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2018年11月07日(水)| 言語>表現論 |  
『認識と言語の理論 第二部』3章(2) 身ぶりと身ぶり言語との混同

『認識と言語の理論 第二部』3章(1) 身ぶり言語先行説
『認識と言語の理論 第二部』3章(2) 身ぶりと身ぶり言語との混同
『認識と言語の理論 第二部』3章(3) 言語発展の論理
『認識と言語の理論 第二部』3章(4) 「内語説」と第二信号系理論
『認識と言語の理論 第二部』3章(5) 音声と音韻
『認識と言語の理論 第二部』3章(6) 音声言語と文字言語との関係
『認識と言語の理論 第二部』3章(7) 言語のリズム

『認識と言語の理論 第二部』3章(1)~(7) をまとめて読む

三浦つとむ『認識と言語の理論 第二部 言語の理論』(1967年刊)から
  第三章 言語表現の過程的構造(その一) (2) 身ぶりと身ぶり言語との混同

〔注記〕 三浦がその著書で「認識」と表現している語は、単に対象認識(認識内容)を意味しているだけでなくその中に「対象認識を作り出している意識主体の意識」をも含んだものである。つまり三浦は「精神・意識」のことを「認識」と呼んでいる。したがって、以下の引用文中で「認識」とあるもののうち明らかに対象認識を指しているもの以外は「意識」と読み換える必要がある。

〔引用に関する注記〕 (1) 原著の傍点は読点または句点のように表記している。

(2) 引用文中の太字は原著のものである。

(3) 長い段落は内容を読みとりやすくするために字下げをせずにいくつかの小段落に分割した(もとの段落の初めは一字下げになっている)。

(4) 読みやすさを考えて適宜 (ルビ) を付した。

『認識と言語の理論 第二部』 p.408 

 対象の感性的な模写としての音声でも、絵画でも、あるいは身ぶりでも、この非言語表現としての性格を捨てて、言語表現へと移行することができる(1)。いわゆる擬声語は、対照の感性的な模写から移行した言語表現であって、たとえば「かっこう」の声の模写としての性格を持つとともに鳥についての概念を表現しているわけである。この種のごく低い段階の音声言語と、身ぶりから移行した身ぶり言語とは、どちらが多種多様な現実の世界をヨリ広汎にとりあげることができるかといえば、それは後者である。身ぶり言語がこの段階で優勢であったとしても、別に驚くには当たらない。

 この身ぶり言語の一時的な優勢は、やがて概念的把握の発展と音声言語の発展によって消滅することになる。それは言語の本質がそうさせるのであって、合理的な変化である。言語表現は、身ぶりであろうと音声であろうと、その種類の面でなされるのであって、物質的なささえ手から相対的に独立している。擬声語の「ワンワン」や「かっこう」は、概念に対象のなき声の感性的な模写が手がかりとしてむすびつけられているのであるが、手がかりは何も対象からみちびいてこなければならぬ必要はない。感性的で区別に役立ちされすればいいわけである。対象を文字言語で「犬」と表現するときは、概念にこの視覚映像が手がかりとしてむすびつく。音声言語で「いぬ」と表現するときも同じである。それゆえ、概念に新しい感性的な手がかりを連結させることによって、新しい言語規範をつくり出し翻訳することができるから、音声言語から文字言語への翻訳も身ぶり言語から音声言語への翻訳もすすめられていく。身ぶり言語がいかに豊富な語彙をもっていても、暗黒の中では相手に通じないし(2)、むこうを向いている者によびかけることもできないし、それに音声にくらべて重労働でもある。

それゆえ言語としての本質が、身ぶり言語の語彙を音声言語の語彙に翻訳し音声言語の語彙が豊富化するというかたちをとって発展していくときに、暗黒の中の相手にもむこうを向いている相手にも簡単に呼びかけることのできる音声言語に対して、身ぶり言語はその優勢を失うに至ったのである。だが身ぶり言語の弱点は同時に長所でもあって、向こうを向いている相手にさとられれることなく、マイクを使って盗聴されたり録音されたりすることなく、文字のようにあとに証拠を残すこともなしに、精神的な交通が可能なのであるから、音声言語や文字言語が大きく発展した現在でも、われわれはなおいくつかの身ぶり言語の語彙を持っている。親指と人差指で円形をこしらえて貨幣を表現したり、……、指のサインでテレビの出演者に意志を通じたり、しているわけである。

すべてが、言語表現がその物質的なささえ手から相対的に独立していることからくる、合理的な発展であって、これに勝ったとか負けたとかいう考えかたを持ちこむのは、一つには発展をすべて闘争的なものとする矛盾論の偏向からの悪影響であろう。

   ……………

 映画と言語とは本質的に異なった表現であるが、どちらも表現としての共通点があるために、この共通点を誇張して本質的なちがいを無視する傾向も出てくるのである。特に形式にひきずられる者には、映画の演技としての手の動きすなわち感性的な表現と、身ぶり言語としての手の動きすなわち超感性的な種類としての表現とが、現象的に似ているために区別することができないで、同じものであるかのように思いこむ危険がある(3)

   ……………

 言語学者にしても、言語の表現としての性格を理解していなければ、身ぶりと身ぶり言語とを区別することができない。やはり形式にひきずられて、単なる身ぶりを身ぶり言語の中へ押し込んでしまうのである。

   ……………

 ……… 広い意味での身ぶりをすべて言語の一種であると認め、音声言語こそ本当の言語であるという考えかたのもとに、身ぶり言語は音声言語に従属するものであってそれだけの価値しかないと位置づけるのが、言語学者の間の定説といえよう。この従属説が、身ぶり言語先行説をとる者に、「下僕」になったといわせる一つの原因といえないでもない。

この定説はあやまりで、身ぶりの中にまず単なる身ぶりと身ぶり言語とを区別する必要がある。身ぶり言語は音声言語に従属するものではなく、語彙は少いが立派な言語であるのに対して、単なる身ぶりは音声言語に伴いそれの欠を補うものとして使われることが多いというべきである。

「釣り落した魚はこれくらいの大きさだったよ」とか、「花をいける花瓶はこんなかたちのがいいね」とか手を使って表現するのは、感性的に忠実な表現であって、いわば身体で描いた絵画であるから、身ぶり言語ではなく、単なる身ぶりにすぎない。

   ……………

 言語と非言語との区別は、言語としての本質をそなえているか否かによってなされるのであって交通手段としての機能が偉大であるか極度にまずしいかによって区別されはしないのである。ジャイアント馬場と生れたばかりの赤ん坊と、その力においてどんなにちがいがあろうと、人間としての本質をそなえている点でわれわれは同一視するし、木鍬(きぐわ)も近代的トラクターも、労働手段としての本質をそなえている点では同一視することこそ正しいのである。

(1) 言語の本質から考えるなら、音声言語も文字言語も身ぶり言語もそれぞれ独立した言語の系列であり、その一つが基盤で他がその代用品であるとか従属的であるとかいう序列的解釈は成立しない。これは言語芸術である文学の中に、詩・小説・戯曲・シナリオ等多くの種類が存在していても、その一つが基盤で他がその従属物であるという序列が存在しないのと同じである。語彙の多少や語数の多少は形式上の問題であって、本質とはかかわり合いのないことである。

(2) マールは身ぶり言語の優勢が失われた理由を、生産の発展に伴って身ぶり言語がその弱点から実践的な要求を満足させられなくなったところに、求めている。

(3) 日本だけでなくヨーロッパにも「映画言語」という概念を持ち出す人びとがある。これは単なる比喩としてしか意味を持ちえないのであって、文字どおりに解釈するのはあやまりであり、映画理論を混乱にみちびくことになる。

(三浦つとむ『認識と言語の理論』に関する記事)

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(70歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説を学びながらことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことをマイペースでやっています。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 第一部』 1章(1) 認識論と言語学との関係

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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