▲ 臨時リンク集:社会・政治・経済 … から
◆ 2008年版序章 ー海に沈むより先にー (08年02月17日@『天国に一番近い島ツバルにて』)
◆ 『きっこのブログ』「人の痛みが分からない人たち」を読んで (08年04月28日@『カナダde日本語』)
◆ 准教授の個人blogの記述に勤務先大学学長が謝罪 (08年04月26日@『Matimulog』)
◆ 『沖縄ノート』裁判にみられる「保守論壇」の目もあてられない劣化。 (08年04月27日@『毒蛇山荘日記』)
▲ 臨時リンク集:言語・科学・コンピュータ から
◆ 片仮名語の悲惨 (@『翻訳通信』 2003年5月号)
◆ デル、6月30日以降もWindows XPの販売を継続 (08年04月25日@『@Computerworld.jph』)
◆ 編集者さん、ちゃんと仕事してあげてね。 (08年04月15日@『*minx* [macska dot org in exile]』)
◆ 筑紫朝廷と近畿大王 (93年01月15日@『新・古代学の扉』)
◆ IFRAME を探せ (08年04月02日@『Fcafe』) ♪関連記事 FC2ブログのテンプレート改ざん事件〜IFRAMEタグとJavaScript (08年03月31日@『David the smart ass』)
▲ 臨時リンク集:米民主党大統領候補マイク・グラベル爺さん、ほか から
◆ 米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望 (08年04月25日@『macska dot org』)
◆ ロバート・パリー『オバマを攻撃する理由』 (04年4月2日@『TUP-Bulletin』) ⇒ TUP-Bulletin が読めない方は『薔薇、または陽だまりの猫』に転載されたものがあります。
◆ イラク人女性たちは米軍の占領にもイスラム主義者の暴力にも反対する(イファト・サスキンド) (Falluja, April 2004 - the book)
◆ 5年、そして継続中(ダール・ジャマイル) (Falluja, April 2004 - the book)
▲ 臨時リンク集:YouTube, Google Video の動画 から
◆ 大阪で公明党をたたく意義 (2008/01/15 門真市議・戸田ひさよし)
◆ 国の助成金カット問題で辞職表明した岩国市長が支援要請 その1 その2 (07年12月27日)
◆ テロ特措法:アフガンではなくほとんどがイラク攻撃支援 (2007/08/31 朝まで生テレビ)
◆ 検証 自衛隊"給油"の真実 イラク戦争「転用」の記録 (2007/9/20 報道ステーション)
▲ 臨時リンク集:音楽・その他 から
◆ George Harrison - While My Guitar Gently Weeps with Ringo,Clapton,… (YouTube)
◆ 森田童子 - みんな夢でありました (YouTube)
◆ Chiméne Badi(シメーヌ・バディ) - Entre nous (YouTube)
◆ YMO - Rydeen Live at Greek Theatre 1979 (YouTube)
▲ 2008.02.28 三浦つとむ『言語過程説の展開』 冒頭の文章
▲ 2008.02.27 三浦つとむ『認識と言語の理論』 まえがき
▲ 2008.02.21 ブログ・リニューアル(7)――テンプレートのスリム化
▲ 2008.02.19 ブログ・リニューアル(6)――新管理画面統合は大丈夫?
▲ 2008.02.05 Windows XP のこと
▲ 2008.01.29 科学とは何か
▲ 2008.01.24 認識についての覚書(7)――観念的自己分裂
▲ 2008.01.24 認識についての覚書(6)――概念のまとめ
▲ 2008.01.24 認識についての覚書(5)――カテゴリー・概念の階層
▲ 2008.01.24 認識についての覚書(4)――表象と概念
前稿「三浦つとむ『認識と言語の理論』 まえがき」で触れているように『認識と言語の理論』は第一部〜第三部の3分冊からなっている。このうち前二つが本来の『認識と言語の理論』の本体であり、三浦は早くからこの2分冊を一冊のまとまった書として刊行したいと思っていた。しかしその願いはなかなか叶うことはなかった。そして 1983年8月に第一部と第二部との合本が「三浦つとむ選集3 言語過程説の展開」という形で出版されたことによってその願いはようやく実現した(三浦としては不本意であったかもしれない)。この合本『言語過程説の展開』の冒頭部分には『日本語はどういう言語か』という本がいかにして世に出たか、学術書としての『認識と言語の理論』をなぜ書いたのか、といった経緯についてつづった文章が載せられている。三浦の言語過程説の成立過程とそれを世に出すための苦心とがうかがわれる貴重な文章なので是非ご紹介したい。
「三浦つとむ選集3 言語過程説の展開」(勁草書房) p.i〜vi
『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ
スターリンの言語学論文を批判した後に、私は自分の言語理論を体系的にまとめる仕事をはじめました。これはいわば時枝さんの研究と私の研究とを合体したものですから、『言語過程説の展開』と題して、はじめの部分を自分でプリントの分冊にして何回か知人に配りましたが、世界のどの言語学者もまだ論じたことのないものだという自信があったので、やはりちゃんとした本で出版したいと思って、一冊分の原稿を書きあげました。しかしスターリン批判のときに代々木から原稿拒否の指令のまわっているような出版社へ持って行くわけにはいきません。すると謄写(とうしゃ)製版の仕事を以前によくもらっていた神田お茶の水のプリント屋の主人が、「御茶の水書房」という学術書の出版社を経営していたので、そこへ持って行きました。謄写製版の仕事では信用があったし、その上五五年に出した『弁証法はどういう科学か』は五六年春のベストセラーになっているので、門前払いにはならないだろうと思ったわけです。すると、原稿の中に時枝さんの批判があったので、それを見た出版社の側で、「こんな原稿が来ているがどうか。」と時枝さんにうかがいを立てました。時枝さんは「出版してあげてください。」と言われたということだが、結局「私のところでは出せない。」という結論になって原稿を返されました。早稲田で書店を経営している知人は、「大学の教科書や参考書で使われるものでないと、一定部数の売れ行きが保証されないから出版は不可能だろう。」と教えてくれた。事実私の『大衆組織の理論』を勁草書房で出すときにも、同じような理由で社内に反対があったと聞いている。私はサークルや青年団など大衆組織に関係して活動していたから、この時は出版社に迷惑をかけずにすむだろうという確信があったけれども、今度の『言語過程説の展開』はスターリン批判で哲学者や言語学者にいろいろ悪評を立てられて悪名が高いだけに、売れ行きのほうは自信がなく、仕方がないから、一般の人びとに興味のない諸学説のこまかい批判などを切りつめてしまって、学術書ではなく『日本語はどういう言語か』という題名の大衆的な本に書きなおし、言語学の基礎理論はその「第一部」におさめて、これを理解してはじめて日本語も理解できるという構成にしました。そして『弁証法はどういう科学か』を出してくれた講談社に、同じくミリオン・ブックスの一冊として出してくれるよう依頼した。
幸いにOKが得られたので、当時朝日新聞が連載していたサイレント漫画『クリちゃん』は、認識構造を画面にどう示すかという点から見ても非常に面白かったから、この漫画の筆者根本進氏にお願いしてその登場人物を使って言語の認識構造のさし絵を描いていただくことにしました。
出版社の担当者が時枝さんに推薦のことばを書いていただこうというので、ゲラ刷(ずり)を持っていっしょに時枝さんをお訪ねしました。そうしたら、つぎのようなことばを書いてくださったので、カバーの折返しに印刷しました。
「三浦さんは私の文法理論のよき理解者であると同時に、厳正な批判者でもあり、助言者でもある。文法学は文法体系のつじつまを合わせることだけでできるものではなく、もっと根本的なものの見方、考え方すなわち科学する態度から出発しなければならないことを、三浦さんは繰返し説いている。そのむずかしい哲学を、三歳の児童でも分りそうな図解でもって、懇切に興味深く説明する。私もさらに熟読して多くの収穫を得たいと思っている。」
プリントで出した『言語過程説の展開』を見ておられるので、「批判者」「助言者」などと言われたのであろうが、時枝さんの学者としての人格のよく出ている文章です。
五六年九月に発行されたこの本の表紙には、日本の春の野山を描いた加山又造氏の美しい絵が使われていて、私にも満足でした。この種の本には、カバーの裏に担当者の書いた筆者紹介文が印刷されているのが常である。いわく、
「子どものときには名探偵を志し、のちに、学問の分野で未解決の問題を解決したいとのぞんで、その武器として哲学を勉強したという。戦後、哲学の本を書いたので哲学者として知られているがあれは副産物だと、哲学者あつかいされるのをいやがっている。言語理論はその業績の一つ。スターリンの言語学論文を革新的な人たちがこぞって礼讃したのに、あんなものは言語学としても低いし、マルクス主義としてもまちがいだと公言して、以来村八分状態におかれた経歴の持ち主である。」
のちに講談社でミリオン・ブックスの刊行が廃止されるのといっしょにこの本も絶版になったが、七一年三月に季節社の中原氏が写真版で複製再刊して下さった。七八年六月には講談社学術文庫で改定新版が出た。はじめは旧版のまま入れたいという申出だったが、書き直したものを入れて欲しいと私から要求して約三カ月かけて書き直した。
『日本語はどういう言語か』が、実は学術書のかたちを変えたものであることを、吉本隆明氏は看破しました。氏は改定新版の解説を書いて下さいましたが、その中に昔読んだときの感想をつぎのように記してあります。
「この著書は、啓蒙的なスタイルをとった小冊子だったが、内容はきわめて高度で、画期的なものであった。その上、文学作品を解剖するのに、これほど優れた武器を提供してくれる著書は、眼に触れるかぎり、内外の言語学者の著書のうちに、なかったのである。……この著書を、うまく、文学の理論につかえるのは、たぶん、わたしだけだろうということも、すぐに直観された。」
学問の仕事をするものにとってもっとも嬉しいことは、「何とか賞」や「何とか章」をもらうことではなくて、自分の理論を正しく理解して役立ててくれる者が出てくることです。吉本氏が私の本を『言語にとって美とはなにか』に役立ててくださったことは、其の意味でたいへんうれしかった。さらに、外国語の研究に役立ててくれる方々も出現して、宮下信二氏(英語学)や鈴木寛氏(フランス語学)の研究発表も読ませていただきました。
時枝さんは『日本文法口語篇』(一九五〇年)の「はしがき」で次のように述べておられる。
「最初(学者たち――引用者)は、ヨーロッパ文法の理論に忠実に従ふことによつて、日本文法を完全に記述することが出来ると予想したのであるが、やがてそれが不可能であることが分つて見ると、原理は結局日本語そのものの中に求めなければならないこととなつたのである。これは誰にも頼ることの出来ない、また既成の学説や理論にすがるこ

