個別概念を運用する手がかりとしての語音像(PC版ページへ)

2006年09月24日15:55  言語>言語規範

人間の思考・認識の対象には現実的なものもあれば想像的なものもあり、意識とは別個の存在であったり意識そのものであったりもする。それら個々の対象は多様であり多様な現われ方をするものであるが、何を対象とするにせよ人間の思考・認識は対象から抽象・形成された個別概念を介して行われるというのが前稿「人間の思考・認識は個別概念を介して行われる」の内容であった。

そこで触れたように、個別概念(個別的概念)とは概念を伴った知覚や表象である。いやむしろ、知覚や表象は概念ないし概念的把握をともなった個別概念として現われる、という方がより適切であるかもしれない。

個別概念は特殊な・具体的な側面(特殊な側面)と一般的・抽象的な側面(普遍的な側面・概念)という二重の側面をもっている。それぞれの側面を感覚的かどうかという観点からみると、特殊な側面は感覚的(イメージ化されている)であり、普遍的な側面(概念)は非感覚的(イメージ化できない)である。このように意識内でイメージ化され得るかどうか(感覚的に把握できるかどうか)という観点からみると、個別概念のもつ特殊な側面は感覚的側面ともよべるし、普遍的な側面(概念)は非感覚的側面ともよべる。

(注記) ディーツゲンは現実の事物および心像の両方について「感覚的」という形容を用いている。知覚は感官から直接もたらされた感覚群が分析・統合されたものであるから「感覚的」とよんでも差しつかえはない。しかし表象は知覚や記憶などに媒介されて形成されるものであり感官は直接関与していないから、「感覚的」というのは正確ではない。とはいえ、その「感覚的な」性格の元をたどればそれは感覚(知覚)から抽象されたものであるから広い意味で「感覚的」といってもよいのではないかと思う。三浦つとむは「感性的」という言葉を用いているが、感性という言葉には情緒的な意味合いがつきまっている。したがって私はディーツゲンにならって心像についても「感覚的」という形容を用いることにする。〔「人間の思考・認識は個別概念を介して行われる」を参照〕

なお、ここでいうイメージとは視覚的なものだけではない。聴覚的・嗅覚的なものその他すべての感覚的なイメージを含んでいる。

概念は非感覚的であって漠としたものである。意識は概念を「これこれのもの」という形で概括してとらえてはいるが、よく注意してみると概念はなんらかの感覚的な手がかりをともなっている。知覚の場合、概念は知覚からただちに形成される。その概念にはそれなりの手がかりがあるのであるが知覚表象があまりにも明瞭なのでその手がかりに気づきにくい。そのために知覚表象と同時に概念が形成されていることにも気づきにくいのである。想像や思考の世界でも表象が想起され概念は表象から形成される。この場合にもやはり非感覚的な概念の存在を自覚しにくい。そのため、私たちは思考においてはもっと明瞭な手がかりを用いている。その手がかりとは何か、以下にまとめておこう。

思考は個別概念を介して行われるのではあるが、概念自体は非感覚的で手がかりが乏しいため、思考過程においては言語規範に媒介されて形成される感覚的な音声表象(以下語音像と表記する)を手がかりにして私たちは概念を運用しているのである。さらに思考においては他の個別概念や表象に媒介されて生じた個別概念にも言語規範に媒介された語音像が手がかりとして直ちに結びつけられる。

  個別概念(普/特)語概念(普)⇔語韻(普)語音像(普/特)

言語規範に媒介されて個別概念に語音像が結びつけられるこの過程はほとんど瞬時に行われ、しかも概念自体に手がかりが乏しいため、一見するとあたかも語音像に導かれて概念が生じているようにも見える(言語を受容し理解する過程では、語音像(普/特)語韻(普)⇔語概念(普)個別概念(普/特) という逆の過程で個別概念が形成される)。そこから言霊思想や「言語によって世界を切り取る」というような考え方が生じるのであろう。しかしソシュールも自覚していたようにあくまでも思想(個別概念)が先であって「言語」は個別概念と語音像(感覚的な手がかり)とを媒介しているだけである。ソシュールは、ともに「区分を内含」した「茫漠たる思想」と「音」とが「言語」のとりもちによって「分節」され「分明な思想」になる、といっているのであって、「『言語』(言語規範)から概念が生みだされる」とか「『言語』(内言)によって世界を切り取る」とかいった逆立ちした考え方はしていないのである。ただし、「言語」の媒介以前に思想は個別概念によって明瞭に区分されており、「音」(語音像)もまた「言語」の媒介によって個別に形成されるのであるから「『言語』(言語規範)によって『思想・音』を『分節』する」、というソシュールの考え方は不適切である。

いずれにせよ、思考においてはほとんどの個別概念(普/特)に言語規範に媒介された語音像(普/特)が結びついていて、この結合 個別概念(普/特)⇔語音像(普/特) はきわめて明瞭であるから、そこに概念つまり個別概念(普)が存在していることは比較的自覚しやすい。

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