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2006年10月01日(日)| 言語>意味 |  
意味・意義・価値(2)――表現・受容過程と販売・購買過程とのアナロジー

 意味・意義・価値(1)~(3)をまとめて読む。

〔注記〕タイトルおよび以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。したがって「受容者」には「解釈者」「鑑賞者」の意味も含まれている。

前稿「貨幣の使用価値」でマルクスの引用をしているときに、川島正平さんの『言語過程説の研究』第四章の注で初めて目にした三浦つとむの論考のことを思い出した。それは『唯物弁証法の成立と歪曲』に収められた同題の論考である(同書は後に手に入れた)。その中で三浦つとむは、マルクスが『経済学批判』や『資本論』で描いた W―G―W すなわち商品の<販売⇒購買>過程がもつ論理構造を取り上げ、それとの論理的類似(アナロジー)という観点から E―A―E すなわち言語の<表現⇒受容>過程〈認識→表現→認識〉がもつ論理構造について述べている(差異についても触れている)。少し長くなるがその部分を以下に引用する。なお、論考を理解するためには「統一」概念と「同一性」概念との差異と連関も重要なので一つ前の段落から引用を始める。

「唯物弁証法の成立と歪曲」(『唯物弁証法の成立と歪曲』三浦つとむ選集・補巻/勁草書房所収)

 まず、マルクスが〈直接的な統一〉(unmittelbare Einheit) あるいは〈直接的な同一性〉(unmittelbare Identität) とよぶ論理構造がある。これは一者が対立する二者に分裂するような統一ではなく、一者がそのまま他者でもあるような統一であるから、同一性ともよぶのである。われわれの日常生活で使っている概念では〈有難迷惑〉〈痛しかゆし〉などがこれであり、中国でいう〈反面教師〉がこれであり、マルクス経済学では〈生産的消費〉〈消費的生産〉などがこれである。普通は二つの対立する内容の単語を結びつけて使うから、矛盾がことばの上に端的に表示される。毛沢東は、弁証法でいうところの同一性は〈直接的な同一性〉であることを理解できず、レーニンにひきずられて同一性も統一性も同じものだと思いこんだ。それで〈対立物の統一〉の特殊な形態である〈直接的な統一〉だけを同一性として、(上位概念である〈対立物の統一〉とその下位概念である〈直接的な統一〉とを――シカゴ注)区別することができなくなった。

 つぎにマルクスが〈過程的な統一〉(Prozessierend Einheit) とよぶ論理構造がある。これは、商品の総体的なメタモルフォーゼの過程である W―G―W(商品―貨幣―商品)が、「二つの相対立(あいたいりつ)し且つ相互に補いあう運動、すなわち W―G と G―W とから成り立つ」ゆえに、〈過程的な統一〉と名づけられたのである。 W―G の変換は販売とよばれるが、商品の〈命がけの飛躍〉(Salto mortale) であって、「もしそれが失敗すれば、なるほど商品はひどい目にはあわないが、しかし商品所有者はたしかにひどい目にあう」。これに対して G―W の変換は購買とよばれ、貨幣はどんな商品とでも交換できる存在であるから、変換できずにひどい目にあうはずもない。この点で購買は販売と対立している。 W―G―W は等価交換がたてまえである。それぞれの価値量は対応していて変化しないのがたてまえである。生産物交換(物々交換)は W―W であるが、これを W―G と G―W という対立に分裂させることによって、いい変えるなら販売すなわち購買という〈直接的な同一性〉の過程としての一者を、対立する二者に分裂させ新しい矛盾を形成させることによって、「生産物交換の時間的・場所的および個人的諸限界を打破するのである」。

 この論理の展開は、経済学独自のものでそれ以上の意味をもたないかに見える。しかしながらマルクスは、「価値はむしろどの労働生産物をも一つの社会的象形文字に転化する。」といい、商品と言語との論理的類似に注意を求めていたことを思い出す必要があろう。広松渉は、ここから商品の価値を観念的なものだと思いこみ、〈共同主観〉の産物だと曲解してしまった。いま言語をそのありのままでとりあげるなら、E―A―E(認識―表現―認識)という話し手の認識から聞き手の認識への過程的構造において、社会的な媒介者として言語表現が位置づけられることになろう。これも二つの対立し且つ相互に相補う、E―A と A―E から成立する〈過程的統一〉である。但し経済とちがってはじめから終りまで物質的ではなく、認識が出発点であるから、E―E という直接に働きかける過程は存在しえない。どうしても物質的な表現を媒介しなければならない。日常生活では咽喉で声を出すだけだが、録音機や放送機などを使って E―A と A―E の矛盾を発展させ、時間的・場所的および聞き手の量などの諸限界を打破することもできる。E―A は認識が物質的な素材に創造的に関係を求める〈命がけの飛躍〉であって、話しことばのいいちがいはすぐ消えるからいいが、書きことばでは定着してしまうから、原稿用紙も書きまちがえるとまるめて屑篭にすてられる。A―E はこんなひどい目にあわない。読みまちがえても本は屑篭にすてられない。W―G―W が目に見えぬ価値量で対応し関係づけられているのに対して、E―A―E もやはり目に見えぬ抽象的な〈像〉として対応し関係づけられている。概念とよばれる一般的な認識の超感性的な精神的な像が、音声や文字の種類という一般的な超感性的な物質的な〈像〉に模写され、さらにまた他者の精神的な〈像〉に模写されて、反映としての過程が形成されるからである。経済における物質的な交通の出発点を貨幣にとって、G―W―G とすれば、高く売るために安く買うというブルジョア的生産の支配的形態を見ることができる。但し W―G で「商品は貨幣を恋している」が、恋路はとかくままならぬもので高く売れるとは限らない。精神的な交通の出発点を言語表現にとって、A―E―A にすれば、別の言語表現に転換させるための認識という翻訳活動の形態を見ることができる。これもすぐれた翻訳をつくることはむずかしい。ソシュールはもちろん時枝誠記さえ、この精神的な交通の〈過程的な統一〉の持つ論理構造を解明することはできなかった。(p.149~151)

商品の<販売⇒購買>過程 W―G―W が内包する論理構造は、販売即購買である物々交換 W―W〈直接的な同一性〉という一者を、間に貨幣を媒介させることによって対立する二者すなわち W―G(販売)と G―W(購買)とに分裂させ、販売者側と購買者側の両者に相対立(あいたいりつ)し相互に補いあう二つの矛盾を作り出し、それらの矛盾を止揚することによって生産物交換の時間的・場所的および個人的諸限界を打破するという過程を貫く論理構造つまり〈過程的な統一〉である。ここでは W―G―W の始端に位置する商品の使用価値が、過程全体を貫く交換価値の媒介によって、終端へ移動し商品の譲渡が完了している。

これと類似の論理構造が言語の<表現⇒受容>過程にも存在すると三浦つとむはいう。ただし、人間どうしのコミュニケーションにおいてはテレパシーのような超能力でもない限りは、E―E(認識→認識)という直接の伝達方法はありえない。この矛盾を解決するために人間社会は言語という新たな発展した矛盾を作り出したのである(否定の否定による矛盾の止揚)。

言語の<表現⇒受容>過程 E―A―E(認識―表現―認識)が内包する論理構造は、現実には成立できない E―E の間に言語を介在させることによって対立する二者 E―A(表現過程)と A―E(理解過程)すなわち表現者側と受容者側の両者に相対立(あいたいりつ)し相互に補いあう二つの矛盾を作り出し、それらの矛盾を止揚することによってコミュニケーションを成立させるという過程を貫いて成立する論理構造つまり〈過程的な統一〉である。また、それに加えて録音や放送、あるいは書き言葉・印刷の発明(近年ではインターネットなどの普及)によって上の矛盾を最大限に利用して人間社会は時間的・場所的および聞き手の数などの諸限界を打破してきた。なお、ここでは E―A―E の始端に位置する表現者の個別的な認識が、過程全体を貫く言語規範の媒介によって、終端の受容者の個別的な認識として伝わる。

三浦つとむは上の論考において「E―A―E もやはり目に見えぬ抽象的な〈像〉として対応し関係づけられている。概念とよばれる一般的な認識の超感性的な精神的な像が、音声や文字の種類という一般的な超感性的な物質的な〈像〉に模写され、さらにまた他者の精神的な〈像〉に模写されて、反映としての過程が形成される」と書いているが、この部分は言語規範に媒介される普遍的側面に視点をおいて書かれている。これは「個別概念が介在する<表現⇒受容>過程」(2006/09/08) の最後に書いた「言語規範の媒介による<表現⇒受容>過程〈対象→意識→言語表現→意識〉普遍的・類的な側面を貫いて行われることがよく分かる」のうち〈意識→言語表現→意識〉の部分に相当する。この E―A―E の部分のシェーマ図を (1)E―A と (2)A―E とに分けて書くとつぎのようになる。

  (1)E―A 個別概念(普)語概念(普)⇔語韻(普)語音(普)

  (2)A―E 語音(普)語音像(普)語韻(普)⇔語概念(普)個別概念(普)

現実のコミュニケーションでは、普遍的な側面(語義・語概念)を伝えるのが目的ではなく特殊性の側面をも包括した個別概念(普/特)を伝えることが本来の目的であるから、E―A(表現過程)および A―E(理解過程)の両過程において表現者と受容者とが互いに努力して相手の立場に立った表現、理解を行わなければならない。それによって〈意識→言語表現→意識〉つまり

  E―A―E 個別概念(普/特)語音(普/特)個別概念(普/特)

という過程において表現者の個別的な認識が受容者の個別的な認識として伝わるのである (言語規範が媒介する「→語概念(普)⇔語韻(普)」および「→語音像(普/特)語韻(普)⇔語概念(普)」の過程は省略した)

以上から前々稿「ソシュール的な『語の意義』と『語の価値』」で「マルクスは言語を貨幣あるいは商品生産物(貨幣も商品である)になぞらえることが多いが、それは商品生産物が交換価値と使用価値との二つの形態をもったものとして私たちの前に現われるように、言語が意義(価値)と意味とをもった表現として私たちの前に現われるからである。つまりこのアナロジーにおいては意義が交換価値(価値)に相当し、意味が使用価値に相当しているのである。」と私が書いたことが再確認されるであろう。

末尾になったが、前稿「貨幣の使用価値」を受けて秀さんがあらためて「言語における使用価値と交換価値のアナロジー」(2006年10月01日) をお書きなっている。

貨幣がどのようにして生まれ現在のような形態になったかを考慮に入れなければ貨幣の交換価値が幻想のものである(さまざまな規範的認識を幻想と言いきることには私は賛成できないが)といった表面的な認識になるのはやむを得ない気もするが、「貨幣の使用価値」をお読み下さった上でなお「具体的使用価値を持たない商品である貨幣」と断言されるのは残念である(実際に買物をするときに貨幣の使用価値=貨幣の有用性が具体的に実現されていることに気づかないはずはないと思うのだがどうであろうか)。

さらにソシュール派の欠点である概念規定の曖昧さに乗っかる形で「意義」「意味」「価値」という語を曖昧なまま恣意的に用いた表現は論理的にも一貫性がないように思われる。書いておられる内容は理解できるがすっきりとした論述になっていないのが残念である。そして上のこととも関連して「幻想的に設定された語彙という規範」と言いきってしまうことにも危うさを感じる。

翻訳は三浦つとむも上の引用文中で書いているように A―E―A(表現→意識→表現)という過程であり、前半部 A―E は相異なる二つの言語規範に交互に媒介される過程である。後半部は A―E という一つの言語規範に媒介される過程であるが、通常はこの過程でも前半部の過程に常に立ち返って周到に行わなければならない複雑な過程である。しかし、個別的な認識を読みとり、さらにそれを表現するという意味では通常の一つの言語における理解過程〈表現→意識〉と表現過程〈意識→表現〉とが内包する論理構造と同じ論理構造が貫徹しているのである。通常の理解過程、表現過程と翻訳過程との間にある差異には注意しなければならないが、その共通性と連関(論理構造の相同性)について認識しておくことはとても重要なことであると私は思う。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年生れ(68歳♂)。国語と理科が好き。ことばについては子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。現在は39年間続けた自営(学習塾)の仕事を辞め個人的に依頼されたことだけをこなす日々です。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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意識と言語(こころとことば)

われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 I』を読む 1(1)――認識論と言語学三浦つとむ『認識と言語の理論 I』

子どもたちに向けた言葉

ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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