言語の表現構造について説明する学者は、まず「私は少年だ」とか「それは犬である」とかいう、現実の世界のありかたを直接にとりあげた簡単な文を示して、それを解説する。それから、過去の時には助動詞「た」を加えるかたちにするとか、is を was に変えるのだとか、同じように簡単な文例をあげて解説していく。たしかに形式的には、異った思想を伝えようとするときに、他の単語を加えるとか、繋辞(けいじ)とよばれるものを他のかたちに変えるとか、するにはちがいない。
だがこれは現象的な事実を指摘しただけのことであって、それだけの変化ではないのである。われわれはいつでもそうしているではないか、だからそれが法則なのだと主張したところで、それだけではまだ学問の名には値しないのである。なぜそうすることにするのか、その現象の背後にかくれている法則性をさぐり出して明かにしなければならない。
形式の変化だけをとりあげる現象論からぬけ出すには、認識構造との対応について反省してみる必要があるから、観念的な自己分裂の問題をここで思い出してみることにしよう。過去の追想であれ、未来の予想であれ、現実を離れての空想であれ、あるいは他の人間の表現に対する追体験であれ、われわれが夢と自覚して夢を見る場合には、それらの頭の中に形成された夢の世界とわれわれが生きている現実の世界と、世界が二重化することを検討して来た。このときわれわれは観念的な自己分裂を起して、夢の世界における観念的な自己と、現実の世界における現実的な自己と、二つの異なった立場に立つことを検討して来た。
「犬がいる」とか「見ろよ」とか「腹が痛い」とか、言語表現は現実の世界のありかたを直接にとりあげるにとどまる場合もすくなくないが、「火事を見た」や「五時に来るそうだ」「うまいものが食べたい」など、追想や予想や空想をとりあげる場合のほうが多いわけであるし、このような言語表現をとりあげる場合には世界の二重化および観念的な自己分裂がその背後に存在するものとして、認識構造を考えてみなければならないわけである。
いま、この認識構造を図式化するために、時枝の「風呂敷型統一形式」を借りることにしよう。但し時枝にあっては、この統一は機能主義的に解釈されていて、辞は風呂敷に、詞は風呂敷の内容にたとえられ、主体の側が客体を「包む」ものということになっているけれども、前述のように「包む」という解釈はとらず、対立する両者が統一されているというだけの意味で使うことにする。
①は夢の世界であって、A は夢の世界の対象となっている事物の認識、a はそれに対している観念的な自己としての判断や感情や欲求や願望などである。②は現実の世界であって、B は現実の世界の対象となっている事物の認識、b はそれに対している現実の自己としての判断や感情や欲求や願望などである。
われわれが追想や予想をしているときには、頭の中に対象化された夢の世界の事物を認識しているかたちをとっているのであるから、③のような入子型(いれこがた)が成立していると考えることができる。A に対する a の判断と B に対する b の判断とが、表現では a+b と累加(るいか)するかたちになるわけである。
ところで、われわれは a の立場にいるかぎり、A は目の前に与えられているのであって、それは b の立場にいるときの B と変りがない。b の立場にいるとき B を現実的な存在と見るように、a の立場にいるときは A を「現実的な存在」だと思っている。ねむって夢を見ているとき、死んだ父親が A としてあらわれて来ても、夢の中の自己すなわち a では自分と同じようにやはり現実に生きているものと思っている。目がさめて現実的な自己 b にもどってから、はじめて「ああ、いま死んだ父親を夢で見たな」と、それが夢であったことに気がつくのである。
a の立場にいるかぎり、夢を夢ということができず、a から b に移行して夢の世界から抜け出したときはじめて a のときの対象 A を夢の中の存在だと認めることができる。――この夢についての自覚のありかたは、追想や予想や空想の場合でも同じことである(1)。
そして日本語は風呂敷的に、この認識構造をそのまま表現構造に対応させている。現実の世界での対象が「少年」であるときには、図の(1)のようにそれをそのままとらえて、これを話し手の肯定判断「だ」を加えてそれですむ。これが追想になると、観念的な世界での対象「少年」をとらえて、観念的な自己としての肯定判断「だ」を加えてから、現実的な自己へもどって来て「た」をさらに加えるのである。(2)のかたちになる。このとき「だ」の語形が変化して「だっ」と促音になるが、これは音便の場合と同じように認識構造とは何の関係もないことである。敬語を使って「少年」「です」というときは、追想になると「です」が「でし」に語形が変化する。これも認識構造とは何の関係もない。
過去を表現するときに「た」を使うことから、「た」を一般に過去の助動詞とよんでいる。「だ」が肯定判断そのものを表現しているのと同じように「た」も過去の認識そのものを表現していると思いやすいのだが、それはこの認識構造を見ればわかるようにまちがいである。過去の認識そのものは「少年だっ」なのであり、現実的な自己の立場に移行してはじめてそれを過去だと指摘できるのだから、「た」はいわば目を覚ました現実的な自己の立場でこれは現在の主体的表現である。「た」はそれ以前の表現が過去の認識表現であることを指摘しているだけで、その表現が過去の認識なのではない。助動詞といわれるものが累加(るいか)される場合には、そこに自己の立場の移行が存在することがしばしばであるから、その点に注意しなければならない(2)。「である」のように、肯定判断を重ねるものは、いわば強調のための累加であるが、「であった」とさらに累加されるときは、(2)のように移行が存在しているのである。
(3)(4)は肯定判断に否定判断を累加(3)した形式の表現であるが、ここでもやはり自己の立場の移行が存在する。「このコップをこわしたのはおまえだろう!」と詰問されて、「私じゃない」と否定したわけであるが、この場合相手の追想を追体験するのであるから、相手の頭の中の世界に観念的に入りこみ、観念的な自己の立場で追体験がすすめられていく。そして相手の思想の重点となっているところの、自分だと判断された部分「おまえだ」をさらに「わたしだ」というかたちで確認し、この追判断をいわば念のために復誦(ふくしょう)してから、つぎに「ない」で否定したのである。いいかえれば、相手が何をいっているのかそれを一応受けとめ、その意味で肯定判断をくりかえした上で、その判断はちがうのだと否定したわけである。
「私」ではなく、事件そのものを、代名詞「そう」を使ってとりあげ、「そう」「じゃ」「ない」と否定することもある。人間ではなく鼠があばれてひっくりかえしたような場合、「そうじゃない。鼠があばれたんだよ」と答えたりしている。文語では「あら」「ず」になるが、単純な質問の場合には判断だけを確認して否定することもありうる。「汝の役目か?」に対して「さにあらず」といったり、あるいは「あらず」と答えたりする。これは(4)のような認識構造をとっていて対象についての認識は追体験によって成立しているのだし、またそれだからこそ答えることができるわけだが、この部分の客体的表現は「零記号(れいきごう/ぜろきごう)」になって表現されていない。もっと単純化されたものとして、「異議あるか?」に対する「ない」という答がある。これは(5)のように追体験の部分はすべて「零記号」になってしまっている。追体験を確認する必要がないくらい単純な質問だからである。これは助動詞による一語文の例であるが、「零記号」を心理主義として否定する人びとはなぜこの答が可能になったかを説明すべきであろう。
(1) 映画の鑑賞に際しては、鑑賞前からそこに夢の世界があることを知っているのだが、鑑賞中はそれを夢の世界だと思っていないし、映画はそこに存在しないことになっている。鑑賞を止めたときに、それを夢の世界と認め映画が映っていると認めるのである。
(2) 時枝の入子型構造形式では、世界の二重化がとりあげてないから、この点が脱落している。
(3) まず肯定してから否定するという形式がなぜとられるのか、二つの判断の関係はどうなのかを、主体的立場の入子型として説明しなければならないわけである。「ず」について「『花咲かず』の否定『ず』に対応するものは「花咲く」といふ事実ではなく、『花の咲くことが存在しない』といふ客体的事実である」と時枝は指摘した。
敬語は敬詞すなわち客体的表現に属するものと、敬辞すなわち主体的表現に属するものとに区別される(4)。 (1)の例を敬辞を使って表現すると(6)のかたちになり、肯定判断の表現が敬辞に変ることになる。時枝のいうように、敬辞は「単純なる陳述の変容としてのみ存する」わけである。この場合の話し手の敬意は、「少年」に対するものではなく、この表現を受けとる相手すなわち聞き手に対するものであって、その意味で対象と無関係な感情である。それゆえ、(2)の例を敬辞を使って表現するときには、(7)のかたちをとることもあるが、また(8)のかたちも比較的多く使われるようになった。話し手の立場は、観念的な自己としての立場と、現実的な自己としての立場と、ここでは二重に存在しているし、「少年」と無関係であるから必ずしも観念的な自己の立場において敬意を示さなければならぬわけでもない。それで、現実の立場で敬辞を加える方法をとってもさしつかえないわけであるし、「彼は来られなかった」のように助動詞がいくつも累加する場合にあっては現実の立場でさらに「です」を加える習慣があるために、この習慣からも規定されて(8)が使われている。
(9)は勧誘を断る場合で、観念的な自己としての肯定判断の表現が省略され、「零記号」になっているから、これを敬辞を使って表現すると(10)のように「零記号」の部分が敬辞に変ることもあり、また(11)のように現実の立場で「です」を加えることも行われている。さらに、(12)のように二重に存在する立場にそれぞれ敬辞を使って、敬意を強調することもある。(8)の場合にも「でしたです」と表現できないこともないではないが、「です」を二回使うのは発音がぎこちなくなるので、ほとんど使われない。
「あらず」の逆のかたちの「ずあり」は、「ざり」と発音される。「働けど働けどなおわがくらし楽にならざり」「美しからざりき」などのように使われる。これは観念的な世界がさらに二重化した、全体で三重の世界をかたちづくっている認識構造のときに、あらわれてくる。過去についての想像があり、過去における現実の世界のありかたは想像を否定するものであったことを、現在の現実的な世界でとりあげるような、(13(14)(15)のような認識構造を見れば、「ずあり」「なくあり」などの「あり」を補助用言と解釈する、橋本進吉の考えかたのあやまりも明かであろう。「んです」の「です」が用言でないことはいうまでもあるまい。話し手は、まず過去についての想像の世界から出発し、その想像の世界を否定するのであるが、その否定した立場は過去の現実的な自己の立場であって、現在の自己からすれば追想の世界の観念的な自己の立場にほかならない。想像の世界を「なく」と否定すると同時に、その立場は過去ではあっても現実的な自己の立場であったことを「あり」と確認しておいてから、さらに以上が追想であることを、「た」で指摘するわけである。
言語表現の特徴の一つとして、主体的表現が客体的表現から分離することをあげておいたけれども、この分離はさらに主体的表現の累加を可能にすることとなり、この累加によっていろいろな主体的立場の差異とその移行とを表現するようになった。われわれは観念的な世界を創造するだけでなく、時にはそれをいくつか並列的にあるいは立体的に構成していく。「彼は大阪に生まれ、私は東京に生まれた」は並列型であり、「彼は大阪に生まれ、東京で育った」は立体型であるが、この観念的な世界の中の異った主体的な立場を話し手は移行しながら、最後に現実的な自己の立場に帰って来る。さらに「雨が降らなかった」は過去の時点において天候の予想があり、その予想が現実から否定されたことを追想するのであって、この種の二重化された観念的な世界で観念的な自己の移行と現実的な自己の立場への復帰が「なかった」の背後に存在していながら、話し手は別にそんな移行を自覚してはいない。このような複雑な立体的な認識構造を単純に線条的に表現できるところに言語表現の大きな特徴があるなどとは自覚していない。
橋本進吉の文節論は、竹の節(ふし)のように文が節を持っているものとして、表現構造を説いている。
私は|昨日|本を|買いに|いった。
この種の構造論は、形式上の切れ目から内容上の切れ目を経験的に指摘するにとどまって、認識構造へ立ち入って検討したものではない。そのために「ずあり」「なくあり」という表現も、全体の認識構造から見てどのような位置をしめているかという観点でとりあげることができず、まちがった解釈を下すことになったのである。
「あらず」「ずあり」は、肯定と否定あるいは否定と肯定とがむすびついている。明かにこれは一つの矛盾である。「有難迷惑(ありがためいわく)」とか「痛し痒し(いたしかゆし)」などの客体的表現が、対象の持つ矛盾を忠実にとらえているように、「あらず」「ずあり」などの主体的表現についても、これが合理的な表現であるとするならば、その矛盾の根拠をさぐっていかなければならない。それが主体的立場の矛盾であり、その根拠には観念的な世界と現実の世界との矛盾あるいは観念的な世界相互の矛盾が存在していることを、明かにしなければならない。いま一度、時枝のことばを借りてくりかえすなら、「ただ現象的なものの追求からは文法学は生れて来ない」のである。
(4) この本質的な区別をまず明確におさえて、両者のからみ合いを追求したところに、時枝の敬語論の群を抜いてすぐれた分析が可能となったのである。