『認識と言語の理論 第二部』1章(1) 表現――精神の物質的な摸造(PC版ページへ)

2018年10月25日14:03  言語>表現論

『認識と言語の理論 第二部』1章(1) 表現――精神の物質的な摸造
『認識と言語の理論 第二部』1章(2) 形式と内容との統一
『認識と言語の理論 第二部』1章(3) ベリンスキイ=蔵原理論
『認識と言語の理論 第二部』1章(4) 対象内容説・認識内容説・鑑賞者認識内容説
『認識と言語の理論 第二部』1章(5) 言語学者の内容論
『認識と言語の理論 第二部』1章(6) 価値論と内容論の共通点
『認識と言語の理論 第二部』1章(7) 吉本と中井の内容論
『認識と言語の理論 第二部』1章(8) 記号論理学・論理実証主義・意味論

『認識と言語の理論 第二部』1章(1)~(8) をまとめて読む

三浦つとむ『認識と言語の理論 第二部 言語の理論』(勁草書房・1967年刊)から
  第一章 認識から表現へ (1) 表現━━精神の物質的な摸造

〔注記〕 三浦がその著書で「認識」と表現している語は、単に対象認識(認識内容)を意味しているだけでなくその中に「対象認識を作り出している意識主体の意識」をも含んだものである。つまり三浦は「精神・意識」のことを「認識」と呼んでいる。したがって、以下の引用文中で「認識」とあるもののうち明らかに対象認識を指しているもの以外は「意識」と読み換える必要がある。

〔引用に関する注記〕 (1) 原著の傍点は読点または句点のように表記している。

(2) 引用文中の太字は原著のものである。

(3) 長い段落は内容を読みとりやすくするために字下げをせずにいくつかの小段落に分割した(もとの段落の初めは一字下げになっている)。

(4) 読みやすさを考えて適宜 (ルビ) を付した。

『認識と言語の理論 第二部』 p.229 

 十八世紀の学者たちは、経済や政治について論じるときに、ロビンソン・クルーソー的な人間を持ち出すのが常であった。たとえば一方に猟をする人間があり、他方には魚をとる人間があって、それぞれ生産したものを交換するというわけである。ロビンソンはたしかに無人島で独力で家具をこしらえたり魚をとったりした。孤立した個人として経済生活を営んでいた。しかしこれは漂流の結果強いられた特殊な生活であって、これがそのまま人間にとって普遍的な生活のありかたではないし、またこの特殊な生活にも人間としての本質はやはりつらぬかれていたことを理解しなければならない、

彼は生れてから無人島に来るまでに、両親はじめ多くの人びとの中で肉体的にも精神的にも育てられたのであって、自分で自分をつくったわけではない。孤立して経済生活を営む能力は、社会的な関係の中で育ったのであって、生れつき持っていたものではない。それゆえ、無人島での生活も、本質的には社会によってささえられた社会的な生活の一つの変形でしかないのである。ロビンソン的な人間がまず存在して、それから社会がつくられるという関係も、特殊にはありうるが、それを本質的なものと思いこむなら理論は逆立ちしてしまう。ロビンソン的な人間を持ち出して論ずるときは、右のことをまず心得ておかなければならない。

 言語学者が言語について論じるときに、まず一方に話し手が他方に聞き手が登場し、一方の言語表現を他方が理解するというのも、ロビンソン物語の一つの形態である。彼らはすでに言語規範を身につけた、表現し理解しうる能力を持った人間として持ち出されてくる。言語規範は人間が生れつき持っていたのか、個人が独力でつくりあげたのか、それとも社会的に形成されたのかを、言語学は明らかにしなければならない。ロビンソン的な話し手と聞き手との間に、言語による精神的な交通が成立することを認めただけで、あとは言語規範の変化発展を歴史的に説明するのでは、言語を科学的に解明したということにはならないのである。

われわれは生れながらに社会的であって、他の人びととの関係において生活している。まだ幼い子供であっても、自分の思っていることやのぞんでいることを他の人びとに知らせ、他の人びとの思っていることやのぞんでいることを自分も知るという、精神的な交通を伴った精神的な生活を営みながら、物質的な生活の維持と発展につとめている。そしてこの精神的な交通に矛盾があることが、交通のありかたについてのいろいろな工夫を要求するのである。言語規範も、矛盾の発展の中で必要なものとして成立したにちがいないのであるから、矛盾の存在と発展を正しくとらえときほぐしていって、はじめて言語についての科学的な理解も可能である。

 交通とはいっても精神的な交通では、物質的な生活資料の交通と異って、頭の中の精神そのものが頭からぬけ出して他の人間の頭の中へ入っていくわけにはいかない。対象を認識する場合には対象の精神的な摸造をつくり出し、反映とよばれる関係が成立したけれども、これをさらに他の人間に伝える場合には逆に精神の物質的な摸造をつくり出し、これを他の人間の認識の対象として提供するかたちをとらなければならない。まだことばでいえない赤ん坊でも、声帯を振動させて叫んだり泣いたりするとか、手や足を動かして訴えるとか、それなりに精神活動を肉体でしめそうとする。これらは物質的なかたちを創造することであるが、それは精神のあり方をそれに対応する物質的なありかたに模写し、それによって他の人間に理解できるよう表面化したという意味で、表現とよばれている。

 ここでいう物質的な摸造あるいは物質的な模写は、絵画のように感覚的な模写だけでなく、もっと広い対応を意味するものである。痛みを感じるときにいつでも顔をしかめて見せたり、怒ったときにいつでもこぶしをふりあげたり、嘲(あざけ)るときにいつでも舌を出したりすれば、はじめは理解できなかった他の人びとも間もなく理解できるようになる。はじめは自覚した表現ではなく、痛いので意識せず顔をしかめるという、自然成長的なあらわれであったのが、のちには痛いことを知らせるために同じかたちが使われるとすれば、目的意識によって表現にまで持っていったことになろう。これも精神的な交通のための一つの工夫である。これらの肉体のかたちは、精神のあり方にむすびつき対応しているのであって、精神それ自体がのりうつって運ばれていくわけではない。もしそのように解釈するならば、それは表現の観念論的な解釈である。

 同じ観念論でも、古典的な哲学者は率直に、明快に、その本質を表現しているのだが、十九世紀の後半になるとおよび腰になり、曖昧になり、部分的には唯物論らしい衣裳をまとったものになってくる。ハイデッガーにあっては、時間も空間もその本質は生命的なものであり、その「影」として主観的あるいは観念的な時間や空間が生れるものだと説かれている。この生命的ということばを主観的とか観念的とかいうことばと入れかえてみれば、その逆立ち論であることは直ちに明白である。正しくは物理的な現実の時間や空間がまず存在して、その「影」として主観的あるいは観念的な時間や空間が生れるものだからである。表現には、同じく「影」の形成ではあっても対立した二つの性格の二つの過程がむすびついているのであって、表現はそれに先行する反映としての「影」の形成と逆の過程をとっている。

ハイデッガーはこの二つの過程の第二の側面を基礎的なものにスリ変え。第二の過程の出発点である主観的な存在を生命的とよんで、これこそ基礎的であると主張した。この第二の過程は第一の過程から相対的に独立している。たとえば、劇作家が自分の頭の中に空想的に創造するのは、現実の世界から一応切断されたところの空想の世界での劇場における時間と空間であって、上演はこれを劇場の舞台の物理的な時間と空間のありかたにうつしかえることである。これをハイデッガーの観念論とならべてみれば、過程としては両者とも一致しているから、ハイデッガーのいうことがもっともらしく見えてくる。そのために美学者として表現に関心を持つ中井正一がひっかかったというわけである(1)

たしかに過程だけを考えてみれば、観念的な時間や空間が先行して、その「影」として舞台の装置や道具や人物の生活などが生れたにはちがいないが、それらの物理的な存在は表現によって出現したわけではない。表現以前に、舞台に持ちこまれない前に、それらはすべて物理的な時間や空間を持った存在であった。装置の材料となる木材も布地も絵具(えのぐ)も、道具も、人物に扮(ふん)する俳優も、舞台以前に・劇作家の空想の世界と無関係に・存在しており、表現においてそれらのありかたが変化しただけのことである。これを、表現によってはじめて物理的な空間や時間が生れたかのように主張するのは、ナンセンスでしかない。

画布に絵具で絵画を描くときも同じである。表現以前に、絵具も画布も物理的な存在として与えられている。絵具を使って表現するときに、そこに生れる絵具の新しいありかたとしての色やかたちが、画家の頭の中の世界のありかたの模写として、頭の中の時間と空間の「影」として扱われるだけのことである。従って、表現のにない手である絵具は、依然として物理的な時間や空間において存在すると同時に、「影」としてのかたちでもあるという客観的な矛盾が成立しているとして理解すべきなのである。これを矛盾として認めずに、「影」の面だけを見るときには、観念論がもっともらしく思われてくる。「画布の二次元性は決して物理的二次元性ではない、新たに構成されはじむる芸術的二次元性である(2)。」という中井のことばに、形而上学的(けいじじょうがくてき)なとらえかたしかできない美学者が観念論にひっかかって転落して行くすがたを、読みとることができよう。

 物理的な存在が、そのありかたを変えただけで、表現のにない手になったりにない手であることを止めたりする例は、われわれの身のまわりにいくらでもころがっている。夜空からベトナムのニュースを伝えてくるスカイサインも、その文字を構成しているのは家庭で使われているのと同じ電球である。ナイトクラブの入り口に妖しく輝いて、その名前を示しているネオンサインも、それを引きのばしてみれば一本のガラス管である。物理的な存在がこのように文字のかたちを示しているときに、そこには物理的な存在以外のものが不可分に存在していることを、われわれは経験的に承認する。そしてそこに意味とよぶものがあると考える。会話やハガキの走り書きや商品のキャッチフレーズや政党のスローガンなど、簡単な言語表現ではそこに意味がふくまれているというけれども、論文や小説のような複雑な言語表現になると、そこに内容があるというのがふつうである。この区別は習慣的なものであって、別に対象それ自体が異質なわけではないから、簡単な言語表現の場合にも内容とよんでさしつかえない。

ただここで心にとめておかなければならないのは、彫刻や絵画などではふつう意味とはよばないのになぜ言語だけを意味とよぶかである。これは言語の表現としての特殊性にもとづいている。言語は彫刻や絵画などとちがって、社会的な規範にささえられた表現である。個々の語彙は規範によって対象とむすびつけられている。話し手や書き手はこの規範に従って表現しなければならないから、表現された個々の語の内容には規範によって定められた抽象的な対象とのむすびつきがふくまれていることになる。規範を知り、内容のこの抽象的な部分をつかんで、そこから具体的な内容へと推察していかなければならないが、時には内容が皮肉や反語や象徴など複雑な構造をとっているために、抽象的な部分をつかんだだけでは具体的な内容をあやまってとらえたり理解できなかったりすることも起りうる。

それで言語の場合は、規範に対応する抽象的な部分と具体的な内容とを区別することが実践的に要求(3)され、われわれはこの抽象的な部分を意味とよぶことがある。「この単語はどんな意味だったか思い出せない」とか「意味を辞書でひいてみよう」とかいう場合がこれである。これに対して「彼が『ありがとう』といったのはすこぶる意味深長だったぜ」とか「おれはそんな意味で賛成したんじゃない」とかいう場合は、内容全体をとりあげているのである。簡単な言語表現ならば、規範に対応する抽象的な部分を知れば直観的に内容をつかめることが多いから、意味ということばを両方に使い、論文や小説のような複雑な言語表現では、膨大複雑な内容をじっくり吟味してとらえなければならないから、意味ということばを内容全体に使わない習慣が生れたものと思われる。

(1) 今村太平は、中井とハイデッガーとのむすびつきの根拠を中井の生きていた時代のありかたに求め、アメリカの大恐慌から日本帝国主義の大陸侵略と左翼弾圧の時代の反映と解釈する。「この時代を反映して、氏は塹壕(ざんごう)の不安と恐怖と無為の中から生れたハイデッガーの哲学に身をゆだねた。」「それは同じく彼自身が、塹壕ならぬ治安維持法下にあって身動きできないところに追いつめられていたからであろう。」(『中井正一全集』第三巻への解説)芸術社会学的な解釈では中井美学の批判はできない。中井と今村とは共通の弱点を持っていた。三浦つとむ『機能主義者の妄想』(『試行』第一四号、1965年)を参照。

(2) 中井正一『芸術的空間』から。一次元から二次元へ、三次元へという、空間そのもののア・プリオリ的な創造を論じる、ハイデッガーの弟子の主張を導入したものである。戦前の三十一年の主張であるが、これは戦後の五十一年にもまたくりかえされている。

(3) 小林英夫はソシュール的な理論を展開して「意義」と「意味」とを区別した。私のことばでいえば、規範の示す抽象的な内容のほうを「意義」、具体的な内容のほうを「意味」とよんでいることになる。

(三浦つとむ『認識と言語の理論』に関する記事)

トラックバックURL

http://okrchicagob.blog4.fc2.com/tb.php/345-967ba811

前の記事 次の記事



アクセスランキング ブログパーツ