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2006年10月18日(水)| 言語>言語本質論 |  
ラングの特殊性とパロールの普遍性――個別概念

ラング(言語規範)が社会的であるのと同様にパロール(話し言葉)は社会的である。そして、パロールが個人的であるのと同じ地平においてラングも個人的である。エクリチュール(書き言葉)もまた同様に、社会的であると同時に個人的なものである。それは個人の意識の内部における語の音声表象やそれに結びついた概念が社会的な一般的・普遍的側面をもっていると同時に個人的・特殊的な側面をもっているからであり、同じようにパロールの語音やそれと結びついた概念もまた社会的な一般的・普遍的側面をもっていると同時に個人的・特殊的な側面をもっているからである。エクリチュールにおける語の形象やそれに結びついた概念についても同様である。

人間や動物の意識内に存在するものを含めて、現実の世界に存在する個物や個々の現象は、(さまざまな)特殊的な側面と(さまざまな)普遍的な側面との統一からなる存在であり、ディーツゲンがいうように人間はそれらを特殊的な側面と(ある種の)普遍的な側面との統一である個別概念(個別的概念)として認識する。そしてそれらの存在において、(ある種の)普遍的な側面は個物や個々の現象のもつある特殊な一面でもある。つまり、個物や個々の現象はさまざまな種類の普遍的な側面をもっているのであり、人間は時と場合に応じてそれらさまざまな種類の普遍的な側面のうちの一つをある個別概念として把握し認識するのである。

簡単にいえば、人間は個物や個々の現象をさまざまな性格をもつものとして認識するのであり、それらの性格を類別し分類して把握するのである。そして、ある個物や現象が分類のどのレベルにあるものかをとらえた認識が個別概念である。個別概念は個物や個々の現象を認知するたびにその都度形成され認識される。個物や個々の現象に対する(ある)普遍的な側面の認識においては、それ以外の特殊的な側面の認識は止揚されているが、普遍的な側面は依然として他のさまざまな特殊的な側面とのつながりを保持している。それゆえある個物や現象は、(ある)普遍的な側面をもった個別概念としてとらえられた後にも、再び三たび、他の(ある)普遍的な側面をもった個別概念として把握し返すことが可能なのである。

三浦つとむが指摘しているように、ソシュールは人間の認識・思想・思考がさまざまな個別概念の相互連関という形態で現象していることに気がつかずそれらを「無定形の不分明なかたまり」にしてしまった。そして個別概念を特殊的な側面と普遍的な側面との統一においてとらえることができず、普遍的な側面のみを個物を規定する概念であると考えてしまったから、ソシュールの概念は個物の特殊的な側面との連関を見失った〈抽象的な側面しかもたない根なし草〉になってしまった。それゆえ、通常の人間の意識においてラングがつねに個別的なものに媒介される形で現象することにまで思いが至らなかったのである(「思想・音が区分を内含している」ことには気がついていた――しかしそれがさまざまにとらえられ得る個物の個別概念であることには思いが及ばなかった)。

ソシュールはラング(言語規範)が前の世代から与えられたものであるという。しかし、個々の人間がラングを自らの意識のうちに社会的なものとして形成するためには、他者や自己のパロール(話し言葉)やエクリチュール(書き言葉)の実践を媒介することが必要であり、現実の世界に存在する個々の事物や現象を個別概念として把握し認識し、さらにそこからラングを形成する概念(普遍的な側面)を抽象してくることが必要である。個人におけるラングの形成にはこのような社会的かつ個人的な実践が必要なのであり、それゆえ個人の意識内に形成されるラングは社会的・普遍的な側面をもつと同時に個人的・特殊的な側面をももつのである。

ラングは、社会的な規範であるという(ある)普遍的な側面と、個人の意識のうちに形成された個人的な規範でもあるという特殊的な側面とが止揚され、社会的規範として統一的に認識された存在なのであり、個々の人間にとって、すべての規範認識と同様にラングという規範認識もまた個別的な認識として意識内に現象し存在しているのである。

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言語関連の用語について

 表現された言語(本来の意味の言語)を単に言葉あるいは言語、ことば…のように表記しています。ソシュール的な意味の言語(言語規範ないし思考言語)はカッコつきで「言語」あるいは「言語langue」・「ラング」・「ことば」等と表記しています。(背景色つきで「言語」のように表記している場合もあります)

 一般的な意味の概念を単に概念と表記し、ソシュール的な意味の概念(語の意義としての概念、いわゆるシニフィエ・語概念)はカッコつきで「概念」と表記します。(2006年9月9日以降)

 また、ある時期からは存在形態の違いに応じて現実形態表象形態概念形態のように用語の背景色を変えて区別しています(この文章では〈知覚形態〉も〈表象形態〉に含めています)。

 ソシュールの規定した用語を再規定し、次のような日本語に置き換えて表記します。詳細は「ソシュール用語の再規定(1)」を参照。

【規範レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語韻     (ある語音から抽出された音韻)

・シニフィエ   → 語概念(語義) (ある語によって表わされるべき概念)

・シーニュ・記号 → 語規範(語観念)(ある語についての規範認識)

・記号の体系   → 語彙規範   (語すべてについての規範認識)

・言語      → 言語規範   (言語表現に関するすべての規範認識)

語概念・語韻は 語概念⇔語韻語韻⇔語概念)という連合した形で語規範として認識されています。語規範はこのように2つの概念的認識が連合した規範認識です。ソシュールは「言語langue」を「諸記号」相互の規定関係と考えてこれを「記号の体系」あるいは「連合関係」と呼びますが、「記号の体系・連合関係」の実体は語彙規範であり、言語規範を構成している一つの規範認識です。規範認識は概念化された認識つまり〈概念形態〉の認識なのです。

なお、構造言語学・構造主義では「連合関係」は「範列関係(範例関係)」(「パラディグム」)といいかえられその意義も拡張されています。

 語・内語・言語・内言(内言語・思考言語) について、語規範および言語規範に媒介される連合を、三浦つとむの主張する関係意味論の立場からつぎのように規定・定義しています。詳細は『「内語」「内言・思考言語」の再規定』を参照。(2006年10月23日以降)

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

内語内言は〈表象形態〉の認識です。

なお、上のように規定した 内言(内言語・内的言語・思考言語)、 内語とソシュール派のいうそれらとを区別するために、ソシュール派のそれらは「内言」(「内言語」・「内的言語」・「思考言語」)、「内語」のようにカッコつきで表記します。

また、ソシュールは「内言」つまり表現を前提としない思考過程における内言および内言が行われる領域をも「言語langue」と呼んでいるので、これも必要に応じてカッコつきで「内言」・「内言語」・「内的言語」・「思考言語」のように表記します(これらはすべて内言と規定されます)。さらに、ソシュールは「内語の連鎖」(「分節」された「内言」)を「言連鎖」あるいは「連辞」と呼んでいますが、まぎらわしいので「連辞」に統一します(「連辞」も内言です)。この観点から見た「言語langue」は「連辞関係」と呼ばれます。ソシュールは「内語」あるいは「言語単位」の意味はこの「連辞関係」によって生まれると考え、その意味を「価値」と呼びます。構造言語学では「言(話し言葉)」や「書(書き言葉)」における語の連鎖をも「連辞」と呼び、「連辞関係」を「シンタグム」と呼んでいます。詳細は「ソシュールの「言語」(1)~(4)」「ソシュール用語の再規定(1)~(4)」「ソシュール「言語学」とは何か(1)~(8)」を参照。

 さらに、ソシュールは内言における 語音像⇔個別概念 という形態の連合も「シーニュ・記号」と呼んでいるので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【内言レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音像(個別概念と語規範に媒介されて形成される語音の表象)

・シニフィエ   → 個別概念(知覚や再現表象から形成され、語規範の媒介によって語音像と連合した個別概念)

・シーニュ・記号 → 内語

・言語      → 内言

ソシュールがともに「シーニュ・記号」と呼んでいる2種類の連合 語韻⇔語概念語規範)と 語音像⇔個別概念内語)とは形態が異なっていますのできちんと区別して扱う必要があります。

 また、実際に表現された言語レベルにおいても、語音個別概念 という形態の連合が「シーニュ・記号」と呼ばれることもありますので、このレベルでの「シニフィアン」・「シニフィエ」についてもきちんと再規定する必要があります。

【言語(形象)レベルにおける再規定】

・シニフィアン  → 語音個別概念語規範に媒介されて実際に表現された語の音声。文字言語では文字の形象

・シニフィエ   → 表現された語の意味。個別概念を介して間接的にと結びついている(この個別概念語規範の媒介によってと連合している)

・シーニュ・記号 → (表現されたもの)

・言語      → 言語(表現されたもの)

 語音言語音語音像言語音像語韻についての詳細は「言語音・言語音像・音韻についての覚書」を、内言内語については「ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言」を参照して下さい。また、書き言葉や点字・手話についても言語規範が存在し、それらについても各レベルにおける考察が必要ですが、ここでは触れることができません。

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プロフィール

シカゴ・ブルース

シカゴ・ブルース (ID:okrchicagob)

1948年10月生れ(74歳♂)。国語と理科が好き。ことばの持つ意味と自然界で起きるできごとの不思議さについて子供のころからずっと関心を抱いていました。20代半ばに三浦つとむの書に出会って以来言語過程説の立場からことばについて考え続けています。長い間続けた自営(学習塾)の仕事を辞めた後は興味のあることに関して何でも好き勝手にあれこれ考える日々を過ごしています。千葉県西部在住。

2021年の2月下旬から海外通販(日系法人)を通じてイベルメクチンのジェネリック(イベルメクトール:インド Sun Pharma 社製)を購入し、定期的に服用しています。コロナワクチンは接種していません。

ツイッターは okrchicagob(メインアカウント)、または Chicagob Okr(サブアカウント)。

コメント等では略称の シカゴ を使うこともあります。

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われわれは人間が『意識』をももっていることをみいだす。しかし『精神』は物質に『つかれて』いるという呪いをもともとおわされており、このばあいに物質は言語の形であらわれる。言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。したがって意識ははじめからすでにひとつの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるほかはない。(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳・岩波文庫)


ことばは、人間が心で思っていることをほかの人間に伝えるために使われています。ですから人間の心のありかたについて理解するならばことばのこともわかってきますし、またことばのありかたを理解するときにその場合の人間の心のこまかい動きもわかってきます。
このように、人間の心についての研究とことばについての研究とは密接な関係を持っていて、二つの研究はたがいに助け合いながらすすんでいくことになります。一方なしに他方だけが発展できるわけではありません。
…こうして考えていくと、これまでは神秘的にさえ思われたことばのありかたもまったく合理的だということがおわかりになるでしょう。(三浦つとむ『こころとことば』季節社他)


参考 『認識と言語の理論 第一部』 1章(1) 認識論と言語学との関係

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ふしぎだと思うこと
  これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
  これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
  これが科学の花です
        朝永振一郎

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