、いろいろなかたちでこの絶対的な「方法」への抵抗や不信が出てくるだけで、いまもって絶対化を克服することができない。
(註) 「仮説実験授業」については、提唱者板倉聖宣(いたくらきよのぶ)の説明を引用しておく。
「科学上のもっとも基礎的一般的な概念・法則を教えて、科学とはどういうものかということを体験させることを目的とした授業理論。
この授業の理論的基礎は主として次の二つの命題におかれている。――(1)科学的認識は対象に対して目的意識的に問いかける実践(実験)によってのみ成立し、未知の現象を正しく予言しうるような知識体系の増大確保を意図するものである。(2)科学とは、すべての人々が納得せざるを得ないような知識体系の増大確保をはかる一つの社会的機構であって、各人がいちいちその正しさを吟味することなしにでも安心して利用しうるような知識を提供するものである。
この第一の命題によって、実験の前には必ず生徒一人一人に予想・仮説をもたせなければならない、という主張が生れる。また、第一第二の命題から、討論の重要性が指摘される。他人のすぐれたアイデアを積極的にとり入れ、他人のまちがった考えを批判し、自分の考えが正しいと思ったら、みんなから孤立しても自説を守り、他人を説得させるだけの論理と証拠・予言をそろえられるようにしなければならない、というわけである。そこで、この授業理論にもとづく授業では、問題・予想(仮説)・討論・実験が授業の中心におかれることになる。同じ概念・法則に関連する一連の問題をつぎつぎと与えて予想を立てさせ、考え(仮説)をだしあわせてから実験によってどの予想が正しかったかを知らせるうちに、目的とした概念・法則を確実に身につけさせようというのである。」(小学館版『ジャポニカ百科』)