主観と客観とは、対立するとともに切りはなすことのできない概念である。けれどもこれは主観の成立によってはじめて客観とよばれる実体が成立したことを意味するわけではない。現実の世界それ自体は、主観と無関係に実在しているのだが、主観の成立によってそれとの関係として客観という規定を受けとるのである(1)。現実の世界それ自体が主観との関係において客観とよばれるから、これを客観的実在と理解するのである。主観と客観とは不可分関係にあると同時に、現実の世界それ自体は主観から独立して存在しているという、この矛盾を無視してしまって、不可分関係を実体としての不可分に延長するところに観念論のおとし穴があるということができる。
対象内容説や認識内容説では、内容を実体としてとらえているのであるから、内容が形式の成立以前にすでに存在していることになる。形式に優先してまず内容が成立したことになる。内容を関係概念で正しくとらえれば、表現形式を創造することすなわち声を出したり文字を描いたりすることとと同時にそこに作者の認識との関係も創造されるわけで、形式の成立は同時に内容の成立だということになる。
むしろタイプライターによる印字などの場合は、そこに活字の形式が前もって存在しているだけに、内容以前にまず形式が成立しているかのような錯覚さえ起しかねない。一方では形式以前に内容が存在しているかに思われるが、他方では内容以前に形式が存在しているかに見えるとあっては、理論家が頭をかかえるのも無理はないのである。形式と内容は同時に成立するし、また同時に消滅する。リンゴのスケッチを消しゴムで消したり、彫刻のかたちをハンマーで砕いたり、印刷された文章を墨で塗りつぶしたりして、そこに表現として創造されている物質的なかたちを消滅させるなら、そのかたちにむすびついていた関係も同時に消滅してしまう。
形式と内容とどちらが先行し優先するのかと考えるのは無意味であるが、形式と内容とどちらが決定的な役割を演じ優位にあるのかと考えるのは無意味でなく、重要なことである。認識においても、内容のいかんは真理か誤謬かを規定するだけに、形式のありかたにくらべて決定的な役割を演じるといわなければならない。
認識の場合に、対象が消滅してもそれとの関係は内容としてむすびついているのだが、表現の場合も、認識が消滅してもそれとの関係は内容とむすびついている。音声や文字はきわめて単純で、容易に創造できるとしても、そこに直接むすびついている関係はその背後に存在した複雑豊富な認識をふくみつつ否定したものであって、背後の創造の努力を排除したものではない。作者の創造について、形式の面での創造と内容の面での創造とそのいづれかが重要な役割を演じるかと考えるなら、いうまでもなく観念的な世界の創造すなわち内容の面での創造が重要な役割を演じるのである。われわれはその意味で、内容が優位にあり決定的な役割を演じるということができるのである。
吉本隆明の形式と内容についての見解は、他の文学者と異っている。
文学の内容と形式は、それ自体としてきわめて単純に規定される。文学(作品)を言語の自己表出の展開(ひろがり)としてみたときそれを形式といい、言語の自己表出の指示的展開としてみるときそれを内容というのである。もとより、内容と形式とが別ものでありうるはずがない。あえて文学の内容と形式という区別をもちいるのは、スコラ的な習慣にしたがっているだけである。
あるひとりの人間が〈海〉と表現したとする。このとき〈海〉という表現の内容とは、〈海〉という言語の指示性に、それをふくむ〈海〉の像をくわえた総体のことであり、この表現の形式とは、〈海〉という言語をその人間の自発的な契機による自己表出としてかんがえたものに、〈海〉の像をくわえた総体を意味する。このようにして内容と形式とは、つねに、同一の総体性にむかって指向する。つまり表現の総体性へむかって。
そもそも文学(芸術)において、内容と形式とは、いずれが優先的であり、決定権をもつか、という形でおこなわれたこれらの論争は、まったく無意味なものであった。文学芸術を、表現史の連続性や普遍性としてみるのと、個性的な時代的な変遷としてみるのとは、何(いず)れが是(ぜ)かというのとおなじように。
内容と形式とのあいだには、いずれが優先的であり、決定権をもつか、という問題意識が介在する余地はもともとありえない。それらは、いずれも俗化したヘーゲリアン的な、いいかえれば、芸術がいままで存在してきた根拠を、まったく疎外したところでしか、起りようがない論議である。それは、たとえば、馬子にも衣装という俚諺(りげん)と、腐っても鯛は鯛という俚諺とはどちらが正当かという対立のように、ごく俗化された効用論の次元でしか、問題とならないのである。(吉本隆明『言語にとって美とは何か』)
表現形式と表現内容とを矛盾としてとらえるかぎり、それは「別もの」である。「別ものでありうるはずがない」ということにするには、この矛盾を解消させなければならない。それで内容も「総体」表現も「総体」にして解消させたというわけである。但し、表現形式に「像」を加えるのであるから、物質的な存在と精神的な存在をいっしょくたにして「総体」化したのである。
すでに述べたように、形式と内容との区別と連関は論理学上の問題としてギリシァ以来哲学者の関心のまととなったのであり、文学者もまたそれを問題にしなければならぬだけの現実的な根拠を持っていた。そして表現形式とは、絵画であろうと音楽であろうとあるいは言語であろうと、物質的に創造された形式以外の何ものをも意味しないのであって、だからこそ形式と内容との矛盾を意識しないわけにはいかなかったのである。文学評論家たちが勝手なドグマを堅持して不毛な論争をしているのだけを見ると、たしかに「スコラ的な習慣」のように思われる。しかし論理学上の概念は、表現を扱うに当ってその特殊性によって規定されこそすれ、論理としての普遍性はやはり維持されなければならない。換言すれば、表現形式と表現内容とについての規定は、その特殊性を捨象することによって物のありかたにも妥当するものでなければならぬというのが、科学としての要請である。芸術における形式と内容だけに、恣意的(しいてき)な解釈を施(ほどこ)してみたところで、それは科学にはならない。
自称マルクス主義者が物のありかたとしての形式と内容との論理構造をそのまま像のありかたにまで持ちこむという、不当な逸脱(いつだつ)をやってのけたことは、すでに述べたとおりである。だがこのことは、ちょうど逆のあやまりをおかす可能性のあることを、暗示している。認識や表現など像のありかたの論理構造をとらえてそのまま物のありかたにまで持ちこむという不当な逸脱をやってのける人びとが出てくる可能性である。事実そのような人びとが存在したのであるが、自称マルクス主義者は自分とちょうど逆の裏がえしのあやまりであるために、たとえこれを批判したとしても克服する能力を持ち合わせてはいなかった。
言語・記号・象徴などといわれるものは表現で、物質的な像として存在するのであるから、その像は実体によってささえられているとはいえ、実体と直接の関係を持たない。油絵をカラー写真で複製したり、揮毫(きごう)を紙の上から彫刻に移したり、ささえ手を変えても表現としては変らない。また、認識・主観・自我などといわれるものも、昔から考えられてきた「魂」であるとか、十九世紀の生理学的唯物論によって主張された脳の分泌であるとかいうような、実体的なものではなくて精神的な像として存在する。観念論者はこれらが像であるという理解は持たなかったが、実体的でないということだけはつかんだ。
そこで彼らは、精神的な存在から現実の世界をみちびき出そうとする、観念論的な逆立ちをするに当って、主観が実体的でないのと同じように客観もまた実体的でないのだと主張するようになった。この種の主張は一九世紀の終りから二〇世紀の初頭にかけてあらわれたのであるが、こうなるともはやこれまでの形式と内容という区別も意味を持たなくなってしまう。物のありかたではかたちとそれをささえる実体とを形式と内容として区別して来たが、実体を否定したのでは内容という概念もまた否定しなければならないからである。ではそこに何があるかといえば、それは機能である。すべては機能の函数論的(かんすうろんてき)構成でしかないのだという、機能主義が主張されるのである。この新カント主義者カッシラーの主張する「実体概念的思惟方法から機能概念的思惟方法へ」の方向に従って文学を論じるとどうなるか、中井正一の論文から引用してみよう。
かくして、これまで一般に文学の内容と形式の対立をもってよびなされていたものは、それは客観と主観の重い考えかたを前提としていたもので、むしろその内容も形式も共に同様な二つのおのおの他の領域の構成であり、エレメントの群れであったことを知るのである。光の構成、音の構成、言葉の構成、共に相互に他をみずからの面の上に映し換算することのできるおのおのの群れであり、ある時はいわゆる内容となるところのものである。かくしてむしろ文学の形式なる言葉は構成の領域性の中に吸収され分解されるべきであろう。あたかもそれは主観、客観の概念が存在の本質的組織構成の中に崩壊し没落し去れると同様であらねばならぬ。
そしてこれまで内容といいならされていたものは、社会領域の形式にしかすぎぬ、すなわち構成は構成の中に射影するにすぎぬ。(中井正一『文学の構成』)
時枝も言語は形式だけでまったく無内容だといいはしたけれども、彼は科学者であって哲学者のようなひよわさは持っていなかった。観念論的な文献にひきずられて、科学者としての自然成長的な唯物論の立場まで投げすててしまうような、みじめな失敗はしなかった。時枝の理論は機能主義的であるとはいえ、その本質はあくまでも過程的構造をとりあげたところにあるのであって、いわば機能主義的ふみはずしをふくんでいるところの唯物論である。中井のこの論文は、蔵原が『プロレタリア芸術の内容と形式』を発表してから約一年後のものであることに、注意する必要がある。中井は当時の進歩的な芸術理論家として、蔵原理論の影響を受けたばかりでなく、それをカッシラー的な観念論的な機能主義の立場でつくり変え折衷させて、雑炊(ぞうすい)理論をこねあげたのであった、
蔵原は対象内容説であるから、内容を客観的に求めていた。これをカッシラー的な発想でとらえなおすと、現実の世界に存在するものはそれがたとえ「純金」であろうと、それを内容と呼ぶわけにはいかなくなる。「純金」も実体としてとらえるのはあやまりだとされているのであるから、これも存在する形式以上のものではないことになる。それで中井は、蔵原のいう芸術の「内容」を「社会領域の形式」に書き変え、蔵原の主張している唯物論的な認識論すなわち反映論を「構成の中に射影する」というかたちでとりあげた。カッシラー的な観念論の中に蔵原理論をつぎ木しているのであるから、いわば俗流反映論をふくんでいるところの観念論である。多田道太郎は中井の仕事を賛美して、「かれの美学は、近代日本のもちえた最高の、またもっとも独創的な学問の一である(2)。」といったが、それはこのような独創であった。