『認識と言語の理論 第一部』2章(2) 仮説と科学(PC版ページへ)
2018年10月08日03:53 意識>認識論(意識論)
『認識と言語の理論 第一部』2章(1) 法則性の存在と真理の体系化
『認識と言語の理論 第一部』2章(2) 仮説と科学
『認識と言語の理論 第一部』2章(3) 概念と判断の立体的な構造
『認識と言語の理論 第一部』2章(4) 欲望・情感・目的・意志
『認識と言語の理論 第一部』2章(5) 想像の世界――観念的な転倒
『認識と言語の理論 第一部』2章(6) 科学と芸術
『認識と言語の理論 第一部』2章(7) 宗教的自己疎外
『認識と言語の理論 第一部』2章(1)~(7) をまとめて読む
三浦つとむ『認識と言語の理論 第一部 認識の発展』(1967年刊)から
第二章 科学・芸術・宗教 (2) 仮説と科学
〔注記〕 三浦がその著書で「認識」と表現している語は、単に対象認識(認識内容)を意味しているだけでなくその中に「対象認識を作り出している意識主体の意識」をも含んだものである。つまり三浦は「精神・意識」のことを「認識」と呼んでいる。したがって、以下の引用文中で「認識」とあるもののうち明らかに対象認識を指しているもの以外は「意識」と読み換える必要がある。
〔引用に関する注記〕 (1) 原著の傍点は読点または句点のように表記している。
(2) 引用文中の太字は原著のものである。
(3) 長い段落は内容を読みとりやすくするために字下げをせずにいくつかの小段落に分割した(もとの段落の初めは一字下げになっている)。
(4) 読みやすさを考えて適宜 (ルビ) を付した。
『認識と言語の理論 第一部』 p.80
事物のありかたについて、一つの新しい予想がつくり出された場合には、それが直観的に出て来た予想であろうと、あるいは合理性を慎重にたぐっての結論として到達した予想であろうと、これまで正しいものと思われて来た認識と衝突することもしばしばである。一方が正しいなら他方は正しくないわけであるが、この相容(あいい)れない二つの認識が一つの事物のありかたに結びついているために、ここに敵対的矛盾が生れるのであって、この矛盾の起す葛藤を疑惑と名づけている。この矛盾にあっては、いづれが正しいかを決定して矛盾を消滅させなければならないのであり、その結果新しい予想が正しくなくて「疑いが晴れる」ときもあれば、これまで真理と思われていたものが訂正されたりひっくりかえされたりするときもある。
認識が不当に逸脱させられて誤謬におちいっている場合には、その是正は新しい予想をつくり出し疑惑を抱くところにはじまるのであるから、認識の発展にとって疑惑は重要な役割を果たしている。昔から「疑うは智慧のはじめなり」といわれ、貝原益軒が「大疑録(たいぎろく)」を書いて「大きく疑う」ことを説き、マルクスが「すべてを疑え」という金言を座右の銘にしたことなども、よく知られているとおりである。
認識が絶えず能動的な冒険旅行を試みるところの創造的な科学者にあっては、絶えず疑惑にぶつかることになるし、そこから疑惑とよばれるものの積極的な意義についても経験的に納得できるのである。政治的な支配者は、疑惑はよくないことだという考え方を国民に植えつけて、支配者に対する疑惑を持たせないよう努力するし、また疑惑を持ったのがあやまっていたこともしばしば経験するから、常識的には疑惑は前向きのものとしてではなく後向きのもとして扱われている。さらに、精神のありかたの安らかなことを、ひいては自己のありかたの安らかなことをのぞんでいる人びとは、自己の精神に敵対的矛盾をつくり出しその安らかさが攪乱(かくらん)されることを嫌って、疑惑を持つまい、他の人間が疑惑を持っても自分はそれをとりあげまいとする。つまりなまけ者は疑惑それ自体をのぞましくないものと思うようになる。
認識の能動的な冒険旅行が、個別的なありかたの認識から一般的なありかたの認識へと進んで行くとき、そこには大きな成果を期待できるばかりでなく、疑惑ということの正しい処理もますます重要になっていく。あるものが、単に発見したところにだけ存在しているのではなく、他にもさまざまなところに存在してそれなりの役割を果しているのだと理解できたり、その相互関係が単に発見したところにだけ成立しているのではなく、他にもさまざまなところに成立しうるのだと理解できたり、その因果関係は、単に一度しか生れないのではなく、他にもさまざまなところで生れたり規則的にくりかえされたりするのだと理解できたりするならば、われわれの現実の世界の認識は大幅にさきへ進んだことになるし、この認識をわれわれの生活に役立てる可能性もまた大幅に前進できたものといわなければならない。
人間の認識は現実の世界の諸構造・諸連関をこのように一般的なかたちでとらえていき、現実の世界のありかたに照応するところの構造と連関とを持った系統的な体系へとまとめあげていく。けれどもそのコースもこれまた直線的ではなくて曲りくねったものであるから、あやまった理論が定説として認められる場合もめずらしいことではない。それゆえ常に疑ってかかる心がまえが要求される(1)。
予想は実践によってその正しいか否かをたしかめなければならない。疑惑の場合の敵対的矛盾は実践によって解決して行かなければならない。しかも予想のありかた・疑惑のありかたは、これを解決するための実践のあり方を規定してくるのであるから、創造的な科学者は理論において創造的であるばかりでなく実践あるいは実験においても創造的でなければならないことになる(2)。
人間の認識は可能性として無限でも、現実の歴史的状態と個人の肉体的・精神的条件でつねに限界づけられているから、この体系的な認識も現実の世界のありかたにますます近接していくけれども、最後的に完結することはありえない。現実の無限な世界のありかたと認識の有限なありかたとの矛盾は、つねに存在している。またそれだからこそ、この体系的な認識すなわち科学は、哲学者が机の前で頭からひねり出した体系のように終末のある閉(とざ)された絶対的真理の体系ではなく、開かれた相対的真理の体系(3)としてつねに発展し進歩していくわけであり、懐疑精神を積極的に要求しているわけである。
(1) 真理はいつどこへ持っていっても依然として真理であって、時間や現実のありかたの変化によって誤謬に転化するようなことはありえない、と思いこんでいる人間は、ある真理が誤謬に転化したかどうかと絶えず疑惑を持つことが異常としか思えない。それゆえデューリングも、「持続的な疑惑ということ自体がすでに病的な衰弱状態であり、むちゃくちゃな混乱の表現にほかならない。」と思いこんでいた。マルクス主義者と自称する現代のデューリング諸君も同じであって、マルクスが「すべてを疑え」といったことは聞き流して、「レーニンから疑え」といわれると頭に来てしまい、これはマルクス=レーニン主義を否定するものだときめてしまうのである。「レーニンから疑え」を拒否する立場はほかならぬ「レーニンは神聖にして侵すべからず」であり、この信仰主義こそマルクス=レーニン主義の否定なのである。
(2) これはガリレイなりファラディなり、劃期的(かっきてき=画期的)な業績を残した科学者の実験について知っている者にとっては、自明のことである。ただし二流のなまけ者の社会科学者にとっては、自明のことではないであろう。
(3) 科学者はその業績において体系を発展させるのであるが、評論家は単なるエッセイを書くだけで体系の発展にはたづさわらない。そのために、体系ということばを聞くと、何か固定した存在で理論の発展とは相容れないものであるかのように、マルクス主義は体系を拒否するものであるかのように、アレルギーを起す評論家も出てくるわけである。
『認識と言語の理論 第一部』 p.82
科学における予想も、われわれの日常生活における予想と本質的には変りがないが、それが一般的なありかたの予想としてすでに存在している体系の発展へとつながるところに、特徴があるということができよう。科学者の立てる予想が仮説 (hypothesis) とよばれるのも、単なる個別的なありかたについての仮定ではなくて一般的なありかたについての命題であり、「説」であるからである。それゆえ、これが正しいならばそこでとりあげているものは再発見することができるし、さらにくりかえして発生させることができるわけである。
仮説の基本的な役割は、まだ十分には確認されていないものの存在、あるいは性質、あるいは法則の成立を積極的に予想することによって、意識的にその対象に問いかけて、その予想の正否を明らかにし、対象についての知識を意図的に明らかにする手段となることである。
……………
追試することのできないものは仮説とよぶわけにはいかない。というのは、その予想がいかにあたったにしてもそれを他の場合にあてはめることができないわけだから役に立たないからである。そのような一般性のないものを仮りにもせよ「説」とよぶことはできない。そのようなものはただしいかどうかさえ問題にすることはできない。くりかえして検証することのできない――一般性のない――ようなものの正しさなどどうして主張することができるだろうか。そのようなものは「予想があたった」とか「はずれた」というように表現するべきである。(板倉聖宣『仮説とは何か』)
これは、科学における仮説の特徴を理解できずに、単なる思いつきや個別的な計画といっしょくたにする人びとや、あるいは個別的な予想でしかないものを度はずれに一般化して、新しい理論の建設を行っているかのように錯覚している人びとへの批判であり、正当である。自分の主張に科学的なムードを与える目的で、仮説ということばを乱用することはつつしまなければならない。
個別的なありかたについての予想でも、実践を通じてその成否を知るには時間が必要である。お客の持ってきた品物が何であるかは、帰ったあとで箱を開けてみればすぐわかるが、朝顔の種子がどんな色の花を咲かせるかは数ヵ月後でなければわからないというように、必要な時間はそれぞれ異っている。それに、予想はこのようにして現実の世界のありかたとつき合わされるとはいえ、それも絶対的な妥当性を持つのではなく、予想が否定されるように見えてもさらに異った予想をむすびつけることによって維持していくことが可能である。
お客が持って来たものをケーキと予想し、箱を開けてみたら予想に反して石鹸だったとしても、「お母さんは私にケーキを食べさせたくないので、お客からもらったケーキをかくして他のお客からもらった石けんを私に見せたのだろう」という異った予想をさらにつくりあげ、母親の説明に疑惑を持つとともに自分のはじめの予想を維持していくこともできるのである。もしこの新しい予想が正しいとするならば、いまのお客の来る以前にすでに石鹸の箱があり、それを持ってきたお客がおり、さらにいまのお客の持ってきたケーキも家のどこかになければならないわけである。それゆえさらにこの新しい予想を実践によってたしかめる必要がある。これをたしかめもしないで、「私の母は継母(ままはは)だから私をいじめるのだ」というような先入見によってこの新しい予想を合理化するならば、お客の持ってきた品物と母親の行動についての予想は独断であり、そこに生れる疑惑も猜疑(さいぎ)であるということになろう。
真理に対して謙虚であろうと願っている科学者も、あやまった先入見から完全に解放されているわけではない。この先入見を克服する必要から、健康な懐疑精神の必要も強調されるのであるが、右に述べたような独断および猜疑は、科学の仮説を証明する過程でも起りうるのである。仮説にしても、直ちに実験装置を組立てて数日後にその成否をたしかめられるものもあり、また仮説の提出者がこの世を去って何百年もの後に技術の進歩によってようやく成否が判明するものもある。そして、宗教的あるいは哲学的なあやまった先入見にしばられた結果、科学が実証をくりかえして前進しているのにあくまでも自分たちの独断を精算しようとせず、科学への猜疑を維持している人びとも存在するのである。
もしわれわれが、ある自然的事象そのものをわれわれがつくり出し、それをその諸条件から発生させ、あまつさえそれをわれわれの目的に役立たせることによって、ある自然的事象に対するわれわれの理解の正しさを証明することができたならば、カントの認識できない『物自体」は片づいてしまう。……コペルニクスの太陽系は、三百年にわたって百人、千人、万人のうち疑う者はただ一人というたしかな仮説であった。しかしやはり一つの仮説にちがいなかった。ところで、ルヴェリエがこのコペルニクスの体系によって与えられたデータから、ある未知の遊星(ゆうせい=惑星)が必ず存在せねばならぬということを算出したばかりでなく、この遊星が天体の中で占めねばならない位置をも算出したときに、そしてさらに実際にガルレがこの遊星を発見したときに、ここにこのコペルニクスの体系は証明されたのであった。それだのに、ドイツでは新カント派の人びとによってカントの見解の復活が企てられ、そしてイギリスでは(ここではヒュームの見解は死に絶えなかったので)不可知論者たちによってこのヒュームの見解の復活が企てられているが、それは、すでにながくこれらの見解に対して行われて来た理論的および実践的の反駁(はんばく)に対して、科学的には一つの退歩であり、実践的には唯物論をかげでは認めながら人前では拒むという恥知らずのすることにすぎない。(エンゲルス『フォイエルバッハ論』)
『認識と言語の理論 第一部』 p.85
予想はその対象とむすびつくことによって、客観的真理としての資格を獲得する。仮説も証明されることによって、科学としての資格を獲得する。ある理論がそれにもとづいて実践した人間にとって真理であったとしても、その理論を書物で読んだだけの学生にとっては、まだ真理としての資格を持っていないし、真理だと思って現実に持ちこんで誤謬になることもしばしばである。毛沢東は経験的に、書物から得ただけの知識が不充分で、それだけでは正しく応用することも困難であり教条主義になりやすいことをつかんでいた。
彼らがこれらの知識を受けつぐことは、完全に必要なことではあるが、しかし、これらの知識は彼らにとっては、まだ逆立ちした、逆な、片面的なものであって、先人にとっては証明されたことであっても彼らにとってはまだ証明されていないものであることを、彼らは覚るべきである。(毛沢東『学風、文風、党風の整頓』)
日常生活での予想にふくまれた部分的なあやまりが、実践で対象とむすびつけられることによって排除されるように、科学者の仮説にふくまれた部分的なあやまりも、実験での証明を通じて排除される。それゆえ、仮説と科学との間には、このような飛躍があり転化が存在する(4)。この成立した科学を書物から読みとって、追体験あるいは追実験し、その時の対象との関係においても真理であることを確認するのは、同じく実験あるいは実践であっても先のそれとは区別しなければならない。それは理論の証明ではあるが仮説の証明ではないからである。
科学が相対的真理であって、法則とよばれるものにもわずかの誤謬がそれにこびりついているということから、科学者がこの誤謬を訂正するための新しい仮説を作ってそれを証明し、ここに新しい法則が成立したとしても、それは体系の不備を補ったのであり、さきの法則が科学ではなく仮説にすぎなかったということにはならない。
科学は相対的真理として誤謬を伴っているし、仮説にも誤謬があるが、この共通点をとらえて誇張するところに、科学と仮説との同一視ないし科学の仮説への解消があらわれる。さらに、仮説には往々にして現実ばなれしたフィクションが核心となるところから、科学の仮説への解消が科学をフィクションと規定するところにまで進んでいくような、極端に逸脱した主張をふりかざす自称マルクス主義者もあらわれた。ここでは実験が強調されているけれども、マルクスのいう意味での「実践の理解」になっていないのである。
科学もまた現実そのものではなく一つのフィクションであり仮説であって、だからこそ絶えざる実験による検証が必要であり、この実践による能動的な働きかけのうちに、科学そのものの修正と発展をささえる基本的なモメントがある。(栗原幸夫『「政治の優位性」論とその周辺』)
世間で『真理』といわれているものは、すべてこれらの『目で見たこと・考えたこと』などが、もしたしかであるならば、という仮定の上にたっているのである。根本の基礎が『仮定』であるかぎり、その上に立った実験や研究がどんなに行きとどいたものであろうとも、そこからでた結論は、つまるところ『ゆきとどいた仮定』でしかありえない。真理とは、真理として通用しているところの仮定である。(林田茂雄『人生論』)
これら自称マルクス主義者が、文学者ないし哲学者でなくて自称科学者であったなら、おそらくこのような逸脱は起さずにすんだであろう。これでは百年前の労働者哲学者(ディーツゲン――引用者註)にくらべて学問的に後退しており、科学を仮説に解消させる点では事実上プラグマティストないし観念論者のお先棒をかついでいるにすぎない。これでは仮説は永遠に仮説であり、仮説を証明するための実験も理論を受けとる場合の追試験もいっしょくたになっている。発展の原動力は矛盾であり、現実の世界と認識との矛盾が実践を媒介として発展していくのであるが、これが矛盾ぬきで実践それ自体が基本的な存在だということになったのでは、正しい意味での仮説の持つ意義と役割も理解できなくなってしまう。
どんな観念論者であっても、自分の存在していることは疑わないだろうし、自分が人間であることや男性であることは疑わないであろう。そのとき、その認識は対象である自分とのむすびつきにおいて、真理とよばれるのである。それは「もしたしかであるならば」という仮定の上に立っているのだとか、フィクションで仮説なのだとか主張するならば、家族や医者や警官などが大笑いしながら実践的に証明してくれるはずである。
それでは自然科学者は誰もこのような逸脱を起さないかといえば、決してそうではない。自然科学者の中にも、観念論者と同じように、あるいは観念論者の主張を受け入れて、科学を仮説に解消させる人びとが存在する。これがさらにプラグマティストや観念論者や自称マルクス主義者に確信を与えることになる。これは科学の発展のジグザグなコースを正しく理解できない、形而上学(けいじじょうがく)的にしかとらえることのできない、自然科学者のおちいるあやまりである。
すでにエンゲルスは『反デューリング論』で認識の発展・科学の発展の持っている矛盾を指摘しながら、「真理性を主張する無条件的な権利をもつところの認識は相対的誤謬の系列を通じて実現される」とのべたのであって、この相対的誤謬とは「正しいものよりも、修正の余地のあるもののほうがずっと多くふくまれている」認識をさしている。しかしその後のマルクス主義者は、この相対的誤謬が学説として大なり小なり科学の体系の中に混入し、あやまって科学の名の下に扱われているという事実や、これと相対的真理との正しい関係の問題などを、無視して来た。これは相対的真理がエンゲルスの意味で正しく理解されず、歪めて解釈されたこと(5)と無関係ではない。相対的誤謬と相対的真理とを対立物としてとらえることができず、ブイホフスキーのように「歴史はただ相対的真理を、すなわち誤謬であるところの真理を、知るのみである。」などと両者を混同して扱うのも、そこに原因があったと考えられる。マルクス主義はヘーゲル弁証法を逆立ちと見て、この相対的誤謬をひっくりかえすことを主張しかつ実行したわけであるが、科学の体系の中にもこれと似た逆立ち理論が大なり小なり混入しているのであって、それらはつぎつぎと克服されてはいるものの、さらに新しいものが生れてくる。
自然科学そのものにおいてもわれわれは、現実的な関係を逆立ちさせて、映像を原型だと見なすような理論、従って右のようにひっくりかえしをやる必要のある理論に、実にしばしばぶっつかる。かような理論は実にしばしばかなり長い期間にわたって行われるものである。熱がほとんど二世紀間にわたって、通常の物質の一つの運動形態と見られず、何か特殊な神秘の物質と見なされてきたのは、まさにそうした実例であった。そして力学的熱理論がそれのひっくりかえしをやってのけたわけである。それにもかかわらず、カロリイク説に支配されていた物理学はいくつかのきわめて重要な熱の法則を発見し、そして特にフーリエとサディ・カルノーとによって正しい見解のために道を開いた。そしてこんどはこの正しい見解のほうが、それに先行した学説の発見した諸法則をひっくりかえして、自分自身のことばに翻訳しなければならなかったのである。(エンゲルス『反デューリング論』旧序文)
(4) 仮説と科学との区別は相対的ではあるが、区別を与えるためには現実のありかたとの照応という問題が入りこんでくる。それゆえ、客観的な現実の世界の存在を認め、その反映としてしての認識のありかたを認めることを拒否する立場、すなわち観念論の立場では、この区別を与えるための客観的な基準が存在しない。そこから両者の混同が出てくるのである。
(5) この歪めた解釈は、レーニンの『唯物論と経験批判論』にはじまる。詳細は、三浦つとむ『レーニンから疑え』参照。
『認識と言語の理論 第一部』 p.88
学説としての相対的誤謬も、体系の末端に存在するさほど重要な意味を持たないものであるならば、その誤謬が発見されてもそれほどショックではない。けれどもそれが体系の核心をなしている存在であって、その誤謬の訂正が体系を根本からひっくりかえすような場合には、これまで科学の体系に深い信頼を持ち科学ないし真理を固定したものとして考えていた人びとに、大きなショックを与えずにはおかない。これらの人びとは、こんどは反対の極端へ飛びうつって、科学の体系はもともと信頼しがたいものであり、仮説でありフィクションなのだと思いこむようにもなる。
天動説はコペルニクスによってひっくりかえされ、フロギストン(燃素)説は酸素の発見によってひっくりかえされた。光も、はじめは発光体が光の粒子すなわち「光素」を放出して、これが真空の空間をボールがとんでくるように進んで来てわれわれの目に達するために、光の感覚が起るのだと説明されていた。これに対してホイヘンスが光は波動であって実体的なものが移動するのではないと主張し、これがのちに電磁波説へと発展していったのである。
科学史を学んだ人びとも、これらの事実をまだ科学の発展していなかった過去の時代の偶然的な逸脱であるかのように、もはや現在ではカロリイクやフロギストンに類するような空想的な実体を基礎におく学説はあとを絶ったかのように、思いやすい。否である。歴史は繰り返すという考えかたも一面の真理であって、科学はこの種の逸脱をいまなお繰返しているのである。
疾患は微生物すなわち実体によって起るという経験を、そのままガンに持ちこんで、特殊な微生物たとえばウィルスからガンの原因を一元的に説明しようとする試みは、いまだにあとを絶たない。生理学や医学で、現在何々因子と名づけているものが、果して実体として存在しているか否かは大いに疑わしい。
また感覚の中の嗅覚・味覚については、科学的な物質の実体的な作用として、いわば鍵と鍵孔にも似た作用として説明されている。「嗅素」あるいは「味素」ともいうべきものが論じられ、嗅覚は「六つの基本的な匂い」の組合せによって起るのだとか、味覚は「四つの基本的な味」の組合せによって起るのだとか、説明されている(6)。これらは視覚を光の作用として説明するのではなく、色を感じるのは対象から「色素」という実体がやって来るからであり、空が青く見えるのや雪が白く見えるのは空いっぱいに青い「色素」があったり雪が白い「色素」をふくんでいたりして、それらがわれわれの目玉から入りこんでくるためだと説明するのと、あまりちがわないのである。
(6) これが現在の生理学の定説であり、心理学者もこのような解釈を受け売りしている。分子生物学の観点からはこれ以外の解釈が出てこない。
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