上杉隆(ジャーナリスト)と本誌取材班
野中広務氏が、私に対する「名誉毀損」発言を訂正したという。7月28日、関西テレビ『スーパーニュースアンカー』に出演した野中氏は、官房機密費のマスコミ汚染の問題を聞かれた際、「個人の名誉を傷つけてはいけませんから」という理由で機密費を受け取った政治評論家や記者の公表を避けた。その一方で、「上杉は無責任だ、取材を受けたことも顔を見たこともないのに、週刊誌に野中激白のような記事を書かれた」云々といった、私への一方的な個人攻撃を繰り広げた。私は直ちに関西テレビに対して訂正を要求したが、7月30日の『アンカー』の最後に、司会が「訂正があります」として、以下の内容を読み上げた。
「双方に確認したところ、野中氏側は上杉氏から取材の申し込みがあったものの日程等が合わないため断わっていた。また、以前、名刺交換したり別の番組で上杉氏と共演したことはあったが記憶になかったため、顔も見たことがないという発言になったと、発言に関して訂正しています。また上杉氏は週刊誌の同じ号で機密費に関して執筆していますが、野中氏の指摘する記事は全く別の記事であり、上杉氏は関係がありませんでした(※)」
中途半端な訂正のみで現在に至るまで謝罪はなく、私の名誉は傷つけられたままだ。そもそも、野中氏のいう当該記事は、私と無関係なのである。野中氏には冤罪を晴らす義務がある。
そこで改めて編集部を通じてインタビューを申し込んだのだが、(私からの電話には出てもらえない)、結果は「機密費の取材はお受けしない」とのことだった。「無責任」はどちらの方だろうか。
それにしても、野中氏のこの番組での発言は、“摩訶(まか)不思議”としかいいようのないものだった。
「現職の記者に渡したことはありません」「渡しても受け取らなかったと思います」「やっぱり官房長官と番記者との関係はきちっとしていたと思います」
自分に近い番記者たちの疑惑を否定する一方で、野中氏は機密費を配った相手として、政治評論家の他に、「その他いろんな雑誌の関係やら」と発言した。出演していた宮崎哲弥氏が、「雑誌記者? それは編集者とか記者ということですか?」と聞くと、「それは記者ですね」と答えた。
改めて説明するが、日本には世界でも珍しい「記者クラブ」という独自のシステムがある。新聞・テレビ・通信社で構成される記者クラブという「談合組織」はそこに所属しないフリーランスや雑誌の記者たちを官公庁の取材現場から締(し)め出してきた。
私がニューヨーク・タイムズの取材記者だった99年、小渕恵三・首相(当時)に単独インタビューを申し込んだところ、了承を得られたにもかかわらず、官邸記者クラブから「取材は認められない」との通達を受けたことがあった。結局、取材は実現しないまま、小渕首相は帰らぬ人となった。
鳩山由紀夫・前首相が記者会見をオープン化するまで、非記者クラブメディアは、官邸に入ることすらままならなかった。小渕内閣の官房長官だった野中氏が、そうした実態を知らないわけがない。会う機会のない雑誌の記者には渡しておいて、毎日近くにいる番記者には渡さなかった、こんなことがあり得(え)るだろうか。
野中氏が4月末に、「政治評論家に官房機密費を渡した」と証言したことをきっかけに、私は取材をはじめた。歴代の官房長官秘書たちが引き継いできたという配布リストを入手してまず気づいたことは、名前の挙がった政治評論家の多くが記者クラブ出身であることだった。さらに、官邸の秘書経験者らに取材を進めるうち、メディアの幹部や政治部記者たちへ、組織的に機密費が配られている疑惑に突き当たったのだ。
おそらく野中氏にとっては、自らの証言が、記者クラブを巻き込むマスコミ汚染問題へ拡大したことが計算外だったのではないか。そこで、この番組に登場し、私を攻撃することで事態の収拾(しゅうしゅう)を図ったのではないか。
しかし、先週号に登場した野中官房長官時代の官房副長官を務めた鈴木宗男衆院議員は、首相と政治部長の懇談会などでは10万円程度のお車代、お土産代が「慣例になっていたと思います」と証言。また、首相などの外遊の際に記者に現金が配られたということについても「聞いたことがある」と語った。野中氏のテレビでの発言は、この証言と明らかに矛盾しているではないか。これでは、野中氏が子飼いの記者たちをかばったと受け取られても仕方あるまい。
知らぬ存ぜぬの幹部たち
そして、野中氏以上に「無責任」なのが、一向に内部調査しない記者クラブメディアである。
7月5日、日本外国特派員協会で行なわれた、参院選の展望を政治記者が語る会で、機密費に関する質問が飛んだ。参加したのは朝日新聞の星浩・編集委員、時事通信の田崎史郎・解説委員長、共同通信の西川孝純・論説委員長、讀賣テレビの岩田公雄・特別解説委員の4名だった。
「選挙じゃなくて、私は機密費についてお聞きしたいのですが」
質問した元ロイター通信記者の徳本栄一郎氏は、官房機密費マスコミ汚染問題に関する見解を尋ね、私案として、日本新聞協会が第三者を入れた調査委員会を作るアイディアを提案した。この質問に、各氏はどう答えたのか。
まずは時事通信の田崎氏。
「1979年に政治部に来て、当時、あるいはそれ以前にも機密費の問題は確かに問題として存在することは聞いていました。でもおそらく、僕の世代以降は、僕自身ありませんし、ないと思うんですね」
田崎氏はポストの記事にも言及した。
「いま週刊誌等を見てますと、そういう証言が出てきてるのは、40~50年前のことじゃないかと思うんですね。その頃のことを引っ張り出されて、今はこうなんじゃないかって推測されても非常に迷惑だとしか私は申し上げられません」
論評は後にしよう。続いては共同通信の西川氏だ。
「私は受け取っておりませんし、残念ながらというか、私の取材がなかなか深く潜ることができなかったからかもしれませんが、そういうオファーはありませんでした」
西川氏はそういいながら、自らの体験談を告白した。
「ただし、これは隠す必要はないと思うんですが、ある党の党首と一緒に外国、アメリカへ同行取材した時にですね。飛行機に乗ったら、私が幹事団の幹事、事務局長役だったんですけど、(党首側から)公的なイベントがあって皆さんと食事をする時間がなかなか取れない、だから悪いけどこれで食事してくれないかといってですね、ある程度のお金を渡されまして、これは何ですかと聞いて、受け取るわけにはいきませんと飛行機のなかで返した。そういうケースはございますが、それがはたして機密費から出たのか、皆目(かいもく)知る由(よし)もないし、尋ねてませんからわかりません」
讀賣テレビの岩田氏は、本社が大阪にあり、在京記者会に所属していないから関係がなかったという。
最後は朝日新聞の星氏だ。
「機密費の問題は、制度の問題と個別の事件というか出来事の事件を分けて考えた方が良いと思いますね」
機密費の使途公開に関する制度見直しを「必要」とした上で、「個別の事件」についてはこう述べた。
「個別の誰がどうしたということについて、これは私の会社というのはそういうことに対して比較的厳格で、もしそういうことがあるとかなりこっぴどいペナルティを受けるものですから、非常に用心深く対応しておりまして、残念ながらといいますか、全く身に覚えもありませんし、おそらく先ほど田崎さんがいわれた、20年、30年前にそういうことが日常的にあったのかもしれませんが、その辺はちょっと聞きかじりや伝聞でお話しするようなことではないと思っております」
おわかりの通り、外遊時の現金配布を裏付ける共同・西川氏の発言を除き、まるでお互いをかばい合うように皆、「昔はあったかもしれないが、自分自身はないし、周(まわ)りにもなかった」というばかり。
徳本氏が提案した調査委員会については唯一、西川氏が、「新聞協会ということじゃなく各マスコミできちんと調査して、そんな事実はないと対外的にアピールする必要もある」と発言しただけだった。総じて、現実を直視しない何とも残念な対応に終始したといわざるを得ない。
とりわけ残念なのが星氏と田崎氏だ。二人はポストの7月9日号で取材班が行なったアンケートにも答えている。星氏は朝日新聞としての回答で「弊社の記者が内閣官房機密費を受け取った事実は一切ありません」というのみだった。星氏は確かに「政治とカネ」に厳格であり、私の取材でも彼自身は受け取っていないことは確実だ。ただし、彼個人の正当性と、会社の問題は別である。内部調査もせず、国民の税金を原資とする機密費のマスコミ汚染を「個別の事件」と些末(さまつ)なことのように片付けるのはおかしい。
田崎氏にいたっては、ポストのアンケートに「そういう事実はまったく知りません」と答えている。今回の受け答えを見る限り、まったく知らないわけがないと思うのだが。
星氏、田崎氏には改めて取材依頼をしたが、応じてもらえなかった。それどころか田崎氏は、「不愉快な問い合わせをしてくる出版社とはお付き合いしかねる」として、小学館からの取材は今後受けないと逆ギレする始末で、ジャーナリストとして尊敬してきた田崎氏のこうした応対はきわめて悲しい限りだ。
7月31日、TBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』で官房機密費がテーマとして取り上げられた【mp3】。私がこの連載で書いたことをあらためて説明する前に、以前からこの問題に大きな関心を示していた久米氏は開口一番、かつて郵政大臣と会食した際、ランチをご馳走になってしまったエピソードを告白し、「慚愧(ざんき)に堪(た)えない」と述べた。たった一度のことを、ここまで後悔している人間がいるのだ。沈黙を続ける記者たちとの差は余りに大きい。
野中氏と記者らのかばい合いからは、官邸と番記者たちで作られる「官報(かん・ほう)複合体」の強固な癒着関係が浮かび上がってくる。しかし、その関係も、記者クラブ崩壊とともに変わりつつある。仮に私がいなくても、この問題に関する他のジャーナリストたちの追及や世間の関心は止まないだろう。徳本氏のいうように、記者クラブメディアおよび日本新聞協会はせめて日本相撲協会程度の第三者委員会を作り、内部調査を行なうべきだと、最後に通告しよう。
(第一部完)