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城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』――「訳者解説」ほか [PC版ページへ]
2010/09/24 09:46

 関連記事:長谷川宏訳『経済学・哲学草稿』――「解説」〈疎外・外化・弁証法〉

先日、長谷川宏訳『経済学・哲学草稿』(マルクス・光文社古典新訳文庫)の「解説」を引用した記事(2010.08.24)を書いた。マルクスの用いた「疎外」あるいは「外化」という概念について興味深い解説がなされていたからである。

実は、城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』(マルクス・岩波文庫) の「訳者解説」も非常に奥深いものであり、マルクスの思想形成におけるヘーゲルおよびフォイエルバッハの影響を知るための導きの糸となるものである。たとえばマルクスの「疎外・外化」概念はヘーゲルから直接に揚棄・止揚(正→反→合。保存しつつ廃棄し再獲得)されたものではなく、間にフォイエルバッハを介してさらに揚棄・止揚されたものである。城塚登による「訳者解説」から、そういったことに関して詳細に触れている(二)の部分を以下に紹介する。


〔注記〕 傍点は傍点のように表記した

城塚登・田中吉六『経済学・哲学草稿』――訳者解説から p.298 

(二)マルクスの思想形成における『草稿』の位置について

 一九三二年に『草稿』が公開されて以来、そしてとくに第二次世界大戦後に、「疎外」ないし「自己疎外」の問題をめぐって、『草稿』はさまざまに論ぜられてきた。また、『草稿』がマルクスの思想的展開のなかで果した役割についても、さまざまに論ぜられてきた。それは往々にして論争をよびおこし、その論争は時として論争のための論争に堕することもあった。すでに邦訳があるにもかかわらず、より正確に読みとれるかたちで本訳書を提供したいと考えた理由も、そこにある。したがってここでは、論争的な姿勢から離れて、できる限り事実に即して、『草稿』の占めている位置を素描することにとどめたい。

 マルクスは、パリに居を移す直前の一八四三年九月から翌月にかけ、「ユダヤ人問題によせて」という論文を、『独仏年誌』 のために書いたが、この論文はユダヤ人問題についてのB・バウアーの二著作を批判しつつ、政治的解放と人間的解放との関係につき論じたものであった。マルクスはここで、国家を宗教から政治的に解放しても、市民社会における現実的な人間が宗教から解放されたことにはならないことを明らかにし、一般に、近代の政治的革命は、全国民を――生まれや身分や教養や職業の区別なく――主権の平等の参与者とし、国家の見地からはそれらの区別を廃止することになったが、だからといって、それらの要素が実際に消滅したのではなく、かえって市民社会のなかで何ものにも妨げられず私有財産や教養や職業として勝手気ままに活動するようになったと論じている。そこでは近代国家における抽象的普遍としての国家と、具体的特殊としての市民社会との分裂状態が鋭く指摘されているが、この見解は、一八四三年三月に読んだL・フォイエルバッハの「哲学改革のための暫定的提言」を直接の手びきとして、ヘーゲルの『法の哲学』を批判的に研究することにより獲得したものであった(三月から八月にかけ、マルクスは『法の哲学』第三部第三章「国家」の二六一節から三一三節までの各節の詳しい批判的評注を書いている)。

 「ユダヤ人問題によせて」でマルクスの到達した結論は、人間の政治的解放でなく人間的解放がなされなければならないということにあった。それは具体的には、市民社会における現実的な個人が、国家へと抽象的なかたちで奪われている普遍性を奪回して、「類的存在」となること、政治的革命ではなく市民社会そのものの変革によって、ユダヤ教の基礎であると同時に市民社会の原理である「利己主義」から、私有財産の勝手な運動から、現実的人間を解放することを意味した。したがってパリに移ったマルクスの当面の課題は、この人間解放の実際の担い手、実現手段を具体的に追究することにあったといえる。

 パリに移って間もなく書いた「ヘーゲル法哲学批判、序説」では、マルクスは問題をドイツの現実の上におき、いっそう具体的に考察している。まずマルクスは、「人間の自己疎外の神聖な姿が仮面をはがされた以上、神聖でない姿での自己疎外の仮面をはぐことが、歴史に奉仕する哲学の当面の課題である」とし、フォイエルバッハがキリスト教神学とヘーゲル哲学とを相手にして宗教・哲学の領域において遂行した仕事を、法や政治という現実的生活と直結する領域のなかで遂行するという自分の目標をはっきり示すのである。そして目をドイツの現状へと向け、政治的、社会的に「歴史の水準以下」にあるドイツ、「旧制度の完成」でしかないドイツを確認する。ドイツが近代諸国民と比肩しうるものは、法哲学と国家哲学だけなのである。このようなドイツ、すなわち、一切の種類の隷属を打破しないかぎり、どんな種類の隷属も打破できないほど、がんじがらめになっているドイツでは、部分的な、たんに政治的な革命は空想におわらざるをえず、徹底的な、全面的な社会的革命こそ必須のものとなる。この革命の担い手は、社会のあらゆる隷属と欠陥とを体現し、ドイツの国家制度に全面的に対立しているプロレタリアートにこそ求められるべきであり、哲学は彼らのための精神的武器とならなければならない。こうしてマルクスは「ドイツ人の解放人間の解放である。この解放の頭脳哲学であり、それの心臓プロレタリアートである」と結論するのである。

 いまやマルクスは、自らの進むべき方向をはっきり自覚するにいたった。しかし、プロレタリアートによる徹底的社会革命という方向へとさらに前進するためには、マルクスは理論的領域において果さねばならない幾つかの課題をになっていた。そしてこの幾つかの課題の解決のためにマルクスが全精力を注いだのが、ほかならぬ「パリ時代」だったのである。

 まず第一の課題は、「市民社会の解剖学」である経済学を研究することであった。すでにみたように、「ユダヤ人問題によせて」のなかで、マルクスははっきりと、国家という抽象的、形式的場面においてではなく、現実の人間の活動場面である市民社会そのもののなかで、市民社会の弊害を克服する方法を追求していた。そこにヘーゲルの『法の哲学』との決定的な相違がみられるのであるが、このマルクスが追求する場面である市民社会は、国家の政治的な制約から独立しており、経済的活動を中心として動くものであった。「ヘーゲル法哲学批判、序説」において革命の担い手とされたプロレタリアートも、市民社会の経済的仕組、私有財産の運動によって生みだされた階層にほかならなかったのである。したがってマルクスは、市民社会の構造と運動とを正確にとらえるため、経済学の研究を進めなければならなかったのである。一八四四年二月に刊行された『独仏年誌』に掲載されたF・エンゲルスの「国民経済学批判大綱」から直接の刺激をうけ、マルクスは国民経済学の本格的な研究を開始したのであった。そしてイギリスとフランスの経済学の成果を摂取するとともに、その基本的立場の限界を明らかにし、さらに国民経済学そのもののあり方へと批判の目を向けるのである。

 第二の課題は、フォイエルバッハの哲学的立場を発展させ、それを批判的にのり越えることであった。すでにみたように、四三年三月にフォイエルバッハの「哲学改革のための暫定的提言」を読んだマルクスは、激しい共感をもってこの革命的見解を迎えた。「人間の自己疎外」の克服というテーマは、その後この『草稿』にいたるまで一貫してマルクスの脳裏を離れていない。本訳書の「序文」および「ヘーゲル弁証法と哲学一般との批判」にみられるように、マルクスはフォイエルバッハに最大の賛辞を呈している。しかし同時に、フォイエルバッハとマルクスとのあいだには、一種のずれがあったことを、見のがしてはならないだろう。すでにマルクスは、四三年三月十三日付のルーゲあての手紙のなかで、「フォイエルバッハの短句集(アフォリズム)(「哲学改革のための暫定的提言」を指している)は、彼があまりにも多く自然を、あまりにも少なく政治を引きあいにだす点についてだけ、私にはただしくないように思われます」(MEGA, Erste, Abt., Bd. 1, Zweiter Halbband, S. 308)と述べ、フォイエルバッハとの関心方向の相違を明らかにしている。

 フォイエルバッハの関心は、終始一貫して宗教と哲学との領域に向けられていた。彼が一八三九年に『ハレ年報』 Hallische Jahbücher に発表した「ヘーゲル哲学批判のために」 Zur Kritik der Hegelschen Philosophie は、「感性的な個別的存在の実在性は、われわれにとって、われわれのをもって確証された真理である」(Sämtliche Werke, Bd. 11, S. 185)という立場からヘーゲル哲学の抽象性を鋭く批判したものであったが、このヘーゲル哲学批判は、『キリスト教の本質』(一八四一年刊)におけるキリスト教神学への批判とともに、またそれを媒介として、より徹底的、具体的に展開されたのであった。「宗教の内容対象とが徹頭徹尾人間的なものであること、神学の秘密は人間学であり、神の本質の秘密は人間の本質であること」(S. W., Bd. VI, S. 325)を証明しようとする『キリスト教の本質』を貫いていたものは、「人間の自己疎外」という考え方であった。これは後述するように、ヘーゲル哲学の核心をなしていた「外化」「疎外」という考え方を、感性的・現実的人間の立場に立ってフォイエルバッハ独特の考え方へと発展させたものであった。『キリスト教の本質』は、現実的人間が、もともと自分のものである「類的本質」を、疎遠な対象的存在(人格)と見なし、それによって支配されるとき、キリスト教の神が現われると説き、この事実を隠蔽(いんぺい)する神学に大胆な批判を加えたのであるが、この批判の矢は、そのままヘーゲルへと向けられるのである。すでにこの著書のなかでも、「こうして神の人格性とは、人間が自分自身の本質の規定と表象とを、他の本質――人間以外の本質――の規定と表象にするための手段である。神の人格性はそれ自身、人間の外化され対象化された人格性にほかならない。人間が神についてもっている意識神の自己意識とするヘーゲルの思弁的教説も、このような自己疎外の過程にもとづいている」(S. W., Bd. VI, S. 273)と述べ、ヘーゲル批判の姿勢をみせているが、「哲学改革のための暫定的提言」では、ヘーゲル哲学の疎外構造が全面的に究明され、批判の俎上(そじょう)にのせられるのである。

「抽象するとは、自然の本質自然の外部へ、人間の本質人間の外部へ、思惟の本質思惟作用の外部へ定立することである。ヘーゲル哲学は、その全体系をこれらの抽象作用にもとづけることによって、人間を自己自身から疎外した。… ヘーゲル哲学には、直接の統一直接の確実性直接の真理が欠けている」(S. W., Bd. II, S. 227)。人間が自分の思惟作用や活動を対象化し、人間にとって疎遠な存在と化したこの抽象の産物を、絶対的な実体であり主体であると見なすとき、ヘーゲルのいう「精神」「理念」が現われるのだ、とフォイエルバッハは論じ、感性によって直接に確実なもの、科学的に実証されるものを基礎とする新しい哲学をみずからの立場として主張したのである。

 このようなフォイエルバッハの関心は、宗教と哲学へと集中していたから、彼が「人間の自己疎外」というとき、それは思惟の上での、すなわち意識の内部での「疎外」を意味した。それゆえ疎外の克服は、人間の外部に人間から独立していると思われているもの――思惟の産物である神や精神――が、じつはもともと人間のものであリ、人間の類的本質や諸活動の対象化であると認識すること、つまり意識の変革(宗教や哲学の改革)によって果されることになる。したがってまた、人間が歴史的・社会的存在として把握されず、どこでも通用する普遍的本質をもつ人間、それゆえ自然との結びつきによって規定されるような人間(人間的自然――人間性)が基礎に据えられることになったのである。

 それに対し、マルクスの関心は、政治や経済と直接に結びついて市民社会のなかに現実的に活動している人間へと向けられていた。したがって、フォイエルバッハによる「ヘーゲル哲学の逆転」、つまり感性的・現実的な人間の立場(「真の唯物論)に双手(もろて)をあげて賛成し、「人間の自己疎外」という考え方をみずからのものとしながらも、フォイエルバッハの立場に満足することはできなかった。さしあたり、フォイエルバッハの原理を、人間の現実的活動の場面へ適用することが課題となるが、この適用はいやおうなしにその原理そのものの未完成・欠陥への反省をうながすことになる。現実的活動は歴史的社会のなかにのみ存在する。したがって、もはやどこにでも通用する自然的人間のみを基礎にして、現実的社会の疎外構造を批判することはできない。また、この場合、「人間の自己疎外」は、歴史的社会における人間活動(とくに労働)の自己疎外を意味し、その原因と結果とを社会的な現実、つまり社会組織とか労働生産物としてもっていることになる。それゆえこの疎外の克服は、意識の変革だけではなく、社会的現実そのものの変革、すなわち革命によって、はじめて実現されるのである。

 この『草稿』には、こうしたフォイエルバッハとの原理的な相違を、はっきり論理化しようとするマルクスの意図が現われている。フォイエルバッハの原理を社会的領域へと適用しつつあった者として、M・ヘスがいたが、彼の立場がフォイエルバッハの枠内を脱せず、存在を意識の内部で主体的なものするのにとどまったのに対し、マルクスは、一方ではフォイエルバッハの現実的人間の立場からヘーゲル哲学の抽象性と転倒とを批判し、それを克服しようとするとともに、他方ではヘーゲル弁証法の積極的な側面を生かして、そこからフォイエルバッハの「人間」の非歴史性、非活動性、非社会性を克服しようとするのである。 この試みは『草稿』ではまだ十分ととのったかたちには整理されておらず、『神聖家族』から『ドイッチュ・イデオロギー』にいたって、はじめて明確なかたちに結晶するのであるが、それだけにまた、この『草稿』では、生ま生ましい思索のあとがみられ、種々の方向へと思索をのばす可能性が示されているのである。

 第三の課題は、ヘーゲルの弁証法と哲学とに根本的に対決することであった。 前述したように、マルクスはすでに『法の哲学』をめぐってヘーゲルへの批判的立場を築きつつあったが、まだヘーゲル哲学一般にわたり、またその方法的核心である弁証法について、十分な批判的検討をおこなっていなかった。そこでマルクスは、フォイエルバッハの現実的人間の立場を手がかりとして、「ヘーゲル哲学の真の誕生地でありその秘密である」『精神現象学』を批判の対象に据え、その積極的契機をすくいあげ摂取しつつ、ヘーゲル哲学への根本的批判を展開しようとするのである。

 「外化」および「疎外」という考え方は、ヘーゲル哲学において重要な役割を演じているが、とくに『精神現象学』では思想の中核をなすものとして現われている。G・ルカーチが『若きヘーゲル』 Der Junge Hegel のなかで指摘しているように、もともとこの語は alienation を独訳したものであり、イギリス経済学では商品の「譲渡」という意味で用いられ、社会契約論では、国家成立の契約にあたって成員がその自然権を共同体に「譲渡」することを意味した(上掲書六八二ページ)。J・G・フィヒテもこの語を用いたことがあるが、この語が内容豊かな概念として思想の中核に定着させられたのは、ヘーゲルにおいてにほかならない。ヘーゲルによれば、絶対的理念・精神は、みずからの絶対性を現実のなかで確証するために、自己を外化して現実的な世界のなかに姿を現わす。この世界は有限な対立的世界であるから、この姿は理念・精神と疎遠なものとなり、またこの世界の他のものと相互に疎遠に対立することになる。たとえば主観と客観との対立が現われるのである。しかしこの対立はふたたび克服され、絶対的な統一である理念・精神へと還帰する。つまり理念・精神は、分裂を通じて自己展開するとともに、ふたたび自己へと還帰するのであり、「外化」および「疎外」は、その過程のなかに現われる一段階なのである。そして「疎外」は「外化」されたものが、みずからの母体にたいし離反し反抗するというニュアンスをもつことになる。

 このように、ヘーゲルはこの「外化」および「疎外」の運動を描いたが、その場合、この運動の主体は、あくまでも抽象的な精神であり、理念であった。フォイエルバッハの批判はそこに向けられたのであり、彼はこの運動の主体を現実的人間に求めたのである。しかしマルクスは、本書に詳しく述べているように、ヘーゲルのこの考え方は――疎外された形態においてであるが――労働の本質的なあり方を、そして歴史のあり方を、しっかり把握していると考え、その積極的契機を生かすことによって、フォイエルバッハの立場をのり越えようとしているのである。

 以上の三つの課題を、マルクスはこの『草稿』では完全に果しているとはいえない。しかし、彼のその後の思想的発展を支える基本線は、ここにはっきり姿を現わしている。その意味では、この『草稿』は彼の思想的発展にとって画期的な意義をもつといえるであろう。

   一九六四年一月三十日

城 塚  登 

本書において begreifen「概念的に把握する」という概念をマルクスは多用している。これも「疎外・外化」概念と同様にヘーゲルの用語をマルクス的に(現実に即して)概念規定し直した上で用いているのである。また、Gattungswessen という語についてもマルクスはフォイエルバッハのそれを改めて概念規定し直している。これらについては本書の訳注で取り上げられているのでそれも紹介しておきたい。

城塚登・田中吉六『経済学・哲学草稿』――訳注から p.258ほか 

(1) begreifen を「概念的に把握する」と訳した。この草稿でマルクスが begreifen という言葉を用いるとき、それは往々にして特別の意味をこめて用いられている。ヘーゲルがすでに、「概念」begreiff を通じて、あるいは「概念」において事象をとらえることを、begreifen とよんだのであるが、マルクスはこの用法を自分なりのかたちで受けついだのである。ヘーゲルの場合、概念とは、普通に考えられるように「生命のない、空虚な、抽象的な」形式なのではない。それは、「体系的な全体」であり、みずからの内容の運動を通じて必然的に自己を規定し、自己に形式を与えていくものである。つまり、この概念は、その内に個別的な諸契機を体系的に結びつけつつ含んでおり、内容豊かな具体的なものである(たとえばヘーゲル『小論理学』第一六〇節以下を参照)。したがって、「概念的に把握する」とは、わかりやすく言えば、抽象的形式と具体的内容とに分離したりせずに、内容の必然的な運動に即して形式をとらえてゆくこと、悟性的な反省だけで対象をただ独立のものとして個別的にとらえたり、直観だけで全体を直接に(無媒介に)とらえようとしたりせずに、対象を反省によって分析しその構成契機を明らかにすると同時に、その構成契機のあいだの必然的連関、必然的運動を明らかにし、つねに一つの全体としてとらえ、各契機をつねに全体の中に位置づけつとらえること、を意味すると思われる。マルクスは、ヘーゲルが観念の内部の運動としてとらえたものを、現実そのものの運動として理解した上で、このヘーゲルの用語を受けついでいるのである。

(9) Gattungswessen を「類的存在」と訳した。Gattung の訳としては「種属」も考えられるが、マルクスは他に species という言葉を用いている(たとえば本訳書九十五、九六ページ参照)ので、それとの区別のために「類」を採用した。また、 Wessen は訳しにくい言葉で、「訳者解説」のなかで指摘したように大別三つの意味をふくんでいる。この場合、「本質」と訳すると、抽象的な性質のように誤解されるおそれがあるので「存在」と訳した。

〔注〕 Wessen について「訳者解説」で触れられている部分を以下に引用する。

 Wessen の訳語は難しい。ミリガンの英訳書についてのノートにも指摘してあるが、この語には大別して三つの意味がある。第一に「本質」と訳すべき意味で、或るものをそのものたらしめている性質、つまり副次的、偶然的に付着している属性でなく、そのものの核心をなしている特質という意味である。第二に、「存在」と訳すべき意味で、「本質」がいくぶんなりとも抽象的な性質をもつのに対して、はっきり現実のなかに存在しているものを指す。したがって「もの」とか「あり方」と訳すべき場合も生じてくる。Gattungswessen という場合も、本質ではあっても抽象的なものではないので、「類的存在」という訳語を採用することにした。第三に、Zeitungswessen, Postwessen といった用例にみられるように、事物を複合体として、さまざまの連関の総体としてとらえる場合も、この語を用いる。「本質」と訳したときでも、こうした総体的意味が含まれていることがあるから、注意して読んでいただきたい。

 マルクスがこの Gattungswessen という言葉を重要な意味をもつものとして使いはじめたのは、『独仏年誌』に発表した「ユダヤ人問題によせて」 Zur Judenfrage (一八四三年秋から四四年一月のあいだに執筆)である。その当時のマルクスはフォイエルバッハの主張に強い共感をもっており、とくにフォイエルバッハの『キリスト教の本質』の第二版の序文および『アネクドータ』誌所収の「哲学改革のための提言」がマルクスに強い影響を与えたことは、四三年当時のマルクスの手紙などから明らかである。したがって、マルクスはこの Gattungswessen という言葉をフォイエルバッハの影響のもとで用いていると推定される。フォイエルバッハは、人間が自己の「類的本質」 Gattungswessen を疎遠な対象とみなし、その対象化され外化されたものを主体とみなすところに、宗教(神学)やヘーゲル思弁哲学の自己疎外があるとして激しい攻撃を展開していたが、その場合、「類的本質」とは、人間が類としてもつ独自な本性、すなわち理性・意志・心情(愛)であり、それは個人のなかにありながら個人を超えて類的な性格をもつと考えられた(たとえばフォイエルバッハ『キリスト教の本質』の第一章「人間一般の本質」を参照)。マルクスは、フォイエルバッハが意識の内部での人間の自己疎外を問題としたのに対して、現実の生活活動のなかでの人間の自己疎外をはじめから問題にしていたので(たとえばマルクスの四三年三月十三日付ルーゲあての手紙、また「ヘーゲル法哲学批判、序説」 を参照)、当然、「類的本質」といってもフォイエルバッハのように人間の内面的な性質(能力)ばかりでなく、さらに類としての共同を実現する外的な活動を含むものとしてとらえた。たとえば、「ユダヤ人問題によせて」 のなかでマルクスはこうのべている。「現実の個別的人間が、抽象的な公民を自分のうちにとりもどし、個別的人間のままでありながら、その経験的な生活において、その個人的な労働において、その個人的な関係において、類的存在となったとき、つまり人間が自分の〈固有の力(forces propres)〉を社会的な力として認識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力の形で自分から切りはなさないとき、そのときはじめて、人間的解放は完成されたことになる。」 ここではJ・J・ルソーの考えが導入されているが、人間の本質が社会的場面での活動を通じてとらえられている。したがって、「類的本質」というより「類的存在」という方がふさわしくなっているのである。

 この草稿で「類的存在」という場合、マルクスは以上のような展開を頭においていると同時に、ヘーゲルが『精神現象学』の自己意識の段階で述べている「類」の自覚を頭においていると考えられる。ヘーゲルによれば、生命は統一的普遍的であるが、そうした抽象にとどまらず、みずから分裂して個々の生物として個体化した形態をとることになる。しかし個体はやがて普遍的生命のうちに解消してゆき、ふたたび統一が生まれるが、この統一こそ「類」にほかならない、とされる。したがってこの場合、「類」は個別的なものとしての個体のなかにある普遍的な性質を意味すると同時に、個体への分裂をふくむ統一という生命の運動を意味することになる。そしてヘーゲルにおいても、この「類」を自覚できるのは、「自己意識」つまり人間だけであるとされている。大略このようなヘーゲルの考えをマルクスは頭におき、それをより現実的な場面でのべていると思われる。

(13) この箇所およびこの〔疎外された労働〕全体を理解するのに参考となる文章が、J・ミルの『経済学原理』(J.Mill:Éléments d'économie politique, Traduit par J.T.Parisot, Paris, 1823)についてのマルクスの研究ノートにみいだされる。「われわれが人間として生産したと仮定しよう。そうすれば、われわれはそれぞれ、自分の生産において自分自身と他人とを二重に肯定したことになろう。(一)私は、私の生産活動において私の個性とその独自性とを対象化し、したがって活動のあいだに個人的な生命発現を楽しむとともに、対象物を観照することによって個人的な喜びを味わう、すなわち、対象的な力、感覚的に観ることができる力、あらゆる疑惑を超えでた力として自分の人格を知るという個人的な喜びを味わうであろう。(二)私の生産物を君が享受あるいは使用することのうちに、私は直接につぎのような喜びをもつであろう。すなわち、私の労働によって、ある人間的な欲求を満足させるとともに人間的な本質を対象化したと、したがって他の人間的存在の欲求にその適当な対象を供給したと意識する喜びであり、(三)君にとって私は、君と類との媒介者であったのであり、したがって君自身が私を君の固有の本質の補足物、君自身の不可欠の部分であると知り感じており、したがって君の思惟においても君の愛においても君が私を確証していると知る喜びであリ、(四)私は、私の個人的生命発現によって直接に君の生命発現をつくりだしたのであり、したがって私の個人的活動のうちに直接に私の真の本質、私の人間的本質、私の共同的本質を確証し実現したのだという喜びである。」(MEGA, Erste Abteilung , Bd, 3 S.546 f. 邦訳『経済学ノート』、一一七〜八ページ、参照)。

(関連記事)

長谷川宏訳『経済学・哲学草稿』――「解説」〈疎外・外化・弁証法・国民経済学〉
対象意識(1)――類的存在としての人間の意識

(関連サイト)

経済学・哲学草稿』 (マルクス・城塚 登 田中 吉六訳/岩波文庫 @Amazon)

【pdf】マルクス『経済学・哲学草稿』(政治経済研究所)



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