三浦つとむ『認識と言語の理論 第三部』 まえがき
『認識と言語の理論』(勁草書房)は三浦つとむの主著の一つであり、第一部から第三部にわたって彼の主張する言語過程説が理論的かつ体系的に語られている。「第一部 認識の発展」と「第二部 言語の理論」は 1967年(昭和42年)に、そして「第三部」は第二部の言語論を補う論文集として 1972年(昭和47年)にそれぞれ出版された。
『認識と言語の理論 第三部』(勁草書房) 「まえがき」 p.1~4
ここのところ国際的に起っている言語に対する異常な関心、ないし言語学のブーム状態は、学問の健康な発展を願う者にとって歓迎しかねるものをふくんでいる。言語学は一つの個別科学としてそのあるべきすがたでの発展を目ざすべきなのに、それ以外のものが要求され、またそれ以外のものであるかのように解釈されていることが、ブームの大きな原因になっているからである。
人間を動かすものは、すべてその頭脳において観念的な支配力とならねばならない。それゆえ人間の認識特に能動的な性格を持つものの詳細な検討が、社会科学すなわち人間の科学をおしすすめるために必要となる。それにもかかわらず、この種の認識の科学的な研究は低い水準で、社会科学の要求に応(こた)えられぬ状態にある。神話や各種の掟についての認識論的な解明も見当らない。そこで社会科学者の中に、認識論的に解明されていないこれらの存在も言語に表現されているし、言語学は人間のあらゆる認識を扱うことになるという事実に目をつけて、言語学から人間の認識のありかたや現実の構造を読みとろうとする者があらわれた。また哲学者の中にも、そうした動きに敏感に反応して、社会科学の新しい展開は言語学をモデルにして行われるのだと主張する者があらわれた。こうして言語学および言語学者の不当な評価が生れることになった。「言語学者たちは、もし人間の客観的な研究を企てようとするならば、まずどこからはじめるべきかを理解した最初の人たちであるという、偉大な功績をになっている。」「方法というもっとも一般的な次元で、社会学も心理学もそのほかいくつかの学問も、言語学者から多くのことを学ぶべきである。」(ルウエ) 言語学にもたれかかった彼らには、現在の言語学がどんな弱点を持っているかさえ理解できなかったのである。だが彼らの著作はフランスでベストセラーとなり、流行思想となった。そこでわが国の思想界にもその影響が直接間接にあらわれた。言語学を重視する新しい思想に無関心であっては知的人間の恥だと、猫も杓子も言語学の本をかじったり、エクリチュールとかディスクールとかフランス語をならべたりするブーム状態が起ったのである。
歴史観の観点からいうならば、人間の認識を言語に表現することは精神的な生産と交通の問題にほかならない。言語学もこの過程的構造の解明を媒介として確立する。精神的な生産は脳の活動であるから、他の人間がそれを直接とりあげることは不可能であって、交通のための表現にまで過程的構造が発展したとき、はじめてそこから背後の認識を媒介的に読みとることができる。物質的な生産とは大きなちがいがある。けれどもこの精神的な生産と交通の論理は、物質的な生産と交通の論理――たとえば産出した原油をパイプラインで輸送するときの論理――と、共通したものがあることも忘れてはならない。この場合に表現の持つ特殊性を無視して、言語と物質的な交通手段とを安易に同一視すると、言語道具観に転落してしまうのだが、交通は生産を基礎として成立するものでありながらこれが逆に生産に反作用し生産のありかたを制約しているという、論理的な共通性のあることは言語道具観の反対者も自覚すべきであろう。パイプの構造が逆に原油の生産を制約している事実から、原油の生産を基礎としてパイプが存在することを否定してはならないように、言語の表現が逆に認識の形成を制約している事実から、認識の形成を基礎として言語が存在することを否定してはならない。
したがって、人間が認識や言語を創造したので(あって、)言語が認識や人間を創造したのではないというのが、個別科学としての言語学の前提である。ところがフランスでは、言語が認識を形成するという発想をさらにすすめた、言語や認識は人間以前に存在するという主張があらわれて、これまた流行思想になった。「フランス人は、新製品の宣伝とか流行とかいうことになるとまだ遅れをとっているが、知識の生みだした新製品を売りだすことにかけては、何びとにも劣るものではない。」(ドムナック) 日本のインテリも、この種の新製品を買いこんで口まねすることにかけては、何びとにも劣るものではない。社会科学者がこんな言語理論に認識論の新しい展開を期待しているのは、それらを妄想と見破るだけの論理的な能力を持っていないからである。他方言語学者にしても、人間のあらゆる認識を扱わなければならないのに、社会学者と同様に認識論の水準の低さに足をひっぱられているから、言語を内容において論じていくことができず、形式をとりあげて形態論でごまかすことになる。言語は語彙(ごい)も文法も、社会的な規範によってささえられていて、人間の意思の特殊なありかたとしての規範の形成と機能を認識論的につかんでいないならば、言語と規範とを正しく区別することすら不可能である。欧米の言語学者はみなここで挫折してしまったし、またそのために流行思想の餌食(えじき)ともなり妄想の支柱として利用されることになった。チョムスキーの文法理論も例外ではない。日本のすぐれた国語学者、たとえば時枝誠記(ときえだもとき)や山田孝雄(やまだよしお)にしても、理論水準では欧米の言語学者を凌駕していながら、やはり認識論の弱さに足をひっぱられふみはずしているのである。
私が『認識と言語の理論』(一九六七年)で、紙数の半分を<第一部>として認識論の叙述にあてたのは、科学の名に値する言語理論を建設するために、また欧米の最新流行として輸入発売されるであろう諸理論を吟味するために、欠くことのできぬものと考えたからであった。その後の言語ブームのありかたは、私の意図が的を射ていたことを証明している。せめてこの程度の認識論を持ち合せているならば、フーコーやラカンや日本における彼らの亜流の哲学者や精神病理学者が、ジャーナリズムを横行しても、それらの説く妄想にひっかかるような愚かな失敗はしないですむはずである。ラカンの有名な「鏡像の論理」にしても、とっくの昔にマルクスの『資本論』が正しくとりあげていたことに気づくはずである。とはいえ認識論の叙述に多くの紙数をさけば、言語理論の叙述にあてる紙数がそれだけ少くなって、言語の提起している多面的な諸問題を論じることができなくなる。それで第二部では、未展開のままとどめた問題やとりあげることを避けた問題が少くなかった。これら諸問題については、その後独立の論文の形式で手元に書きためてきたが、その中のわずかを公けにできたにすぎない。このたび論文の大部分を一冊にまとめることになったので、私も長年の負債を返済できるような気持である。
本書は前著とちがって、独立の論文を集めたかたちをとっているけれども、内容の性格からいうなら前著に欠けた部分を補うものであるから、前著の補遺の意味で<第三部>と名づけることにした。但し芸術言語すなわち文学を扱った諸論文は、姉妹篇『認識と芸術の理論』(一九七〇年)におさめたから、そちらを見ていただきたい。出版は前著と同じく勁草書房(けいそうしょぼう)の石橋雄二氏のお世話になったが、これで私の言語理論の大体の輪郭を発表できたわけであって、長い間協力していただいた同氏に深く感謝の意を表したい。
一九七二年一〇月
著 者
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