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2006年07月12日(水)| 言語>意味 |  
言語表現における概念の二重性と二種類の概念

現実・非現実におけるある対象をある人間(認識主体)が認識し、意識の内部で客体化したその認識内容や思考内容(観念ないし個別概念)を認識主体が言語として表現する場合には、それらの個別概念(個別的概念)は言語規範に媒介されて二重化しており、またそのとき意識内には思考内容の概念(個別概念)と言語規範の概念(語概念)との二種類の概念が――客体として――存在している。これはソシュールの「言語」(2)(2006.07.10)で紹介した三浦つとむの見解であるが、この二種類の概念を川島正平さんが「運用概念」「規範概念」と名づけて呼んでいることは知らなかった。川島さんの『言語過程説の研究』は読んだはずなのに恥ずかしい限りである。

深草周さんの『モノロゴス』というブログの発表「三浦つとむの主体的言語論」(2006年7月11日)を読んで私はそのことを初めて知ったのであった。

私の無知についてはともかく、深草さんの上記の稿では、私が紹介した三浦の見解が具体例をもって簡潔に述べられている。三浦の観念的自己分裂についてもコンパクトにわかりやすくまとめられている。一読をお薦めする。

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言語 | Trackback (0) | Comment (6) | URL | 携帯 | スマフォ |  | 記事番号:29
コメント
 
[2] 
2006/07/12(水)03:13:32 | URL | 深草周[編集
深草です。トラックバックありがたうございます。

>この二種類の概念を川島正平さんが「運用概念」「規範概念」と名づけて呼んでいることは知らなかった。川島さんの『言語過程説の研究』は読んだはずなのに……

いえ、『研究』には確かこの区別は書かれてゐなかったと思ひます。私は以下のページを参照してこの区別を使ったので、きちんとした説明はこのページで確認して下さい。

<概念の二重化>説 2
http://www.interq.or.jp/pluto/yassy/ninijuuka.html

ただ、やはりこれも難しいところがあって、発表の後に聴いて下さった方から「『運用概念』がよく分からなかった」との声がありました。実際の「運用概念」の中身を観てみると、個別概念の場合もあれば普遍概念の場合もあり、対象から直接形成される概念もあれば、対象に繰り返し問ひかけて行く過程で形成されるものもあるといった具合で甚だ複雑です。発表では「要するに『規範概念』ではない方です」などと逃げを打ちましたが、短い時間で説明し、理解してもらふのは難しいことと感じました(私の力不足も当然ありますが)。
 
[3] 「運用概念」「規範概念」
2006/07/12(水)18:38:51 | URL | シカゴ・ブルース[編集
深草さん、こんにちは。お名前を間違って書いてしまいすみません(訂正しました)。

> いえ、『研究』には確かこの区別は書かれてゐなかったと思ひます。私は以下のページを参照してこの区別を使ったので、きちんとした説明はこのページで確認して下さい。
>
> <概念の二重化>説 2
> http://www.interq.or.jp/pluto/yassy/ninijuuka.html

わざわざお知らせいただきありがとうございます。

上記ページは私も何回か読んでいます。ただもう何年か前のことで、「運用概念」「規範概念」のことは忘れてしまっていたのでしょうね。寄る年波には勝てない。新しく身につけたことは自分で余程咀嚼してある程度固定した知識にしてしまわないとすぐに忘れてしまいます。

そんなことはともかく、「運用概念」「規範概念」という規定は分かりやすいし便利ですね。ご指摘のように「運用概念」にもさまざまなものがあるということはよく分かります。上記ページ以下の小川さんと川島さんの議論はとても興味深いです。私が日ごろ「運用概念」について考えていることが理論的に分析されていて、なるほどなあと思わせられます。言語表現の際や思考している際(これは実在するしないにかかわらず架空の聞き手や読者を想定して観念的な他者に話しかける形で言語表現のシミュレーションをしているようなもので表現する一歩手前まで進んでいるような気がします)にはごくまれな例を除いて観念的自己分裂が起こっていると思います。そこでは当然思考内容は客体化され概念化されているわけですが、その概念をどうやって形成したかによって「運用概念」の性格も違ってきますね。これを考えるのも面白そうです。
 
[50] 質問です
2006/11/15(水)15:49:17 | URL | みー[編集
言語における『階層』について調べています。 よろしかったら教えてください。
 
[52] すみません。
2006/11/16(木)00:35:00 | URL | シカゴ・ブルース編集
私は言語学の専門家ではないので、当今、主流となっている言語学の術語について不案内です。それで、みーさんのおっしゃる「言語における『階層』」という概念がどういうものなのか私には分かりません。

誠に申し訳ないのですが、そういうわけでお答えもヒントも差し上げられません。
 
[619] 集合概念と類概念
2012/11/20(火)20:55:06 | URL | 閲覧者[編集
教えて下さい。
集合概念と類概念はどう違うのですか。
人間が集合概念で各人種が個別概念というのは誤りですか?国家と国民との関係は成り立つそうですが・・・。
人間が類概念なら各人種が種概念ですか?たとえば白人とか黒人は、人間を類概念とした場合の種概念ですか?
 
[621] むずかしい宿題
2012/11/23(金)18:06:23 | URL | シカゴ・ブルース[編集
閲覧者さん、こんばんは。

ご返事遅れてすみません。

「集合概念」「個別概念」と「類概念」「種概念」との使い分けがどのような観点でなされているのかがよく分かりませんのできちんとしたご返事ができるかどうか心許ないですが…。

概念というのはある事物(実体や現象)についてそれがどのような種類(カテゴリー)に属するかを判断した認識(対象認識)ですから、把握したカテゴリーがどのようなレベルのものかによってその上位概念・下位概念が違っています。人間という生物をある一定の条件を満たす「生物種」として見た場合にその下位概念として「人種」という類別が可能ですが、人種以外にも人間の類別は可能です。

で生物種としての「人間」をその下位概念である「人種」として類別する場合にもどんな観点から類別するかについても一通りではありません。肌の色、母語、文明、その他いろいろあります。

しかしどのような観点から類別するにせよ、はっきりしているのは「人種」概念は「人間」概念の下位に属する概念であることに間違いはないので、誤解を招かないためには「人間」が普遍的概念で「人種」が特殊的概念であると呼ぶのがよいのではないでしょうか。

カテゴリーは一定の性質を持った実体あるいは現象を一つのグループとして把握した認識ですから、そのグループの成員は数学的には一つの集合を形成します。したがって、ある概念でとらえられた実体や現象はやはり一定の集合としてとらえられているわけです。

すべての事物は基本的にはこのようにしてとらえられる結果として、階層的な概念構造のどこかに必ず属することになりますが、類別の観点によっていくつもの概念でとらえることが可能です。ですからある実体ないし現象をどのような観点からとらえたのかということが一番重要なことであり、それがはっきりしていればその事物に対する把握は正確で適切なものになります。

要は集合とそれに属する要素とがどんなレベルのものなのかということでしょう。上位概念・下位概念というのは概念相互の間の包含関係(集合どうしの包含関係)を表しています。

「人間」と「人種」とを上位・下位という観点で並べたときは両者はともに集合としてとらえられているわけです。そこでは個々の人間が問題になっているのではないということ、概念相互の包含関係として捉えられていることを忘れてはならないと私は思います。

余談ですが、個別概念というのは現実の個々の実体や現象がある一定の種類のものに属していると把握した表象です。したがってその把握は概念的なものではありますがそこには個々の事物特有のものも認識として含まれています。ですから「個別概念」は「集合概念」とか「種概念」とか「類概念」といったカテゴリー概念とは性格が異なっているのでそれらと同列に扱うわけにはいきません。

にもかかわらず私が個別概念を重要視するのは、どんな実体も現象もかならず個別概念としてとらえられるものであり、そこから概念的なものが抽出されることによってカテゴリー概念が生まれるからです。個別概念という把握がなければその後のいかなるカテゴリー認識も生ずることはないと私は考えています。

「人間が集合概念で各人種が個別概念」という把握は集合とその各要素という観点、「人間が類概念なら各人種が種概念」というとらえ方は集合とその下位集合という観点(系統的な分類)で見たものではないでしょうか。
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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年10月生れ(74歳♂)。国語と理科が好き。ことばの持つ意味と自然界で起きるできごとの不思議さについて子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。長い間続けた自営(学習塾)の仕事を辞めた後は興味のあることに関して何でも好き勝手にあれこれ考える日々を過ごしています。千葉県西部在住。

2021年の2月下旬から海外通販(日系法人)を通じてイベルメクチンのジェネリック(イベルメクトール:インド Sun Pharma 社製)を購入し、定期的に服用しています。コロナワクチンは接種していません。

ツイッターは okrchicagob(メインアカウント)、または Chicagob Okr(サブアカウント)。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 第一部』 1章(1) 認識論と言語学との関係

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  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
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そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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