ソシュール用語の再規定(4)――思考・内言(PC版ページへ)

2006年10月23日05:51  言語>言語規範

 ソシュール用語の再規定(1)~(4)をまとめて読む。

ソシュール言語学には個別概念が存在している?」(2006.09.09)で書いたように、いわゆる「思考言語」(内言語)は言語規範としてのラングではない。それは 個別概念⇔語音像 という連合が時間的・一次元的に連鎖したものであって「シーニュ*」(語規範) つまり 語概念⇔語韻 の連鎖ではない。個別概念⇔語音像語概念⇔語韻 とはその質が異なるのである。前者が個別概念(表象をともなった概念)と語音像(音声表象)とが連合したもの、つまり〈表象形態〉をとった感覚的な認識であるのに対して、後者(語規範)はともに〈概念形態〉である概念と語韻とが連合した超感覚的な規範認識である(ただし、前者は〈表象形態〉ではあるが、普遍的・概念的な側面をもとらえた認識であるから概念的な把握はなされている)。

* ソシュールは 概念聴覚イメージ(『一般言語学第三回講義』相原・秋津訳)あるいは、概念音節の連鎖(『ソシュール講義録注解』前田英樹訳/法政大学出版局)「言語記号」(シーニュ)と呼んでいる。したがって、ソシュールのいう「言語記号」は厳密にいうと語規範ではない。この場合、聴覚イメージ(映像)音節の連鎖 は語音像(表象形態)であって、語韻(概念形態)ではない。つまり、ソシュールが「ラングによって思想を分節する」というときのラング(シーニュ)は、ソシュールがいうような 概念聴覚イメージ ではなくて、本当は 語概念⇔語韻 という超感覚的な〈概念形態〉の規範認識なのである。

実際、個別概念を認識してそれを直ちに発声するときには、語音個別概念 の連合を媒介するものとしては、ソシュールがいう音声表象をともなった感覚的な 概念聴覚イメージ は観察されない。この場合、個別概念は超感覚的な 語概念⇔語韻(語規範) に媒介されて直接語音に結びつくのである。つまり、個別概念語概念⇔語韻語音 という過程を経て 個別概念語音 という連合に直結していて、その間音声表象は介在していないことが分かる。

〔注記〕以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「鑑賞」という言葉もあるが意味が限定的なので、それらをも含む広い意味の言葉として「受容」を用いている。

個別概念が介在する<表現⇒受容>過程」(2006.09.08) 等で何度も書いているように、言語を表現する過程や言語を受容する過程、あるいは言語規範を習得する過程では、現実的に表現されたと、規範認識である語規範との間には個別概念個別的概念)が介在している。

つまり言語を受容する過程では、語概念⇔語韻 が具体的な語(語音個別概念) と 個別概念⇔語音像 という連合とを媒介しており*、語規範(言語規範) を習得する過程では、個別概念⇔語音像個別概念語音語概念⇔語韻 とを媒介することによって語規範(言語規範) の実質的な習得がなされる**のである。

語音語音像語韻⇔語概念個別概念 の過程で、語音像⇔個別概念 が形成され、最終的に 語音個別概念 という理解が成立する。

** 現実の事物を概念として把握した(第三者あるいは自分の)表現である 個別概念語音 を自分の意識の中で反省することによって 個別概念⇔語音像 が形成され、これを媒介して 語概念⇔語韻 という規範認識(語規範)が形成される。

言語活動においては、このように現実表象知覚を含む)・概念の各レベルにおいて各レベルの連合が存在している。それらの連合の音声的な面に注目すれば「語音・語音像・語韻」であり、内容的な面に注目すれば「個別概念・個別概念・語概念」ということになる。そして、語音個別概念 はふつうと呼ばれており、ソシュールは 語概念⇔語韻 を「シーニュ」(=私のいう語規範) と呼んだ(上記のように厳密にいえばそうではないが)。これに対して 個別概念⇔語音像 にはその概念を呼ぶべき名称がない。しかし、上で述べたようにソシュール派のいう「思考言語」(内言) は実は 個別概念⇔語音像 の連鎖であるから、私は「思考言語・内言」「内語」を再規定してその用に当てたいと思う。

つまり、個別概念⇔語音像 をあらためて内語と規定し、内語の連鎖である「思考言語」内言と再規定する。そうすれば、現実表象概念の各レベルにおいて「音」と「概念」とが連合している統一体をそれぞれ 内語語規範 と一貫して簡潔に記述することができるし、表現過程や理解過程において、言語規範言語(語の連鎖)と内言(内語の連鎖=「思考言語」) とを媒介することが明確になる。また思考過程は、相互に関連し立体的な構造をもった個別概念群が、言語規範に媒介されることによって、内語群の時間的・一次元的な連鎖である内言へと整理・整序される過程であると理解することができる。

(注記) 思考や認識には個別概念のみで、語音像をともなわないものがいくらでもあること。そして、現実に表現される言語とは異なり、内言は文法に従う必要はなく、内言にともなう語音像は孤立していることも多いこと。これらのことから分かるように、内言はあくまでも思考過程・認識過程の一部であって言語ではない。

また、黙読では (文字)→語音像語韻⇔語概念個別概念 という過程によって内言(語音像⇔個別概念の連鎖)が成立し、この内言を媒介にして 言語(文字の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合が形成されて文章の理解(読解)が成立することも分かる。

最後に、内語言語内言について簡単にまとめておく。詳しくはこのページの下部にある「言語関連の用語について」を参照して頂きたい。

  : 語規範に媒介された 語音個別概念 という連合を背後にもった表現。

言語 : 言語規範に媒介された 言語音(語音の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった表現。

内語 : 語規範に媒介された 語音像⇔個別概念 という連合を背後にもった認識。

内言 : 言語規範に媒介された 言語音像(語音像の連鎖)⇔個別概念の相互連関 という連合を背後にもった認識・思考過程。

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