概念は「言語」に先立つ(2)(PC版ページへ)

2006年08月24日01:07  意識>概念・表象

 概念は「言語」に先立つ(1)~(5)をまとめて読む。

鏡像における左右反転という現象について」(2006/08/23)へのコメントで、その稿の内容の中に「概念が言語に先立つ」という私の主張に対する反証があるのではないかという指摘を tpkn(敬称略)が寄せてくれた。

コメント:2006/08/23 東の手(2006/08/23 水 06:53:42 | tpkn)

ちょうどこの件に関しておもしろい本を読んだところで、濫觴に書こうかと思ってたところです。

井上京子著『もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待』(大修館書店)

実際、世界の言語には「右」「左」という言葉を持たないものがあって、そういう人達の空間認識は別の言語を話す人々と全然違ってる、という話。これが、「概念が先にある」という話の反証になるのかならないのか、ここ数日考えてました。

コメント:2006/08/23 あ、失礼。(2006/08/23 水 06:58:19 | tpkn)

エントリー全部読む前にあわてて書いちゃったw

その「言葉とイメージ」というエントリーの中で触れられている『方向オンチの科学』の元ネタがこれではないかと思います。

結論から先にいうと、これは反証にはならないと思います。かれらは前・後という概念を基準とする右・左という相対的な方向概念を持たなかった。だからそれを表現する「名辞」を作ることなど思いつきもしなかったのだ、と私は思います。

で、私のいう「概念が言語に先立つ」というのはごく単純なことなのですね。人間の知覚は様々な対象を個物として見分け・聞き分け・嗅ぎ分け…している。なぜそのようなことが可能なのかといえば、それぞれの対象が私たちの五官に対してそれぞれ異った刺戟をもたらすからです。人間はそれらの異った刺戟のうちある一定の組み合わせを選り分け、それをある個物の属性の一つとして認識します。このようにして抽出された個物の属性(の一つ)はいわば前概念とでもいうべきものです。なぜなら、他の個物の中にも同じ属性を持つものがあることをいずれ人間は知るわけです。そのような経験を通して人間は概念を獲得します。

個物の持つ属性は多様であり、それゆえに人間が個物から取り出す概念もまた多様です。そしてまた人間のまわりにある個物は無数ですから、人間が把握し認識する概念も無数です。しかし、人間が取り出し特に注意をはらうのは自分の生活に必要なものに限られるでしょう。生活に不自由しない限りの概念さえ把握していれば通常の生活には事足りるわけです。言語は人間がその認識や意識の内容を他者に伝えるために作り出したものですから、言語化される概念は人間がそしてその人間が生きている社会が必要とするもので十分です。つまり、特に注意を払い他と区別しなければ不便であるような概念が、まず言語化されるわけです。それ以外の多くの概念は言語化されません。なんでもかでも言語化していたら覚えるのも使い分けるのも大変ですしすべての概念を言語化するなどということは不可能だからです。

言語はそれが生れた頃は別として、その体系ができあがった後は世々代々伝えられてきたものであり、いわば社会的に遺伝するものですから教育・自習によって受けつがれるものです。このような習得過程においては概念を獲得する以前に言語つまり「名辞」が与えられることもあります。しかし、この場合は名辞に対応する概念をまだ獲得していませんから、その人間は何らかの形で後から概念を獲得しなければ言語を習得したことにはなりません。このように言語習得の過程では言語が概念に先立つようなこともありえます。

このような例外的な場合は確かにあって、現実にある個物に出会ったときに「ああ、これが○○だったのか」のように言葉が概念に先立つ形で現実認識が行われることもあるわけです。しかしこのような場合、その概念は、その人間にとって身近なものでなかったり、それまで関心を払ってこなかったものだったり、あるいはかなり抽象的なものごとの概念だったりするわけです。そういう例外があるにしても、例外はあくまで例外であって原則ではないというのが大事だと私は思います。

以上は主に事物の概念についての話ですが、右・左のような方向概念は事物相互の関係や関連の仕方についての概念つまり関係概念です。関係概念や人間の衣食住に直接関係する事物の概念は他の事物の概念にくらべると社会や文化のあり方からの影響をより強く受けるものです。そして関係概念は構造についての把握ですから、その概念の獲得には多くの意識的な経験が必要です。したがって、このような概念については「名辞」が先で概念が後ということも大いにあります。ただ、この場合でもまったく概念がない白紙状態というのではなく、隣接した類似の概念はすでに持っており、いくつかの概念を組み合わせて新たな概念を作り出すという形のものが多いのではないかと思います。

人間が想像によって作り出した事物などの概念もこれと同じで、これらはすでに持っている概念から抽出したものを組み合わせて新たに作り出されます。このような能力がなければ人間は新たに何かを創造することができません。想像力が創造力の異名である由縁です。

なんだかまとまりのないお話になってしまいましたが、こんなお答えでよろしいでしょうか。まだまだ突っ込みどころがあると思います。ご指摘下さい。

(関連サイト)

【pdf】言語の違い、認識のちがい (宮岡 伯人大阪学院大学情報学部教授)

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