〔注記〕 三浦がその著書で「認識」と表現している語は、単に対象認識(認識内容)を意味しているだけでなくその中に「対象認識を作り出している意識主体の意識」をも含んだものである。つまり三浦は「精神・意識」のことを「認識」と呼んでいる。したがって、以下の引用文中で「認識」とあるもののうち明らかに対象認識を指しているもの以外は「意識」と読み換える必要がある。
〔引用に関する注記〕 (1) 原著の傍点は読点または句点のように表記している。
(2) 引用文中の太字は原著のものである。
(3) 長い段落は内容を読みとりやすくするために字下げをせずにいくつかの小段落に分割した(もとの段落の初めは一字下げになっている)。
(4) 読みやすさを考えて適宜 (ルビ) を付した。
『認識と言語の理論 第一部』 p.114
現実の世界の忠実な認識ということには、つねに限界があるけれども、この限界がいかにあるべきかについて規定してくるのは実践上の必要である。列車に乗るとすればその列車がどのように運行されていくのかを知らねばならないが、乗客はそれぞれの実践上の必要から駅名なり到着時刻を覚えるのであって、車掌が実践上の必要から必要とするものにくらべると大きなちがいがあるし、またそれ以上覚える必要もない。タクシーの運転手が実践上必要とする自動車についての知識と、理科教育を担当する教師が実践上必要とする自動車についての知識との間にも、大きなちがいがある。会合で他の人びとのスピーチを聞く場合にも、われわれは意識的に選択して、あの人が何というか聞きのがしてはならないと耳をかたむけることもあれば、あの人のいうことを聞いても意味がないとわざわざ別の問題を考えていることもある。これも結局は実践上の必要に規定されてのことである。さらに、生活の中で経験し認識したことの中にも、実践上の必要からのちのちまでぜひ記憶しておかなければならないものがあり、これを追想あるいは追憶というかたちで再現して役立てているのである。これはわれわれの精神生活の中で一つの重要な位置を占めており、これを生きるためのささえにしている人びとも存在する。
一年前に自動車事故でこの世を去った、親友のことを追想する場合、自分の前に微笑を顔に浮かべて話してくる彼を見ているのは、ほかならぬ「頭の中の目」である。現実の世界にはもはや彼は存在しないし、現実の自己の目では彼を見ることはできないが、それにもかかわらずたしかに自分は彼を「見て」いるのである。これはかつて現実の世界に彼が生きていたときに、現実の自己の目で彼を見た経験があって、その時の感覚を、いま頭の中で復活させているわけである。かつて受動的に与えられた感覚を、いま能動的に再現したのだという、「頭の中の目」の対象のありかたは誰でも容易に自覚できる。だがそれを「見て」いる自己の側も、もはや現実的な自己ではなくて、現実的な自己から観念的な自己が分裂してかつての現実的な自己と同じ位置に移行しているのだという、自己のあり方を自覚するのはかならずしも容易ではない。
こうして、かつての現実的な友人と自己との関係が、いまでは観念的な世界の中に復活させられているのではあるが、この観念的な世界の中にいる観念的な自己としては友人は目の前に現実に存在していることになっている。しかし現実的な自己としては、単に頭の中に記憶している友人のありかたを、観念的に自分の向う側へ位置づけて観念的な自己の対象にしただけのことで、現実に友人が存在しているわけでもなんでもない。それゆえ、ここには一つの観念的な転倒が行われている。過去の認識活動の結果として得られた頭の中の事物のありかたの反映を、空想的に自己の「外界」へ持ち出して客観的な世界から現に認識しているかのように位置づけるのであるから、現実的な自己の現実的な世界と観念的な自己の観念的な世界と世界が二重化している。それゆえ、観念的な対象化あるいは疎外は、それによって観念的な自己分裂による観念的な自己を成立させながら、非現実的な一つの世界をつくり出すのであって、それぞれの世界に対するそれぞれの異った自己をとりちがえないように注意を払う必要がある。
このように観念的な対象化と観念的な自己とが同時に成立するという事実は、すでに観念論者によってとりあげられていたけれども、さきにフィヒテ主義者について見たように、この観念的な世界のありかたがそのまま現実的な世界のありかたとして、いっしょくたにして説かれるのである。現実的な世界についても、現実的な自己の認識と現実の世界とが同時に成立するのだと解釈して、「我ならびに非我」が「意識および物」として「両者へ区分されていく」と説明したのである。観念的な対象化は、自己の側に能動性があって、自己の側から対象化していく。それでかれらはこの「意識および物」の区分の成立も、「意識」の側に能動性を認めたのである。
そしてヘーゲルに至っては、宇宙のどこかに存在している絶対的なイデーに能動性を認め、これから「物」の世界すなわち自然が「外化」されてくるのだというような、精神が物質的な世界をつくり出してくる理論が体系的に展開されるまでになった。これは人間が頭の中で観念的に行っている「外化」のありかたが、現実の世界で客観的に行われているというかたちに位置づけられた、逆立ち理論である。これに対して、絶対的なイデーなどはナンセンスだ、そんなものと無関係に自然は存在しているのだといい、ヘーゲル理論を破りすてたところで、絶対的なイデーの批判にもならなければヘーゲル理論を片づけたことにもならない。なぜ・いかにして・絶対的なイデーなるものが設定されなければならなかったを理解し、この「外化」のありかたを人間の活動に還元しながら(1)理論的に改作するときに、ヘーゲルが逆立ちしたかたちで獲得した貴重なるものをも受けつぎながら、ヘーゲルを克服することができるのである。この仕事はフォイエルバッハにによってはじめられたのだが、彼の場合はまだ不十分であって、マルクス=エンゲルスによってなしとげられたのである。
(1) ヘーゲルを読むときには、この全体系としてのヘーゲルのあやまりを十分に念頭におき、その正しい還元を考えながら、個々の文章を吟味していくことが要求される。絶対的なイデーは観念論的な設定だから、これさえブチ切ってしまえばあとは正しいのだというような、安易な態度で読んだのでは、ヘーゲル主義にひきずりこまれる危険が大きいのである。レーニンのヘーゲル研究も、全体系としてのヘーゲルのあやまりを十分検討しなかったことが、ひきずりこまれた原因であると思われる。
『認識と言語の理論 第一部』 p.116
第一章で地図について問題にしたが、ここでいま一度地図を考えてみよう。これを描くときの精神活動も、追想である。或る場所へ行く道を知らせるために、自分が行ったときの経験を追想するのである。しかし親友の追想とはちがって、感覚をそのまま能動的に再現するのではなく、地上を歩いたときの多くの経験を綜合(そうごう・総合)し意識的に加工してから、観念的に対象化するのである。それゆえ観念的な自己もかつての現実的な自己の観念的な再現ではなく、過去に経験したときの現実の自己のありかたを超えて、空中の高いところに位置づけられている。さらに見のがしてならぬことは、経験の中の道を通る人びとや自動車や列車などの絶えず変化する存在や、あるいは雨が降るとかぬかるみや水たまりができるような一時的な存在はすべて捨象してしまって、静止し固定した部分だけをとりあげ、その中でも地図を役立てる人にとって必要と認めたもの以外は省略してしまうのである。
この静止し固定したとらえかたが、この地図の自立性を保障しているわけであり、ラッシュアワーでも真夜中でも天気の日でも雨ふりでも、行動の指針として役立つのである。とはいっても、かなり以前の経験を追想して描くときには、かつて経験した当時の道のありかたと現在のそれとがくいちがっていることもある。もらった地図をたよりに行くと、道のない野原であるはずのところに団地があってりっぱな道がついていたり、曲り角にパチンコ屋があるはずなのに銀行の支店になっていたり、思いもかけぬ現実にぶつかって、この道をすすむのが正しいのかどうか迷ったりする。けれどもこの地図をもらった人の新しい経験は、もらった地図を訂正増補して現実のありかたにヨリ有効なものに仕上げるために、大いに役立つわけである。この人がさらに他の人に地図を描いてわたすときには、もらったものよりもさらに正確な地図になるであろう。
われわれの生活は、いわば人生の旅路である。それゆえ、われわれは交通のための地図だけでなく、生活のさまざまな分野で前進するためのさまざまな生活の地図を必要とし、それらをつくり出している。特殊な能力を身につけることも、やはり一つの「道」をすすむものと考えることから、茶道
とか華道とか剣道とかよばれるようになり、そこに指針として地図に相当するものが成立する。極意とか秘伝とかよばれるものが存在する(2)。
学者の自然や社会の研究も、先人の開拓者として進んだ「道」がそののこした文献に示されており、同じ仕事をする人びとにとってこの文献は地図の役割を果すのである。先人のまだ到達できなかったところを目ざすにはちがいないが、対象はその開拓のしかたを規定してくるから、あとからすすむ者も先人のすすんだ「道」を同じようにたどって、そののこっている地図を訂正増補しながらさらに前進しようとする。
そして、ある現象にぶつかった場合にも、それがまったく切りはなされた存在ではないこと、それが生み出されてくる客観的な根拠があり因果関係が存在していることを、経験が教えてくれるから、それをいわば氷山の一角として扱い、連関や根拠を考えて解釈を加えていく。この解釈は、それなりに一つの地図としての役割を果すのである。たとえ忠実な反映であろうと空想的なものであろうと、また似たような現象にぶつかった場合の解釈に使われるからである。
そして経験の中で、一度描かれた地図に訂正増補を加えるのと同じように、具体的な事実や連関や根拠についての認識を加えながら発展していく。この種の地図は思想とよばれているが、そこから一般的な認識が体系として展開されるかたちをとると、理論とよばれることになる。合理的な思想の発展において科学が生れるのも、理論の展開でありこれまた地図の発展である(3)。これらの地図は、もちろん表現されて文献のかたちをとって伝えられるのだが、生活や研究に使われるときには頭の中に能動的に再現され、観念的に対象化されているこの地図の示すところに従って、現実の世界のありかたをたどっていく。
現実の世界に基礎づけられて成立した地図が、つぎにそれ自体一つの自立した存在として扱われ、これに導かれてさらに現実の世界へ進んでいくというのも、やはり転倒である。思想とか理論とかよばれる地図にしても、やはり一つの自立した存在として扱われ、つねに訂正増補が行われるとはいえその基礎的な部分は固定したものとして維持されていく。意志が対象化されて成立するところの諸規範、たとえば法律や組織の規約などにしても、一つの自立した存在として扱われ、法律の改正や規約の改正などが行われるとはいえその基礎的な部分は固定したものとして維持されていく。このような認識はイデオロギーとよばれている。
(2) 極意とか秘伝とかよばれるものが、短い簡単なことばで述べられているのは、すべて本質は単純だからである。そしてこの単純な地図は、その道の十分な経験者にとって、初めて真の有効性を発揮しうる。毛沢東が示したゲリラ戦の極意も、「敵進我退、敵駐我擾、敵疲我打、敵退我追」のわずか四行であるが、これも大いに有効性を示したのであった。
(3) 唯物史観は哲学ないし思想であるが『資本論』は科学であって、これが唯物史観を基礎づけたとする見解が一部の学者から主張されている。梅本克己や佐藤昇も口をそろえてこの見解を支持している。これは唯物史観と『経済学批判序説』と『資本論』の論理的な連関を理解できぬところから生れた謬見であり、また唯物史観を科学から哲学に思想にひきもどして哲学者の存在理由を確保しようとする意図の所産でもある。労働の対象化による生活の社会的生産について、その論理構造を科学的に把握しないかぎり、労働力の生産およびその価値を正しくとりあげることもできず、労働力と労働との矛盾もとらえられず、剰余価値を通じての資本主義的生産の秘密の暴露もありえず、古典派経済学を止揚することもできなかった。だからこそエンゲルスは『経済学批判』の書評において、「このドイツの経済学は、本質的には、歴史の唯物論的把握に立脚しており」(強調は原文)と、唯物史観こそがマルクス経済学を基礎づけたことを指摘しているのである。
『認識と言語の理論 第一部』 p.119
交通のための地図にも、現実のありかたに忠実でないものがたくさんある。図に示したものもその一つで、上野・仙台間が仙台・盛岡間よりも短く、しかも直線で描かれている。しかしこの地図を描いた人間は、それが現実のありかたに忠実だと信じていたわけではなく、承知の上で現実とくいちがったものを描いたのである。この地図は温泉とホテルのPRに使うのであるから、温泉のありかを知ってもらうことが重点になっていて、鉄道の描きかたが現実に忠実でなくてもさしつかえないのである(5)。この地図を見て「まちがっている」と描いた人間を非難するのは、見当ちがいである。この種の誇張・単純化は、交通のための地図だけでなく、思想の表現においても大なり小なり存在するのであるから、何のためにこの思想が説かれたかを無視して、単純化を認識の欠如であるかのように思いこみ、見当ちがいの非難を加える(6)ことのないように注意する必要があろう。
それと同時に、その誇張・単純化をそのまま現実のありかたに忠実であるかのように思いこみ、信仰的に支持する危険もあることに注意する必要があろう。政治的な思想を述べた政治家あるいは革命家の論文や著作にも、その時々の政治的な要請に応じて、誇張・単純化を行ったものが多く(7)、これに対して右に指摘したような非難者および支持者が出現し、対立抗争することもしばしばである。
駅から自宅までの道順を地図に描くような場合には、小さな空間を扱うだけにまだかなり具体性を持たせることができるから、広い道と狭い道とを区別して、それぞれ異った幅を持つものとしてとりあげていく。駅を示すときにも、一定の面積を持つものとしてそのかたちを描いていく。それが東京全体の地図ともなれば、広い道は幅を持つものとして描いても狭い道は一本の線になってしまい、鉄道の駅も一つの点になってしまう。日本全体の地図ともなれば、名神高速道路すら一本の線で描かれることになる。現実には幅があり面積もあるにもかかわらず、これらを線や点としてとらえるというのは、抽象であり極端な単純化であるがこの地図を見る人びとは抽象の過程を知っているから、この地図から過程を逆にたどって「頭の中の目」で現実の幅を持ち面積を持った存在をとらえるのである。
数学で扱う点や線や面などの抽象物も、本質的には地図のそれと同じ過程をとって形成されたものであるが、地図とちがって抽象の過程から絶ち切られたかたちで扱われている。それらをすでに与えられたものとして、自由に組合せたり切断したりしている。そのために日常の生活では地図を描いたりながめたりしていながらも、数学で扱う点や線や面などについてはあやまった解釈を下す人びとが出てくる。これらを、人間の長い経験によって得られた抽象能力の所産だと理解するのではなく、頭の中で純粋に創造されたものであるかのように解釈するか、あるいはそれらの抽象物がそのままのかたちで現実に存在するかのように解釈する。
数や図形の概念は、現実の世界以外のどこから得て来たものでもない。人間は十本の指を用いて数を数え、こうして最初の算術的運算を行うことを覚えたのであるが、この十本の指が悟性の自由な創造物でないことは、まちがいない。数えるためには数えることのできる対象が必要なばかりでなく、それらの対象を考察するに当って対象の数以外のあらゆる他の属性を捨象する能力が、すでに必要である。――そしてこの能力は、長い、歴史的な、経験にもとづいた発展の成果である。
数の概念と同様に、図形の概念ももっぱら外界からあたえられたものであって、頭脳の中で純粋思惟から生じたものではない。図形の概念に到達するには、その前に、形をもち、その形がたがいに比較されるもろもろの物がなければならなかった。純粋数学は、現実の世界の空間的諸形態と量的諸関係とを、したがってきわめて現実的な素材を対象としている。この素材がきわめて抽象的な形をとってあらわれているために、それが外界に起源をもつことがおおいかくされるにしても、それは単に表面上のことにすぎない。
けれども、これらの形態や関係を、純粋にそのものとして研究しうるためには、それらをまったくその内容から切りはなして、この内容をどうでもよいものとして度外視しなければならない。このようにして、広がりをもたない点、厚さも幅もない線、a と b や x と y、すなわち常数や変数がえられ、そののちにはじめて、いちばん最後に、悟性自身の自由な創造物と構造物、すなわち虚数に到達するのである。
数学上のもろもろの量が、外見上おたがい同士から導き出されるように見えることも、それらが先天的な起源を持つことを証明するものではなく、単にそれらの間に合理的連関のあることの証明になるだけである。円筒の形は、矩形の辺を軸として廻転(かいてん・回転)させることによってえられる、という考えに到達する前には、たとえごく不完全な形のものにせよ、多くの現実の矩形と円筒が研究されたにちがいない。他のすべての科学と同様に、数学も人間の必要から生れた。すなわち、土地や容器の容量の測定、時間の計算や力学から生れたのである。
ところが、思惟のあらゆる分野で起ることなのだが、ある一定の発展段階に達すると、現実の世界から抽象された法則が現実の世界から分離されて、何か自立的なものとして、世界がそれにのっとるべき外来の法則として、現実に世界に対立させられるようになる。社会や国家に関してこういうことが行われたように、それと同じく純粋数学もあとになってから世界に適用されるようになる。ところが実は他ならぬこの世界からとり出されたもので、単にこの世界のもろもろの構成形態の一部分であるにすぎない。――またまさにそれだからこそ総じて適用できるわけである。(エンゲルス『反デューリング論』)
ところで、この適用として道具とか家屋とかを設計することになると、われわれは数学の成立とは逆に、抽象から具体へとすすんでいく。まず点を定め、それを延長して線とし、それをひろげて平面へ、さらに展開して立体へと具体化していく。しかもこれは観念的に対象化した形態において、自己の向う側に点を定めそれから具体化していく形態において行われる。それゆえ、頭の中で行われる抽象から具体への発展が、現実の世界において抽象物それ自体が自己運動して具体化していくかのように、これまた転倒したかたちであらわれてくることになる。これを現実的な自己が現実の世界をながめている場合といっしょくたにするときは「最初の線は空間内における点の運動によって、最初の面は線の運動によって、最初の立体は面の運動によって成立した、等々という数学者のことば」も生れてくるし、観念論哲学者としてもこのような解釈をあたえて数学を神秘化することになる。これも、観念的な疎外における「外界」をそのまま現実のありかたであるかのように思いこむあやまりである。
(5) 鉄道が駅に自社の路線を図示するときにも、駅の名称や順序をPRすることが重点になるから、自社の路線だけは太く大きく誇張し、単純化して描くけれども、それと交錯している他社の路線は細く目立たないように描いておくのが普通である。
(6) マルクス主義者の中には、エンゲルスの著作を軽視したり誤解したりする傾向が昔から見受けられる。その原因の一つは、彼の文章特に晩年のそれが、この意味で大きく単純化されているところにある。
(7) レーニンは急激に変化する情勢の中で、その時々にそれぞれの局面に対して多くの評論や見解を書きのこした。それゆえこれらをその書かれたときの情勢や与えられたスペースから切りはなし、研究室で書かれた学術論文と同じように扱って適当に引用したり編集したりすれば、どんな主張の合理化にも使うことができる。トロツキーを最悪の裏切者とすることもできれば、最高の革命家にすることもできる。
『認識と言語の理論 第一部』 p.122
予想や追想が、未来や過去の現実の世界のありかたと忠実に照応することを目ざしているのに反して、芸術の作者がフィクションの芸術を創造することは、現実の世界から意識的に切りはなした空想の世界の形成を目ざしての活動である。これも頭の中の創造された一つの観念的な世界を観念的に対象化するのであって、同時に作者は観念的な自己分裂においてこの空想の世界に入り込む。この観念的な自己にあっては、フィクションの世界はりっぱに実在する「外界」であり、この世界について表現することはこの「外界」の忠実な反映の表現すなわちノン・フィクションの記録であるという転倒が行われるわけである。漱石の『吾輩は猫である』は現実的な自己すなわち漱石の立場からはフィクションであるが、観念的な自己すなわち「猫」としてながめている「外界」は現実の世界で実在することになっているから、この作品は「猫」の立場からの生活記録として書かれたものであり、「猫」にとってのノン・フィクションであるということになる。
芸術理論はフィクションの世界の創造をとりあげるのであるから、観念的な対象化の論理構造を理解しなければならないし、そこで転倒が行われることを心にとめて検討する必要がある。そして観念論の立場に立っている美学あるいは芸術論は、そもそもその根拠が逆立ちしているために、転倒が正立に逆立ちさせられて説明されているのだということも、前もって警戒しながら読む必要がある。たとえ革新的といわれる評論家の主張であろうと、観念論美学の系列につながるものにはこの逆立ちがあり、転倒が正立として扱われているためにかえってもっともらしく見えるのであって、「猫」の立場をそのまま漱石の立場だと解釈することになるからフィクションがノン・フィクションと同じように扱われ、唯物論的な反映論らしい外観を呈している。それで自称マルクス主義者がこの種の観念論美学をうのみにし、フィクションの世界の創造をノン・フィクション的に解釈するという失敗におちいるのである。戦前のプロレタリア芸術運動は、この点でわれわれに大きな教訓を残している。
この運動を指導した蔵原惟人(くらはらこれひと)は、ロシアの革新的な批評家ベリンスキイの芸術論をうのみにしたのである。ベリンスキイは観念論美学の伝統に従って科学と芸術とを平面的に位置づけ、両者はその内容が異るのではなくて形式が異るだけだと考えていた。科学はノン・フィクションであるから、芸寿の内容も科学と同じだということになればこれまたノン・フィクションになってしまい、フィクションの芸術の持つ特殊性は無視されてしまう。けれども観念論はもともとノン・フィクションとフィクションとの区別をなしえない立場にあるばかりでなく、フィクションの世界の創造をノン・フィクション的に解釈するので、俗流反映論者としてはこの面だけを見せられるともっともらしく思えるから、蔵原もベリンスキイをうのみにした。そして工場や農村におけるプロレタリア前衛の生活を描けと強調した。作者達は努力したものの、その結果は必ずしも満足できるものではなく、それゆえに芸術運動の組織である『ナップ』も三一年度の方針書で、「我々の階級的主題をいかにして生かすべきかに払わるべき努力」が「題材そのものに対する革命性の要求に向ったところの偏向(8)」を生んだと反省し、「プロレタリアートの創造性、すなわち主題の強化が強調されねばならぬ所以(ゆえん)である。」と述べたのであった。
ここに明かに示されているように、芸術における創造性と主題の強化とが共通のものとして理解されているのは正当である。芸術における主題は、ちょうどトランシーバーの装置を製作するに際して、(1) の図を頭の中に設定するようなものである。それはフィクションの世界を具体的につくり出すに際して、まず抽象的に設定される骨格であるが、この骨格を作者の理想とする方向に前向きに設定することも、やはり一つの創造であり、この方向づけを強化と読んだわけである。フィクションの世界の創造はいわばこの骨格を具体的に肉付けすることであるから、骨格を積極的なものにしたか否かによって、全体の性格も定まってくるわけである。
だが、フィクションの世界を創造するとか、主題を積極的なものにするとかという観点は、作者の現実的な自己としての観点である。このフィクションの外にいる自己としての観点である。もし作者がこのフィクションの世界の中にいる自己として、観念的な自己としてこの世界(フィクションの世界――引用者)をながめるならば、それはもはや作者と無関係に存在している現実の世界になってしまう。そこでは、現実的な自己としての創造がすべて非創造という転倒した幻想的な形態をとることになり、現実の作者が創造した鞍馬天狗やチャタレー夫人がすべて作者と無関係に存在している実在の人物として目の前で行動して見せてくれることになり、作者はその見たままを文章に綴ることになる。主題もやはり同じように転倒する。すなわち現実の作者として観念的に創造し設定したにもかかわらず、フィクションの世界それ自体が非創造となり「外界」として扱われるのといっしょに、やはり作者と無関係に存在している「外界」の骨格という性格をあたえられてしまう。
蔵原もフィクションとノン・フィクションとはちがうと思っていたが、転倒として理解できず逆立ちさせて正立として解釈した。現実の世界が現実の作者の題材であることと、フィクションの世界がその中にいる観念的な作者の「題材」になっていることとのちがいを、正しくとらえられなかった。主題についても、作者の創造においてではなく、「外界」ないし「題材」それ自体のありかたとして、非創造的に解釈してしまった。当然のことであるが、そのために蔵原は、作者達が創造性において主題をとりあげ、その強化を論じたのを、サッパリ理解できなかったのである。
実を云ふと私には此処で「題材そのものに対する革命性の要求」とか「主題の強化」とかいふことが一体何を意味しているのかが分らないのである。……主題といふのは、これも前に述べた所から明かであるやうに「作者の観点から整理された題材」のことである。だから作者の観点が変らない限り、主題なんていふものは、ゴムとっちがって勝手に強めたり弱めたり出来る性質のものではない。(蔵原惟人『芸術的方法についての感想』(9))
われわれの夢も、無意識における創造の観念的な対象化である。おバケのこわさや走る速さも、無意識のうちに創造・決定されている。それで、蔵原が自分の創造したフィクションの世界である夢の中で、おバケにおどかされ追いかけられているとき、夢の中の蔵原としてはそのおバケのこわさが「勝手に強めたり弱めたり出来る性質のものではない」ことも事実である。この夢の世界の中での蔵原からすれば、もはや夢の世界の外での蔵原が走りも何もしないで寝床の中に横たわっていることは否定されてしまっているし、夢の外での仲間たちが夢の中のおバケをどう創造したらいいかとか、おバケのこわさや走る速さをもっと「強化」したらおもしろいぞとか話し合っているのは、「一体何を意味しているのか分らない」こともたしかである!
(8) これは後に述べる蔵原の対象内容説から生れた偏向である。
(9) この蔵原の主題の解釈は、文学者および国文学者を通じてひろく教育者にもひろがっている。「作品の主題なるものを還元的に分析すれば、作者の世界観とか人生観とかいうような理念とそれによって把握せられた、自然・人生における題材的事実とに帰着するであろう。」(西尾実『日本文芸入門』)
(三浦つとむ『認識と言語の理論』に関する記事)