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2011年02月07日(月)| 社会>ツイッター |  
落合洋司さんのツイート――小沢氏元秘書の政治資金規正法「違反」事件

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本日は、小沢一郎氏元秘書3人の政治資金規正法「違反」に関する第1回公判が東京地検で開かれています。東京地検特捜部が無理筋にしたがって作り上げたように見える「陸山会事件」。このいわゆる「陸山会裁判」に対する検察の立件方法や無責任なマスコミ報道、検察審査会制度への疑問等々について、弁護士の落合洋司さんが今日の午前中にまとまった批判ツイートをなさっていますので、それらを採録しました。

落合洋司さん(@yjochi) 2011年2月7日(月) 

小沢氏の元秘書の政治資金規正法違反事件は、報道やツイートを見ていると、えらく低レベルな立件、という印象を受けるな。こういうものしか立件できない特捜部の存在意義は問われそう。

posted at 12:25:21

形式犯、形式犯と批判されたので、形式犯じゃないと言いたくて、金そのものの問題があったという立証をしたいのだろうが、では、なぜそれは立件しないんだということになり、証拠構造の脆弱性ということで馬脚を現すことになってしまっている。

posted at 12:26:49

本来、起訴されてもいない余罪を実質的に処罰できないはずなのに、「情状」ということで突っ込み、起訴していないことで、かえって「疑惑」レベルで中途半端な、放漫な立証を行い、息のかかったマスコミを使って印象操作して、重い量刑に結びつけ、小沢氏の政治生命に打撃を与える狙いだろう。

posted at 12:29:43

民主的な基盤を持たない検察というものが、独善で暴走したとき、どういう深刻な事態が生じ、民主主義に打撃を与えてしまうか、ということが、法廷で白日の下にさらされているという気がする。

posted at 12:31:20

そういう深刻な状況に、問題山積の検察捜査に乗っかった検察審査会が加担しているという構図は、心底、怖さを感じる。

posted at 12:32:31

刑事司法の内部に、反民主的で独善的な、モンスターのような存在が2つもできてしまった。この怖さには、気付かないほうが無邪気に過ごせる。

posted at 12:33:41

特定の人間を葬ろうとすれば、特捜部、マスコミ、検察審査会が連携することで、かなりの確率で葬り去れるという、恐ろしい状態になってしまっている。

posted at 12:35:08

特捜部が無理やり調書を作る、不起訴になってもそれを検察審査会が捜査経過に目を向けることなく起訴相当決議を繰り返す、マスコミが悪者報道をこれでもかこれでもかと繰り返す、それで、多くの人は簡単に葬り去られるだろう。

posted at 12:37:22

必死に裁判闘争を行い、数年後に無罪になっても、普通は、回復不能な打撃を被っているもの。

posted at 12:37:55

そうなっても、特捜部も検察審査会もマスコミも、誰も責任は取らない。

posted at 12:38:29

検事は、転勤して栄進、幹部は退官して、大手企業の顧問弁護士、監査役、公証人等で左団扇の生活。検察審査員はどこの誰かもわからないし、そもそも実在していたかも不明。

posted at 12:39:54

マスコミも、書きっぱなし、流しっぱなしで、誰にどういう責任かも不明。

posted at 12:40:44

法廷外で、こういった、一種の「悪の枢軸」が連携することで、人を法廷に無理やり送り込み、無罪になっても葬り去れるという、恐ろしいことが現実に起き得る。

posted at 12:42:27

それぞれは、善意(特捜部は悪意しかないだろうが)で動いているつもりでも、やっていることは悪そのもので、悪の枢軸を形成、ということが起きてくる。その中枢は、やはり検察庁、特捜部だろう。こういう組織をこのまま放置してはいけない、ということがよくわかると思う。

posted at 12:44:05

自分の身近で殺人事件が起き、自分はやっていないのに、殺人の機会に自分がすぐそばにいたといった状況証拠が、検察、警察ストーリーで積み重ねられて行く。

posted at 12:52:27

自分を犯人視する報道が山のように出てくるが、反論もできず、犯人というイメージが形成される。

posted at 12:53:06

最終的にぎりぎりのところで不起訴になるが、検察審査会で、ストーリーに沿った捜査結果が鵜呑みにされ起訴相当議決が2回出る。マスコミは、正義が実現されたと騒ぎ、ますます犯人視されて行く。

posted at 12:54:03

起訴され、何年も裁判で苦しみ、やっと無罪になっても、信用も仕事も何もかも失っている。

posted at 12:54:45

小沢氏のような力は、普通の人間にはないので、通常はこういう悲惨なことになる。

posted at 12:55:16

そういう、取り返しがつかないようなことが起きないような仕組みが必要なのに、現状は、むしろ、そういう取り返しがつかないことが簡単に起きる方向へと進んでいる。

posted at 12:57:37

戦後の、日本が農業国家として再生するしかない、などと言っていた時代にできた刑事訴訟法に、後からビジョンもなく接ぎ木した法制度で漫然とやっているから、こういうことになるのだと思う。

posted at 12:58:49

検察審査会だって、GHQが目論んでいた大陪審や検察官公選制が導入されず、妥協の産物として残ったもので、それが、制度自体についての検証も見直しもされないまま、権限だけが肥大化してしまっている。

posted at 13:00:14

30年前、40年前の自動車に、最新式のスポーツカーのエンジンをつけ、ブレーキ性能を思いきり落としてしまったようなもので、危険極まりない。

posted at 13:01:41

戦後、60数年が経過し、刑事司法制度というものが、様々な、深刻な行き詰まり状態に来ている、ということが広く認識される必要がある。検察の問題、裁判所の問題など、ミクロではいろいろあるが、マクロでも、この問題を見なければならないと思う。

posted at 13:07:27

刑事司法が誰のためにあるか、ということが、まずスタートにならなければならない。もちろん、検察庁のためでも、特定の訴訟関係者のためでもない。国民のためのもの、国民にとって使いやすい、利益になるものでなければならない。

posted at 13:08:24

そういう観点に立った大改革が、速やかに行われる必要があるが、議論が矮小化したところでしか行われていないのが問題。

posted at 13:09:12

マスコミも、55年体制下の、自民党支配、派閥支配、巨悪によるろう断、そういった悪に立ち向かう検察というステレオタイプな見方から脱せられないんだと思う。そういう安直な報道をしていれば、国民の関心をかきたてられると思っているのだろう。

posted at 13:13:33

検察庁にいると、悪というものを抽象的、幼稚にしか思い描けなくなる。特捜部的な貧困な発想に陥ってしまう。

posted at 13:14:35

そういう幼稚な正義感に基づく的外れな捜査を、55年体制下で現場を走り回っていた記者が昇進してデスク等になり、検察と連携して応援しているというのが現在の構図だろう。

posted at 13:16:03

かつて、リークでネタをもらい、記事にしたり放映して、ずぶずぶになっていることも影響している面があろう。心情的に、検察のフロントみたいになっている。

posted at 13:17:10

魚住昭氏のように、そういうところから脱け出した人もいるが、少数派。多くは、心地よい、検察・マスコミネットワークの中に身を置き、検察情報を、かつての大本営発表のように垂れ流し続けている。

posted at 13:18:33

大阪地検特捜部問題で、さすがにそういう関係に疑問を持たれつつあるが、一旦、形成された「枢軸」関係は簡単には崩れない。

posted at 13:19:19

戦前のマスコミが、いかに、暴走する軍部を応援し、国家の破局へとつながったかということを、今こそ思い出す必要があると思う。同じ構図が今もあてはまる。

posted at 13:20:43

社会 | Trackback (0) | Comment (0) | URL | 携帯 | スマフォ |  | 記事番号:260
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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年10月生れ(74歳♂)。国語と理科が好き。ことばの持つ意味と自然界で起きるできごとの不思議さについて子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。長い間続けた自営(学習塾)の仕事を辞めた後は興味のあることに関して何でも好き勝手にあれこれ考える日々を過ごしています。千葉県西部在住。

2021年の2月下旬から海外通販(日系法人)を通じてイベルメクチンのジェネリック(イベルメクトール:インド Sun Pharma 社製)を購入し、定期的に服用しています。コロナワクチンは接種していません。

ツイッターは okrchicagob(メインアカウント)、または Chicagob Okr(サブアカウント)。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 第一部』 1章(1) 認識論と言語学との関係

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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