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2010年08月02日(月)| 社会>政治・経済 |  
『週刊ポスト』大新聞は国民の敵だ 1――財務官僚にコントロールされるメディア

『週刊ポスト』2010年8月6日号 p.38 

「消費増税キャンペーン」各紙社説の「嘘」「変節」「詭弁」

   徹底検証 

 大新聞は国民の敵だ

「社会の木鐸(ぼくたく)」の音色がおかしい。権力に擦(す)り寄り、国民に負担を強いる政策の片棒を嬉々として担(かつ)ぎ、自らの「利益」だけは死守しようとする様(さま)は、もはや「権力の監視」を担う役割を放棄したと見るしかない。大新聞の国民裏切り行為を徹底検証する――。

 参院選で「消費税10%」を掲げた菅民主党が大敗すると、大新聞は慌(あわ)てて「それでも増税は必要だ」キャンペーンを展開している。興味深いのは、その記事がコピー&ペーストしたかのように同じ論調なことだ。

 朝日は、〈民意は、菅首相率いる民主党政権に退場を促すレッドカードを突きつけたのだろうか。(中略)そうではないと私たちは考える〉としたうえで、〈消費税から逃げるな〉(7月12日付)と結論づけた。

〈参院選の敗因は、首相が消費税率引き上げに言及したことではない〉(読売7月13日付)

〈消費税論議についても私たちはこれで立ち消えになっていいとは思わない〉(毎日7月12日付)

 日経も〈国民生活を安定させるには(中略)消費税などの増税が欠かせない〉(7月13日付)とし、産経はついに「新聞」を主語にして、〈各紙は概(おおむ)ね、菅首相があえて増税を打ち出したこと自体は評価する〉(6月28日付)

 やたらと「私たち」「各紙は」というキモチ悪い書き方をしているのは産経ばかりではない。自由な言論機関のはずの新聞が「みんな同じ」であることを誇る感覚はとうてい理解できない。

 いつから大新聞は「増税宣伝機関」になったのか。かつて橋本内閣が消費税を3%から5%に引き上げた際、各紙は厳しく批判したはずだ。

 朝日は〈消費税の引き上げは(中略)景気への悪影響を避ける工夫を併(あわ)せて示したうえで、国民の理解を求めるのが順序〉(96年5月12日付)と待ったをかけた。

 毎日も勇ましかった。当時の自民党政権が〈予算の食い荒らし〉をしていると批判したうえで、そのしわ寄せが〈消費税の引き上げであり、医療・年金などの負担増であり、(中略)つまり国民の苦しみのみ、なのだ〉(96年11月30日付)と書いた。

 当時から消費税増税論を展開していた読売でさえ、消費税増税の翌年、〈働けば働くほど消費税に苦しめられ、買い物をするたびに消費税に苦しめられているのに、景気は一向によくならない〉(98年11月28日付)と庶民の苦しみを書いた。

「われら」「各紙」は、消費税増税がどんな結末を招くのか、よく知っているのである。“彼ら”は、「当時と今では財政状況が違う」というかもしれない。しかし、税法学の専門家、湖東京至・前関東学院大学教授はこう語る。

「消費税増税は景気悪化を招き、国民の生活を苦しくさせる上に、税収増にも財政再建にもつながりません。それは橋本政権当時も今も変わらない。国の財政が厳しいから増税はやむを得ない、というマスコミの論理は詭弁です」

 そのなかにあって増税反対の論陣を張ったのは、なんと米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(日本版)だった。7月6日付社説で、〈(消費税増税の)議論を今、強いるのはおかしい。デフレにあえぐ日本経済は消費拡大を必要としている〉と指摘したうえで、肥大化した政府の無駄を削り、規制緩和を進める必要を説いている。

 日本の大メディアにはそんな当たり前の論調がまるでなく、各紙横並びの増税礼賛(らいさん)記事が紙面を覆(おお)っているのは、背後で霞が関の振り付けがあるからだ。

「不確実な試算」で記者を“洗脳”

 ある大新聞のベテラン経済部記者は、参院選さなかに財務省の中堅官僚から1通のメモを見せられた。表題はなく、箇条書きで、

◆日本の財政の状態
◆ギリシャの財政破綻
◆各国との債務残高比較
◆欧州各国の間接税(消費税)の税率比較
◆消費税率(3%、5%、7%引き上げ)ごとの財政寄与度
◆国内経済(GDP)への影響

 ――などの項目があり、表などの資料も付いていた。そして財務官僚はこう付け加えたという。

「いま財政再建に手をつけないと、日本経済は一層の混乱に陥(おちい)ります」

 経済部記者は、消費税を引き上げた場合、景気に悪影響を与えて税収は増えないのではないかという経済学の常識的疑問をぶつけた。

「たしかにデフレの状況で税率を上げても効果は薄い。しかし、リーマンショックから回復して出口政策を取る時期に来ている。近々、日銀も今年度の成長率見通しを上方修正するはずです。実質成長率は2%台に乗るでしょう。成長の中の税率引き上げであれば、マイナスは吸収できる。だから今しかない」

 財務官僚は明快に言い切った。「必要な資料は後ほどメールします」といい、要点解説をつけた関連資料が送られてきた。

 財務官僚が「消費税を増税しても景気への影響はない」とした根拠は、昨年6月23日に内閣府がまとめた試算だった。

『中長期の道ゆきを考えるための機械的試算』と題するレポートで、2011年から消費税をそれぞれ3%、5%、7%引き上げた場合の日本経済と財政への影響をシミュレートしたものだ。試算の結果は、消費税率を5%引き上げた場合、経済が順調回復、急回復の両シナリオともに、日本の成長率は消費税率を上げない時とほとんど変わらない、つまり増税による景気への悪影響はないことになっている。

 折しも、財務官僚が経済部記者に予告したように、日銀は7月15日、10年度の実質経済成長率見通しを従来の1・8%から2・6%に上方修正した。これは内閣府の試算では「経済急回復シナリオ」で想定されている数値(2・4%)を上回るものだ。財務省・日銀が一体となって「経済急回復」を演出し、消費税増税の世論づくりに懸命になっていることが窺(うかが)える。

 しかし、専門家の間からは、試算そのものに疑問の声が上がっている。元経済企画庁審議官でマクロ経済分析の権威、宍戸駿太郎・筑波大学名誉教授が語る。宍戸氏は消費税率を5%引き上げれば5年目にGDPが約46兆円減少するという試算をまとめている。

「国内の代表的なシンクタンクの多くは私と同じく増税が経済成長にマイナスという試算を発表している。内閣府の試算だけが違う結果なのは、恣意的な経済モデルを使っているからといわれても仕方がない。政府やメディアがそうした試算で増税の影響はないと判断するのは危険です」

 ちなみに、内閣府のレポートにも、「ここで示す展望は、種々の不確実性を伴うため相当な幅を持って理解される必要がある」と但し書きがあるが、新聞は一切報じていない。

 官僚が「講師」を務める勉強会も

 メディア対策は現場の記者だけにとどまらない。

 財務省は1か月に1度程度の割合で事務次官と各社の論説委員・解説委員との「論説懇」、さらに局長・審議官クラスと経済部キャップとの懇談会などを定期的に行なっている。また、有力な経済評論家は、やはり局長や審議官が分担して個別に会合を持ち、「ご説明」を行なう慣習を続けてきた。

 会合は著ない以外にレストランなどでも行なうが、その費用は多くの場合、財務省持ちである。時には、政治家がスポンサーとなって恒久レストランで記者と勉強会を開き、財務官僚が講師役に呼ばれて財政問題をレクチャーするといったケースも珍しくない。官僚と大マスコミが“財務省機密費(税金)”で飲み食いしながら増税の談合をするなど、ブラックジョークにもならない。

「重要なのは消費税増税をいかに社の方針として掲げてもらうかだ。5大紙はじめメディアの経営トップとは事務次官や主計局長が会合をもって、必要性を説いてきた」(財務省主計局官僚)

 読売新聞が先陣を切って今年5月に「消費税10%」の緊急提言を打ち出すと、自民党がそれに続き、その後、菅首相が、“自民党も読売もいっているから怖くない”と「10%」公約を掲げた。その背景には、こうした周到な根回しがあったわけである。

 新聞に登場するコメンテーターも、財務省御用達(ごようたし)の学者ばかりだ。

 その代表格が石弘光・放送大学学長だ。小泉政権時代に政府税制調査会会長を務めた増税論者で、財務省の信頼がとくに厚いとされる。石氏は参院選前には、〈最も罪が重いのは無駄を排除すれば必要な財源を確保できるとし、消費税率引き上げなど正当な政策と真正面から向き合おうとせずに、逃げ回ってきたことだ。いわば奇策に終始し、政策の王道を歩いていない〉(フジサンケイビジネスアイ6月16日付)と、これまでの民主党政権を批判。増税が「正当な政策」で、無駄の排除は「奇策」だという、まさに霞が関に都合のいい論理を展開してきた。

 同氏は参院選後には読売新聞の「どうなる菅経済政策」という記事(7月19日付)で、「消費税率の引き上げについて、広く問題提起をしたという意味では成功だった」とコメントしている。

 大手紙の経済部の幹部は、「記者の間にも消費税増税キャンペーンに疑念を抱いている者は多い。が、増税に慎重な学者を登場させようとしても、社の上層部の判断で、財務省に近い学者の評論を載せるように指示が出る」と打ち明ける。

 大新聞の増税キャンペーンは紙面作りからコメンテーターの人選まで、財務省にコントロールされているのである。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年10月生れ(74歳♂)。国語と理科が好き。ことばの持つ意味と自然界で起きるできごとの不思議さについて子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。長い間続けた自営(学習塾)の仕事を辞めた後は興味のあることに関して何でも好き勝手にあれこれ考える日々を過ごしています。千葉県西部在住。

2021年の2月下旬から海外通販(日系法人)を通じてイベルメクチンのジェネリック(イベルメクトール:インド Sun Pharma 社製)を購入し、定期的に服用しています。コロナワクチンは接種していません。

ツイッターは okrchicagob(メインアカウント)、または Chicagob Okr(サブアカウント)。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 第一部』 1章(1) 認識論と言語学との関係

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ふしぎだと思うこと
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そして考えること
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