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2018年09月18日(火)| 言語>言語本質論 |  
三浦つとむ『認識と言語の理論 第三部』 まえがき

『認識と言語の理論』(勁草書房)は三浦つとむの主著の一つであり、第一部から第三部にわたって彼の主張する言語過程説が理論的かつ体系的に語られている。「第一部 認識の発展」と「第二部 言語の理論」は 1967年(昭和42年)に、そして「第三部」は第二部の言語論を補う論文集として 1972年(昭和47年)にそれぞれ出版された。

『認識と言語の理論 第三部』(勁草書房) 「まえがき」 p.1~4 

 ここのところ国際的に起っている言語に対する異常な関心、ないし言語学のブーム状態は、学問の健康な発展を願う者にとって歓迎しかねるものをふくんでいる。言語学は一つの個別科学としてそのあるべきすがたでの発展を目ざすべきなのに、それ以外のものが要求され、またそれ以外のものであるかのように解釈されていることが、ブームの大きな原因になっているからである。

 人間を動かすものは、すべてその頭脳において観念的な支配力とならねばならない。それゆえ人間の認識特に能動的な性格を持つものの詳細な検討が、社会科学すなわち人間の科学をおしすすめるために必要となる。それにもかかわらず、この種の認識の科学的な研究は低い水準で、社会科学の要求に応(こた)えられぬ状態にある。神話や各種の掟についての認識論的な解明も見当らない。そこで社会科学者の中に、認識論的に解明されていないこれらの存在も言語に表現されているし、言語学は人間のあらゆる認識を扱うことになるという事実に目をつけて、言語学から人間の認識のありかたや現実の構造を読みとろうとする者があらわれた。また哲学者の中にも、そうした動きに敏感に反応して、社会科学の新しい展開は言語学をモデルにして行われるのだと主張する者があらわれた。こうして言語学および言語学者の不当な評価が生れることになった。「言語学者たちは、もし人間の客観的な研究を企てようとするならば、まずどこからはじめるべきかを理解した最初の人たちであるという、偉大な功績をになっている。」「方法というもっとも一般的な次元で、社会学も心理学もそのほかいくつかの学問も、言語学者から多くのことを学ぶべきである。」(ルウエ) 言語学にもたれかかった彼らには、現在の言語学がどんな弱点を持っているかさえ理解できなかったのである。だが彼らの著作はフランスでベストセラーとなり、流行思想となった。そこでわが国の思想界にもその影響が直接間接にあらわれた。言語学を重視する新しい思想に無関心であっては知的人間の恥だと、猫も杓子も言語学の本をかじったり、エクリチュールとかディスクールとかフランス語をならべたりするブーム状態が起ったのである。

 歴史観の観点からいうならば、人間の認識を言語に表現することは精神的な生産と交通の問題にほかならない。言語学もこの過程的構造の解明を媒介として確立する。精神的な生産は脳の活動であるから、他の人間がそれを直接とりあげることは不可能であって、交通のための表現にまで過程的構造が発展したとき、はじめてそこから背後の認識を媒介的に読みとることができる。物質的な生産とは大きなちがいがある。けれどもこの精神的な生産と交通の論理は、物質的な生産と交通の論理――たとえば産出した原油をパイプラインで輸送するときの論理――と、共通したものがあることも忘れてはならない。この場合に表現の持つ特殊性を無視して、言語と物質的な交通手段とを安易に同一視すると、言語道具観に転落してしまうのだが、交通は生産を基礎として成立するものでありながらこれが逆に生産に反作用し生産のありかたを制約しているという、論理的な共通性のあることは言語道具観の反対者も自覚すべきであろう。パイプの構造が逆に原油の生産を制約している事実から、原油の生産を基礎としてパイプが存在することを否定してはならないように、言語の表現が逆に認識の形成を制約している事実から、認識の形成を基礎として言語が存在することを否定してはならない。

したがって、人間が認識や言語を創造したので(あって、)言語が認識や人間を創造したのではないというのが、個別科学としての言語学の前提である。ところがフランスでは、言語が認識を形成するという発想をさらにすすめた、言語や認識は人間以前に存在するという主張があらわれて、これまた流行思想になった。「フランス人は、新製品の宣伝とか流行とかいうことになるとまだ遅れをとっているが、知識の生みだした新製品を売りだすことにかけては、何びとにも劣るものではない。」(ドムナック) 日本のインテリも、この種の新製品を買いこんで口まねすることにかけては、何びとにも劣るものではない。社会科学者がこんな言語理論に認識論の新しい展開を期待しているのは、それらを妄想と見破るだけの論理的な能力を持っていないからである。他方言語学者にしても、人間のあらゆる認識を扱わなければならないのに、社会学者と同様に認識論の水準の低さに足をひっぱられているから、言語を内容において論じていくことができず、形式をとりあげて形態論でごまかすことになる。言語は語彙(ごい)も文法も、社会的な規範によってささえられていて、人間の意思の特殊なありかたとしての規範の形成と機能を認識論的につかんでいないならば、言語と規範とを正しく区別することすら不可能である。欧米の言語学者はみなここで挫折してしまったし、またそのために流行思想の餌食(えじき)ともなり妄想の支柱として利用されることになった。チョムスキーの文法理論も例外ではない。日本のすぐれた国語学者、たとえば時枝誠記(ときえだもとき)や山田孝雄(やまだよしお)にしても、理論水準では欧米の言語学者を凌駕していながら、やはり認識論の弱さに足をひっぱられふみはずしているのである。

 私が『認識と言語の理論』(一九六七年)で、紙数の半分を<第一部>として認識論の叙述にあてたのは、科学の名に値する言語理論を建設するために、また欧米の最新流行として輸入発売されるであろう諸理論を吟味するために、欠くことのできぬものと考えたからであった。その後の言語ブームのありかたは、私の意図が的を射ていたことを証明している。せめてこの程度の認識論を持ち合せているならば、フーコーやラカンや日本における彼らの亜流の哲学者や精神病理学者が、ジャーナリズムを横行しても、それらの説く妄想にひっかかるような愚かな失敗はしないですむはずである。ラカンの有名な「鏡像の論理」にしても、とっくの昔にマルクスの『資本論』が正しくとりあげていたことに気づくはずである。とはいえ認識論の叙述に多くの紙数をさけば、言語理論の叙述にあてる紙数がそれだけ少くなって、言語の提起している多面的な諸問題を論じることができなくなる。それで第二部では、未展開のままとどめた問題やとりあげることを避けた問題が少くなかった。これら諸問題については、その後独立の論文の形式で手元に書きためてきたが、その中のわずかを公けにできたにすぎない。このたび論文の大部分を一冊にまとめることになったので、私も長年の負債を返済できるような気持である。

本書は前著とちがって、独立の論文を集めたかたちをとっているけれども、内容の性格からいうなら前著に欠けた部分を補うものであるから、前著の補遺の意味で<第三部>と名づけることにした。但し芸術言語すなわち文学を扱った諸論文は、姉妹篇『認識と芸術の理論』(一九七〇年)におさめたから、そちらを見ていただきたい。出版は前著と同じく勁草書房(けいそうしょぼう)の石橋雄二氏のお世話になったが、これで私の言語理論の大体の輪郭を発表できたわけであって、長い間協力していただいた同氏に深く感謝の意を表したい。

一九七二年一〇月

 著  者

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(70歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことだけをこなす日々です。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 I』を読む 1(1)――認識論と言語学三浦つとむ『認識と言語の理論 I』

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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