上杉隆(ジャーナリスト)と本誌取材班
官房機密費問題をかたくなに無視し続ける大マスコミに対し、人々の苛(いら)立ちは高まる一方だ。
7月4日、朝日新聞社である“事件”が起きた。休刊した論壇誌『論座』のネット版「WEBRONZA」を立ち上げることになり、その創刊記念として開催されたシンポジウム。その場にパネラーとして出席した朝日新聞の曽我豪編集委員(政治部出身)が、「糾弾」されたのである。
シンポジウムはネット動画のニコニコ生放送で中継されていた。
おもむろにパネリストの吉田徹・北海道大学准教授が「官房機密費うんぬんということについて、メディア人としてひと言お聞きしてもいいですか?」と話を振ると、曽我氏は次のように応じた。
「私はもう逆にいうと、どんどん明らかにしてほしいと本当に思います」「マスコミに対するお金が出ているのかどうかわかりませんけど」「週刊誌を読むとですね、封筒の中に現金が入っていて貰ったっていう話。そんな時代があったのかと、本当、正直思いますけど」
すると、会場から質問の声が上がった。
「大手メディアが報道を避けているように見えるが、その点に関してはどう思っているのか?」
「朝日新聞側として、どうも客観的というか、他人事のように聞こえる。どうコミットしていくのか表明してほしい」
曽我氏は慌(あわ)てて弁明した。
「僕たち新聞記者の仕事っていうのは、やっぱり権力は何をやっているのか、実際どういう金の使い方をしているんだろうと、それを明らかにするのが仕事であって、個々の記者がどうこう、朝日新聞が内部調査するかどうかということよりもですね、官房機密費の使われ方というのをオープンに権力側がすべきだと思うし、そこの取材をしていくのが自分たちの仕事であるという話を、さっきしたかったんです」
ところが、この発言がさらなる波紋を呼んだ。ニコニコ生放送のコメント欄に、視聴者からの辛辣な書き込みが殺到。プチ炎上状態になってしまったのだ。
〈いさぎよくねーな〉〈今オープンしろよ〉〈だから新聞自らが内部調査を〉〈マスコミはなんでやんないんだよ!〉〈責任逃れしてるでしょ〉〈自浄能力がないってことですね〉〈自浄能力がないマスコミが他を叩くとは片腹痛い〉
………。これが普通の人の感覚だろう。
朝日新聞が自社の記者に対して、機密費の受け取りなどしないように厳しく教育し、律してきたことは間違いない。だが、機密費は「渡す」権力側だけの問題ではない。「受け取る」側のメディア自身の問題なのだ。メディアは自ら説明責任を果たすべきであり、朝日だけがその責任を免れるわけではない。視聴者の反応は、当然すぎるほど当然である。
OB記者同士が大げんか
時事通信社のOB組織「社友会」の運営するネット掲示板では、さらにショッキングな“事件”が起きていた。
モスクワ支局長や外信部長を歴任した元時事通信記者の中澤孝之氏は、『週刊ポスト』を読み、時事にも疑いがかけられていること、それに対して時事が「いい加減な回答」をしていることを知り、掲示板にこう投稿した。「我が社の歴代の政治部記者、政治部長は、天地神明に誓って、時の政権から賄賂めいたもの(官房機密費の一部と思われるもの)をもらったことはないと、断言できるか」
ところが、何度投稿してもこの書き込みは、なぜか掲載されなかった。中澤氏が会に確認したところ、掲示板の管理者が掲載を認めなかったという。
そしてしばらくたった日の深夜、時事通信社の「元政治部長」の名を名乗る人物から中澤氏のもとに電話があった(中澤氏も面識のある人物だが、面会して話したのではないため、「名乗る人物」としておく)。すると、その人物はいきなり罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせてきたという。
「賄賂をもらったとはなんだ!」「近くにいたらお前をぶん殴ってやるところだ」「気でも狂ったのか。こんなことを書きやがって」「お前なんか社友会(OB会)から出て行け!」
中澤氏は、かつての同僚記者であろう男の言葉に耳を疑った。
「私の書き込みは質問形にしてあり、“賄賂をもらったに違いない”などと断定的に書いたわけではありません。にもかかわらず、この人物は冷静さを完全に失い、無礼な暴言を吐き続けた。もらっていないのなら、“もらったことはないと断言できる”と静かにいえばいい。一般的に、すねに傷をもつ者ほど、わめいたり怒ったりするものです」(中澤氏)
機密費の問題となると、この「元政治部長」にかぎらず、メディア側の人間はなぜかみな反応がヒステリックになる。ジャーナリストでありながら、なぜ冷静に、正々堂々と反論できないのか。日本のメディアの反応は、世界のジャーナリズムの常識からすれば、ありえないことなのだ。
外国なら「検察も動く」
英経済誌『エコノミスト』が日本における機密費のマスコミ汚染問題を取り上げたことは以前、紹介した。同誌は「日本のメディアはこの件について、日光の賢い三猿に似た反応を示している。『見ざる』『聞かざる』『言わざる』である」とその黙殺ぶりを皮肉ったが、日本に駐在する外国人記者たちもまた、機密費問題に対する日本のメディアの反応には呆れ果てている。
英『ガーディアン』紙の東京特派員、ジャスティン・マッカリー記者がいう。
「政治家が有利な記事を書いてもらうために全国紙の記者に金を払うようなケースは、イギリスにはない。イギリスで同様のケースがあったら、その記者のキャリアは終るだろう。私自身が事実や証拠を確認したわけではないからはっきりしたことはいえないが、もし(日本の機密費マスコミ汚染問題が)事実だったとしたら、信じられないことだ。職業倫理に反するだけでなく、民主主義にとってもきわめて不健全だ。メディアはその新聞を読む読者やそのテレビを観る視聴者からの信用を失う。その組織とジャーナリストも然りだ」
さらにマッカリー記者は、こうした不健全な状態がなぜ生まれるのかについても言及した。
「これは記者クラブシステムが生んだ症状なのかも知れない。ジャーナリストが記者クラブに詰めているから、取材対象の政治家と親密になる。そうすると気持ちの上で、金をもらって贔屓(ひいき)の記事を書くような関係になりやすいのかもしれない」
日本以上に賄賂(わいろ)がはびこっているといわれるイタリアでも、ジャーナリズム側の対応として、こんな事態はありえないという。テレビ局「SKY TG24」の極東特派員、ビオ・デミリア記者の話。
「ひどいですね。このケースがイタリアで起きれば、記者も新聞社も“無視”することは考えられない。新聞社内部で調査して、事実なら記者は退職させられる。読者を裏切ることになるからだ。同時に検察も動くだろう。イタリアの検察には力があり、とにかく起訴して裁判で争う。この場合、検察はまず野中広務氏に取り調べを行ない、関係したものの名前を出せと命ずることになるでしょう」
米国では、メディアは機密費を使った「スピン」(情報操作)に対する警戒心から、「2ドルルール」「5ドルルール」などのルールを設けている。政治権力から、コーヒー代などを超える物品の提供を受けてはならないという自主的なルールで、破ったジャーナリストは事実上メディアから追放されるのだ。
私自身は、ニューヨークタイムズの取材記者時代から、金品は受け取らない姿勢を貫いてきた。政治家と食事を共にすることになったら、必ず割り勘にする。店によって割り勘が難しければ、必ず同額のお返しをする。その場で支払えなかった場合は、翌日、必ず届けるようにする。ゴルフコンペなどでも当然、参加費を払う。これは政治家とのフェアな関係保つためには必要不可欠なことだと考えている。
政治家に食事をおごってもらう、「お土産」「お車代」などの金品をもらうのが当たり前の「日本の常識」は、「世界の非常識」なのだ。
とくに機密費は、国民の税金を原資とするものだ。この問題で「自浄能力」を発揮できなければ、日本のメディアはますます世界のジャーナリズムから見放されることになるだろう。