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2006年07月16日(日)| 言語>言語規範 |  
ソシュールの「言語」(3)

 ソシュールの「言語」(1)~(4)をまとめて読む。

小林英夫訳の『一般言語学講義』には冒頭の「訳者のはしがき」に続いて小林による「解説」が載っている。その中で小林は「ソシュール理論に不案内な初心者には、要点を説明しておくほうが有益であろう」として6つの要点を示している。それは次のように始まる。

 1.ものをいうという行為と、われわれがものをいうために用立てる口頭的または書写的記号の体系とは、明らかに別個の事実である。この二つの事実にたいしてただ一つの名前しか与えない言語もあるが、フランス人は前者を langage と称し、後者を langue ととなえている。

 Saussure の言語学理論はこのような常識的区別の科学的精練から始まる。かれによれば、langage「言語活動」はそのままでは混質的であって、分類原理をなさない。われわれはそこに社会的部面であるlangue「言語」と個人的部面である parole「言」とを見分け、それぞれを対象とする二つのあいことなる学科を立てる必要がある。

ものをいうために用立てる口頭的または書写的記号の体系」である langue と「ものをいうという行為」である langage とを一般のフランス人が使い分けているかどうかは別として、『一般言語学講義』を読むにあたっては、「言語活動」「言語」および「言」との使い分けに注意を払わなければならないのは確かである。なぜなら、小林はこの訳書の中では以降 langage, langue, parole の訳語としてそれぞれ「言語活動」「言語」「言」を使い分けていると思われるからである*。

「言語」が「ものをいうために用立てる記号の体系」という「心的な」体系であることはこの訳書のいろいろなところで触れられている。ところで、ソシュールによる「言」の規定は「言語活動のうちの外部的部分(物理的部分と生理的部分)」および「言語活動のうちの心的部分に含まれる能動的・遂行的部分(概念→聴覚映像の部分)」である。三浦つとむの用語を使えば「言語表現に先立って言語規範に媒介される過程」をソシュールは「言」に含めている。ソシュールは「言語活動のうち言を切り離した部分」を「言語」と呼んでいるのであるから、言語活動のうちの「受容的な聴覚映像→概念から始まる心的な部分」から「心的部分に含まれるが、能動的・遂行的部分である概念→聴覚映像の部分」を除外した心的部分の残り全部が「言語」であるということになる。

『一般言語学講義』序説第3章§2

 言語は,話手の機能ではない,個人が受動的に登録する所産である;それはけっして熟慮を予想しはしない;反省が介入するのは,p172 以下で論じる分類活動のばあいに限られる.

 これに反して,言は意志と知能の個人的行為であって,これにはつぎのものを識別してしかるべきである: 1. 話手がその個人的思想を表現する意図をもって,言語の法典を利用するさいの結合; 2. かれにそうした結合を表出することをゆるす精神物理的機構.

それゆえソシュールにしたがえば、言語表現に先立って頭の中で考えをまとめる思考過程(これには「言語」がかかわっている)は「言」に含まれるわけであるが、言語表現を前提とせずに頭のなかであれこれ考える思考過程(これにも「言語」がかかわっている)もこれと実質的な差異は認められないからこれも「言」に属することになろう。ソシュール理論を支持する人たちの多くは前者も後者も区別せずに思考過程を「内言」とか「思考言語」などとと呼んでいる。しかし「思考言語」という言い方はまぎらわしい。ソシュールの規定では思考過程は「言」に属しているから「言語」ではないし、表現されたものが言語であると主張する三浦つとむは、思考過程は認識であって表現ではないから思考過程を「思考言語」と呼ぶのは適切ではないという。私もいわゆる「思考言語」は思考過程の一部であって言語ではないと思う(独り言も口に出さないものは思考の一部である)。ソシュールが「内言」という言い方をしたかどうか不明だが、ソシュール派の日本人が「内言」と呼ぶのは「言」過程の内の心的な部分という意味では筋が通っているかも知れない。しかし「内言」は認識であって表現ではないのだから私としてはやはり思考過程の一部と呼ぶしかないと思う。

さて、前置きが長くなったが私の誤読の話である。

『一般言語学講義』第II編第4章§1のタイトルは「音的資料へと組織された思想としての言語」である。私はこの「言語」を 記号の体系である「言語」そのものであると誤解してしまったが、「思想としての言語」とはいわゆる「思考言語」のことだったのである。このタイトルは本文中の「いささか神秘めくが,「思想・音」は区分を内含し,言語は二つの無定型のかたまりのあいだに成立しつつ,その単位をつくりあげるのである」の部分の要約であるが、ソシュールはここで「記号の体系」および、いわゆる「思考言語」の両者を同じ一つの「言語」という言葉のうちに込めている。

つまり、「言語は二つの無定型のかたまりのあいだに成立しつつ,その単位をつくりあげる」とは「記号の体系は二つの無定型のかたまりのあいだに思考言語として成立しつつ,思考言語の単位をつくりあげる」という意味である。しかし、これはかなり反則っぽい表現である。ソシュールの規定ではこの「思考言語」「言」に属していて「言語」には属していないのだから、「思考言語」「言語」とよぶのは本来おかしい。しかし§1の冒頭を注意して読めば、この節がある前提を起点として書かれていることが分かるはずだから、誤解してしまった責はその前提をきちんと読み取れなかった私にあるといわれても仕方がない。

 言語が純粋価値の体系でしかありえないことを会得するには,その働きにおいて活躍する二要素:観念と音とを考察するだけでよい.

 心理的にいうと,われわれの思想は,語によるその表現を無視するときは,無定形の不分明なかたまりにすぎない.記号の助けがなくては,われわれは二つの観念を明瞭に,いつもおなじに区別できそうもないことは,哲学者も言語学者もつねに一致して認めてきた.思想は,それだけ取ってみると,星雲のようなものであって,そのなかでは必然的に区切られているものは一つもない.予定観念などというものはなく,言語が現われないうちは,なに一つ分明なものはない.

上の引用文中にある「語によるその表現を無視するときは」という前提を私はあまり深く考えなかった。しかし、『一般言語学講義』においてソシュールあるいは小林英夫が「語」という語を表現された語という通常の意味だけでなく、シーニュという意味でも用いていることを知って、「語によるその表現」が、「言」による「思想の表現」という意味ではなく「シーニュないし思考言語」による「思想の表現〔これもおかしな表現だ。思考過程は表現ではない〕」であることに気がついた。その結果、ソシュールの「言語」(07/09)に書いた私の解釈は完全な誤読であると判断するに至った。この前提を理解できれば、ソシュールが「思考言語」「言語」と呼んでいる部分があることに気がつく。そしてその部分を見分けることができれば第II編第4章§1はまぎらわしいとはいえなんとか解釈しなおすことができる。

さて、上記引用文中の後の方の「言語」は どちらとも受け取れる。つまり、「言語が現われないうちは」というのは「思想と音とを分節し、それらを結びつける記号の体系〔の働き〕が現われる前は」という意味だと思われるが、「記号の体系によって〕思想と音とが分節され結びつけられた「思考言語」が生れる前は」という意味にも解釈できる。

この浮動的な王国と向かい合って,音のほうこそはそれだけであらかじめ限りとられた実在体を呈しはしまいか? おなじことである.音的実在体とても,より堅固なものでもない;それは思想がぜひともその形をとらねばならない鋳型ではなくて,一つの造形資料であり,これまた分明な部分に分かたれて,思想の必要とする能記を供するのである.〈ソ図〉それゆえ総体としての言語的事実すなわち言語は,これを同時に茫漠たる観念の無限平面(A)と,音の・それにおとらず不定のそれ(B)との上に引かれた,一連の隣接下位区分として表わすことができる;その模様はこの図をもってよく彷彿させることができよう:

 思想と向かい合っての言語独特の役割は,観念を表現するために資料的な音声手段をつくりだすことではなくて,思想と音との中を取り持つことである,ただしそれらの合一は必然的に単位の相互限定に落ちつくことになる.ほんらいこんとんたる思想も,分解するや,明確にならざるをえない.それゆえ思想の資料化があるわけでもなく,音の精神化があるわけでもない;いささか神秘めくが,「思想・音」は区分を内含し,言語は二つの無定型のかたまりのあいだに成立しつつ,その単位をつくりあげるのである。……

総体としての言語的事実すなわち言語」というのは「記号の体系」によって分節された思想つまり「思考言語」である。また「思想と向かい合っての言語独特の役割」における「言語」は「記号の体系」である。「いささか神秘めくが」以降の部分は上で書いた通り。

*  上の引用文中で小林が「思想と向かい合っての言語独特の役割」と書いている「言語」は langue(言語規範・記号の体系) ではなくて langage(言語能力)であることが判った 。また「言語は二つの無定型のかたまりのあいだに成立しつつ,その単位をつくりあげる」についても、「二つの無定型のかたまりのあいだに成立する」のは langue(内言・思考言語)であるが、「その単位をつくりあげる」のは langage(言語能力)であることが判明した。つまり、小林は languelangage の使い分けなどといっておきながら、自らはそれを混用し混乱した表現をしているのである。これらに関しては、ソシュール「言語学」とは何か(2)(2006/11/20)を参照していただきたい。〔追記〕

 言語はこれを分節の領域であると称することもできなくはない.ただしこの語を p.22 において定義した意味(言語活動については articulation「分節」とは意義の連鎖を意義単位へと細分すること。人間生具のものは口頭言語ではなくて、言語を、つまり分明な観念に対応する分明な記号の体系を組みたてる能力である=引用者注)にとって:言語辞項はおのおのの小肢体であり,articulus「肢体・細分」 であって,そこで観念が音に定着し,音が観念の記号となる.

 言語はまた,一葉の紙片に比べることができる:思想は表であり,音は裏である;裏を分断せずに同時に表を分断することはできない;おなじく言語においても,音を思想から切り離すことも,思想を音から切り離すことも,できない;できたとしたら,それは抽象作用によるしかなく,その結果は純粋心理学か純粋音声学家のしごととなろう.

言語はこれを分節の……」の「言語」は「記号の体系」「分節」とは記号の体系を組み立てる能力のこと。「言語はまた」および「おなじく言語においても」で使われている「言語」「思考言語」のことである。

〔同日追記〕

読み返して気がついたが、ソシュールは「言」のうちに識別してしかるべきものとして「話手がその個人的思想を表現する意図をもって,言語の法典を利用するさいの結合」という言い方をしているから、言語表現を意図せずに行なう思考過程はこれを「言」に含めず、「言語」のうちに含めているかも知れない。しかし、たとえそうであったとしても言語規範に媒介される思考過程は、言語表現を意図しようがしまいがソシュールから見れば両者とも「意志と知能の個人的行為」であり、それ以外にも両者のあいだには本質的な相違はない、と私には思われる。

〔2006.07.25追記〕

ソシュールの主張のある部分を誤読していたことがわかった。それによって、この稿の記述には不適切な部分が出てきた。しかし、それ以前の誤読によって生じた解釈のやり直しがこの稿の主たる目的であり、その解釈の部分には変更はない。したがってこの稿を書き改める必要はないと判断した。しかし内容には間違った部分もあるのでそれに関しては「誤読「言語の法典を利用するさいの結合」」(2006/07/25)〔およびソシュール「言語学」とは何か(2)(2006/11/23)――追記〕を参照していただきたい。

〔2006.12.30追記〕

小林英夫による「言語(langue)」と「言語活動(langage)」という訳語については「“langue” と “langage”」(2006/12/19)も合わせて参照していただきたい。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(68歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことだけをこなす日々です。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 I』を読む 1(1)――認識論と言語学三浦つとむ『認識と言語の理論 I』

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
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そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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